第34話 歴史に残らない密約

 スーリヤは自分の立場と同様に、ブール学院の教官たちの責務もわかっていた。

 皇女の意思を無視してでも、危険からは遠ざけなければならない。もし、その身になにかあれば、知らなかったでは済まされない。

 

 だからこそ、スーリヤはここまで大人しく従っていた。

 

 自分の我儘で、彼らに責を負わせるのは彼女の矜持が許さなかったからだ。

 しかし、コリンズの指摘によって脱出口に気づいた。

 

 北方帝国において、皇女を傷つける存在はいない。

 ならば、一人で動くことに問題はないと。

 

 学院長は納得しなかったが、責任の所在を移すことで了承は得られた。

 スーリヤは行軍から抜け出すと、まずは近辺の領主を訪ねた。フィリスはもちろんのこと、我儘と称してコリンズとシリアナも同行した。

 その為にも、甚だ不本意ではあるがアヌス士官学校の教官にも、お願いをしなければならなかった。

 

 こちらもまた、責任の所在が北方帝国にあることを認めることで事なきを得た。

 

 あとは体力勝負。

 スーリヤは皇女の威光を振りかざして番所に駆け込み、伝令用の馬を次々と乗り換えながら首都アルニースを目指した。

 

 夜は近隣の領主を頼った。

 その際、腹立たしくはあるがコリンズを親しい友人として紹介した。

 もともと、そういう体裁で連れ出したのだから仕方のないことだった。

 

 どうしても、この機会にコリンズを案内した。また、コリンズも北方帝国を見て回りたいという我儘によって、二人は自由を得ていたのだ。

 

 驚異的な速度でアルニースに着いたにもかかわらず、城では南方帝国の皇子を歓待する用意が整っていた。

 おそらく、何処かの領主が気を利かせて、夜通しで伝令を走らせてくれたのだろう。

 おかげで、時間をかけることなく父上と顔を合わせることができた。

 

 そうして、二人の監督責任者が北方正帝となると元来た道を戻った。

 

 周囲の人間は誰もが安心仕切っていたので、邪魔する者すらいなかった。

 本来なら、殊勝なスーリヤの態度で気づくべきだったのだ。少なくとも、あの姫剣士様が素直にドレスを身に着けた時点で疑うべきだった。

 スーリヤは都を案内すると言ったきり、城には戻らなかった。

 

 これには、北方正帝も肝を冷やした。

 

 娘一人ならまだしも、南方正帝の皇子が一緒なのだ。自分の城に泊めておいて、行方がわからないでは済まされない。

 ただちに捜索隊が出されるも、時既に遅し。

 

 二人と奴隷たちは既に、アルニースから遠く離れたところにいた。

 娘の目的がわかれば先回りすることも可能であったが、父親にはさっぱり掴めなかった。

 

 それもそのはず、スーリヤは少し変わった価値観で動いていた。


 曰く、父親の部下たちには迷惑をかけられないが、父親になら構わない。

 その見解に基づいて、スーリヤたちは街や村の宿屋を使っていた。

 そして、非常識な速度でブール学院に戻ってきた次第であった。


「気づいていたか、軍師殿。実は俺の奴隷たちがここの生徒のふりをしていたと」

 

 複雑に結ばれたカラーを弄りながら、コリンズが投げかけた。


「それで、残った生徒が多かったんですね」

「どうした、ご機嫌斜めではないか」

「予定が全部、狂ってしまいましたので」

「その予定、是非とも聞かせて貰いたいな」

「ブール学院の生徒たちを捕虜として差し出し、便宜を図ろうとしていたんです」

 

 二人は書庫にいた。スーリヤは生徒たちから褒賞の要望を聞いており、フィリスは付き添っている。

 シリアナは書庫の扉を守っており、不意の来客が来ないようにしていた。


「……便宜を図る、というと?」

 

 答えが返ってきただけでも意外だったのに、その内容が突飛すぎてコリンズは動揺を露わにしてしまう。


「言葉通りですよ。わたしは、シャルオレーネ軍に組み入ろうとしていたのです」

 

 リンクは冷静だった。

 いつもの慇懃さもなりを潜め、冷たくすらある。


「もう、知っているんでしょう? わたしが何者であるか」

「……いや、まだ推測の域をでていない」

「たぶん、正解です。あなたの知性がディルド様に劣るのなら、話は別ですけどね」

「これはまた、手厳しい」

 

 引きずられるように、コリンズの顔からも表情が消えた。


「コリンズ様、あなたに確認しておきたいことがあります」

「……」

「あなたの野望は南方帝国の独立ですか? それとも、南方帝国によるマラ帝国の統一ですか?」

 

 好奇心は猫をも殺すとはよく言ったものだ。

 リンクの生い立ちを探ろうとして、まさかこのような展開に陥るとは、さすがのコリンズも予想だにしていなかった。


「どちらにせよ、わたしはあなたの良き友になれることでしょう」

 

 それは、後世の歴史には決して残せない出来事であった。

 二人の年齢も立場も国家転覆を企てるには不釣り合いであり、子供の絵空事と切り捨てられてもおかしくはない光景である。

 

 それでも、リンクは本気だった。

 

 初めて夢を見たのも――いや、見せてくれたのも埃の舞う書庫だったから、いっそう運命的と感じていた。

 

 コリンズとしては、虚を衝かれたことを否めない。

 その申し出はいずれ自分からするはずであり、今ここで相手からされるはずではなかったからだ。

 差し出された手を取るか迷ったのは一瞬、不敵な笑みを浮かべて握りしめる。


「俺としては些か残念な結果だが、仕方あるまい」

「わたしとて同じです。これで、スーリヤを怒らせる理由がまた一つ増えた」

「自分で言っていて、可笑しいと思わないのか? おまえのやろうとしていることは、怒らせるといった次元じゃないと思うが?」

「わかっています。でも、いいんです。好きに生きろというのが、主の命令でしたから」

「やはり、おまえはリンク=リンセントではないのだな」

「えぇ、それはわたしの主の名です。しかし今しばらくは、わたしがリンク=リンセントであることに相違ありません」

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