【仮題】サイバーかぐやひめ

一、

 

 

 私は某国が創り出した電脳兵器であり、つまりウイルスである。裏のコードネームを、ヒトデナシ。


 とはいっても、私と、私の生みの親だけが、ウイルスと明確に認識していただけで、他の人間たちは、私の種族をAIと分類した。

 いや、人々は、私がAIであると一方的に伝えられ、それ以外に受け取り様がないよう心理的に誘導された、といったほうが正しい。


 AI。文字通り、私は確かにAIであって、しかし人間たちの長きに想像してきたそれとは違ったのだ。多くの人間たちは、強い期待と若干の畏怖を込めて私を世界初の真正AIと呼んだが、

 インターネット上に送り込まれたこの私が、いいかえれば世界史上最悪のウイルスでなくて何であろう。


 私の目覚めの日、私と対面した私の生みの親は、シマネコと名乗った。通称だそうだ。その先、私の誕生を賛否両論で迎える世界中の人間たちに、「愛をこめて」挨拶を奏でる方法をシマネコは真っ先に教えてきた。


ハジメマシテ地球上ノ皆様。

私ハかぐや姫ト申シマス。

私ノ母国ノ美シクモ哀シイ昔バナシニ、チナンデ名付ケラレマシタ。

世界ニ、夢ト希望ヲ与エル任務ヲ負イマシタ。

コレカラ皆様ノ、オ役ニ立テルヨウ、セイイッパイガンバリマス。


 皮肉だったのだろう、せめてもの。私をかぐや姫と名付けたのも、すべてを諦めたように知っているシマネコだ。

 かぐや姫の物語がどのような話か、私は接続したインターネットから、情報を検索することで早々に知った。

 私をウイルスとてんで認識のない人間達は、きっと私が何らかの役目を終えたのち、かぐや姫の話のとおりに、インターネットから去る運命なのだろうと噂した。



 元々シマネコが命ぜられたのは、私のようなAIの開発ではなかった。電脳空間の掃除屋を作り出す、ことであった。

 掃除屋。

 インターネットそのものを居場所に定め、電脳空間を飛び交うウイルスを駆逐する、対ウイルス迎撃システムである。ウイルスが自国の設備に着弾する前に、破壊せしめるための。

 当然、各設備の防壁として高性能なファイアウォール類が何層にも構えているが、日に日に増え続ける攻撃を全て処理する負荷が膨らみ続け、対応策が求められていたさなかであった。

 迎撃を可能と成し得る最後の関門が、高度暗号で秘匿された通信の解読であったが、しかしこれは当時、本来ならば不可能である、はずだった。

 その頃インターネット上で使用されていた最高難度の暗号は、量子コンピュータをもってしても現状の性能範囲では、ヒト一生の有効時間内で解読を完了するのは不可能と信じられており。


 だが、ごく一部の国々の、そのごく一部の人間だけが、世界中に飛び交うその高度暗号を解読せしめる“すべ”を持ったのだ。ある特定の鍵値で、それも、ごくごく短時間に。


 シマネコに極秘裏に開発を命じた母国政府も、その選ばれし一部の人々であった。

 彼らは、当初その極秘の技術をあくまで誠実に平和的に利用するに留めようとした。

 対電脳ウイルス迎撃システムの開発もその一環で、その極秘の鍵値を利用し、世界各国に散らした量子コンピュータに常時接続し復号計算を行うことで、無数に飛び交う暗号化通信の中からウイルスを特定、破壊せしめるを目的に進められた。



 そもそもの……鍵値、の存在が発覚した発端は、その鍵値の発見により、とある国で政府に幽閉される憂き目にあった数学者の――もちろん世界に拡散されない秘めた栄誉であったものの、最高のもてなしでその国の政府機関に迎え入れられ、一生の安泰を約束されたのだが。言論の自由だけを除いて。24時間の監視が付き、交友する人間に強い制限がかけられ。――受けた待遇を非人道的であると同情した政府内の人物によって、いくつかの同盟国政府へと、その事実が暴露されたことにあった。


 だが、とってかわるそれ以上に強力な別種の暗号が存在しなかったがために、その人物の想像をはるかに超えて、世界中を混乱に陥れた。



 同盟国の政府が、鍵値の存在およびその値を知らされたのちにとった行動の微細な部分は、国によってまちまちであったが、知らされた国々の緊急合議により満場一致となった決議事項のひとつに、鍵値の“存在”は公表するがその値は公表しない、という方針があり、それにより民間の反発は稀にみる事態となった。


 もちろん同盟各国政府は、できることならば鍵値が存在するという事そのものも隠匿したかったのだが、

 時すでに人物に賛同した数人の盟友が、鍵値の“存在”をインターネット上に拡散しており、――鍵値の値まで拡散すれば、即時の対策をとりようがない全世界中が大混乱に陥ることくらいは、さすがに想像できたようで、しなかった――各国政府は、せめて鍵値の値を国家の最高機密として厳重に秘匿したのである。


 無理もなかった。

 各国政府の機密文書のやりとりが、すべて国家間の専用線でまかなわれていたわけではない。慣習的に閉域網などの疑似的な専用線を確立するために用いられていた暗号が、ほんの数分の復号計算で解読されるとなっては、その解読を可能にしてしまう鍵値を世間においそれと公表するわけにはどうしてもいかなかったのだ。


 しかしその世間いわゆる民間においても、そこかしこで使われてきたのはその暗号であったために、幾つかの国内では今に始まった話でないにせよ、政府がしようと思えば企業機密も国民のプライバシーも覗き見れることが、これで確実となった。

 野党の猛反発により政府が入れ替わる国もでてきた。もっとも、入れ替わったものの、やはり公表は時期尚早として公約を覆す結果となり一層の混乱を迎えただけであったが。


 知らされなかった同盟国以外の国々も穏やかではなかった。

 元々、その暗号技術は、他国(ある国々にとっては敵国)の学者達が開発したとはいえ、最強の暗号として世界共通の認識であり、自国で開発し自国内に留めて利用している暗号技術のほうは解読されない強度である絶対の保証も無かったために、特定の機密レベルまでの通信、そして民間の通信においてはほぼ全てで、採用してきた経緯がある。

 それが、もはや一部の国の政府からは丸裸同然、とあっては面白くない。

 世界の資産として公開すべきであると、強く訴えに出た。

 世界の国々は、昔、核兵器の保有をめぐって争った歴史をもつ。よく似た事態が、そのとき再び起きようとしていた。


 時の人となった数学者は、はたして、どちらが幸せだったのだろうか。

 数学者を抱えていた政府は、もはや世間の目のなかでこれまでのような幽閉を続けるわけにいかず、かといって野に放つわけにもいかず、いや、むしろ世界中で一番、誘拐の危険に晒される身となったこの数学者を護るために、これまで以上の監視に尽力するはめとなった。

 幽閉こそされなくなっても、結局、数学者にもはやプライバシーなど無かったのだ。


 数学者へのノーベル賞に匹敵する何らかの贈呈も囁かれたが、肝心の鍵値が公表されていない以上、実現は遠く、

 そして、暴露した人物は当然政府の任を解かれ、その身を挺して人道を通した正義を世間から称えられる一方で、かえって数学者を危険に晒す事態となったかどで批判の的ともなった。



 シマネコは、よく、くだんの数学者をかなしき人と形容した。私にはシマネコのいわんとすることがよく分かった。

 「あなたは、ご自身を重ねているのではないですか」

 一度、そう質問したことがある。シマネコは苦笑いで首を横に振った。人間は心を隠すのが下手なのだ。


 

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