第3話〝ガンスリンガー〟

 構える。

 照準する。

 引き金を引く。


 射撃に必要な動作は、基本的にそれだけだ。そのたった三つの動作が正確に行えるか否かが、射撃の正確さに直結する。そしてそれは、達人と呼ばれる域に入ると、コンマ何秒かの間で雌雄を決定付ける。


 そういう意味では、刀も銃も似ているな。


 そうあいつが口にしたのはいつだったか。閉ざした瞼の裏にその記憶を思い出そうとした灰谷光輝はいたにこうきは、次の瞬間、わずかな空気の振動を察知した。

 目を開いた瞬間、右の手が音に向かって反射的に持ち上がり、視線がその延長上へと絞られる。

 微震した空気の正体は、光輝が立つ部屋の各所に隠された人型の射撃的が、遮蔽物を模して詰まれた瓦礫の影から飛び出す、その仕掛けが稼動した音だ。水平に持ち上がった右手に握られた大型拳銃、デザートイーグル〝テンペスト〟の照門と照星が一瞬でぴたりと一致する。目測でその二十メートル先に人型を確認したときには、光輝の指はすでに引き金を引いていた。

 部屋と言っても、およそ五十メートル四方はある巨大な地下空間に、大鷲の咆哮が木霊する。二十世紀後半に開発され、世界最高の威力を誇った銃、デザートイーグル。ハンドキャノンと異名された豪銃の、正統発展型であるテンペストは、外観こそ大きく変わらないものの、性能面ではまったく別物と言っていいほどの発展改造が施されている。十インチという長大な銃身から発射された五十口径の巨弾は、瞬く間に着弾し、木製の人型を的確に射抜く。それだけでは飽き足らず、着弾した箇所ごと、その周囲を粉砕して見せた。

 肩口の部分が吹き飛んだ人型を確認する間もなく、光輝の耳は次の稼動音を察知している。今度は左の手が白い残像を残して持ち上がり、同じく握られたテンペストが銀色の光跡を引くと、次の瞬間には地鳴りのような咆哮を再び轟かせる。その二発目を皮切りに、次々にランダム稼動する標的を音と気配で察知し、光輝は両の手に一丁ずつ握った大型拳銃で打ち倒して行った。一度も的を外さず、一度も撃ち漏らすことはなかった。

 轟音と的の破砕音が計十二発分続き、的の稼動が終わる。その全てが的確に標的の肩や足を射抜いていることを確認して、造作もないことという思いが浮んだ。だがそれも一瞬、あのときのお前には出来なかった、と自らの無力を責める気配が這い上がってきて、光輝は止めていた息を吐き出した。


 いま出来ても、仕方のないことなのだ。

 いま、おれにどんな力があっても。


 背負うことが常態となった後悔の念が湧き上がり、膝丈まである白い革製のコートが包み込んだ身体が瞬時に脱力して行く。力を奪って行く重い後悔を甘受した光輝は、その場に座り込みたい虚脱感に従って、地下の土の上に倒れ込もうとした。そのときだった。この地下空間の唯一の出入口に、人の気配が現れたのは。


 反『強化』活動家としての裏の顔を持つここの店主からは、何の連絡もない。上で何かあったのか、と考える前に身を律した光輝は、半身を背後に向けると、左手の大型拳銃の銃口を出入口に据えた。


 部屋の中ほどに立つ光輝の位置から、ドアノブが回るわずかな金属音が確認できた。「捜したぜ、光輝」という声がそれに続いて地下室の空気を震わせた。


「……タクヤか?」


「十数年ぶりだ。覚えていてくれるとは思わなかったよ」


 開かれた扉の向こうで、茶色く脱色した髪の下の童顔が微笑んでいた。入室してきた若い男の顔に、まだ幼い男の子の笑顔が重なり、それはタクヤと呼ばれていた少年と一致して、光輝に鮮明な過去の記憶を呼び覚まさせた。


 タクヤ。

 苗字はわからない。当時の『crus.クルス』は、そんな子どもたちだらけだった。彼らが『crus.』を支えていた。


「大きく、なったな」 


 まったく予期しなかった過去の出現に、光輝が搾り出せたのはそれだけだった。ほかに言うべき言葉も、言える言葉も見つからず、これは虚脱が生んだ幻なのかと勘ぐる思いさえ浮かんだ。戸惑いを隠せぬまま、ゆっくりと銃を下ろした光輝に、「あんたは……変わらないんだな」と慎重に言葉を選んだタクヤの声が届いた。


「十五年前のまんまだ」


 前髪を長めにしたブラウンの髪も、その下の瞳も、顔の皺一つをとっても、二十代そこそこの外見を十五年前から保ち続ける光輝に向けた童顔の微笑は、戸惑いを隠す苦笑に変わっていた。


 超越者たち。


 ふいに忘れかけていた、この世界で自分と、もう一人の人物のみを指し示す言葉が浮かび上がり、先ほどとは別種の虚脱が光輝の身体を襲ったが、それはどうにか刻んだ苦笑が霧散させてくれた。


 苦笑いでも、互いに笑みを交わした瞬間に、十五年近い隙間は埋められたような気がした。それはタクヤも同じであったようで、しばらくは笑顔を向け合う時間が続いた。だがそれは同時に、何から話し出せばいいのかを探る時間でもあり、光輝にとっては謝罪の言葉を探す時間でもあった。


 虚脱が呼び覚ます過去が、罪を償う言葉を浮かび上がらせる前に、微笑を消したのはタクヤだった。


「やっと会えたけど、昔を懐かしんでる場合じゃないんだ」


 半ば忘れかけていた緊迫を呼び覚ました様子のタクヤは、慌ててスーツの上着のポケットを探ると、何かを取り出した。右手の親指と人差し指に挟んだ金属板は円形で、硬貨のように見えた。だが硬貨ではない。それ自体に金銭的価値はない。それでも光輝にとっては金銭になど変えることのできない、大きな意味を持つものだった。


「『crus.』の仲間たちだけが持っていたメダル。あんたはいまも持ってるか?」


 銀の円盤に描かれた朱色の十字。大きな十字の周囲に四つの十字を持つエルサレム・クロスの紋様は、かつて一大反『強化』組織であった『crus.』の会員証のようなものだった。


 その名前は中世、欧州で繰り返された宗教戦争の遠征軍から取った。その旗印のクロスをそのまま使った自分たちは、本気で『非強化』にとっての十字軍であろうとした。事実それは、『強化』に虐げられたこの街の『非強化』たちにとって、最後の拠り所となった。十五年前の〝終戦〟の日までは。


 純白のコートの下、身に付けた黒いシャツの首元に、今はペンダントヘッドとなっている自分のメダルを意識した光輝は、わずかに首を縦に振った。無意識に動作が小さくなったのは、いまの自分が持っていていいものではない、と思う自責がさせたことだった。


「元幹部の一人、〝ガンスリンガー〟が持っていないはずはないよな」


 そう笑ったタクヤは、十五年前のあの日に起きた出来事を知らない。光輝が感じ続けている引け目、虚脱感の正体を知る由もない。


「これはおれのだが……こいつと同じメダルが妙なところで見つかったらしい。あのラジー・マジフの死んだ部屋で」


「ラジー・マジフが……死んだ?」


 光輝は目を見張った。あのラジー・マジフが死んだなど、信じることができなかった。


 ラジー・マジフとは十五年前、あの〝戦争〟の最中、壮絶な撃ち合いを演じたこともある。彫りが深く浅黒い肌が印象的な、確か中東出身の『強化』だったはずだ。


 そしていまはこの街の自治権を握る『七同盟』の一角を担う男であり、『強化』世界を代表する権力者の一人であるはずだった。


『強化』世界に自然死は存在しない。『強化』部品を交換するだけで、身体に起こるあらゆる疾患や欠陥を解消してしまえるからだ。その世界にあって、権力者が死ぬことなど、あり得ないはずなのだ。


 光輝には信じることができなかった。タクヤの顔には偽りを口にする軽率さはもちろんない。それでも、その死を信じることはできなかった。


 半ば放心した光輝の心情に気づいたのか、タクヤの目には次第に驚きと、わずかな呆れの色が浮かんだ。

「あんた、本当に何も知らないんだな」と苦笑したときには、それらは入り混じり、世の中で生きている人間の強さとなって光輝の瞳を射た。


 この十数年、『強化』が支配する魔都に埋もれ、日の光さえ届かない『旧市街』のスラムで、世相に背を向けて生きてきた。そういう自分とは違う強さを持つ瞳。自らの惨めさと比例するその輝きの強さに、目を背けた光輝は、続くタクヤの説明を耳だけで聞いた。


「ラジーは三人目だ。デューイ、ロベルト。『強化』七同盟の三人がわずかな期間に次々殺されてる。いずれも痕跡一つ残さず、従ってた護衛もろとも斬殺されてた、って話だ。武装した『強化』の兵士が、だぜ?」


「斬殺……」


 背けた視線を戻さざるを得なかった。


 起きるはずのない事件が起きている。


 光輝はタクヤの言葉から、瞬時にいま、起きている事態の異常性を理解した。

『強化』の王である『七同盟』のうち、すでに三人が死んでいる、という事実がまず一つ。死からは縁遠いはずの『強化』世界で、三人の権力者が相次いで死んでいる。このことだけで、十分異常な事態といえた。だがいま、起こっている事態は、それよりも遥かに常軌を逸していた。

『強化』が殺された、という事実。それも一切の痕跡を残さずに、斬り殺されたという事実。これはどう考えても、絶対にあり得ないことだった。


 当然、生物的弱者である『非強化』が『強化』を斬り殺すことなど、出来るはずがない。ならば『強化』同士で、ということになるが、それも考えられなかった。


 死が縁遠くなった『強化』世界でも、闘争はこれまでの人類と同じように起こっている。だがそこで武器が取られるならば、間違いなく銃だ。『強化』同士で命の取り合いをする場合、身体の六割以上で機械化されていることで金属部分が多く、部品交換で欠陥がいくらでも治せる彼らの身体の特性上、刃物では致命傷を与えにくいのだ。互いに刃物を突き合わせ、『強化』同士が戦うなど、泥仕合そのものだ。それよりは、互いにはっきり弱点とわかっている、頭を狙い合って銃撃戦をすることの方が、圧倒的に脅威であるし、命を奪うのであれば現実的だ。


 もちろん刃物を始め、すべての接近戦闘を『強化』が出来ないというわけではない。ただそれは強襲形式と呼ばれる、ごく一部の戦闘特化型『強化』に限られる。


 確かに接近戦闘用の強襲形式ならば、『強化』を斬殺することも可能だろう。だが、一切の痕跡を残さずに、などということが、果たして出来るだろうか。


 そしてここで、光輝の思考は最後の事実に突き当る。


 それが出来る可能性がある人物を、たった一人だけ知っている、という事実。


 しかもその人物は、すでに死んでいる、という事実だ。


「『強化』を斬りつけるなんて真似、耶麻人やまと以外にできないだろう?挙句三人目……ラジーの死体の傍にこのメダルだ。だから上はいま、大騒ぎになってる。死んだはずの男が生きていた、復讐に戻ってきた、ってな。『強化』は総出で、犯人を狩り出すために厳戒態勢を敷いてる。『非強化』の人間たちはその様子を内心笑いながら見てる。まるで十五年前の〝戦争〟の前みたいだ」


 光輝は想像した。すでに死んでいるはずの男の影に怯え、疑心暗鬼という闇に包まれた街。白夜の街でも打ち払えない常闇の中で、絶対強者のはずの『強化』たちが、半狂乱となって真犯人を探し求めている。『強化』たちのそんな姿は『非強化』たちにとっては痛快だろう。虐げられてきた年月、その労苦の分だけ、『強化』の姿は惨めに、無様に映るはずだ。内心の嗤いで抑えられぬものも、少なくはないと想像できた。


 十五年前も確かにそうだった。『crus.』の反『強化』活動が成功すれば、『非強化』たちは諸手を上げて喜んだ。自由が手の届くところまで来ている。そう叫んだ。


「だが、耶麻人は……」


 だらりと下げた手は、握り締めたデザートイーグル〝テンペスト〟の重さに負けそうだった。二キロに達する、拳銃としては重過ぎる重量も、長く使い込んだ光輝には気にならない。これは過去の重さだ、と内心に理解した光輝は、半ば震えかけた手を律して大型拳銃を腰のホルスターに収めた。


「ああ。わかってる。あの人は死んだ。最後を見届けたあんたが言うんだから、本当のことだろう」


 十五年前の〝終戦〟を思い出したのか、タクヤは再会以来、柔和にしてきた表情を初めて曇らせた。その〝終戦〟の真実を知らず、全権の信頼を示す言葉が、光輝には痛かった。


「だからわからないんだ。こんなことを出来る人間……いや、『強化』かもしれないが、とにかくそんな奴がいるのかどうか。あんたならなにか知ってるかもしれないと思って、昔の仲間と協力して探してたんだ」


「昔の仲間って…… タクヤ、お前……」


『crus.』の生き残りたちは〝終戦〟後、多くが『強化』の監視下に置かれた。『強化』に被害を及ぼした度合いにもよるが、多くが捕らえられることなく監視対象とされてトーキョーの街で生きている。但し、元メンバー同士の情報交換、団結会合は重罪として禁じられており、それを犯せば命はない。それが『密約』の中身だったはずだ。

 なんてバカなことを。少年の印象を強く残す童顔を見た光輝に、「大丈夫さ」とタクヤは屈託ない笑顔を見せた。


「これでもおれはいま、裏では情報屋で通ってる。『強化』もわからないルートをいくつも持ってるのさ。こうしてあんたを見つけることも出来たんだぜ。『強化』の連中より早く……」


 ざわりとした感覚が、光輝の五感を超えた感覚に触れたのはそのときだ。左手を上げてタクヤの言葉を止めた光輝は、その背後に視線を飛ばした。二十メートルほど後方、出入口の扉はタクヤが後ろ手で閉めて閉め切らず、わずかな隙間からその奥に通じる闇を覗かせていた。


「タクヤ、お前」


 自らの眼光が鋭さ増したのを、光輝は感じた。こちらの豹変に動揺するタクヤに歩み寄り、強引にその手を引いた。


「つけられたな」


 いうが早いか、光輝はタクヤの身体を力任せに手近の瓦礫の影に投げ飛ばした。


 それとほぼ同時に出入口の扉が弾け飛び、闇の中で無数の光が瞬いた。

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