Chapter.2

復讐者

第1話「あの男も、私が討つ」

 強烈な光の奔流は、閉ざした瞼さえも透過して瞳を射た。まだ麻酔の抜け切らない脳を直接突き刺す光は、疼痛となって朦朧とした意識に襲い掛かってくる。ずきずきとした痛みは身に耐えがたく、アスカは思わず身をよじった。


「もう大丈夫だ。終わったよ」


 その声を聞いて、自分の置かれている状況を思い出したアスカは、よじった身を元の仰向けの状態に戻した。堪えがたい痛みを感じていたこと自体、見せたくはなかったし、それを無理に堪えていたことも見られたくはなかった。


「今回の施術が最後だ。……よくがんばったな」


 すぐ傍にいるはずの老人の声は、遠く近く、薄い皮膜の向こうから話されているように距離感を欠いて聞こえた。これまで何度も行われた施術後と同じだった。さすがにもう違和感は覚えず、アスカは施術台に横たわったまま老人の声を聞き続けた。


「これでお前さんの身体にできることは全てだ。だがな」


 長く黒い髪が施術台の頭の方へ伸ばされているのがわかる。左手の先、三メートル向こうでいま、老人が机に向かって座ったのもわかる。黄色人種よりもむしろ白人に近い自分の肌の色も、東洋人にしては高い鼻も、閉ざされた一重の瞳も、すべてに変化はないはずだった。だがこうして目を閉ざしていても部屋の各所の様子が手に取るようにわかる。


 そういう施術をしたのだ、改めて納得することができた。


「過信するな。お前さんは耶麻人たちとは違う。後天的〝ネクスト〟とでも言うべき存在だ。その身の限界は……」


「わかってる。……ありがとう。ドクター」


 ドクターの存在を感じた左方向にアスカは首だけを向けた。そこで初めて目を開いた。感じたとおり三メートル向こうの机でカルテを記載しているドクターは、こちらが視線を送っているのに気付いた様子だった。ペンを走らせていた手を止め、椅子から立ち上がった。


「アスカ。考え直す気はないのか」


 何度目になるだろう。ドクターはそう言って施術台に歩み寄った。


「お前さんはまだ若い。未来もある。どんな風に生きようと、どんなことをして、何になろうと、まだまだこれからだ。もう身体が元に戻ることはもうないが……それでも」


「ドクター。何度聞かれても、私の答えは変わらない」


 それでも、死ぬことはない。


 そう続くはずのドクターの言葉を遮ったアスカは、しっかりと見開いた目で施術台を照らす無影灯の強い光を見上げた。


「私は若い。未来もあるのかもしれない。何かになれるかもしれないし、何かをできるかもしれない。それでも」


 アスカは目を閉じた。無影灯に照らされた瞼の裏の闇はやはり薄い。その薄闇の中にアスカはあの日の景色を見ていた。


 違法建築と違法増築の末生まれた、スラムの塔。瓦礫同然の我が家で笑いあう『crus.』の仲間たち。そして白いコートの二人。兄と慕い、親に捨てられた自分を育ててくれた二人。アスカにとって、唯一の兄妹であり、親であった二人。十五年の歳月を経ても思い出すことの出来る、幸せだった記憶。


 それがあんな形で失われるとは、思ってもいなかった。


「それでもやらなければ、私は先に進めない。後にも戻れない。……兄の仇は、私が討つ。そしてあの男も」


 瞼の裏の映像は、美しい記憶だけを引き寄せる。多分に美化されている映像の中で、アスカは笑い、兄も笑い、そしてあの男も笑っている。その姿が許せず、断ち切る思いでアスカは目を開いた。


「あの男も、私が討つ」


 無影灯の輝きは強く瞳に降り注いだが、もう痛みを感じることも無かった。その光の中に美化された過去を消滅させたアスカは、麻酔の抜け始めた手を強く握り締めた。


 後数十分。身体に自由が戻り、自分はこの施術台から起き上がる。兄とは真逆の黒いコートで身を包み、兄と同じ武器を手にして、ここを後にする。その後は――

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