ひとりごと
卯月草
ひとりごと
放課後。私しかいない教室。廊下のほう、グラウンドから声が、微かに聞こえる。少し開いた窓の外を見ると、夏に向けて日が長くなっているのを感じる。心地いい風が前髪と、後ろで一つに束ねた髪を撫でていった。私は握っていたシャープペンシルを置き、前髪をなおす。俯いた先には日誌が広げられている。まだ担当者の名前の欄と天気しか書いていない。あとは今日の時間割と連絡事項を書かないといけない。時間がかかることじゃない。五分もあれば終わることだ。だけど私は、集中できないでいた。前髪を弄っていた指をそのまま右目へ落とす。その指先に眼帯が触れた。上から瞼を軽く抑えると、痛みで眉間にしわを寄せた。一昨日からつけている眼帯。ものもらいができただけなのだけど。眼科でもらった目薬はなかなか効かなくて困っている。気になって触ってしまうからこうして眼帯を付けているけれど、結局触ってしまうのだからあまり意味がない気もしてくる。だけど私は外すことはしなかった。付けないよりは治りが早いだろうと思っている。
それに、何だか落ち着くのだ。片目からみる世界。半分だけの世界。見えるもの感じるもの、全てが半分だけ。
私は席を立ち教室をでた。廊下の窓を開けるとグラウンドからの声が大きくなった。声はどうやら野球部みたいだった。窓を閉めて、私は教室には戻らずそのまま廊下を歩いた。二つ隣の教室にはまだ生徒が残っていた。椅子を近づけた男女が、イヤホンを片方ずつ付けて、耳を傾けている。私は足音を立てないように気を付けながら通り過ぎ、階段を上がってまた廊下を真っすぐに進んだ。突き当たったところには図書室がある。中を覗く。人はいなかったけれど、たくさんの本が並んでいるその様子を見ていると、どこからか呼吸を感じた。私は静かに息を吐くとその場から離れた。次に私は渡り廊下へ歩みを進めた。中ほどまで進んだところで私は空を見上げた。空が茜色に染まってる。私はフェンスに手をかけてそれをじっと見る。そういえば、いつからこのフェンスはあっただろうか。二年前はなかったように思う。去年の夏頃だったか。安全面からこのフェンスを取り付けたのだろうけど、閉塞感に心が押しつぶされる気分で、私は足早に、来た道を戻っていった。
図書室にはもう鍵がかけられていて、教室にいた生徒はもういなかった。グラウンドから聞こえていた声はもうしなくて、私の席は、変わらず日誌が広げられたままだった。私はやっぱりシャープペンシルは握らずに、その手を耳にかけた。白いひもを引っ張って眼帯を外す。ズキズキと痛む瞼。開けた視界。二つの瞳から見る世界は、私には落ち着かない。それでも、もっと見たいものがあるのではないか。半分になった私の世界は、安全を得て守られた分、それと引き換えに、大事な何かを無くしたように思う。
私は眼帯を付けなおしてシャープペンシルを握った。一限から六限までの欄をうめる。連絡事項の欄には、
『渡り廊下のフェンスは、必要ですか』
そう書こうとして、私はやっぱりそうは書かずに、日誌を閉じた。
ひとりごと 卯月草 @uzuki-sou
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