第6話 生きている

「脳という器官を機械部品に置き換え、データを身体の各所へ分散保管して、同等の機能をさせる実験、というものがかつてあってな、アスカ」


 シンが言葉を継いだ。決して明るい声ではないが、落ち着いていて、聞いているこちらにも安らぎを与える声。それは耶麻人の声に他ならなかった。


「危険過ぎていまは打ち切られた実験だ、要はその応用だよ、アスカ。わたしはクルスヤマトかハイタニコウキか、いずれかの〝ネクスト〟の肉体を欲した。そのためにあの日の罠を張った。他の犯罪組織の長たちには、『crus.』の本拠地である〝塔〟を攻めるためだ、としてね」

「……そして、おれが生き残った。墜死した耶麻人の遺体は、予め手配されていたこの男の配下に回収され、すぐさまこの男が……機械部品に変換された『強化ブーステッド』が

「そういうことだよ、アスカ。いまやわたしとハイタニコウキ、そして君は……」


 先の言葉がわかったが、その言葉が音になることはなかった。光輝の背後でアスカの気配が動いた。〝ネクスト〟の身体能力を最大限に発揮した動きで、光輝にも捉えることが困難なほどの速さを引き出したアスカが、瞬く間にシンの真横に遷移した。


「……その声で、わたしの名前を呼ぶな!」


 アスカらしくない怒声と共に、刃の一閃が走った。シンは構えておらず、そのあまりにも速い、生物の限界を超越したかに見える一刀は、シンの身体を切断したかに見えた。

 だが、その刹那、アスカの身体が突然後ろに跳んだ。頭から、何かに引っ張られる姿勢で、シンから離れるアスカに、光輝は即座にデザートイーグルをポイントし、躊躇なく引き金を引いた。

 大きな銃声に続き、大口径弾が何かにぶつかった金属音が轟いた。ぶつかった何かが弾けれて飛び、背後にあった調度品の棚を破壊して止まる。


「……トヤマ。アスカは大事な客人だ。全人類に大きな意味を与えるほどの。手荒な真似は控えろ」

「申し訳ありません、シン様。アスカ様が刃を取り出されたものですから」


 恭しく立ち上がり、謝罪の一礼をしたのは、あの血塗れの執事だった。この男の動きも気配も、アスカと同じくらい感じられなかった。


「……全人類に大きな意味を与える……?」


 飛びかかったトヤマに、正面から頭を押さえ付けられて後退したアスカが、咳き込みながらどうにかそう呟いた。トヤマの動きが見えたのは、光輝にも限界点ぎりぎりのところだった。瞬時に狙いを定め、瞬時に撃ち抜いていなければ、アスカの首は後ろに折られていた。


「……この男の目的はお前なんだ、アスカ」


 首を押さえながら立ち上がるアスカに、光輝がシンに代わって答えた。一度視線をシンに投げると、余裕の笑みを浮かべて、光輝に続く言葉を促す仕草をした。


「〝ネクスト〟になったこの男の目的は、人類全てを〝ネクスト〟にすること。現行の人類と〝ネクスト〟を入れ換えていくこと。つまり〝ネクスト〟による既存人類の淘汰」

「人類は、もう限界なのだよ。自力での進化は望めない。だからこそ、機械という外的因子に頼って、進化の真似事をする方向へ舵を切った。だが、そうではなかった。人類は、まだ自分たちに見切りをつけるには早かったのだよ。わたしは、自分が〝ネクスト〟となったことで、それを理解した」

「それが、わたしとどういう……」

「〝ネクスト〟もまた生物である以上、単一の個体ではできないことがある。繁殖だ」


 アスカの身体がびくり、と震える。離れている光輝にもわかるほどに跳ね上がった。


「まずは〝ネクスト〟の人口を増やさなければならない。それも純潔の〝ネクスト〟をだ。既存人類ではだめだ。だからこそ、女性型〝ネクスト〟の登場を、わたしは促した。そしてそれは、成功した。後はアスカ、君が新たな人類創生の『EVE 《イブ》』となることで、全く新しい創造の物語が紡がれる!」

「……ばかばかしい」


 アスカは刀を構える。その顔には強い殺意が浮かんでいた。


「わたしには関係ない。わたしはお前が死ねば、それでいい。お前の誇大妄想に付き合うつもりはない」

「無関係ではいられないのだよ。君が〝ネクスト〟となった、その時点で!」

「……コウ兄は、この男の計画を知っていたの?」


 突然言葉を向けられて、光輝は息を詰まらせた。

 知っていたといえば、そうだ。光輝は十五年前、耶麻人の身体を手にいれた直後のシンと会っていた。その時からシンは、いまと同じ思想を持っていた。人類を刷新すること。『強化』は紛い物の進化の形でしかなく、それを是正すること。それがシンの目的だった。そしてシンは十五年前、光輝を仲間に引き入れようとした。同じ〝ネクスト〟として。

 光輝はそれを否定し、地下に潜った。世捨て人のような生活を送りながら、今日まで、シンと会うことはなかった。

 空白の時間の中で、シンは目的をより大きく、手段を明確にしていた。自分が『七同盟』との約束事を守るという名目で、シンを止めることから逃げ回っていた間に、だ。


「……ああ」


 光輝は頷いた。結局のところ、この男を止めることを躊躇ってきたことが、いまを招いた。兄弟と思って、この世にただひとりの同じ仲間と思って、同じ時を過ごした来栖耶麻人の容姿を持つこの男と向き合い、唯一止められる可能性を持ちながら躊躇ってきた自分が、いまこの状況を招いたのだ。ならば、その内容がどうあれ、同じことだ。十五年前、この男を止めることができていたならば、アスカは〝ネクスト〟にならずに済んだ。耶麻人は戻らずとも、グレイが復讐に身を焦がすこともなかったはずだ。いまの魔都の姿も、混沌も、『非強化アンブーステッド』たちの生活も、大きく違っていたはずなのだ。この男と……


「なら、尚更ね」


 自責の念が光輝にのし掛かり、押し潰そうとする。これまでずっとそうだった。そしていま、ついに光輝は膝を屈しようとしていた。シンという現実と向き合ったことで、その重さを知らしめられた。

 だが、折れかけた心で聞いたアスカの声は、なぜか爽やかさを持って場に広がった。過去に囚われ、いま目の前にあるものにすら焦点が合わず、視界を失った光輝の目に、唯一の存在であるかのようにアスカの姿が映る。最前までそこにあったはずの、殺意に満ちた表情、ではなかった。まったく、しょうがない、と呆れる顔。しかし、それは心底ではなく、微笑を交えた愛情を宿したものだった。

 これと同じ顔を、光輝は知っていた。おれの方がお前より人間よりなんだよ。光輝がそう悪態をついたとき、耶麻人が見せた顔。


「コウ兄、やっぱり、わたしも戦う。戦える。だから戦って。戦ってヤマト兄を取り戻す。いま、ここで!」


 ここへ来るまでも感じていた。ミネルヴァとカラエフを屠った時も感じた。錯覚だと思った。考えすぎだと。アスカが〝ネクスト〟であるせいで、そう感じるのだと思っていた。だが、間違いではなかった。いまならばそれがわかる。。血の繋がりはなくとも、兄妹として生きた時間が、共に想い合った時間が、アスカをそう育てた。命を継いで行くことは、こうして成り立っていくのだろう。誰かの意志が誰かを育てる。それこそが人としての進化と言えるのではないか。生物として脆弱であったとしても、そうして人間は常に積み重ね、進化して行くことができる。


「……如何致しますか、シン様」

「アスカをもてなせ。くれぐれも丁重にな」

「畏まりました」


 アスカの交戦的な発言に反応したのか、それとも光輝が感じたように、アスカの中に耶麻人の気配を感じ反応したのか。執事が慇懃に頭を垂れ、視線も向けずに指示をしたシンは、アスカから光輝へ向き直った。


「……全てが〝ネクスト〟へ進む。それを忌避するべきではない。『強化』へと進むのは、その後でいい。〝ネクスト〟であり、『強化』であるわたしが、人類の完成形なのだ。それはお前にもわかるだろう、ハイタニコウキ。お前とて〝ネクスト〟だ。わかるはずだ」

「……わからないな」


 光輝は両手に提げた大型拳銃を構える。


「おれもアスカと同じだ。お前を殺せれば、それでいい。これ以上、耶麻人の声で話すな」

「……お前もアスカも、肉体だけあればいい」


 シンが二刀を構える。十五年前にあるべきであった結末。それがいま、訪れた。


「わたしは進化の頂点に立つ。始祖の〝ネクスト〟となるのは、わたしひとりでいい」

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