君に響く空の音

篠岡遼佳

第一章 『Meets "The fantasy"』


 夜。真夜中の少し前。


 薄い月明かりの中を、ビルの影と影をつなぐように何かが走り抜けていく。

「――ユウカ! 捕まえた! 頼む!」

 地面を走る情けない男の声が、高い足場を先に行く身軽な影に訴えた。少し低い、また男の声がそれに応える。

「おー、まさか手づかみ? サエすごい」

「それはいいから、早く! 逃げちゃうから!」

「わかった」

 サエ、と呼ばれた方が、闇から何かをつかんだまま街灯の光の下へやってきた。その近くにもう一方、ユウカが、ひらりと降り立つ。

 二人とも、少年である。サエは顔を引きつらせて、蛍光紫とオレンジに色を変える、うねうねでつやつやしたものを、両手でつかんでいる。それを、表情を変えずパシャパシャと何度かデジカメで撮影するユウカ。

「――早くって、おれ、言ったよね」

「ごめん」

 ユウカは反省ゼロの口調でそう言うと、首から提げている、うさぎ耳の付いた妙にかわいいスマートフォンをさっと操作した。画面をサエへ向ける。 

「――〝申請!〟」

 声に反応して、電子音と共に画面が切り替わる。

「〝佐々河ささがわ悠佳ゆうかの名に於いて、式に従い、世界のひずみを捉えよ!〟」

 大きく唱えると、画面が、いや、画面に表示されている魔法陣のようなものが、どこからか光を集め、強く前方を照らしていく。 

「〝『封印実行』〟!」

 サエが持つ謎の塊がびくりとその身を伸ばした。

 同時に魔法陣の輝きがいっそう強くなり――。

 ピロン♪

 軽い電子音がすると、既にサエの手は空になっていた。ほっとしたように両手を下ろす。

 ユウカの方は、スマホ画面を確認しながら、考え込んでいる様子だ。

「カードに保存完了……だけど……」

「どうしたよ?」

「――何度やっても、慣れない」

「呪文言うのが?」

「うん。大声で言わないと、音声認識しないとかひどい」

「教習所でも、相当恥ずかしかったもんな……」

 サエは思い出すように遠い目をしてから、短い黒髪と両手をタオルで拭い、パーカーを脱いで腰に巻いた。ユウカは、その長身をぐっと上方に伸ばしてから、長めの茶髪を結び直す。

 二人並んで屈伸する。ユウカが尋ねる。

「サエ、次いけそう?」

「うん。アプリ、もう一回よろしく」

「了解。〝――申請。式に従い、我らに光を!〟」

 そう唱えると、スマートフォンから再び電子音が響き、

 ボウッ……。

 少年二人の足元に青白い光が集まった。

「よっしゃ、ラスト一本行くか!」

「おー」

 同時に地面を蹴ると、彼らは光の筋を残して、空中高く舞い上がった。

 ――彼らは『封印実行者』。

 「第一種普通異形対策免許」を持つ、ごく普通の学生アルバイトである。


           *


 ――この世界には、『扉』と呼ばれるものが、稀に出現する。


 『扉』周辺では、いわゆる物理法則はほぼ通用しない。なぜなら、この『扉』というものが、文字通り『外世界とをつなぐ扉』だからだ。扉周辺は、通常の世界法則が『外世界』の法則と近づき、〝いびつに揺らぐ〟ことになる。

 『扉』についてわかっていることは少ない。なぜなら、『扉』自体が、一瞬現れると「何事か」を起こして消滅してしまうからである。

 その「何事か」が何であるかは、誰にも想定できない。あるところでは、『扉』を中心に半径5キロメートルがクレーター状に消滅した。また、あるものは、『扉』に触れたことで複数の世界に関する膨大な知識を得たという。

 各国各地に突如出現する『扉』は、国家をあげて、または地方自治体によって、常にその状態を監視されている。

 この国では、『扉』周辺で確認される、現世界とは異なる存在――『扉』から漏れ出すひずみと揺らぎから生まれる「存在」を、古来より「ヒズラギ」と呼んだ。

 そして、その対策を、「免許制」による公的な捕獲金が支払われる仕事――つまり、「免許さえあれば誰でもできるアルバイト・『封印実行者』」、という形に落ち着けたのである。

 かくして、「ちょっと危険だけど、小遣いにしては結構ウマい」という宣伝にもつられて、二人は「封印実行者」となった。


 サエ、と呼ばれていた黒髪は、東雲しののめさえ。ユウカ、と呼ばれていた茶髪の方は、佐々河ささがわ悠佳ゆうかという。お互い、「女みたいな名前!」と、小学生の時に殴り合って以来、家が近所なこともあって、とてもいい親友だ。

 サエは、平凡な家庭に生まれ育ち、平凡な外見の通り、案の定決して才能あふれるタイプではなかった。が、「まずはなんでもやってみる」がスローガンの家庭環境もあって、大抵のスポーツなら部活や習い事で一通りはやっている。スポーツ以外で言えば、ピアノもそろばんも書道も吹奏楽も茶道も合唱も、やる機会があるものは大抵やった。そして、そこで培ったある程度の体力やちょっとした技能を生かして、アルバイトをしている。さっきのように、ヒズラギを直接掴むことまでできるのだ。普通そういうことはあまりしない。見た目と感触が、ちょっと不気味だし。

 一方、ユウカは、運動はさほどでもないが、学業においてずば抜けた天賦の才があった。加えて長身でバランスのとれた体をしており、顔も大勢の中にいても目立つような顔をしていた。やや長めでさらさら猫っ毛の明るい茶髪に、黒目がちな切れ長の深い色の瞳、無表情だけど、人好きするようなちょっとした猫背とボケと愛想。平たく言うと、気怠げなイケメンだった。内向的でぼんやりしており、屋内で本を読むことの方が、好きというより重要だと考えている節もあった。しかし、サエの「まずはなんでも」という行動に引っ張られ、外に出ていくことになった。現在では、サエが困ればその知識量で技術を補い、サエが悩めばその学習能力でテストをなんとかしてくれている。

 サエは、ユウカのその天才的頭脳をとても尊敬しているし、ユウカも、サエのその新しいことに前向きに取り組める性格を好ましいと思っている。

 口ではそんなこと絶対言わないが、そんなわけで二人は親友であり、パートナーなのである。

 

「さて、アプリの言うとおり今日もここに来てみたわけだけど……」

 二人はとある公園に来ていた。

 ヒズラギがいそうなところというのは割合限られている。

 ビルとビルの隙間、昼でも暗い木陰、誰も使っていない建物。

 そういう、「何があるか把握されていない」、「何かがありそう」な場所に、〝揺らぎ〟は生まれ、小規模な〝ひずみ〟を呼び、長じてヒズラギとなる。

 夜ならなおさらだ。人間は闇を本能的に恐れることで、「そこに何かがいるかも知れない」と予感することで、生きながらえてきたのだから。

 そしてもうひとつ、ヒズラギが発生しやすい場所がある。

 過去に『扉』が開いた場所だ。

「今日はどーかな」

「画面には映ってないんだろ?」

「うん。でも、相変わらず〝揺らぎ〟はすごい。このあたりは危険域で真っ赤」

「やっぱりここを中心に、出てくる確率が高いってことか」

「そうなんだけど……、ここのところ変だ。妙に〝揺らぎ〟が活性化してるような……」

 放棄され、人気のない団地の中央近くにある、この公園。

 野球ができそうなくらい広いけれど、なんの遊具もなく、地面はコンクリートを敷いただけである。高いフェンスで囲まれ、樹木は一切生えていない。その代わりに、街灯で皓々とどこもかしこも照らされている。できるだけ闇のないように。

 ここは「区立第八公園」。以前は、子供たちも遊ぶ普通の公園であった。

 しかし、三年前、『扉』現出ポイントとなってしまって以来、〝揺らぎ〟が濃厚に存在したままとなり、現在は、『重点注視区域』とされている。フェンスにはその旨記した区の看板もある。

 ひとまず、サエたちは公園の中心で、自身のスマートフォンを見ながら、ヒズラギの存在をアプリケーションに調べてもらっている。

 アルバイトは、行政から支給されるアプリケーションによって支援される。

 彼らが使っている、『封印実行』のアプリも、今見ている〝揺らぎ〟の濃淡で「ヒズラギ感知」ができるアプリもそうだ。異形対策免許の発行と共にIDが配布され、個人情報と紐付けられることにより使用できる。

 しかしはたして、普通の企業が作っているスマートフォンやPCが、一体どうやって「封印」だの「感知」だのをしているのかは、サエは全然知らない。

 ユウカはそちらの方に興味があるらしく、サエのやっぱり全然わからないことを時々教えてくれたりするが……、まあ、バイトはバイトだ。ヒズラギをちゃんと捕まえられれば問題ない。なにしろ、日常生活にヒズラギが出てこられてはまずいのだ。

 そう、ヒズラギを捕まえることがバイトになるのには、ちゃんと理由がある。

 たとえば。

 ユウカがちらりと視線を左へやった。

「まずい、ネコが来た」

「げ」

 夜の散歩だろうか。キジトラのネコが、フェンスのそばを歩いている。サエが慌てる。

「他のひとから注意されてないのか!?」

「他のひとって誰よ」

 言ってると、手の中のスマートフォンが震えた。見ると、〝揺らぎ〟の濃淡が、ネコの近くで一気に濃くなっている。危険域の赤を越えて、一部が白に変化した途端。

 ずるり。

 街灯と街灯が照らす間、どうしてもできてしまうその影から、何かが這い出してきた。

 毒々しい蛍光紫から橙へ絶え間なく表面の色を変え、動くたびにぶるりと震える、ぬめぬめとした円筒形の姿。

 ヒズラギだ。

「来た!」

「うれしいけど、うれしくないな」

「とりあえず、ネコをなんとかしないと」

「うん。俺は上から行くから、サエは地面からよろしく」

 言うが早いか、ユウカは一度のジャンプで街灯の上に立った。

 サエはとりあえず、ヒズラギにまだ気付いていないネコを、走って追い立てることにした。

「にゃんこはどこかにいきなさーい!!」

 ? とでも言いたそうな表情で、キジトラはのんびりサエを振り返った。サエは動物にモテるタイプなのだ。それも今はちょっと困る。

 ヒズラギは、現世界の〝揺らぎ〟から生まれる、「外世界」と「現世界」の間をさまよう存在である。そのため、自分自身を存在として確定させようと、「現世界」の生き物――ネコはもちろん、イヌや鳥、虫や植物など――に、取り憑く習性がある。

 すると、その取り憑かれた存在は、

「君が異形になっちゃうんだよ!」

 現世界の法則を〝ひずませ〟、存在の〝揺らぎ〟を多く含んだ、現世界の生物ではないもの――特殊な力や外見を持つ、「外れた存在」、つまり「異形」になってしまうのだ。

 その力は人に害をなすものが多い。「現世界」への影響力が増すことによって、不可思議な能力を、意思なく、まき散らすだけまき散らすことになるからだ。

 ネコに取り憑けば、その機動力を生かして、異形は昼夜問わず大暴れすることになるだろう。

 そんな事態を未然に防ぐため、ヒズラギを捕獲することは公共の益とみなされる。だからこそ、報奨金=バイト代が出るのだ。

 猛ダッシュでネコに近づくと、ヒズラギも体をミミズのようにうねらせながらネコに急接近する。

「お前は来なくていい!」

 叫んだ声の怒りを感じてか、キジトラは小走りから急に全力で走り出した。当然早い。走ることにはそれなりの自信があるが、ネコは立体的に逃げる生き物だ。サエ自身はさすがにそこまで身軽ではない。よってネコを保護する前に、ヒズラギ捕獲へ作戦変更する。

「〝――申請! 東雲朗の名に於いて、式に従い、我に光を!〟」

 〝光的補助〟アプリに呼びかけると、再び足元と右手に青白い光が灯る。

 走る勢いのまま跳躍し、フェンスを跳び越え、街灯を右足で蹴って方向を調整。ブロック塀に着地すると、ネコを追いかける。

 公園の周りやこの廃墟の団地は、街灯が多いが、それが逆に闇を目立たせる。ともかくネコを視界から外さないように、そして地面でのたうつヒズラギに先回りするように、サエはスピードを上げた。走りながら右手の光を左手で掴み、一度手のひらを合わせてから、右手を勢いよく振る。

 低い音と共に、光は一条の棒となった。補助アプリによる、武器生成である。使ったことのある長物なんてバットがせいぜいだが、リーチがあって攻撃ができれば何でもいいのだ。現に、これで今まで何度もヒズラギを捕まえてきている。

 ヒズラギは足が遅い。地面を這うしか移動手段がないからだ。だからこそ、何かに取り憑いたときの機動力が恐ろしい。

 その前に叩く! 先回りに成功したサエは、言葉通り、ブロック塀から飛び降りながら、蛍光紫に向かって光の棒を打ち下ろした。

「せいっ!」

 バシン!

 ぐにゃんとしたいつもの感触。一発食らったヒズラギは、衝撃に驚き、逃げようとその不定形の身を上方に伸張した。

 その逃げようとする部分を、素早く左手でがっちりと掴む。

 こんにゃくのようなスライムのような、得も言われぬぐんにょり感触だが、気色悪いのはもう慣れている。

「よっしゃ!」

 光の棒をもうひと振りして消滅させ、そのままスマートフォンを取り出し、一気に操作してヒズラギに向ける。

「〝――申請! 東雲朗の名に於いて、式に従い、世界の歪みを捉えよ!〟」

 びちびちと相手は最後の抵抗をするが、当然サエは放さない。

「〝『封印実行』!〟」

 光が大きく強まり、ゆっくりと収まってから、例の軽い電子音が鳴る。成功だ。

「……ひ、一人でやるのは、結構つらい……」

 ほとんど怪我をするようなことはないとはいえ、まったく日常にない行為を一人で行うのは、やはりかなり強い緊張感が伴う。サエはよろよろとブロック塀に身を預けた。

 にゃーう。

 足元で、さっきのキジトラが鳴いている。ああ、癒やされるなあ。モテるタイプで良かった。

 指先で喉下をくすぐり、もう片手で額をごしごしとこすって、背中のなめらかな毛を撫でると、ネコは満足そうに伸びをしてからおすわりのポーズを取った。

 アプリで確認したが、ここは相変わらず赤く表示される危険域だ。ヒズラギもいつ再び出てくるかわからない。こいつはちゃんと、あまりヒズラギの出ないところまで連れて行こう。そう思って、ネコを慣れた手つきで抱えると、サエは団地群から離れるべく歩き始めた。

 かなり早く決着が付いたからか、ユウカは近くにいないようだ。また先の方で街灯の上から街などを眺めているだろう。電話で連絡を取ろうかとも思ったが、両手がネコでふさがっているので、スマートフォンが出せない。まあいいか。

 そう思って、しばらく歩き、車の通りや人の住む生活音が聞こえてくる、安全域までやってきた。

 そこのT字路を右に折れればすぐ通常領域だ。緊張が緩み、息をついた、その時。

 パンッ!

「――ベクター!」

 そのT字路の右から、両手を打ち鳴らす音とよく通る声がした。

 一瞬、街灯以上の明るい光が、その角の向こうを照らす。

 何事だろう? サエがやや小走りで道にさしかかると、

 ヴゥン!

「うおあ!?」

 目の前を、風を切り裂く何かがよぎった。

 慌てて一歩下がり、腕に抱いたキジトラを地面へ放してやる。

 しかし飛んできたそれは、こちらではなく、左手のブロック塀へ刺さった。

 同時に乾いた音で崩壊し、闇に散っていく。

 光の矢……?

 はっとして右を向くと、

「――!!」

 目の高さに、弓なくつがえられた、浅葱色の光の矢があった。

 鋭い鏃、一文字の篦、ちりちりと細かな光を散らしている矢羽。

 そして。

 その人を見た。

 まっすぐにこちらを狙っている、しなやかな指。

 構えた光の矢に照らされる、二つに結った長いプラチナブロンド。

 驚いて大きく開かれた、淡い金色の瞳。

 細い体に纏った真っ白なワンピースが、夜の街でも輝いている。

 視線が吸い寄せられる。

 ネコを助けていたことも、さっきその矢が刺さりそうになったことも、目の前の状況も、なにもかも忘れた。

 彼女から目が離せない。

 彼女も、驚いているのか次のモーションに入らず、こちらを見ている。

「――――」

 何かを言いたい。口を開く。でも言葉がなにも思いつかない。

 胸がぎゅうっと締め付けられて、大きく一度鼓動を打った。声が出る。

「あの――!」

 うにゃぁ!

 しかしここで、キジトラが、ようやくパニックになることを思い出したのか、闇雲にジャンプして突っ込んだ。

 彼女のワンピースに。

 スカートの中に。

「――っきゃあーーーーっ!」

 銀髪の彼女が思いきり悲鳴を上げた。

 光の矢が消失し、両手で慌ててスカートを押さえるが、ネコは混乱しているのか、みゃうみゃうとスカート中をパンチしてから、勢いよく外に走り出た。

 風と共にめくれ上がる、その白い布地。

 サエは見た。それを見た。夜なのに色までわかった。

 さわやかな、サックスブルーだった。


「――おーい、サエー、つかまえ……ん?」

 言いながらやってきたユウカが電柱から降りると、サエが前屈九十度で錯乱していた。

「見てません! すいません! ありがとう! すいまとうでした!!」

 新しい日本語を放つ友人をユウカは見つめて、ひとつ頷く。

「警察までなら付き合うよ?」

「いらんわ!」

 サエは一応つっこんでから、そっと顔を上げて、彼女を伺った。

「えっと……」

 彼女は口元を押さえ、少し間を開けてから、まだ頭を下げた姿勢のサエに向き直った。

 サエを気遣うように笑顔をみせる。

「びっくりはしましたけど、事故、ですから」 

「はい……」

 サエがとりあえず姿勢を戻し、しかしなんとしていいやらわからず、ちょっとだけ頷く。

 彼女はそれを見て、困ったように眉を寄せた。

「ほんと、気にしないで下さい。それより、こちらも、不躾なことをしてしまって……」

「あ! いえいえ、あれはおれが急に飛び出したのが悪いんで、全然、そんな」

「でしたら、そちらも、その、お気にならさず」

 彼女はそう言うと、控えめに微笑んだ。

 白銀の前髪がそっと揺れる。ワンピースの裾が揺れる。似合っている。とてもかわいい。

 この人は、相手へ気遣いのできる、いい子なんだ……。

 サエは彼女に見とれる自分と、自然と頬が赤くなる自分を自覚した。そこではっと思いつく。

「あっ! じゃ、じゃあ、ここここれを」

 大慌てで自分の端末からメモリーカードを取り出す。

 さっきのも含めて、今日の分、五匹のヒズラギが入ったカードだ。それを彼女の手を取ってぎゅっと押しつけ、握らせた。

「ど、どうぞ!」

「え、でも、これはあなたが捕まえたものでは……?」

「いいんです! あなたもヒズラギのバイトしてるんですよね?!」

「それは、そうですが……」

「じゃあ、これはやっぱり、素敵なあなたに!!」

 彼女の金色の瞳を見つめて、とにかくそう叫んだ。何でもいいから、印象を残したい、彼女とつながりがほしかったのだ。

「こらこら、握りしめるな」

「うおあ! すいま、すいませ……!」

 気合いが入りすぎて、彼女の手を引き寄せ、握りしめていることにも気付かない有様である。

 そんなどう考えても強引なサエに対しても、彼女は穏やかな微笑みを返してくれた。

 やっぱりいい子だ……。

 サエが確信と感慨を深めたその時、


  ――カラーン カラーン

     カラーン カラーン…………


 街の方、どこか遠くから、鐘の音が聞こえてきた。

 端末を見ると、日付が変わっている。彼女が言った。

「0時の鐘ですね」

 深夜は「大型ヒズラギ」の出る確率が格段に上がり、一般人の外出は非常に危険である。「普通免許」のサエたちでは、対応できないのだ。それを知らせるのがこの鐘の音である。また、この鐘の音が、ヒズラギの動きを鈍らせるという話もある。

 次に鳴るのは夜明け前。ヒズラギは太陽の光を避けるので、外出がある程度安全になる。

 街と人のための音は、複数の鐘の音を重ねることで紡がれる。

 真夜中なのになぜか静かに響く、必ず耳に届いてくる音だ。

 三人はしばしその心地良さに聞き入った。

 そしてやがて、音はゆっくりと闇に消えていく。

「――今日もいい音だった」

 彼女は小さくそうつぶやいてから、改めてメモリーカードをサエに掲げた。

「じゃあ、ほんとに、ありがたく頂いていきます、けど、いいのかな? えっと……」 

「あ、おれ、東雲です。東雲朗。全然、持って行っちゃって下さい!」

「俺は佐々河悠佳です。ついでにヨロシクして下さい」

「シノノメくんと、ササガワくんね、わかった」

 彼女は二人へ等分に視線を送ると、にっこりと笑った。

 左頬にえくぼができるのが、たまらなくかわいいと、サエは思った。

「それじゃ、またね!」

 彼女は軽くこちらに手を振って、後方に高くジャンプした。

「ほんとにありがとー!」

 電柱の上を、銀の髪と白いワンピースが翻り、遠ざかっていく。 

「どういたしましてー!!」

 サエは見えないとわかっていながら、ぶんぶんと彼女へ手を振り返して叫んだ。

 しばらくそうして、ただ彼女の去って行った闇を見つめたまま、ゆっくりとその手を自分の左胸に当てる。呆然とつぶやく。

「……どうしよう、ユウカ、おれ、なんか、すごくどきどきする」

「――うーん」

「笑った顔、すごくかわいかったな。すらっとしてて、美人だった。きれいな銀髪だった」

「うんー」

「声が素敵だった。いい声だった。瞳なんて金色で、お月さまみたいだった……」

「うーーん」

 ユウカは唸った。三度唸った。こんなとき、唸る以外、何をすべきであろうか。

 しかしひとまず息をついて、明らかに遠くを見ちゃってる友人の肩に、ぽんっ、と手を置いてやった。

「――名前、聞いてない」

「…………あっ」

 そのまま、ああああと頭を抱えてうずくまるサエに、ユウカは告げる。

「大丈夫。真の運命の相手なら、偶然はまた味方してくれるはず」

「……ほんと?」

「うん。なぜなら、偶然三度みたび会えば、君の運命は真のものとなるからだ」

 冗談とも付かないことを、厳かにのたまうユウカ。

 しかし、それでも、自分の頬を染めるふわふわどきどきした気持ちが、その言葉で急に形を持ち、一気に芽吹いてくのを感じた。

 掴めもしないはずなのに、胸の内に強いイメージが現れたことに、サエは気付いた。

 そうだ、これは、この、気持ちだ!

 ばっ、と立ち上がって思いっきり夜空に叫ぶ。

「もう一回会いたい! だから、もう一回出会ってみせる!!」

 サエにどこからとも知れないパワーが湧いてきているようだ。

 ユウカはまたひとつ、頷いた。

「――、恋ですね」


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