第6話 遭遇

ルカ達を乗せた漆黒の馬車は強い日差しの中、街道を凄まじいスピードで駆け抜けていく。エ・ランテルを離れてから、2時間近くが経過しようとしていた。


やがて街道の左側沿いに川が見えてきた。左右で警戒に当たっていたイグニスとユーゴはそれを確認すると、ルカを挟んでアイコンタクトし頷きあったが、二人の目にはそれとは別に驚きの表情が浮かんでいた。


(もうこんな所まで...何て力強い馬達なんだ。一向に速度が落ちる気配がない)


(いやそれよりも、この先は危険地帯だ。ここは一旦小休止を取るべきだろう)


あれこれと考えている内に、左前方へ広い石畳が見えてきた。それを確認した二人は、馬車の騒音に負けないよう大声で、手綱を握るルカに声をかけた。


「ルカさん!!あの先に見える石畳で休憩しましょう! 馬達も休ませてあげないと」


「それにこの先からちょいとヤバくなってくるんでさぁ!!ここらで一息入れましょうぜ!!」


そう言われたルカは、キョトンとしながら二人を交互に見やった。


「え、もう? まだ馬たちは平気だと思うけど...まあいいや分かった、あそこでいいのね?」


「はい、お願いします!」


ルカはそれを受けて、(クン)と手綱を引いた。

反応した二頭が一声いななきを上げて、徐々にスピードを落としていく。ルカが手綱を左にそっと動かすと、街道を逸れて緩い坂道を下り、馬車は川沿いにある石畳の上に降り立った。


馬車が止まり、イグニスとユーゴは御者台から飛び降りて川の向かいにある森を凝視した。次に馬車の背後に伸びた街道沿い、最後に街道を挟んだ東側の草原にも目を凝らす。


その二人のコンビネーションは、とてもカッパーとは思えないほど迷いが無く、機敏に周囲を警戒していた。ここら一帯の地理を知り尽くしている証拠だろう。


その様子を眺めていたルカは満足げに微笑むと、自分も御者台から飛び降りた。それと合わせるように馬車の扉が開き、中から音もなくミキとライルが地面に降り立つ。


三人は辺りを見回し危険が無いことを確認すると、それぞれに散っていった。ルカとミキは馬達の元へ、ライルは馬車の下に屈み、車軸の点検にかかった。


「二人共、今のうちにお水飲んでおこうね」


「ビヒィン!」


「ミキ、外してあげて」


「畏まりました」


(ガチン!)という音が鳴り、ルカとミキは左右の金具を回してロックを解除した。そして馬車と馬の連結器を持ち上げて地面に下ろし、口元の手綱を解いていく。


拘束が解かれた馬たちは嬉しそうに、ルカとミキに頬ずりしていた。


「よしよしテキス...ってこらあ!どこに鼻擦り付けてんのあんたは!」


「疲れた?メキシウム。いい子ね、少し休みましょうね」


近づくのも恐ろしいほどの巨大な重馬種が、漆黒のマントに身を包む美女二人の前でおとなしく甘えている光景を見て、イグニスとユーゴは思わず見惚れてしまっていた。何かの絵画を見ているようだった。


ルカとミキはそのまま馬二頭を引き連れ、水辺の手前までやってきた。しかしそこで、ルカは右手を上げて(待て)と合図した。ミキがそれを見て歩みを止める。


水が届かない位置まで馬を後ろに下げると、ルカは一人水際に移動した。その場にしゃがみ込み、グローブを着用したまま水面に右手を付け、目を閉じる。


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(ブゥン)という音を立てて水面が緑色に光る。やがて目を開け、水面に浸けた手でそのまま水をすくい上げ、口に含んだ。ブクブクと口の中をゆすぎ、水の味を確認したルカはそのままゴクリと飲み込むと、後ろを振り返った。


「いいよ、おいでテキス!」


それを聞いたテキスは(トットットッ)と早足で歩み寄り、頭をルカの胸元に飛び込ませた。頬をルカの顔に擦り付けて、嬉しそうに甘えてくる。


ミキもそれを確認すると、メキシウムを水際へと移動させて手綱を下げ、水を飲ませた。


「おーい二人共、警戒はもういいからこっち来て休みなよー!」


水辺から30メートル程離れた後方で前後の警戒に当たっていたイグニスとユーゴに、ルカは大きく手を降った。それに気づき二人が小走りで駆け寄ってくる。


「ルカさん、もう少し警戒してくれないと!そこの向かいにある森で、トロールを目撃したという情報もあるんですよ?」


「大丈夫、今は周りに誰もいないから」


水を飲んでいるテキスの首を撫でながら、ルカは笑顔で答えた。


「ルカさんもしかして...分かるんですか?」


「何が?」


「敵の気配ですよ」


「まあねー。お前もそのうち判別出来るようになるさ。それより給水は済ませた?水筒は?」


「え、ええ!ここに」


イグニスは腰にぶら下げた予備の水筒を慌てて取り出した。片方はエ・ランテルを出立する前、満タンに補給してある。


「ユーゴ!君も給水しておいて。ここの水きれいだから、手持ちの分も入れ替えていいよ」


「了解でーす、ルカさん!」


ユーゴは何処か気の抜けた返事を返した。ふと心配になってイグニスはユーゴの様子を見た。目が子供のようにキラキラと輝いている。今にも鼻歌を歌い出しそうなほど、明らかに余裕の表情だった。


「こいっつ....」


任務中だというのに、という苛立ちが沸き立ったが、よく考えると自分も同じ心境だという事に気付き、ため息をついて思い直した。


(それもそうか。何せカッパーのしがない二人組が、英雄級のアダマンタイトプレート3人を護衛するなんて、こんな普通なら絶対に考えられない任務。気も抜けて当然か...)


守るというより、むしろ護られてると言った方が正しいとイグニスは自覚した。それでも尚アダマンタイトプレートの冒険者達と肩を並べているという現状を思い起こし、イグニスの胸に例えようもない使命感が燃え上がった。


(いつか俺も...いや俺たちも、この人達のようになって見せる。必ず辿り着いて見せる)


…そう遠くない未来、イグニスのこの熱き思いが成就する事になるという確定された事象を、その時彼らは知る由もなかった。



「...こら。何そんなに固くなってるの?軽く殺気放ってるよ」


(ポン)と頭に手を置かれ、ヘッドギアをしたイグニスの髪を優しく撫でてくる。水辺に屈んでいたイグニスはハッと我に帰り、慌てて右上方を見上げた。ルカだった。


「だめだよ、この子達が怯えちゃうでしょ? そういうのに敏感なんだから。もっとリラックスして」


(この子達?)と思って目線をそのまま下に動かすと、イグニスのすぐ右隣でガブガブと水を飲む巨大な馬の頭部があった。その馬と目が合う。水を飲みながら、テキスはギロリとイグニスを睨んだ。


「うっ....」


イグニスは、もはやモンスターとも呼べる程巨大な馬に気圧され、たじろいでしまった。


「大丈夫だって、この子達優しいから。こんな近くに知らない人がいて大人しいの、珍しいんだよ?」


「そ、そうなんですか...」


イグニスはそう言われて、いそいそと水筒に水を汲んだ。隣からジトっとした目線を感じながら。

ふと向こうを見ると、ユーゴは巨大な黒馬が水を飲む隣で悠々と水を汲んでいる。


ミキが馬のそばに付き、首を撫でてなだめているからかも知れないが、それにしても悠長な奴だとイグニスは憤った。


水筒の水を入れ替え終わり、イグニスが立ち上がって腰のレザーベルトに結んでいると、右にいた馬もいななきを上げて(ブルン)と首を立ち上げた。


(で...デカい...でかすぎる...。何なんだこの馬は)


身長が185センチ程あるイグニスだったが、彼はその馬を遥か上に見上げるほどだった。ルカが手綱を握っていなければ、とてもこの場に居られないと思う程の大きさだ。


ダークブラウンの馬は、ルカのすぐ隣に立つイグニスとルカの目線にまで顔を下ろし、行ったり来たり、交互に首を振り始めた。


「あー、(こいつ誰?)って言ってるよイグニス」


「え?! えーと...」


「ほら、恐がらなくていいから」


「ええ?! い、いやしかし、この馬はルカさん達以外には懐かないんじゃあ...」


「昨日はそう言ったけど、この子達はすごい人見知りなだけなんだよ。一度顔を覚えれば忘れないから」


そう言うとルカは、首を振っていたテキスの顔を受け止めて、顔を撫でながら話しかけた。


「テキス? この人はイグニスって言うんだよ〜」


ルカの胸に顔を埋めながら、テキスは耳をピンと立てている。


「ここが気持ちいいから、優しく撫でてあげて」


「わ、分かりました...」


ルカに言われた顔の横に恐る恐る手を伸ばしたイグニスだったが、そっと手を触れた瞬間、(ブルン)と頭を上に跳ね上げて、腕を弾き飛ばされてしまった。


「うっわ!!」


イグニスは勢い余って後ろに仰け反った。


「こーらテキス!そんなにしちゃだめでしょ? イグニス、もう一回こっちに来て」


ルカは馬の頭を撫でながら、後ずさるイグニスに言った。手を弾き飛ばされた力は凄まじかった。それを踏まえ、恐る恐るイグニスはルカの隣まで戻ってきた。



「はい」



ルカはポンと、イグニスに手綱を手渡した。


その瞬間、驚くべき事が起きた。手綱を握った途端、巨大な馬が首を振るのを止め、イグニスに顔を向けてじっと動かなくなった。瞬きをしながら、馬はイグニスの様子を静かに伺っている。


「...ね?恐くないでしょ?」


ルカは手を後ろに回して、イグニスの顔を覗き込んだ。心なしか、馬が自分を見る目も先程と違い、和らいでいるように見える。


「ええと、ルカさん?」


「もう一度、撫でてあげて」


そう言うとルカは、イグニスの右手を握った。

手を重ねて、馬の顔にゆっくりと手を近づけていく。ルカの手に合わせるように、そっと馬の顔を撫でた。今度は暴れる事なく、じっと動かずに撫でられている。


イグニスの手を動かしながら、ルカは重ねていた手をゆっくりと離した。左手で手綱を握っているイグニスは、右手でそのまま馬の頬を撫で続けている。


馬は目を伏せ、気持ち良さそうにしていた。そして巨大な馬はイグニスに向かって一歩踏み寄ると、イグニスの懐に頭を摺り寄せてきた。


それを見て、イグニスの中に芽生えていた危機意識はどこかへ吹き飛んでしまった。顎の下を撫でても、耳の裏を掻いてあげても決して暴れることはない。


何かがイグニスの中で弾けた。たまらなく愛おしかった。無意識に、イグニスの目は潤んでいた。隣でそれを見ていたルカが、言葉を継いだ。


「イグニス。その子の名前を呼んで、抱きしめてあげて」


「...テキス。テキス」


胸に押し付けられたテキスの顎に手を回し、言われるがままイグニスはテキスの顔を優しく抱き締めた。


「ブルルルル....」


テキスはイグニスの匂いを嗅ぎながら、リラックスした様子でじっと動かなかった。イグニスは抱きしめながら、テキスの頬を愛おしそうに撫で続けている。


心が通じたあった瞬間であった。その様子を、ミキは微笑を讃えながら見ていた。ユーゴもポカンとしながら、イグニスと巨大な馬がじゃれ合う様子を眺めている。



「...ではユーゴさん、次はあなたの番ですね」


「って、ええ?!俺もっすか?」


「そうです。このメキシウムにも挨拶してやってください」


ミキは笑顔で、ユーゴに手綱を手渡した。


「え、えーとその、俺ユーゴってんだ。よろしくな」


「ブルルル」


メキシウムはユーゴの懐に一歩踏み込むと、じっと目を見つめながらユーゴの匂いを嗅いでいた。


「おっ、何だお前、デカい図体の割にゃ話が通じそうじゃねえか。へへ、よろしくなメキシウム」


ユーゴは馬の目を覗き込むと、イグニスの時と違い躊躇なくメキシウムの顔に手を乗せて、頬を撫で下ろした。その途端メキシウムは、ユーゴの胸元に飛び込んで頬ずりし、警戒することも無く甘えてきた。


「ほお...」


後ろで感嘆の声を上げたのは、いつの間にか馬車の作業を終えて水辺のそばに立っていた、ライルだった。


「フフ...」


ミキは察したかのように苦笑し、ライルに目を向けた。続いてルカにも笑顔を向けながら、アイコンタクトを取る。ルカは両手を横に上げて首を傾げ、それに答えた。


休憩を取ってから、かれこれ一時間が経とうとしていた。ルカは左腕に巻かれた、金属製のバンドに目を向ける。時間は間もなく正午を指そうとしていた。


「よし、休憩終わり! イグニス、ユーゴ、テキスとメキシウムを馬車に繋いでくれ。ミキ、手伝ってあげて。ライルは周辺の警戒、よろしく!」


「了解しました」


「イグニスさん、ユーゴさん、お二人ともテキスとメキシウムを連れてこちらへ。連結具の使い方を教えて差し上げます」


「はい!...行こうか、テキス」


「了解でーすミキさん!」



(全く馴れ馴れしい...)とイグニスは呆れたが、横を見るとユーゴの軽く5倍はありそうな馬の手綱を握り、ニコニコしながら平気で引き連れている。それを見てイグニスは後ろを振り返った。


「ブルルル?」


テキスはイグニスの目を覗き返してきた。


「...いや、何でもないよ」


そう言ってイグニスはテキスの大きな顔を撫で、そっと手綱を引いた。もはや恐怖心など一切無いどころか、心強くすらあった。心が通い合うというのはこういう事なのかと。



ミキがイグニスとユーゴに馬車の指導をしている間、ルカとライルは馬車から離れた位置で羊皮紙のスクロールを広げ、ロケーションを確認していた。



「ルカ様、この位置からですと...」


「そうだね、3分の1といったところね」


「ここからならば、気付かれずに行けるかと察しますが」


「うん。丘の手前に照準を合わせれば...」


「死角に出ることになります」


「決まりだね」


「了解いたしました」



スクロールを閉じ、ルカとライルは馬車へ歩み寄った。


「イグニス、ユーゴ!準備出来た?」


「はい、ルカさん!」


「ミキさんに仕込んでもらったおかげで、バッチリでさぁ!!」


その返事を聞いて、ルカは馬車の先頭にいるミキに目を向けた。ミキは小さく頷いてルカに答える。


「OK、ミキ、ライル、馬車に乗れ。イグニスとユーゴは先程と同じく、御者台で左右の警戒だ」


「了解です」


「了解しましたー!」


「ただその前に、一つ約束しろ。イグニス、ユーゴ」


「何でしょう?」


そう聞いてルカを見た時、二人は察した。いや、察しざるを得なかった。ルカの体から、冒険者ギルドで見た時のようなドぎついオーラが立ち上っていた。二人は目を見開きながら気圧され、ゴクリと固唾を飲んだ。



「...これからお前たちが見たことのないであろう魔法を使用する。忘れろとは言わない。だが決して、他人に口外するな。これが守れないようなら、今すぐにお前たちの記憶を消去して、私達はこの場を去る。イグニス、ユーゴ....。どうする?」



ルカの殺気をビリビリと全身に受けていた二人だったが、お互いに顔を見合わせた。


(俺は行く...この人たちと一緒に!)


(やっべえ...やっぱ本物だぜこの人は! ゾクゾクするぜ、俺も行くに決まってんだろ!)



意を決したイグニスは、正面のルカに向かって叫んだ。


「...約束します! 我ら二人、この場で見た全ての事を秘密にすると!」


「ルカさん! 何を言われようが、俺ぁとことん付き合いますぜ!!」


その答えを聞いて、ルカは無言で馬車に近寄り、御者台に飛び乗った。



「よし。...ほら、早く乗って」


先程の殺気が、いつの間にか消え失せていた。

イグニスとユーゴは慌てて馬車の左右に回り、先程と同じポジションでルカの隣に座った。



「テキス、メキシウム。いい?」


それを聞いて、二頭の馬は前足を蹴り上げた。


「...転移門ゲート


ルカがそう唱えると、馬車の前方に巨大な空間が口を開けた。真っ暗闇...いや、真空とも呼ぶべきか。

覚悟を決めていたイグニスとユーゴは、目の前に空いている暗闇のトンネルを見て目をつぶり、大きく深呼吸する。


ルカは手綱を縦に振った。二頭の馬はゆっくりと、慎重に、その時空の穴へと進んでいく。



しかし予想に反し、それはあっという間に終わった。周囲が明るくなり、辺りを見渡したイグニスとユーゴが目を瞬かせる。


「こ、ここはまさか」


「...おいおい、マジかよ。ほんの一瞬だったぞ?」



闇の空間を抜けると、そこには見慣れた風景が広がっている。丘の中腹に差し掛かる手前、カルネ村まで約500メートル程の場所だった。


驚く二人をよそに、ルカはそっと手綱を縦に動かす。テキスとメキシウムがそれに合わせて、ゆっくりと前進し始めた。丘を登りきると、カルネ村らしき村営が見えた。


そこでルカは手綱を引き、馬車を止めた。同時に御者台の背後に設置された、馬車内に通ずる窓が開かれる。


「ルカ様」


「ああ、分かってる。まだ動くなよ」


「了解」


ミキはそう短く返事を返すと、再び窓を閉めた。


ルカはその先の風景に目を凝らす。

イグニスとユーゴもそれに合わせるように先を見つめた。


「イグニス、手綱を頼む」


「ええ?は、はい、分かりました」


左にいるイグニスへ手綱を手渡すと、ルカは前方へ飛び出した。


「テキス、ごめん背中借りるね」


御者台から飛び出したルカは、(トン)とテキスの背中を足場にして再度高く跳ね上がり、馬たちの前方へ降り立った。


「イグニス、ユーゴ!いいか、絶対に馬車から降りるな。俺が合図したら、抜刀して防御のみに徹しろ。いいな?」


「り、了解ですルカさん」


「...つか、何だありゃあ?」


目を凝らしていたユーゴが、異変に気づいた。

村の周りを、以前には無かった防壁が取り囲んでいる。その光景は村ではなく、まるで砦のようだった。


「ルカさん!!村の様子が変ですぜ、こいつぁ...」


「OK。ミキ、ライル!」


ルカは馬車内にいる二人に声をかけた。

(スッ)と馬車の扉が開き、二人の影が音もなく飛び出してきた。


「ミキは左翼、ライルは右翼だ!俺は前衛に回る。イグニスとユーゴの安全を最優先しろ、いいな!!」


「「了解」」


巨体に似合わず恐ろしく素早い動きで、ライルが馬車の右へ回り込んだ。馬の先頭にはルカ、左にはミキ、御者台のほぼ中央にイグニスとユーゴの二人という配置だ。


相手の出方を伺うために、ルカはテキスの手綱を取り、ゆっくりと馬車を前進させる。...動いた。こちらに気付いている。


(数は17….いや19か)


ルカは敵の配置を確認すると、二人に伝言メッセージを飛ばした。


『ミキ、ライル』


『ルカ様』


『ご命令を』


『エネミー確認。門の奥に5、門の手前左右に7体ずつだ。尚この遠距離からこちらを感知している事から、偵察者スカウトがいると想定。しかし様子がおかしい。こちらが動いた途端、急に現在の配置に変わった』


『と言うことは、つまり...』


『そうだ、この動きは完全に組織されている』


『ルカ様、敵の大将がいると?』


『それはわからない。とりあえず、相手が襲ってきたら速攻で潰せ。攻撃してこない場合は俺が合図するまで待機。いいな?』


『ミキ了解』


『ライル了解』


『よし、メッセージの回線はこのまま開いておけ。これより接敵する』



交信を終えると、ルカは御者台で手綱を握るイグニスに向かい、(付いてこい)と手を招いた。それを見てイグニスはゴクリと固唾を飲み、恐る恐る手綱を縦に振ると、馬車がゆっくり前進し始める。


二頭の馬は、先頭に立つルカの歩調に合わせるように着いてきた。そのまま街道を下り、一同は更にカルネ村へ接近していく。


丘の下まで着くと、平坦な一本道に変わった。

正面約200メートル先には、もうカルネ村の入り口が見えている。ルカは歩みを止めずに目だけを動かし、村を取り囲む防壁を見渡した。頑丈な木枠で組まれ、村の端から端までを覆っている。


村の門に続く道の左右には、背の高い草むらが生い茂っていた。身を潜めるには絶好の状況だ。


『各員へ。状況、待ち伏せアンブッシュ。どうやら敵さんは迎撃するつもりらしいが...』


『はい。しかしこの陣形ですと背後がガラ空きとなります。恐らくは撤退戦を強いる為の構えかと』


『甘いわね。ルカ様、お許しいただければ両翼から私とライルで先制し、殲滅して参りますが』


『...敵さんもやる気みたいだが、少し様子を見よう。どうも引っかかる』


『了解』



カルネ村の門まで約100メートル。すでに敵視感知センスエネミーの範囲内にいた。ルカ、ミキ、ライル3人の脳裏には、円形状のレーダーにも似たマップが表示されている。こちらが近づく程に、敵意を示す赤い点の明滅が早くなっていった。


この状況であれば、門の前で囲いこみ迎撃するなど愚策。本気で潰すつもりならば、その手前にある茂みの左右どちらかに戦力を一極集中させ、門に近づける前に真横から奇襲をかける。陣形がバラけた所をSK集中攻撃で各個撃破し、残りは数に任せて一気に押し潰す。


(自分ならそうする)と、ルカは敵の視点に立って考えていた。だが敵はそれをしてこない。そこが引っかかっていた。


そして門まで50メートル。敵視感知センスエネミーに映るレッドライトが、まるで心臓の鼓動のように激しく明滅していた。


ルカは左耳に手を被せると、一本の糸を手繰るように脳内で意識した。


伝言メッセージ。イグニス、聞こえるかイグニス?』


「は、はい?!」


ルカの背後で御者台に座るイグニスは、突然聞こえてきた声に驚いて飛び跳ねた。


『バカ!声に出すんじゃない、これは魔法だ。心の中で話せ』


『ルカさん?! な、何ですかこれは一体』


『後で説明するから。それよりいいか、今すぐ抜刀しろ。臨戦態勢を取るようユーゴにも伝えてくれ』


『やはり敵が?』


『そうだ。今俺達の周りを囲んでいる』


『わ、分かりました』


『いいか、絶対に馬車から降りるなよ。お前たちにはまだ早い。襲ってきたら防御にのみ集中しろ』


『ル、ルカさんあの...!』



ブツンと会話が切れた。


頭が混乱していたが、馬車のすぐ前には今話していたルカの姿がある。それを見て我に帰ったイグニスは、右隣に座るユーゴの脇腹を小突くと、腰に差したライトソードを抜刀した。


「...ユーゴ、バカ!お前も剣を構えろ!」


「え、ええ?何でだよ、だってもう村は目の前...」


「ルカさんからの指示だ!」


「はぁ?...ちょ、マジで?!」



それを聞いて、ユーゴも慌てて抜刀する。



ルカ達は村の前に着き、足を止めた。門は開け放たれている。漆黒の馬車もルカの手前で動きを止めた。

ルカは無表情で門の奥を見据えている。ユラリと門に向けて一歩を踏み出すと、周囲から(ザン!!)という音が響いた。


続いて門の内側から、ぞろぞろと小さな人影が姿を表す。



『こちらルカ、正面にゴブリン5体視認。弓兵アーチャー魔導士メイジ戦士ウォリアー2体、あと一体は恐らくゴブリンリーダーだ』


『こちらミキ、左翼にゴブリンウォリアー5体、ゴブリンクレリック1体、ゴブリンアーチャー1体確認』


『こちらライル、右翼にゴブリンライダー2体、ゴブリンウォリアー5体確認』



『ターゲット。第一目標、弓兵アーチャー。第二目標、神官クレリック。第三目標、ゴブリンライダー。正面のゴブリンリーダーは俺が潰す。ライルは右翼掃討後、左翼のミキをリカバーしつつ、イグニスとユーゴの生存確保。いいな?』


『了解』


『ミキ、ライルを回すからAoE(Area of Effect 範囲魔法)は控えろ。イグニス達も巻き込みかねない』


『了解しました、ルカ様』


『よし...合図と同時に全部殺す。各員待機』



周りを囲むゴブリン達は、抜刀し弓も構えていた。三人の影はそれに対し、だらんと手を下げ、戦闘態勢とは思えないほど力を抜くように相対し、俯いている。


ルカは全てを消す準備を整えつつ、相手の出方を待っていた。



これだけの数に囲まれ、武器も向けられているのに身動き一つ取らない黒い影を見て、周囲のゴブリン達がお互いに顔を見合わせ、コソコソとざわめき始めた。


それを見かねた一人のゴブリンが、門の中からルカ達に声をかける。


「そこの姉さん方!出来れば戦闘は避けたいんですよ。この村に入るのならば、その腰にぶら下げている武装を解除していただきたいんですがね!」


「...へぇ、しゃべれるんだ。面白いね、ゴブリンと話したのなんて、生まれて初めてだよ」


「いや、姉さん。あんた達からは途轍もなくヤバい雰囲気ってのをバリバリ感じるんでさぁ。あっしらの言うことを聞いてもらえないのなら、この村には入れやせんぜ」



「ふーん...。じゃあもし...嫌だと言ったら?」



(ドズン!!)という音と共に、ルカの体から巨大な黒いオーラが立ち上がる。その目は赤く燃え上がり、羅刹の如き殺意をゴブリン達に叩きつけた。


「バカが...人に武器を向けるなら死ぬ覚悟で来い」


「あ...あ...ぐ」


「...お前ら、ここの村人たちをどうした?」


「ま、待て、話を...」


「答えろ。答えないなら....」


ルカは一瞬の内に敵との間合いを詰め、ゴブリンリーダーの喉元に手を添えた。彼女に取っては、造作もないことだった。紙を引き千切るように、ゴブリンを細切れにする事など。


「ぐっ...!お、おいお前ら!!今すぐあねさんを呼んでこい!」


「し、しかしリーダー...!」


「だめだ...もうこいつらに話は通じねえ!この場を治められるのはあねさんしかいねえ、早く行け!!」


「了解!」



それを受けて、ゴブリンメイジが村の奥に走り去って行った。ゴブリンリーダーの首を締めながら、ルカはメッセージを飛ばした。


『ミキー、ライル、状況報告』


『こちらミキ。左翼ゴブリン7体恐慌フィアー状態』


『こちらライル。同じく右翼ゴブリン7体恐慌フィアー状態。無力化されております』


『イグニスとユーゴは?』


『大丈夫です。二人共正気を保っております』


『よし..各員そのまま待機。向かってきたら殺せ』


『了解』


『了解しました』



報告を聞き終わると、ルカはゴブリンリーダーの首を離した。地面にへたり込み、咳き込んでいる。ルカはゴブリンの前にしゃがみ、フード越しに目を覗き込んだ。


「おい、あねさんとか言ってたな。そいつは誰だ?」


「あ、あねさんは俺達の主人だ!」


「...? 主人? ゴブリンなのに?」


「そうだ。お前ら人間には分からないだろう。だがあねさんは俺達の主人だ!!」


「...このクソゴブリン。相手の目を見て物を言えよ」


そう言うと、ルカはフードを下げてゴブリンリーダーを睨みつけた。血に染まったような赤い目、青白い肌に幾何学模様のタトゥーを見て、ゴブリンリーダーは呆気に取られていた。


「そ...そんな、あんたは、まさか....嘘だろう?」


「ほお、分かるのか?」


「い、いや。俺も詳しくは知らねえ。だが、ここに呼び出される前に、何故か記憶があるんだよ。その...あんたの出で立ちを」


「?! 呼び出されたって...お前たちは召喚されたのか?」


「そうだ。だからあねさんが俺達の主人なんだ」


「...なるほど。待て、分かった。お前たちにこれ以上危害を加えるつもりは無い。だから詳しい話を...」



その時だった。ゴブリンメイジと共に走り寄ってくる女性が、門の前に駆けつけた。


「ゴブリンさん達、どうしたの?!」


「あ、あねさん!!」


「すいやせんあねさん!この人たちがその、無理に押し通って来たもんで」



その女性が来た途端、カルネ村入り口の外でダウンしていたゴブリン達14体が、一斉に門の中へ集まっていく。ルカはその様子を注意深く観察していた。


(絶望のオーラを受けても尚、忠誠度は揺るがないのか。それにしても、この子が主人?)


ルカは下げたフードを深く被り直し、スッと立ち上がった。何をしたのかは知らないが、ゴブリン達はこの子を主人と慕っているようだった。


『ミキ、ライル、戦闘解除。イグニスとユーゴにも伝えてあげて』


『畏まりました、ルカ様』


『...つまらん』


『まあそう言うなライル。面白い情報が入りそうなんだ。そっちに期待しようぜ』


『はい、了解ですルカ様』



そう話し終わって頭を上げると、先程の(あねさん)と呼ばれる女性が村の正門に立っていた。その手前に構える馬車の上を見て、女性が叫んだ。


「え、イグニス? それにユーゴお兄ちゃん?!」


「ん? おおー、エンリか!久しぶりー!」


「エンリ! 大きくなったね」


「何言ってるのよ、お互い様でしょ!」


「いやー、いきなりゴブリンが出てくるわ、村は要塞みたいになってるわで、正直焦った焦った」


「あー...うんそれは色々と事情があって。とにかく二人共村へ入って! お連れの冒険者の方もどうぞお入りください。何もない村ですが、ごゆっくりしていってくださいね」


エンリの目を見たルカは理解した。この年端も行かない少女が無理を押して作っている事を。そしてこのカルネ村に悲痛な何かが起こったと言う事も。恐らく村を覆っている防壁は、それが理由なのだろうとルカは察した。


「ああ、ありがとう。冒険者ギルドの依頼で私達はここへ来たんだ。この村の村長に会いたいんだが、構わないかな?」


「ええ、もちろんです!ご案内して差し上げます」


(いい子...)

ルカは心の中でそうつぶやいた。


「君の名前は、エンリでいいのかな?」


「はい、エンリ・エモットといいます」


「そうかエンリ。私はルカ・ブレイズという。短い間だと思うが、よろしく頼む」


「はい、ルカさん!こちらこそよろしくお願いします」


エンリの感情が、ルカの中に流れ込んでくる。表裏一体、という言葉がエンリには相応しかった。その感情は悲痛に満ちていながら、それを糧に希望へと変えている。


ルカはこの脆くも強く、美しい思いを感じて、癒やされた。もっとエンリと話し、詳しい話が聞きたいと思った。


しかし、無事にカルネ村へ入れた今は、1つ1つ慎重に探って行こうとルカは思い直し、エンリの後をついていった。





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■魔法解説


毒素の看破ディテクトトキシン


あらゆる毒素の含有を見破る魔法。物体や容器に入った水等であれば手に触れずとも感知できるが、川等の流動する液体等に関しては直接手に触れて魔法を唱えなければ感知出来ない

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