5.消えた巻物と魔物


 マヤトをふくめ先生たちが、電気を遮るぶ厚い障壁魔法をどう消そうか頭を抱えていた。


  魔法と違って、障壁魔法を安全に無効化させる方法や魔法が確立されていない。よって、障壁魔法を上回る力の魔法で破壊するほかない。


 しかし、障壁魔法の厚さは人が三人分、体格のいいティーダが二人分の厚さになっている障壁魔法を破壊する魔法が放てば、電気管理室自体破壊されてしまう。そうなってしまえば、電気を受けわたす電極ロッドも壊れてしまい、停電どころの騒ぎではなくなってしまうのだ。


 チサだけでなく先生方も、障壁魔法の効力が次第になくなるのを待つほかないと思っていた。


 巻物がなくなったと伝えられたチサは、中庭へ向かおうかと思った。そこに、突然、サトシが現れた。


「やっぱり、チサも来ていたのか。何が起きてるの?」


 サトシは笑顔だった。


「サトシ。どうしてここへ? 授業は?」


「チサこそ……理由は、一緒だと思うけどね。マヤトの名前を放送で聞いて、いてもたってもいられなくて」


「そ、そうだね」


 チサは、ゆっくりうなずいた。


 サトシが受ける授業の多くは、個人レッスン。所属しているFクラスは、生徒それぞれに専用の科目が用意され、それ専門の先生から指導を受けることになる。


 サトシは、授業を早く切りあがるように進めてきたと言う。


 そして、サトシは遠慮することなく、マヤトやティーダらの輪の中へと入って行く。そして、事情を聞きながら障壁魔法を観察していた。


 興味本位で来てみたものの、チサは何もできず、マヤトやサトシの背中を見て羨ましいと思った。首を突っこんで、そこでなにかできる力が二人にはあったからだ。自分は何もできないんだなと、チサは悲観する。


 マヤトは、オレンジ色の光る壁の中のリンゴを指差して、サトシと会話をしていた。


 サトシが何かを言うと、マヤトは軽くうなずき、部屋から出て来た。それに続いて、先生たちも出てくる。サトシだけが電気管理室に残った。


「なにをするの?」


 チサがマヤトに聞いた。


「障壁魔法を壊す」


 マヤトは、障壁魔法の前で一人集中するサトシの背中を見て言った。


「え、壊すって? どうやって」


「さ、二人とも、もっと下がって」


 ティーダの厚く丸い手が、チサたちの前を遮って数歩後退させる。


 障壁魔法を破壊する魔法が放たれれば、少し下がったところで危険が回避されるとは思えない。


 それなのに、サトシが一人部屋に残っているということは、サトシ一人の被害で済むということを意味しているのか。それでもサトシは、俺なら問題ないと、自信を持って上手くやってしまいそうだ。


 チサは、頭が痛くなる。みんな何を考えているのかわからない。


 サトシは電極ロッドから電気が放たれている側へ近づいて行く。そこから障壁魔法に向き合い、胸の前で両の手の平を合わせた。


 ひと呼吸すると、サトシの手が左右に広がって行く。胸の前にできた空間に、針のように細い棒がジリジリと伸び生まれていく。それは、両腕を広げたほどの長さになった。


 サトシはそれを手でつかむことなく、浮遊させた状態で、障壁魔法の中央にある芯だけとなったリンゴに向かって突き刺した。


 先のとがったその針は、一瞬の抵抗はあったものの障壁魔法の壁を突き抜けた。風船に針を刺したように破裂するのかと思ったが、障壁魔法は一切反応を示さない。


 グッと針が押しこまれると、針先はリンゴを突き刺した。


 そして、サトシはすぐさまその場から飛び退いた。


 すると、電極ロッドから放たれる電気が、針を伝う。


 障壁魔法の中へと電気がビリビリと進んでいき、リンゴに到達すると、リンゴがどんどん黒ずんでいった。それに合わせて、障壁魔法の厚さも薄くなっていき、リンゴが煙を上げて跡形もなく消えてしまった。


 同時に、障壁魔法も消えた。


 サトシはすぐに手を横に振り、目の前の空気をつかむ動作を見せた。


 すると、障壁魔法に刺さっていた針の棒が、パッと空中から消えた。サトシは、針の魔法を消したのだ。


 電極ロッドから放たれる電気は行き場を求めて、もう一つの電極ロッドへ自然と流れていった。


 その瞬間、廊下の電灯が点いた。


 大役を果たしたサトシだったが、すまなそうに電気管理室から出て来た。


「やっぱり、リンゴは消えてしまった。すまない」


 サトシの言葉に、マヤトは何度かうなずくだけだった。


 マヤトは、リンゴを解析したかったため、リンゴを残す形で障壁魔法を消せないかサトシに頼んでいたようだ。


 だが、障壁魔法に魔力を送りこんでいるリンゴ自体を消さなければ、障壁魔法を消すことはできず、サトシはあらかじめその旨をマヤトに伝えていた。


「いやー、よくやってくれた夜凪君。これで停電は解消された」


 ティーダがサトシの肩を叩いた。先生方もほっと肩をなでおろしていた。


「で、次か。もう君たちは、クラスに戻るように」


 ティーダの笑顔も束の間、難しい顔をして、その場を去って行った。


「ティーダ先生、どうかしたのか?」


 サトシが聞いた。


 チサは、巻物がなくなったことを伝えた。サトシは、当然のように驚いた。


「今まで、取れそうになった人なんていなかったのに、なんで急に」


 そう言ったサトシの目の中で、炎が上がっているように見えたチサ。


「せっかく魔歴研の研究課題にしたところだったのに」


「よし、俺たちも行こう。いったい誰が取ったのか確認したい。な、マヤト」


 しかし、マヤトの反応は、薄かった。


 先ほどからずっと、あごに手をやったまま電気管理室の中を見つめていた。


 リンゴがなくなってしまったことがそんなに悲しかったのだろうか、とチサは思う。


「マヤトも気になるだろう、誰が巻物を取ったのか」


「ん、まぁ……」


「なにか気になることでもあるのか?」


 サトシが問う。


「ちょっとな。サトシたちは先に行っててくれ」


 素っ気なく言ったマヤトは、電気管理室の中へと入っていった。


 今さら、中を見て何がわかるというのだろうか。チサは、マヤトがなにが気になっているのか、気になった。しかし、サトシにそれを答えなかったところをみると、自分がもう一度たずねても答えてはくれないだろうと、チサは思った。


「先に行っててくれ、ってことは後から来るってことでしょ」


 チサが言った。


「そうだな。先に行こう」


 チサとサトシは、中庭へと向かった。





 中庭は、まだ授業中ということもあり生徒はいなかった。第三塔と第四塔の間で、ティーダと数人の先生たちが宙を見あげていた。


 チサとサトシもそこで上を見あげた。


 そびえ立つ塔の間に青い空が見えるだけだった。そこの空がこんなにも印象的だったのは初めてだった。普段なら、空の手前に巻物があったからだ。


「本当になくなってる」


 巻物がなくなっていることは見てわかっているはずなのに、思わずチサは口に出てしまった。


「くそー、いったいどうやって取ったんだ。触れることすらできなかったのに」


 サトシは頭を抱えるほど悔しがっていた。


「これで、なにが書いてあったのか確認できなくなっちゃった」


 これから魔歴研として活動が進んでいく矢先の出来事にチサも落胆した。


 先生方もサトシやFクラスの生徒でも取ることができなかったのに、誰が取ったのか検討もつかないと口をそろえて話していた。


 そこにマヤトが下を向きながら、足元を注意深く見ながらやってきた。


「ここまでか」


 マヤトは、中庭の端まで進んできて言った。


 そして、その周囲をキョロキョロと見回す。


 そのマヤトの目には、片眼鏡がつけられていて、虹色のレンズが光っている。それを見たチサはすぐに、魔法の痕跡を解析しているのだろうとわかった。


「マヤト、なにかわかったのか?」


 サトシが聞く。


「足跡がついていた」


「足跡?」


 チサとサトシは、地面を見回したが靴の跡すら見つけられなかった。


「俺にしか見えない」


「誰のかわかるのか?」


「そこまでは」


「どうして足跡が見えるの?」


 今度は、チサが聞いた。


「こんな足跡を見るのは、俺も初めてのこと。普通なら、見えない」


「普通ならって?」


「異常な魔力ってことだろ?」


 サトシは眉をひそめて言った。


「なんだ、気づいていたのか」


「あぁ」


「ちょっとー、二人ともなにを話してるの?」


 マヤトとサトシが真剣な目つきで周囲を見回していたが、チサには何も感じられなかった。ただ、チサはその感じられなかったこと自体が不気味で怖かった。


「俺が見てきたこの足跡は、電気管理室からここまでついていた。つまり、巻物を取った誰かと電気管理室の障壁魔法の発動者は同一人物と考えられる」


「相当な魔力を持っているってことか。ここまで異常な魔力を持った生徒がいれば、普段でも気づけるんだけどな」


 サトシは、普通ではないことをさらっと言った。


 チサは、今でさえそれすら感じていない私はなんなんだと、心の中で叫んだ。周囲を馬鹿にして言っているわけでもなく、無自覚なところがまた憎めなかった。


「サトシ。異常なのは、おそらく今だけだ。歩いた跡が、地面に残るほど魔力を放出している。つまり」


「魔力を制御しきれていないのか」


「ご明察。おそらく、盗難事件でも言っていたリンゴが魔力を一時的に増やす作用があるんだろう」


「だから、あれほどのぶ厚い障壁が発動できたのか」


 マヤトは、静かにうなずいた。


 チサも二人の話をここまで聞いてやっと理解できた。


 そして、マヤトは空を見上げた。巻物がなくなった空中に目をやった。すると、突然、額に手を当てて笑い出した。


「あぁ、そうだったのか」


 今までに見たことのない笑い方をするマヤトだったので、チサはマヤトが狂ってしまったのかと思った。


「白鹿、七色に変化する花だよ」


 七色に変化する花。先日、マヤトと一緒に見た図鑑に載っていた花のことだ。


 マヤトにそう言われてもチサはピンと来なかった。


「ご、ごめん。言ってる意味がわからない」


「異常な魔力のおかけで、巻物が取られたところが再現できる」


 マヤトは、フェンスをヒョイっと乗り越えた。


 一歩踏み外せば落下してしまうが、浮遊魔法を使える現代の人々にとっては何の心配もいらない。


 そして、マヤトはちゅうちょすることなく足を一歩宙に出し、また一歩出す。見えない階段を上がっていくように、マヤトは巻物があった位置へ向かって行く。


 マヤトは、チサたちの方に向き直って、その場で跳ねてみせた。重力に逆らって跳ねたマヤトの体は、十センチほど飛んで着地をする。


 浮遊魔法を使って飛び跳ねていないことは、一目瞭然だった。


「加持君、一体どういうこと?」


 チサが空中に立つマヤトに聞いた。


 すると、マヤトは靴のつま先で、自分が立っている場所をこづいてみせた。


「ここに見えない板が張ってある」


「それって、どういう……」


「わからないか、障壁魔法だよ」


「全然わからないんだけど、教えて……」


 チサは首をかしげた。


 チサの声を聞き終える前に、マヤトはまた背中を向けて見えない階段を進んで行くと、姿が見えなくなってしまった。


「ちょうど巻物があった場所だよな、あそこ」


 サトシが指を差す。


「確か、そうだと思うけど。姿が見えない魔法をかけると、手にすることができるってこと?」


 しかし、マヤトが自分に魔法をかけた素振りを見せていないとチサは思った。


「人が近づくだけで、巻物は遠ざかるんだ。魔法で姿を消しても魔力が放たれている以上、巻物には近づくことはできないよ」


 サトシの言っていることは理解できる。けれど、実際に目の前で姿を消したマヤトを見ているチサは、頭の中が混乱していた。


 そして、またマヤトの姿が現れ、こちら側に歩いて来ていた。


 それを見て、サトシがマヤトの元へと飛んで行く。チサも気になって浮遊魔法を自分にかけた。


 マヤトの側に降り立つと、見えないが板が張ってあるように浮遊魔法を使わなくても宙に立つことができた。眼下には、細い道が伸びているのがわかる。


「本当だ。マヤトの姿が見えなくなったのはどういうことだ?」


 サトシが聞くと、マヤトが指を差した。巻物があった場所、マヤトの姿が消えた場所を指差している。


 サトシは、うなずいてその方向に歩いて行く。


 見ればわかると言うことなのだろうと、チサもサトシの後について歩いて行く。


 浮遊せず、重力を感じながら空中を直に歩くのは少し変な気分だった。


 サトシの姿がスーッと消えて行く。


「おー、なんだコ……」


 姿が完全に消えると、サトシの声も聞こえなくなった。


 チサは、おじけづいてその場から進むのをためらった。しかし、マヤトがふたたび無事に姿を現したので、きっと安全ななのだろうと気持ちを固めて、一歩を踏み出した。


 濃い霧の中に入りこむように、周囲にあった風や音が消えていく。


 辺りは、赤や青、緑、紫、黄色といった目が痛くなる原色が、水の中で永遠とかき混ぜられているような世界に変わった。隅々をみると、四角く壁で囲まれているようで、狭い空間だった。


 長時間いたら、目が回るどころか、気持ち悪くなる。


 チサは、体調を崩していることもあり、すぐにその症状に襲われそうだった。


「私、もう無理」


 チサは、向きを反転させて外へ出た。


 ビル間を抜ける強い風が心地良かった。


 続いて、サトシも姿を現した。


 見えない階段には、ティーダをふくめた先生らが足元を確認しながら並んでいた。初めてみる現象に先生らも戸惑っていた。


 チサとサトシは、すでに中庭にいたマヤトの元へ向かった。


「あそこは一体」


 サトシが、着地する前に聞いた。


「おそらく魔力を無効化する空間」


「無効化?」


 サトシとチサは、首を傾げた。すると、チサはマヤトに見つめられた。


「白鹿、まだわからないのか? 七色に変化する花、障壁魔法の裏返しだよ」


「障壁魔法の裏返し……あっ、魔法の変質」


「つまり、あの空間だけは、魔力が無力化、正確には魔力が変質して、巻物が魔力を検知しなくなるんだろう」


「待ってくれよ、マヤト。あの空間を作るのにだって、魔力が発生するだろう。そうしたら、巻物だって移動してしまうはずだろ」


 サトシが強く意見した。


「正直なところ、俺もどう魔法を発動させたのかはわからない。ただ、あの奇妙な空間の内側だけは、魔力が変質する」


「信じられない。そんな魔法を使えるやつがいたなんて」


「でも、どうして加持君は、わかったの? 仮説である障壁魔法の裏返しなんて、一度本で読んだだけなのに」


 チサは不思議そうに聞いた。


「その仮説が目の前で見えたからわかっただけだ」


「見て聞いたりすれば、できる感じあるよ、俺も」


 サトシも簡単にわかったように言った。


 チサは、私にはわからないと、左右に首を振った。


 ――二人は、特に、特別なのよ。


「こうして目にすることがなかったから、わからなかった」


「近くにあの魔法の発動者が近くにいるってこと?」


 チサは聞いた。


「いや、今だけが異常なんだと思う。突然、使えるようになったのかわからないが、サトシが言ったように魔力を制御できていない。そうでなければ、電気管理室から続く足跡なんて、常に魔力を放出し続けていない限り、長時間残ることはないし、あの見えない階段も空間もそうだ」


「それじゃ、少なくとも、障壁魔法が使える人物が巻物を奪ったと?」


「あぁ。この異常な魔力が消えてなくなる前に、俺の解析魔法で探し出すことができれば、発動者および巻物を奪った人物を確定できる」


「ヨシ、すぐにその解析魔法をやってみてくれ」


 と、サトシが言った時だった。


 空気が、一瞬どよめくのを感じた。


 高層ビルを抜けてきた風かと、チサは感じた。


「なんだ、この感じたことのない魔力」


 サトシが、顔色を変えて辺りを見回した。


 周囲はいたって変わりはない。


 マヤトにいたっては、目を大きく開いて、地面を見つめていた。


「ちょっと二人とも?」


 チサもマヤトの見ている足元を見た。


「えっ」


 黒光りする靴の跡が、地面に浮き上がっている。それは校舎の中から中庭を通って、巻物のあったところまで続いていた。そして、その靴跡からは、黒い蒸気が上がっているように見えていた。


「な、なに、これ」


 見えなかった階段も黒く光り、四角い空間も今では目で見ることさえできる。まるで燃えているかのように、内部から黒い煙が出ているようだった。


 マヤトは、両手を胸の前で組み合わせると、マヤトの足元から、風が湧き上がるように魔法の光が広がった。


 マヤトが放つ解析魔法の一つ。そのエリアの中に入る瞬間に、悪寒を感じる。


 マヤトの魔法発動時間がいつも以上に長く、その魔法のエリアも広かった。エアリスローザ全体を包みこんでいるくらいだ。


「いた」


 マヤトは両手を離した。額には汗粒が浮きあがっていた。


「屋上だ。第一塔の」


 マヤトはそう言い残して、第一塔の屋上に向かって飛んでいく。


「力を貸すよ、マヤト」


 スッと、マヤトの隣に並んだサトシは、マヤトに浮遊魔法をかけ、二人はいっきに屋上へと飛び跳ねた。


 チサも慌てて二人を追った。


 巻物を取った人物がなぜ、屋上にいるのかチサにはわからなかった。自分だったら、その場からさっさといなくなるのにと思う。


 すでにマヤトとサトシは、屋上の上から様子をうかがっていた。


 しかし、二人の体は硬直したように動かずにいた。





 チサは、二人の視線の先を追った。


 屋上に一人の男子生徒がいた。しかし、彼の身体からは、灰色の光が煙のように昇っている。


 苦しいのか、お腹が痛いのか、腹部を抱えて、フラフラとしていた。その抱えこんだ手には巻物が確認できた。


 マヤトとサトシもそのことには気づいているはず。サトシにでもお願いして、巻物を奪うことも可能だとチサは思ったが、二人が様子を見ているだけで、近づこうとしないのには理由があると感じた。


 男子生徒が、その場に膝をついて倒れると、背中を丸めて叫び声を上げた。


 まだ少年の名残りがある少し高い声が響いた。


 と同時に、男子生徒から溢れていた灰色の光が、一瞬にして真っ黒く、爆発するように大きく広がった。


 男子生徒の声は、悪魔のように低い声となり、咆哮へと変わってしまった。


 解き放たれた真っ黒な光が収縮すると、男子生徒の姿はそこにはなかった。代わりにいたのは、全身に針をまとった巨体の灰色の動物のよう。


 波打つように長く太い無数の針が動いていた。


 初めて見る得体の知れないそれは、恐怖そのもので、異常なほどの魔力が感じられた。


「闇に飲まれたんだ」


 マヤトが、目を伏せるように額を押さえた。マヤトは自力で浮遊していられないのか、次第に下がって行く。すかさずサトシが肩を貸す。


「闇?」


魔物ギークよ」


 チサがサトシの側に寄った。


「あれがか」


 サトシも初めて見る魔物。いや、ここにいる誰もが実際に初めて見る奇妙なモノだった。


 ハリネズミのように動くそれを離れたところから見ていても、心が押しつぶさそうなほどの威圧感があった。


 自分の鼓動がいっきに早くなっているのがわかった。


「私も初めて見たけど、加持君が言ったように闇の飲まれたんだと思う。きっと、異常な魔力の魔法を使いすぎたのか、制御できずに心に溜まった闇が暴発したんだと思う」


 チサは、恐怖を感じつつも、魔物を見つめていた。


 図鑑でしか見なかった幻獣とされる動物が目の前にいたからだ。


 人は、魔法を使うと、心に闇が発生してしまう。


 普通に魔法を使っていれば、一生かかっても闇に飲まれることはほとんどない。しかし、異常に使用回数が多かったり、体質に合わない魔法を無理に使い続けると、闇は簡単に溜まっていく。


「魔物になったさっきの生徒はどうなる?」


 サトシが聞いてきた。


「わからないよ。でも、元の姿には戻れないって、歴史書で読んだことがある」


「とにかく先生たちにっ」


 魔物がチサたちに気づき、針がチサたちの方に向いた。


 そして、その体から針が高速で飛んできた。


「危ない!」


 マヤトは、サトシを突き飛ばした。というより、マヤトみずからサトシから離れた。


 マヤトとサトシの間を鋭くとがった太い針が横切っていった。


「マヤト!」


「加持君!」


 マヤトは、そのまま屋上へと着地する。


 そこに魔物が、猛スピードで突っこんでいく。


 マヤトは、避けることはしなかった。その代わり、マヤトは自分を包みこむ赤い魔法を発動させた。


 防壁魔法だ。


 魔物の針は、防壁魔法を突き刺すことはできず、マヤトと対峙するように動きを止めた。


「とにかくあの魔物をなんとかしないと」


 サトシは、そう言い残して、魔物を挟んでマヤトとは反対側に移動した。


 そして、サトシは火の玉を魔物の背後から投げ飛ばした。


 魔物の体を取り巻く無数の針がその火球を突き刺して、かき消した。サトシに気づいた魔物が向きを変えて、マヤトから離れていく。


「マヤト君。ここから離れた方が……」


 チサは、マヤトの背後から声をかけた。


「先生たちでもこれを相手にできるとは思えない」


「だからって、私たちだって」


「いいのか? 巻物があの中にあるんだ。さっさとあの魔物をなんとかして、見るってのも悪くないだろ」


 マヤトは、不気味な笑みを浮かべていた。


 こんな緊急事態になにを言っているのかと思ったチサだったが、巻物がすぐそこにあると思うと、その場から立ち去れなかった。


 それだけでなく、マヤトが解析魔法しか使えず、どう魔物と戦うというのか。彼の側にいれば、自分も何か役にたつかも知れないという思いもチサにはあった。


 サトシは、突進して来る魔物を上手くかわして、魔法を繰り出してはいる。


 だが、魔力からして、あのサトシでも正面からぶつかりあったら、ただでは済まないことは目に見えている。


「今のうちだ」


 マヤトは、片膝をついて胸の前で両手を合わせた。


 解析魔法を発動させる。


 マヤトの足元から光がドーム上に広がって屋上一帯を包みこもうとした時だった。


 この異常に気づいた先生ら三人が、屋上に姿を現した。その中にティーダはいなかった。


 魔物はサトシを追うことをやめて、先生らの方へと向きを変えた。


 この状況を見て戸惑う先生たちのうち一人が、気を失って落下していく。


 残った二人は体を動かすことができずに、そこにとどまっている。


 魔物は、ブルブルっと体を震わせて、身体中の針を波打たせている。


「まずいっ」


 マヤトは、解析魔法を解除し、立ち上がった。


 そして、先生らの方へ走り飛ぶ。


 この状況を飲みこめず、硬直してしまった先生らをマヤトは守ろうとしていた。


 チサは、マヤトが魔物の動きを解析して、また針を飛ばそうとしているとわかったのだろうと思った。


 しかし、魔物の動きは、さっき針を放ったときとは違っていた。


 体全体を覆う針をまだ波打たせていた。


 そして、ピタッとその動きが止まると、魔物は体をさらに丸めこむ。


「待って、加持君!」


 チサは、魔物の異変に気づいてマヤトを追った。


 浮遊魔法の扱いなら、マヤトより上手いチサは、すぐに追いつく。


「加持君、今度は――」


 その時だった。


 魔物の体全体から、無数の針が放出されたのだ。狙いを定めたものではなく、ドーム状に広がるように針がいっせいに撃ち放たれた。


 その針は、さっきサトシとマヤトを狙ったものよりも格段に小さかった。


 先生のところへ間に合わないと判断したマヤトがチサの方に体の向きを変え、赤く光る魔法を展開しようした。


「ぐぁーーー」


 無数の針が通過すると同時に、マヤトが声をあげた。


 チサも腕に激痛が走った。


 細い針が一本腕に刺さっていた。


 ただ運が良かっただけのか、中心から離れていて針と針との間にも距離ができ、チサはその一本だけで済んだ。


「加持君?」


 チサは、腕を押さえてマヤトを見た。


 そこには、赤い魔法、防壁魔法に包まれたマヤトがいた。


 しかし、一本だけ針が防壁魔法を突き抜け、中まで到達しているのがわかった。


 マヤトは、左目を手で押さえている。


 魔物の針は、マヤトの左目に突き刺さっていた。


 防壁魔法が間に合わなかったのだ。


「マヤト君!」


 マヤトの目元からは、防壁魔法と同じ色の赤い涙が流れていた。

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