第3話 命を、急がないでくれ
『旧市街』に公共の交通機関は存在しない。
かつて縦横無尽、それこそ蜘蛛の巣のように張り巡らされていた道路網は、長年整備されずに放置された結果、アスファルトが捲れ上がり、車が通ることはおろか、まともに歩くこともできない。
同じく打ち捨てられた鉄道網も、交通機関としては機能していない。ただ、レールと枕木以外は、元々砂利しかなかった分、こちらの方が徒歩での移動には差し支えなかった。ゆえに『非強化』たちは主にかつての鉄道を歩いて移動し、食料と水を確保する生活をしていた。必然、人々はその周囲に住むようになり、かつての駅は自然と人々の集まる『村』となった。
光輝はそんな『村』の一つに足を踏み入れた。かつてヤマノテセンと呼ばれた路線を歩いて、この『村』へと辿り着いた。
タクヤと別れた後、光輝は地下へ潜った。『強化』から見た『地下』ではなく、文字通りの地面の下である。
前世期に張り巡らされた地下鉄網は、地上の鉄道網と同じく、その機能を失っていた。しかし、作り上げられた複雑怪奇な多重構造空間は、いまもって健全と存在していた。空調を動かす電力が存在しないため、下層へ降りれば降りるほど、酸欠に陥る危険はあったが、それでもそこは『強化』に追われている『非強化』たちが隠れ住むには、非常に有益な場所であった。範囲は広大、地図に載っていない路線まで存在すると言われる旧トーキョーの地下鉄網は、さすがの『強化』をもってしても、隅々まで完璧に管理することはできなかったからだ。
光輝はその下層地域まで降りた。情報屋に会うためだ。
情報屋、といっても、タクヤのように駆け出しの、魔都に跳梁跋扈する噂話の表面を撫でる程度の人種ではない。この街の創生から生きていて、この街の歴史すべてをその目に収め、この街そのものといっても過言ではない、そんな怪物じみた人物だ。
自分のわずかな心当たりを確認するために必要なことだったが、地下世界の下層地域まで降りた時には、さすがの光輝も肝が冷える思いがした。ライフラインはもちろん通っておらず、真実の闇と淀んだ空気に満たされた世界。ここにいる人物たちは、いったいどうやって生きているのか。背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、光輝はその人物と会った。
望む情報は簡単に得られた。それ以上のことを、おそらく情報屋は知っていた。知っていて話そうとはしなかった。ただこちらが望んだ情報だけを教え、対価はこの騒動がすべて終わる時までツケておくよ、と言った。これから起こるすべてを、すでに知っているような、預言者じみた口調だった。その上で、一体何を求めようというのか。それ相応のものを覚悟しておかなければならないだろう。
そうして得られた情報に従い、光輝は地表に戻ってきたその足で、すぐに目的地へ向かった。タクヤと別れてから、すでに半日が経過していた。
渋谷。朽ちた駅施設に掲げられた文字を眺めた。これでシブヤと読むらしい。情報屋の情報が正しければ、光輝が探す人物はここにいる。
この街で、またヤバいことが起ころうとしてるんだな。前の〝戦争〟並みの。
別れ際、タクヤが口にした言葉を、光輝は思い出した。
もし、もしもさ、『七同盟』襲撃してるのが耶麻人さんだったら、『crus.』再結成してくれるかな。その時はおれも……
光輝はその言葉を否定した。それだけはない。絶対にない。夢も希望も抱かせない否定に、タクヤはしばらく呆然とした後、黙って光輝に背を向けた。
だが、それが現実だ。来栖耶麻人が生きているはずはないのだ。絶対に。
ならば襲撃犯は誰なのか。その最も有力な手掛かりが、このシブヤにいる。
線路から駅のホームに上がると、何人もの『非強化』が肩を寄り添って座っている姿が目についた。気温は暖かくも寒くもなかったが、身にまとっているものが薄すぎる。ぼろぼろの肌着一枚という姿のものたちは、お互いに肌を触れ合って暖を取っていた。皆、一様に目は虚ろで、まともな食事を得ることができていないことは一目でわかった。
光輝はそんな彼らの前を歩きながら、駅から出る階段を探した。歴然とした『強化』と『非強化』の構図、支配者と被支配者の構図を見せつけられ、タクヤの言葉が頭の中で反響していた。
『crus.』再結成してくれるかな。その時はおれも……
その時はおれも、戦う。戦って、『強化』が支配するこの街を変える。タクヤはそういうつもりだったに違いない。それがわかったからこそ、光輝は全力で否定したのだ。夢も希望も抱かないように、全身全霊を込めて、否定と現実をぶつけたのだ。
『強化』相手に自由を求め、戦いを起こせば、『非強化』の貧弱な身体が無事で済むはずがない。必ず傷つき、死んでしまう。多くの『非強化』たちが、『強化』の力の前に骨身を砕かれ、ただの肉塊へと帰してしまう。
光輝は目を閉じた。もう誰にも死んでほしくない。それが光輝の願いであり、耶麻人の願いでもあった。
光輝は切に願った。タクヤのような若者たちが戦い、傷つき、死ぬ必要などないのだ。どんなに惨めでも、どんなに辛くても、日々のわずかな幸福を糧に、生きてほしい。生きて続けてほしい。この世に生まれたのだから。その奇跡を胸に、生き抜いてほしい。
命を、急がないでくれ。
目を開くと、そこに地上へと通じる階段があった。光輝はその階段に一歩足を乗せた。その瞬間、脳裏を様々な顔が過ぎった。
まだ幼いタクヤの顔を呼び水に現れた顔たちは、すべて『crus.』にいた少年たちの笑顔だった。一人一人、忘れることのできない笑顔たちが流れ去り、幻は最後に少女の映像を映し出した。
幼い女の子が、廃墟同然の建物の中を、微笑みながら駆けまわっている姿だった。背景はひどく破滅的なのに、少女の笑顔はまるで一面の花畑の中を駆けているように見えた。
命を、急がないでくれ、アスカ。お前が一番、命を無駄にしちゃいけない。
老人と女。手掛かりとなった言葉を奥歯で噛み締めた光輝は、重くなった足で一歩一歩、階段を上がった。
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