第48話 軍師の始まり

「そいつは、その髪色と関係があるのか?」

 食い入るように目を凝らし、ラルフは問う。


「ないことはないですが、さしあたっては無関係です」

 幾度となく修羅場を潜って来たであろう男の眼光を受けてなお、リンクは涼しげな笑みを浮かべていた。


「ただ、この話はもう一人、聞いていただきたい方がおりますので」

「スーリヤ=ストレンジャイトか?」

 

 否定する前に、

「遅くなってすまない」

 その人物がやって来た。


「どこぞの誰かが、ちんたらとしていたものでな」

「コリンズ様の注文が多いのが悪いんです」

 

 文句を言いながら、シリアナが頼まれていた諸々を小さな卓に並べる。

 酒瓶だけはコリンズが握っており、用意された酒杯に並々と注ぐ。


「異国の騎士殿、俺の名はコリンズ・サンク・コンスタンツ。南方帝国の皇子ではあるが、ここではリンク=リンセントの盟友と認識してくだされば申しぶんない」

 

 証するようにリンクは注がれた酒杯を手に取り、コリンズのそれと合わせてから軽く口付ける。

 皇子が持ってきただけあって、中身は安い葡萄酒ではなく蒸留酒。それを惜しげもなくデカンタに注ぎ入れ、捕虜に過ぎないラルフにも振る舞う。


「このような場で南方帝国の皇子にお会いできるとは。私の名はラルフ=ホークブレード。今はしがない捕虜の身でありますゆえ、つまらぬ異国の肩書などは排除させていただきましょう。ところで、私の聞き違いでなければコリンズ皇子はその高貴なお立場よりも、リンク少年の友であることが大切と仰いましたか?」

 

 お酒の礼を述べてから、ラルフは慇懃な口調で尋ねた。


「その通りだとも、サー・ラルフ。皇子の身分なぞ、自動的に与えられただけに過ぎんからな。しかも五番目と出遅れていては、そう有り難いモノとも思えん」

 

 言いつつも、コリンズの振る舞いは王族特有の傲慢さに溢れていた。


「それに引き換え、軍師殿に認められるにはなかなか苦労した。なんせ、東方帝国の皇子も狙っていたくらいですので」

「軍師?」

「説明の前に訊いておきたい。そちらの国でも、戦場の指揮官はその場でもっとも身分の高い人物が務めるものか?」

「もちろん例外はありますが、基本的にはそうでしょう。事実、我々はメルディー

ナ王女の命令を受ける立場にあります」


「最高司令官が君主であるのは当然ですね。しかし、能力や経験が伴っていないことも多い。幸い、我が国では前線で戦えない指揮官は兵に嫌われる傾向にあるので問題ないが、全ての国がそういうわけにもいくまい」

 

 そして、コリンズは自分たちが征服した国が取っていた軍師という役職を説明した。


「何処の国でも、戦に長けた相談役はいよう。だが、その者の立場が君主を超えることはありません。あくまで指揮官の下であり、指揮官の機嫌を取りながらの献策を余儀なくされる。これでは駄目だ。指揮官という者は勝つことよりも、自分の手柄になるかどうかを考えてしまう」

 

 勝つことだけが目的の戦は存在しない。政治的、もしくは経済的に優位に立てなければ、勝ったところで意味がないからだ。


「そこで、かの国では軍師という些か奇妙な役職を用意した。面白いことに、この軍師は武功を立てることができないのですよ。最初から身に余る恩賞が与えられており、負けると剥奪されるという仕組みになっている。だから、どうしても保守的になる。血気に逸る軍勢において、これは稀有な存在だ」


「コリンズ皇子。口を挟んで申し訳ないが、それでは勝てる戦にも勝てなくなるのでは?」


「その心配は無用だ、サー・ラルフ。戦の全権を握っているだけあって、不満があった際には責任を求められる。というより、吊し上げですな。軍師というのは役職であって身分ではないので、やらかした時は、それはそれは酷い有様になる」


「もしかしなくとも、軍師という役職は苦し紛れの行為だったのでは?」


「その通りです。我々南方帝国は勝ちに勝っていましたので。かの国は、責任を取らせる人物に難儀していたことでしょう」

 

 形式的に兵を率いることのできる者は身分が高く、そう簡単に処罰するわけにはいかない。

 同じように、実際的に兵を率いることのできる人物は貴重で簡単には代えが効かない。

 

 かといって、誰かに責任を取らせないわけにもいかなかった。

 

 敗戦が続くと、遠くの主君よりも近くの兵たちのほうが現実的に恐ろしくなるからだ。戦場で兵の不満を放っておいて、寝首をかかれた指揮官は枚挙にいとまがない。


「そこで軍師という役職がでっち上げられた。正確には、身分はないが尊敬される職業に就いていた男たちに白羽の矢が立ったようだ。戦時において、芸術家や哲学者などは無駄飯食らいですからね。本人たちもそれを自覚して心の狭い思いをしていたのか、戦のことなどなにも知らなかったくせに、おだてられるとその気になったそうですよ」


「つまり、素人に献策させたと?」

 呆れたようにラルフが口にする。

 

 当の昔に聞かされて驚いていたリンクは、せっせとパンやチーズをスライスしているシリアナの手伝いに励んでいた。


「えぇ、恐ろしいことに。だが、それが功を為した。常道も定石も知らなかったからか、こちらの思い通りには動かなくなってしまったのです」

 

 誕生した理由からして、必ずしも指揮官が軍師の言うことを聞いたとは限らない。また、聞いたていで責任だけを押し付けていた可能性も少なからずはあっただろう。

 それでも、軍師の登場によって南方帝国は順風満帆とはいかなくなった。

 ほんの僅かとはいえ、その存在は侵略の流れを確かに止めてみせた。


「初めて軍師の存在を知った時、我々は使えると判断しました。帝国の指揮官は勇敢に戦わねばなりまんせんので、戦場全体を把握してくれる人物がいてくれれば非常に心強い。だが、そのような人物を設けるとなると権力争いが起こるのは必至だった。その点を、軍師は解決してくれたのです」

 

 身分の低い者に対して、貴族たちは競争心を抱いたりしない。戦場での活躍によって武功を立てられないとなればなおさらだ。

 場合によっては恨まれたりするだろうが、嫉妬の対象にだけはなり得なかった。

 そして、それこそがもっとも重要な点だった。

 

 恨みを晴らさせるのは容易であっても、嫉妬を失くさせるのは非常に困難だからである。


「なるほど。リンク=リンセントは騎士ではなく、軍師だったというわけですか」

 言外に納得の意を漂わせて、ラルフは肩をすくめる。

「それも北方帝国の皇女スーリヤ=ストレンジャイトではなく、貴方一人の――」


「そうであってくれれば、どれほど嬉しいことか」

 残念そうに微笑み、コリンズは酒肴の準備を急かす。

「まだか、シリアナ? そろそろ本題に入りたいのだが、おまえがいては邪魔なんだ」

 

 シリアナが言い返す前に、リンクが割って入った。


「あとは俺がやる。だから、シリアナは扉を頼む。この話だけは誰にも、スーリヤにも聞かれるわけにはいかないんだ」

「……軍師殿が語る番なのだが?」

「構いませんよ。私としては、手を動かしているほうが楽ですので」

「絵面が真剣味に欠けるが、仕方あるまい」

 

 無言の違令に従って、シリアナはその場を辞した。


「では、まずは自己紹介から始めましょうか――」

 

 スライスしたパンと具材を重ねながら、リンクは本当の自分をさらけ出す。


「わたくしめの本当の名は、オルナ・オーピメント。リンセント家の奴隷であります」

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