第53話 そして、少女は誓う
「どういうことだ?」
フィリスが黙り込むなり、剣呑な口調でスーリヤが問い詰める。
それでも、リンクの態度は変わらなかった。
「俺を捕虜にするってことだよ」
「ふざけるなっ!」
やれやれといった仕草でリンクは目くばせをする。
要請に従って、高みの見物を決めていたコリンズが口を開く。
「破格の条件じゃないか」
「なんだと?」
「軍師殿一人の身柄で、皇族二人を含めた五百人近い人間が救われる。破格ではないか?」
「まったくだな」
あまりに軽い相槌に、スーリヤは怒りを覚える。
けど、口にはしなかった。
もう、どうすることもできないとわかっていた。周囲は皆、安堵している。自分たちの命が助かる事実に、喜びを隠せないでいる。
それに、すべては自分の軽率な行いが招いたこと。
指揮官を捕虜にされていながらもシャルオレーネ軍が強気でいられるのは、この場に皇女と皇子がいると知っているからだ。
二人を守る為に、リンクはあらゆる要望に折れなければならない。
この状況下で、感情論を言っても仕方がなかった。
「貴様は……全部、わかっていたのか?」
深く、沈んだ声にリンクは真面目に応じる。
「あぁ、そうだ」
「そうか……わかっていたからあんな真似をしたのか……」
「あぁ、そうだ」
泣くかと思ったが、スーリヤは泣かなかった。
「別に、スーリヤが悪いわけじゃない」
「いや、わたしの失敗だ。戦っていなければ、シャルオレーネ軍は貴様を捕虜に求めなかったはずだ。……違うな、そうじゃない。勝ってしまったからだ。だから、シャルオレーネ軍は貴様を……」
言葉にしながら考えているのか、スーリヤの話にはまとまりがない。口調も乱暴で、周囲に人がいることをまったく考慮していないようだった。
「確かに、いい落としどころだな。わたしたちの誰もが、リンクがいなければ勝てなかったと知っている」
強く拳を握りしめて、スーリヤは吐き捨てる。
「痛み分けのように思えるが――わたしたちの負けじゃないかっ!」
しかし、そう捉えるのはここにいる者たちだけだろう。
一代騎士の子息が捕虜になったとして、北方帝国からすれば痛手にもならない。
そんなことよりも、華々しい王女の初陣を取り上げるに決まっている。
局地的かつ一時的とはいえ、シャルオレーネ王国の近衛騎士団を相手に勝利してみせたのだ。
おそらく、この事実のみが広がり――皇女とブール学院の生徒たちは褒め称えられることになるだろう。
その後の顛末はきっと語られない。
だから、リンクを取り戻す交渉が行われることもない。
国としては互いに都合の良い事実を持って帰るわけだが、スーリヤからしてみれば完全なる敗北でしかなかった。
「口は慎めよ」
言いたいことは沢山あったが、リンクはそれだけに留めた。
そろそろ、動かないとならない。
「あとのことは頼みます。コリンズ様」
「任せておけ。誰一人として、口を滑らせないよう言い含めておいてやる」
二人は笑みを合わせて、別れた。
手筈通りだったので、余分な会話は必要なかった。
「フィリス、預かった旗を頼む。たぶん、それを見ない限り、帰ってくれないだろうからな」
「……わかりました。お元気で」
たった一言だったが、フィリスは激励の言葉をくれた。
リンクは一人で捕虜の元に赴く。
ほとんど寝ずの番をしていただろうに、シリアナは姿勢を正して立っていた。
「捕虜を解放する」
「わかりました」
既にコリンズから聞かされていたのか、シリアナは素直に従った。
「これでお別れですね」
「生きていれば、いつかまた会えるさ」
シリアナは首を傾げて答えを求めるも、リンクは笑って誤魔化した。
中では、ラルフが待っていた。昨夜の時点で装備を渡しておき、朝食のあとに着替えるよう言っていたのだ。
「城を出るまでは、私のことをオルナと呼ばないようお願いします」
「問題ない」
リンクの先導に従い、ラルフはブール学院内を堂々と闊歩する。
誰ともすれ違わなかったが、やはりスーリヤは待っていた。
それも堂々とした立ち姿でシャルオレーネ軍と共に空を――いや、掲げられたメルディーナ王女の旗を見上げていた。
前庭に出るなりラルフも見上げ、満ち足りた顔をする。
城壁の外では抜かりなく、この光景を商人たちや自由民が見ていた。
「選別だ。持っていけ」
言うなり、スーリヤは自分の剣を差し出した。
「話は付けてあるから問題ない」
副官のダンを見ると、苦虫を噛み潰した顔で頷いた。
「一人で対峙するなんて迂闊過ぎるぞ」
小言を挟んでから、リンクは剣を受け取る。
「欲に駆られて、わたしに手を出すかと思ったんだがな」
「スーリヤ」
窘めるよう名前を呼ぶも、スーリヤは涼しい顔のまま。
「死ぬなよ、リンク。醜く足掻いてでも生き延びろ。いつか必ず、わたしが助けてやる」
困った決意表明だが、リンクは否定しないでおいた。
「スーリヤも気を付けろよ。特に、男と二人の時はな」
「うるさい。これからは嫌でも気を付けるさ」
貴様の所為でな、と嫌味っぽくスーリヤは付け足した。
そして、それが別れの言葉となった。
堪えきれずスーリヤから涙が零れ、リンクは本当に困ったように笑ってから背を向けた。
すぐさま大人たちに囲まれ、少年の姿は見えなくなる。
大声で叫べば聞こえるかもしれないが、スーリヤは平静さを保つのに必死だった。
涙を見せてしまっただけでも失態なのに、これ以上、みっともない顔を晒すわけにはいかない。
意地だけで踏みとどまり、頬を涙で濡らしながらも勝気な表情で見送る。
いつか倒すべき、敵の姿を――
本来であれば、『ブール学院の戦い』は歴史に名を残すようなものではなかった。
まず、規模からして小競り合いとしか言いようがなく、さながら地方領主同士の揉め事といったところ。
そのような戦が後世まで語り継がれるに至ったのは、ひとえにスーリヤ=ストレンジャイトの初陣だったからに他ならない。
王女は若干十二歳にして、擁護者を伴わずに兵を率いたのだ。
また、兵たちも同年代であったことから、『ブール学院の戦い』は広く語り継がれるようになっていった。
しかし不思議なことに、物語の主役たちは誰一人として武勇を語ろうとしなかった。
その態度は謙虚と捉えられ、皇女とその兵たちは更なる称賛を浴びることになる。
けれども、スーリヤにとって初陣は忌むべき記憶であり、最大の失敗でしかなかった。
だから、吟遊詩人はこう歌う。
彼女はこの戦いでなにかを失った。それはとても大切で、かけがいのないものだったと。
だが、それがなにであったかを知る者はほとんどいなかった。
僅かに知る者たちでさえ、皇女が失ったものの大きさを、本当に意味ではわかっていなかった。
北方帝国がそのことに気づくのは、まだまだ先のことである。
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