うそつき印鑑の取り扱い注意報

ちびまるフォイ

推されたら最後

「いよいよ来たぞ……」


抽選倍率4000%の超鬼門を突破してやってきたアイドルの握手券。

この日のために今日まで生きてきたといっても過言ではない。


テントの前に一列に並んでいると、紙を持ったスタッフがやってくる。


「こちらに印鑑をお願いします」

「え? なんですか?」


「握手前の確認事項と同意書です。

 最近、こういうリアルイベントで襲撃事件があるので

 事前に同意書にハンコもらうようになってるんですよ」


「ま、待ってください! 印鑑なんて持ってきてないですよ!?」


「じゃあ、ダメですね」

「うそん!?」


列から追い出されてしまった。

今日のために手のひらをホルマリン漬けしてきたというのに。


「ここであきらめてたまるか! ハンコなんて100均で買えるだろ!!」


会場の外を全速力で走り回るとはんこ屋さんを見つけた。

汗だくで駆け込むと店主にハンコを注文した。


「ハンコ、ハンコください! できるだけ早く!」


「はいどうぞ。でもうちのは特別製で、嘘つきハンコですよ」


「なんでもいいですよ!」


料金を叩きつけて再び会場へダッシュして戻る。

先ほどのスタッフに駆け寄り、同意書にハンコを押した。


「はい! これでいいでしょ!?」


「わかりました。では退場をお願いします」


「えええええ!? どうして!? ハンコ押したでしょ!?」


「あなたは同意しないんですよね。ですから、ご退場お願いします」


会場から締め出されてしまって、もう戻ることはできない。

口に入った砂利の味をかみしめながら、店主の言葉を思い出した。



——嘘つきハンコですよ



「え……それじゃ、このハンコを押したから、同意が嘘になったのか!?」


そんなわけわからないものを売りつけるんじゃねぇよ。

と、店主に苦情を言いに行ったがすでに店は消えていた。まるで幻でも見ていたかのように。


手元に残ったのは嘘つきハンコだけだった。



その後、何となく使える場所がないかと嘘つきハンコは仕事場に持ち込まれた。


「ああ、君。これから他部署との飲み会だから、これ参加票ね」


「うぅ……どうしても参加しなくちゃダメですか?」


「うちの部署だけ参加しなかったら感じ悪いだろう? 早くハンコ押してくれよ。

 ほかの人にもこの紙回さなくちゃいけないんだ」


「はい……」


特に考えもせず、間違えて嘘つきハンコを手にしてしまって、ハンコを押した。


「これでいいですか?」


「うむ。というわけで、この飲み会はなくなった」


「はい!?」


「次の開催の時にはまた来るからね」


部長はそのまま行ってしまった。

こんなにも嘘つきハンコの力が大きいとは思わなかった。

俺が飲み会の参加票を嘘にしてしまったので、接待飲み会がなくなったんだ。


「これめっちゃいいじゃん!!」


やっと本当の使い方を理解したとたんに、目の前がバラ色になった。


家に帰ると険悪な空気の妻がテーブルに座っていた。

テーブルには1枚の紙きれが置いてある。


「どうしたんだよ、電気もつけずに……」


「別れましょう」

「えっ」


「私たち、もう終わりにしましょう。

 離婚届に私の分は書いておいたから、あなたが出してきてね」


「待てよ! そんな一方的に! これから家事は誰がやるんだ!?」


「私を家事ロボットだと思っているから嫌になったのよ」

「そんなこと……」


今にも妻は家を出てしまいそうになっている。

胸ポケットから嘘ハンコを取り出し、離婚届に判を押す。


とたんに、妻の表情が和らいで新婚のときのにこやかな顔になった。


「というのは冗談よ、あなた」


「お、おお……びっくりしたよ……」


嘘つきハンコで離婚届が無効化された。

それに合わせて現実もやや強引に軌道修正されるようだ。


「でも、どうしてそんな急に離婚なんて言い出したんだ?」


「あなたの借金がどうしても気になって……」


「ああ……あれか……」


友人に頼まれて連帯保証人になったまではよかったのに、

友人が失踪したことで借金を肩代わりする羽目になった。


いや待てよ。


「その連帯保証人の紙ってあったっけ?」


「これでしょ。今さらどうしようっていうの?」


「嘘にする」

「え?」


連帯保証人に押されていた判を二重線で消し、嘘つきハンコを押す。

借用書はチリとなって消え、これまで払っていた借金もいつの間にか口座に振り込まれていた。


「す、すごい!! 何もかも嘘にできちゃうんだ!!」


ますます嘘つきハンコは手放せなくなった。



お金に余裕ができたのもあり、探偵を雇い連帯保証人にさせた友人を呼びつけた。


「おお、久しぶり。いやぁ、これまで連絡取れなくて悪かったな。

 実はケータイ壊れちゃってさ」


「借金を瀬尾沢せて、失踪してから急に壊れるなんて、都合がいい携帯だよな」


「偶然だよ、偶然。悪かったって。俺たち友達だろ?」


連帯保証人の契約は嘘つきハンコで無効化されてもそれまでの過去は残るらしい。

いらだつのは、借金がなくなったとたんに涼しい顔でやってきたこいつだった。


「それでさ、ちょっと頼みがあるんだけど……金貸してくんね?」

「……」


「いやぁ、実はキャバクラで使いこんじゃって、金欠なんだわ。

 なぁ、いいだろ? ダメなら別から金借りるから、連帯保証人になってくれよ。な!?」


「俺さ、一度試してみたいことがあるんだ」


「ん? なんだよ?」


俺は胸ポケットから出したハンコをそいつの額に押した。

嘘となった男はサラサラと風に吹かれて消失した。


「やっぱりだ! このハンコは紙だけじゃない!

 押したものを嘘に変えられるんだ!!」


やっと蛇のようにまとわりついていた借金やその原因を絶つことができた。

気分晴れやかなタイミングで、電話がかかってきた。



『あなた! 早く来て! お父さんが、お父さんが……!!』



妻から連絡を受けた病院に到着すると、すでにベッドには白い布をかけられていた。


「そんな……」


「午後5時45分……。安らかな最期でした」


「お父さん、今朝は具合良かったのに……。

 急に悪くなって、慌てて呼んだんだけど、もう遅くって……」


「うそだ! 目を覚ましてくれよ!!」


「ちょっと! 故人を振り回さないでください!」


医者の忠告も無視して父親に抱き着くと、前かがみになった拍子にハンコが落ちた。

落ちたハンコは寝たままの父の体に朱いしるしをつけた。



「ふぁぁあ。なんじゃ? お前たち、なにを泣いてるのじゃ」



「お父さん!?」

「親父!?」


父親は朝目覚めるくらい自然に目を離した。

あまりの電撃復活に医者がショック死した。


父親の復活に驚く身内を尻目に、医者の体にハンコを押した。


「あぁーーびっくりした。生き返るなんて思わなかった。

 あなた、いったい何をしたんですか?」


今度は医者も復活した。

ハンコが押されたことに気づいているのは俺だけだった。


はた目には俺が駆け寄った瞬間に蘇生されたように見えたのだろう。


「あなた、どんな魔法を使ったの!?」


「ふふふ。言ってなかったが、俺は人の死をも無効化できる神なのだ!!」




と、その時はふざけてるのかと笑われたものの

実際に何人もの人が完全に死んだはずの人間を蘇生させた事実を見たので

俺のばかばかしい名乗りも現実味を持つようになった。


「あなた、テレビの取材が来ているわ! あなたの奇跡の力を見たいって」


「くるしゅうない」




数日後、テレビ局の同意が得られたので撮影スタジオに到着した。


【実録! 神の手は実在するのか!? 生検証スペシャル!】


という番組名が掲げられている。

スタジオには横たえられた死体と心電図が置いてある。


「さぁ、テレビをご覧の皆さん。本日、この人が奇跡の力を見せてくれます!」


「では蘇生しましょうか」


「その前にこれがやらせじゃないように身体検査いいですか?」


「ど、どうぞ」


一瞬ヒヤリとしたが問題ない。

あくまでも奇跡の御業として認識させるために、

嘘つきハンコはすでに俺の手のひらの中に埋め込まれている。


どんなにテレビ局がボディチェックしても何も出てこない。


「心電図を操作したり、死体を操ったりする道具はありませんでした。

 では、神様。力を見せてください」


「ではいきます。ハンド……パワー——!!」


手のひらを死体にぺたりとつけた。

「死」が嘘になったことで死体は起き上がり蘇生された。


観客から歓声が上がり視聴率はうなぎのぼり。


「なんということでしょう! 本当によみがえってしまいました!

 お茶の間の皆さん、奇跡は実在するんです!!」


「ハハハハ。みなさん、神様へのお布施はお忘れなく」


仕事を終えてスタジオを帰ろうとしたとき、俺が推しているアイドルが立っていた。

この子のためにチケットを手に入れていた。


「あの、ありがとうございますっ!」


「い、いえいえいえいえ!! こちらこそ!

 というか、どうしてここに!?」


「実は、今日スタジオに寝かされていた死体、あれは私の祖父なんです」


「そうだったんですか」


「あなたは本当に神様なんですね。

 死んだおじいちゃんをよみがえらせてくれるなんて!」


「あなたこそ神様ですよ。

 俺に生きる元気と希望を与えてくれるアイドルはあなただけです。

 だからいつまでも追っかけています」


「あなたに言われるなんて嬉しいです!」


かつてこれほど清らかで心地よい時間があっただろうか。

今なら死んでもいい。


「あの、いいですか?」


アイドルは小さな手を差し出した。

俺はその手に、以前行けなかった握手会を重ねた。


「これからも応援しています! アイドル頑張ってください!!」


俺はアイドルの手を強く握った。






その後、アイドルの謎の神隠し事件は社会的には「卒業」として処理された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うそつき印鑑の取り扱い注意報 ちびまるフォイ @firestorage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ