9.4 分散する意識

 頭の中ではたった今体験したばかりの出来事が再生されていた。リリウムの動作の最も鋭いところだけを切り取って繋ぎ合わせたフィルムのようだった。それが何度も細切れに巻き戻されながら流れた。しかもそれはその時私の意識の中に流れ込んでいた視覚のひとつひとつを一台のカメラとして、それぞれの捉えた映像が独立した一本のフィルムになって連動していた。きっとそこには他の感覚情報も含まれていたのだろうけど、中でも可視光の映像だけが鮮明だった。

 一度に八機の機体を動かす感覚を思い出す。その時私の意識は肉体にはない。機体のどれかでもない。強いていえば分配器の中だろうか。人間が自分の眉間の辺りに意識を自覚するのは頭や顔に感覚器官が集中しているからだ。同じくらい精密な感覚器官がいくつも接続されていて、しかもそれぞれが位置的に離れているのだから、意識も分散しているのだ。それぞれの機体に感覚の中心があった、といっても正しい感じがする。感じがする、としか言いようがない。私の感覚の問題なのだ。他のソーカーなら、例えば松浦ならまた違った証言をするだろう。ただ、私の感覚としては確かにそれが近い。たとえるなら、植物のようなものだろうか。切り取られた枝がその瞬間から個体として振舞う。種類によっては枝から根を出して独立して生きていく。切り取られていない状態でもそれは無数の個の集合として機能しているのかもしれない。もちろん私の場合にはそれぞれの機体に中枢があり、分配器の接続数は非常に限られている。無数というレベルには程遠い。接続を切断されたら機体も機能しない。

 そうした意識の分散の中で私の肉体は分配器に繋がれた他の機体と何ら変わりなかった。私の肉体イコール機体。いずれも身体の一部。意識の中心でなくなったからには、私という全体に対して一部の領域、一部の機能を占めているに過ぎない。私は想像してみた。リリウムの一撃でひとつの機体と分配器を結ぶケーブルが切断される。それと同じように私の肉体と分配器を結ぶケーブルが断たれた時、私の意識はすっかり肉体の方へ戻ることができるだろうか。戻るという表現が正しいのかどうかわからない。けれど分配器や複数の機体を結んだネットワークの中に私の意識が拡大しているのなら、その時分配器の方へ取り残される意識はないのだろうか。それは正確には意識ではないかもしれない。プログラムの間を飛び交う信号に過ぎないのかもしれない。けれどそれが機能し続けることによって、見かけ上そこに私の意識が残留するということはあるのかもしれない。それこそがさっきまでリリウムを動かしていたものの正体なのかもしれない。

 だからそれは危険な兆候なのだ。私の意識が機体の側へ拡散していくこと、機械の演算を自分の思考のように感じること、それが繰り返す過ちのように第二のリリウムを生むかもしれない。本来、機体というのは棒に過ぎないのだ。人間は手に掴んだ棒の先端に当たったものの感触を知ることができる。機体の操作や感覚というのはそういった機能の延長に過ぎない。私には肉体という核があり、意識の分散は避けなければならない。それがリリウム封印以降の私の投影器に対する信念だった。かつての私はリリウムの中で膨大な量の感覚的プログラムを組んでいた。それは私の一部になりかけていたのだ。リリウムの中に封印された像と実際の私は長い時の間に少しずつ離れ、絶望的な深さと幅を持った溝の両岸に分かたれてしまった。その危険性を知っていながら私は今さっき同じことを繰り返そうとした。操る機体の数が多かったから、信念を破らなければならなかった。次はこうはならない。同じようにしてはいけない。十機でも二十機でも単なる指先のように扱ってやらなければ。



 意識が戻ってからもしばらくは自分の体を動かすことができなかった。感覚はあった。でもそれも全て望遠鏡を逆さに覗いた時のように遠く感じられた。巨大な振り子がぴたりと静止していて、遠い支柱の根元で小さなぜんまいが振り子を動かそうとしたたかに力を溜め込んでいる途中のようだった。私は私が覚醒していることは知っていた。でも体を動かすことはできなかった。だからしばらくの間うなだれたような姿勢のままでじっとしていなければならなかった。

 やがて温かい血流が全身を巡り、体が私の意思の下に戻り始めた。

 最初に時計を見た。気絶した時刻を確認していなかったのでどのくらいの時間気を失っていたのかはわからなかった。頭や背中、手の甲にまで雪が積もっていた。壁に開いた穴から雪が吹き込んで粉砂糖のように辺りの床や分配器、ケーブルの上にまんべんなく降りかかって綺麗に下地を覆い隠していた。風の陰になったところに、それこそ太陽光でできる影とほとんど変わらないくらいくっきりと雪の積もっていない面ができていた。でも寒いとは感じなかった。雪は激しいが、むしろその分見かけほど時間は経っていないようだった。

 誰かが後ろの戸口で私のことを見ているような気がして振り返った。確かに希薄な気配だったけれど実際大扉にも通用口にも人影はなかった。人間もいなければ他の生き物もいなかった。私はまだここで一人だ。

 改めて辺りを見回す。ほとんど残骸のような沈黙した肢機の数々。手の届かないところに開いた倉庫外壁の穴。結局それは私一人が引き起こした破壊なのだ。始めから八機でかかっていれば、もっというなら充電なんかしていなければ、もっと穏やかに事が済むはずだった。なぜそうしなかったのだろう。私は相手を弄んでいたのだろうか。憎む相手を殺す前に苦しませるのと同じように?

 いいや、それは違う気がする。たぶん知りたかったのだ。相手が消えてしまう前に、できるだけ多くのことを。

 リリウムがうつ伏せに倒れている。カメラのガラスの曲面に私の顔が小さく写った。けれどその中にはもう私の影は残っていない。何を聞き出すこともできない。私が葬ってしまった。この世界に存在したあまりに多くのものが失われ、消えていった。そして二度と戻ることはない。既にそういったものの一つになってしまったのだ。

 倉庫を出る。そこには雪に白く満たされた世界が広がっていた。森の中でカラスが騒いでいた。木々の間に入ると吹雪は弱まった。幹や枝が風を遮っている。カラスが出たり入ったりしているところに半分雪に埋もれるようにしてシカが倒れて死んでいた。体格からしてオスのようだ。角は抜けている。

 私が近寄るとカラスたちは木の枝に避難して遠慮がちに取り巻いて眺めていた。私が死因の調査結果を発表するのを待っているのかもしれない。

 シカの体を見ると脇腹が赤黒く光っていた。毛皮の光沢ではない。血が固まっていた。その上に小さな穴が点々と見える。カラスの攻撃でできた傷ではない。他の野生動物でもない。散弾だ。撃ったのは猟師だ。演習場の外で撃たれて、傷が浅かったので歩いてきて迷い込んだのだろう。しかしここで力尽きた。シカは目を開けたまま死んでいたが、眼球は既に何度もつつかれて原形を留めていなかった。

 カラスたちが早く獲物を返せと言うように枝の上でかりかりと足を踏み替えていた。いいだろう、もう終わった。続ければいい。私は手でそう示してその場を去った。

 倉庫に戻って分配器を運び出す。倉庫の正面に出た時、道の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。一人だ。分配器を車の荷室に持ち上げたあと、その人影が近づいてくるのを待った。吹雪の中を時々雪煙にまぎれて見えなくなりながら、風に飛ばされそうになりながら歩いてきた。それは九木崎女史だった。まさか彼女とは思わなかった。いや、誰だったら納得したとも言えないのだけど、でも私が考え得る可能性の中で順位をつけるとすれば最も低いところにいるのが彼女だった。何より一人というのが考えにくかった。もし私の企みを知っていたなら、誰かを連れて、できれば大勢で、場合によっては何かしら武装して来るべきなのだ。それがどういうわけか一人だった。

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