第5話〝魔弾の射手〟

 それが軽機関銃の銃火だと認識する前に、光輝もタクヤを投げ飛ばしたのとは反対の瓦礫の影に飛んだ。


 容赦も、残弾数を気にかける慎重さもない鋼鉄の雨は、二人が一瞬前まで立っていた地面を薙ぎ、無数の弾痕を刻んだ。


 軽機関銃と拳銃を帯びた『強化』が五人。人型の標的を相手にしていたときと同じ要領で敵の数、配置、武装の内容を見ずして把握した光輝は、その一瞬後には自身の状況を理解し、舌打ちした。

 反射的に懐のテンペストを抜いたが、残弾はどちらも一発ずつしかない。五十口径のマグナム弾の高威力は、たとえ『強化』相手でも一発で十分に相手の命に届くが、二発では敵の数に届かない。


 絶望的な状況だった。


 こんな状況はこれまで何度も潜り抜けてきた。何とでもする。光輝は微笑んだ。危機的状況を楽しんでいるわけではない。ただ懐かしい、と思っていた。


 銃弾の豪雨を避けつつ、瓦礫の影から改めて敵の様子を探る。そこでかつて〝魔弾の射手デア・フライシュッツ〟と恐れられた光輝の戦闘的思考が一瞬途切れた。

 

 光輝はそこで初めて、敵の正体に疑問を持ったのだ。


 なぜタクヤが尾行つけられたのか。

 なぜ襲われたのか。

 

 敵が『強化』であることを鑑み、口上なし、殺害前提の強襲を受ければ、知っていて監視者には通知せず、東奔西走する『非強化』の情報屋を泳がせていた、という答えが自ずと出る。

『crus.』の元リーダーである男、〝ソードダンサー〟来栖耶麻人の亡霊に駆り立てられる『強化』の連中が、情報を欲してその相棒であり、幹部だった自分を捜し求めない道理はない。大事の前の小事と割り切られたタクヤの罪を見逃し、泳がせて、自分を見つけ出そうとした。


『強化』を甘く見たな。連中より早く、と口にしたタクヤに視線を飛ばし、その慢心と無謀を咎める言葉を思い浮かべた。が、『強化』の世を強く生き抜いてきた瞳を思い出し、いつまで保護者のつもりだ、と思い改め、光輝は自分自身を咎めた。少なくとも、彼は戦ったのだ。戦いもしない自分が、咎める言葉など向けられるはずがない。


 ようやく止んだ銃声に、光輝は視線を出入口付近に戻した。撃ち切ってはいない弾倉を捨て、新しい弾倉を装填する、黒い服にサングラスで視線を隠した三人の『強化』が見える。その背後に二人が控え、同じく装填作業をしている様子に隙はなく、プロの気配を漂わせた。いつ何時反撃を受けても万全の状態で応射出来るよう、半ばまで使った弾倉は交換できるうちに交換する。思い切りの良さは、戦い慣れたものの所作だ。


 逃げ場はない。反撃する術を模索して、いま一度タクヤに視線を飛ばした光輝は、頭を抱え、耳を押さえてうずくまるその姿の後ろを注視した。


 ちょうどタクヤの頭上に、詰まれた瓦礫に隠れるようにして置かれた長机があった。上の店の持ち主であり、この地下空間の管理人である店主が用意してくれた〝テンペスト〟の弾倉が五本、乗せられていた。メンバーではなかったが、かつては『crus.』にも武器を流してくれていた裏社会の武器屋であり、反『強化』活動家である店主の強面を思い出し、おそらくはもうこの世にはいないだろうことも頭に浮かべた光輝は、眠っていた血が突然音を立てて沸き立つのを感じた。


 おれと同じなのに、なんでお前はそう感情的なんだろうな。


 そう耶麻人が口にした言葉をふいに思い出した。おれのほうがお前より人間よりなんだよ。そう悪態をついた自分に、彼は微笑むだけだった。


 より人間、か。よく言ったものだな。自嘲の笑みを浮かべた光輝は、それで昂りすぎた感情が一気に冷えて行くのを感じた。それが好転し、冷静さが戻ってくるのを自覚した光輝は、タクヤの名前を叫んだ。


 視線がこちらを向いたのを確認して、空になった弾倉を落として見せる。すでに薬室に装填されている一発ずつを除いて弾がないことを示し、顎でタクヤの背後を指す。すぐに振り向いたタクヤは、自分の背後にある長机と、その上に置かれた弾倉に気付いた様子だった。


 それを確認した瞬間、光輝は瓦礫の影から飛び上がった。コートが白い帯を引いて右回りに回転しながら、牽制に二発の弾丸を立て続けに撃ち込む。ほとんど狙いなどつけず、飛び上がった反動で撃った弾丸は、それでも五人の『強化』を散開させ、一瞬の間を作った。


 それで十分だった。


 光輝、と叫んだ声が耳を打ち、予想通り何かを放る気配がそれに続いた。空洞のままの銃把を強く意識した光輝は、飛来する二つの物体の速度と高さに、回転する身体と両手の大型拳銃を合わせた。


 タクヤが投げた二つの弾倉を空中で確認したのも一瞬、〝テンペスト〟の銃把を差し出してそれを受ける。吸い込まれるように銃把の空洞に収まった二つの弾倉が、装填確認されるわずかな音を立て、後ろに下がったきりになっていたスライドが戻る。


「ヤァ、グッジョブ!」とタクヤの歓声が響き、まるで十五年前に戻ったかのような錯覚が光輝を包んだ。在りし日の記憶が駆け抜け、その瞬間には迷いも後悔も消えていた。敵からは〝魔弾の射手〟と恐れられ、味方からは〝ガンスリンガー〟と畏れられた、戦闘のプロフェッショナルとして着地した光輝は、一切の躊躇なく、敵に向かって歩き始めた。同時にその手の中のデザートイーグル〝テンペスト〟がその名の通りのテンペストを吐き出す。


 応射に転じようとしていた五つの敵の位置を瞬時に見極め、近いものと構えるのが早いものを瞬時に順序立てた光輝の銃撃は、実戦にありながら訓練の的を射るほど正確だった。過剰な射撃と思える銃弾は全て牽制となり、確実に着弾を狙った弾丸は、全て敵の肩、腕、腰、足を射抜いて、戦闘不能に持ち込んでいく。


 最後の一撃が正面に飛び出した敵の両肩を撃ち砕き、計十四発の暴威を吐き出し切った〝テンペスト〟のスライドが下がり切ったままになった。硝煙の匂いが立ち込める地下空間に、血と皮下潤滑剤の液だまりに倒れた五人の『強化』の姿があった。


「すげぇ……」と感嘆を漏らすタクヤの声が背後に聞こえたが、光輝はまだ警戒を解いてはいなかった。一丁の〝テンペスト〟をホルスターに戻すと、タクヤを呼んだ。再び投げて寄越された弾倉を空いた左の手で受け取り、右手の大型拳銃に叩き込んだ光輝は、慎重に足を進めて、眼前に倒れる『強化』に歩み寄った。


「誰の差し金だ。カラエフか、ミネルヴァか」


 両肩を砕かれ、上がらない腕から生体オイルと血液が入り混じった赤黒い液体を流す『強化』が、取り落とした軽機関銃を手にしようともがいている。それを蹴り飛ばし、光輝は腰を落として〝テンペスト〟を『強化』の頭に突きつけた。意識して語気を強めた尋問の言葉は、返答しだいでは命はないことを暗に伝えたつもりだった。


「……ロシアの野蛮人や、魔女の手先などにするな。我等の神は最も尊い」


 神の消えた魔都トーキョーで、神の名を口にするものはごく限られている。それが『非強化』であれば『crus.』を神と崇める狂信者であり、『強化』であれば旧世紀からの伝統を重んじる、ラジー・マジフ配下の中東系マフィアたちである。


「……ラジーか」


「貴様を捜していたのだ、ネクスト。お前ならば、あの老人と女のことを知っていると思ったからな」


〝ネクスト〟


 十数年ぶりに耳にした言葉に、光輝ははっきりとした嫌悪感を抱いた。が、それは、すぐさま『老人と女』と続いた言葉に消された。


「誰を捜している」


 大型拳銃を握る手に力を込めた。自分が何もかも知っている、と演出しての駆け引きだった。


 元ラジーの配下である『強化』の男は、ずれたサングラスの奥から、憎悪に満ちた目を向ける。誘いに乗ってくれた証拠だった。


「我ら一族に深い悲しみを招いた『非強化』だ。老人と女が、ラジー様を尋ねた」


 その二人が、ラジーを襲ったのか。銃口を押し付ける手を緩め、中腰の姿勢から立ち上がった光輝は思案した。


 老人と聞いた瞬間、もしやと思うところはあった。だが付け加えられた女、という言葉がわからない。光輝は倒れた『強化』を見下ろしたまま立ち尽くした。


 かちゃり、と銃を取り上げる音がしたのはそのすぐ後だった。振り返りざま、思わずテンペストの銃口を向けたそこにはタクヤの姿があり、その手には先ほど光輝が蹴り飛ばした『強化』の軽機関銃が握られていた。


 指がすでに引き金にかけられていること。銃口の動き、構え、視線、目の光から、タクヤの次の行動を予測した光輝は、迷いなく大型拳銃の引き金を引いた。


 軽機関銃のわずかに突出した銃口の先端。その横を擦過するぎりぎりを狙った弾丸は、寸分違わず狙い通りの軌跡を描いて飛翔した。五十口径のマグナム弾が旋回しつつ飛行することで生み出される空気の波動は、弾丸の直近では鈍器に匹敵する強度となる。見えない硬質な空気に押された軽機関銃の銃口はあらぬ方を向き、一瞬後に動いたタクヤの指が引き金を引いたときには、撃ち出された無数の弾丸は地面と壁を薙ぎ払った。


「光輝!」


「やめろ、タクヤ」


 なにをする、という強烈な反抗の視線を向けるタクヤに、光輝は努めて冷淡な声を出した。


『非強化』にとっては致命の傷でも、『強化』にとってはただの〝故障〟だ。『非強化』が『強化』に勝とうと思えば、チャンスを逃さず、殺せる時に殺しておくことが必須となる。『強化』にとっての唯一絶対の死である頭部を破壊しようとしたタクヤの行動は正しく、そして光輝にとっては間違いだった。


「なんでだ、なんで殺さない!」


「必要ないからだ。襲撃者の情報を聞き出せれば、それで十分だ」


「そう。無益な殺生は控えるべきだ」


 突然割って入った第三の声は、背後、扉の弾け飛んだ出入口の向こうから聞こえた。聞き覚えのある声に思わず舌打ちをした光輝は、その男が現れた経緯を考えた。


 タクヤを泳がせていたラジーの配下さえ、泳がされていた。そんな答えが瞬時に浮かび上がった。いまはまだ闇の中にいる男のことを思い、あの男ならその程度のことはするだろう、と光輝は結論した。


 男がゆっくりと、出入口から姿を現した。

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