第27話 女王の采配

 リンクの読み通り、メルディーナ王女には革命軍と協力する腹はなかった。

 彼女には、王家の血筋を残すという重大な使命がある。

 義務と言ってもいい。

 その為にも、帝国との全面戦争だけはなんとしてでも避ける必要があった。


 それに、今ならまだ言い訳の体裁も整えられる。


 シャルオレーネ王国軍はアトラスを陥落させたものの、被害らしい被害は与えていない。

 事実、そこで暮らす民たちにも侵略された意識はなかった。

 メルディーナたちは商隊に紛れて街に入り込むなり、迅速に頭を押さえ込んだのだ。

 

 アトラスは領主ではなく、国から派遣された属州総督が統治する城塞都市。黒白こくびゃくの女を楽しむ気でいた彼は抵抗する暇なく、シャルオレーネ軍に拘束されてしまった。

 

 メルディーナは総督を殺さなかった。

 

 その総督の命令で、アトラス駐屯兵のほとんどはケイオンとイオスに派遣された。

 首都から離れた地域ではよくあることだが、辺境の兵たちは遠くの指導者よりも近くの上官に従う。

 

 疑問に思いながらも、兵たちは迅速に行動した。


 そうして、アトラスには僅かな守備兵だけが残った。そのタイミングで一の郭に潜んでいたシャルオレーネ軍は動き出し、アトラスから帝国兵を放逐した。


 すべては、自分の名誉に拘泥した総督のせいである。


 メルディーナは巧みに、彼を説得した。

 自分たちはバビエーカ山を越えてきた。これは誰にも予測できなかったことなので、総督だけの失態にはならないと。

 しかし、女を買おうとして侵入を許したのは恥ずべきことだ。これには兵だけでなく、民すらも許せない愚行そのもの。


「我々にこの街を侵略する意思はない。しばしの間、貸して欲しいだけだ。その願いを聞き届けてくれるのなら、そなたの名誉は傷つけないと約束しよう」

 

 そういった事情から総督は部下を、民を、祖国を裏切った。

 今頃、彼は歴史に残る用兵のすえ砦を奪われたのだと、部下たちに言い訳をしていることだろう。


 王女は帝国兵を追い出すなり、アトラスに住む民たちに堂々と姿を見せた。

 

 民たちからしたら、青天の霹靂である。

 なんの争いもなく、街の統治者が変わってしまったのだ。

 狼狽を隠せないでいる民たちに対して、王女は率直にお願いした。自分たちの状況を説明して、門を閉ざすことを許して欲しいと。

 民の多くは、王女の身の上を知っていたに違いない。それでもこうして姿を拝見し、目の前で聞かされると激しく同情した。

 

 王女の見た目が、紛うことなく子供だったからだ。

 それに加えて、単純な旨味もあった。

 

 滞在中、王女は税を一切取らないという。北との戦が近いと言っては、余分に取っていた帝国兵と比べると段違いの振る舞いである。


 それに一日とはいえ、逃げる猶予も与えてくれた。


 兵や貴族たちの家族は、これ幸いにと可能な限りの荷物を纏めて出て行った。それこそ、王女の望むことだと知らずに。


 今のシャルオレーネ軍では、武力で暴動を押さえるには心もとない。

 だからこそ、民たちには寛大な心を示し、旗印になり兼ねない者たちにはいなくなって貰いたかった。

 

 そうして、ほとんどの人間がいなくなった三の郭をシャルオレーネ軍は占拠した。


 こちらは貴族や軍上層部の人間ばかりが住んでいたので、屋敷には充分すぎるほどの蓄えが残されている。

 自分たちの資産ではないからと、メルディーナは容赦なく消費した。最初からこれらを当てにしていたので、民への税は免除したのだった。

 それを踏まえても、三の郭には有り余るほどの財源があった。総督だけでなく、多くの者が私腹を肥やしていたのが窺える。

 民に還元する意味でも、この金も大いに使った。

 

 その甲斐あってか、シャルオレーネ軍は民に歓迎されてさえいた。

 いまのところ、万事上手くいっていた。

 また、運にも恵まれていた。

 

 商人の話では、北方帝国は軍勢を動かせないという。

 

 この機会をメルディーナは見逃さなかった。こと用兵に関しては不慣れでも、王侯貴族の考え方には慣れ親しんでいる。


 まず、王女は近辺の領主に侵略の意思がない旨を伝えた。

 それどころか、ケイオンとイオスにさえも伝令を送った。


 これには補給路を奪われ、挟撃の恐怖に怯えていた両砦も胸を撫で下ろした。

 敵であれ、王家の紋章なら信じられる。それに騙すつもりなら、わざわざアトラスの兵を送るはずがないと。

 急な増援の裏はさすがにバレていた。

 究極のところ、両砦の責務は国境の防衛であった。既に越えてしまった者は管轄外であり、アトラス陥落も自分たちの失態ではない。

 ――そう、自分たちがすべきはシャルオレーネ革命軍の領地侵犯を防ぐことなのだ。

 

 安全を確保すると、メルディーナはラルフと協議に入った。

 

 この安全は半年も持たない。今は好意的なアトラスの民たちも、兵に囲まれての籠城になれば手の平を翻すに決まっていた。

 領主たちもそう。

 北方正帝の命令があれば、たちまち牙をむく。大人しいのは、自分たちだけが被害を受けるのが嫌だからに他ならない。

 攻囲戦は金、時間、被害。どれをとっても野戦の倍となる。たとえ命じられたとしても、率先して先陣を承るのは御免被りたい戦である。


 だからこそ、王女は早急に成果をあげなければならなかった。


 革命軍がどれだけ頑張ろうとも、ケイオンもイオスも落とせないだろう。

 その間に、王国軍が勝ち星をあげればいい。帝国を相手に一勝でもあげれば、なびく者が必ずでてくる。

 

 局地的な勝利など意味はないとグスターブは責めるだろうが、民衆は違う。

 彼らは、戦の目的を勝つことだと思い込んでいる。


「やはり、現ブール学院だな」

 

 メルディーナは帝国の地図を指し示す。古い祖国の地図では、この城塞はシャルオレーネ王国の領土であった。


「ここに妾の旗を立てることができれば、民に対する言い分としては文句ない」

 

 ――失われた領土を取り戻す。

 そのスローガンをかかげている革命軍としては、決して無視できないはず。


「ですが、グスターブは納得しません」

 

 それどころか、少しでも用兵を学んだものなら口を揃えて非難する。ラルフとてそうだ。


「決めるのは民たちだ。アトラスを見て思い知った。民にとって、統治者が誰であるかは大きな問題ではない」

 

 半分でもいい。王女に付き従っていれば、願いが叶ったかもしれないと思わせることができれば革命軍は瓦解する。


「言う通り、ブール学院に戦略的価値はない。落としたとしても、すぐに手放す羽目になる。しかし、そんなことは民の知ったことではない。大事なのは今の暮らしが良くなるか、明日に希望を持てるかだ」

 

 父はその両方を与えることができなかったと、哀しげに繋ぐ。


「そして、グスターブは言葉でもって民に希望を与えた。だから、我々は行動でもって民に希望を与える」

 

 いくら耳心地が良くとも、言葉だけでは長くはもたない。

 それに王の失脚という手柄でさえ、メルディーナが掠め取った。


「不安そうな顔をするな、ラルフ。意味がないことをしているのは、あちらも一緒だ」

 

 言い切って、王女は采配を振るう。


「それに、いつまでもそなたらをただの近衛騎士と呼ばせておくわけにはいかない。だから、これは必要なことだ」

 

 といっても、こと用兵に関してはラルフに一任している。

 なので、メルディーナの役目はただ命令を下すだけであった。


「――ブール学院を落としてこい」

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