9.2 マーリファイン対リリウム
発電機の騒音が止まる。私が止めたわけじゃない。燃料切れだ。思ったより長く持った。私の想定ではもう少し早く止まるはずだった。
何も起きない。余韻のあとに静寂が残る。私は笛のように音を立ててゆっくりと息を吐き出す。雷が落ちる前の草原のような不穏な雰囲気。分配器の角に両手を突いて尻を持ち上げる。縁に座って脚を組む。
そして私の予感は的中する。
奥の山が崩れ始める。上の方に乗っていた機体が滑り出して倉庫の壁まで押し出されていく。崩れて低くなった頂上の下からリリウムが姿を現す。覆い被さっていた機体を墓穴の土のように跳ねのける。金属が擦れ軋む音。しかし機体そのものの立てる音は小さい。ヘッドライトの黄色い光が遮蔽物の隙間を抜け出してまっすぐに天井に刺さる。発電機のケーブルは抜けている。
私は分配器に少しばかり意識を集中し、外部接続のスイッチに通電する。これは完全に物理的なスイッチだ。尻の下でぱちばちと回路の切り変わる音がする。ブースタのコンデンサが低い震えた音を立てる。
私の右手でマーリファインの実験機が起動する。投影器のケーブルが操縦室のハッチから出て私の後ろまで伸びている。こちらはディーゼルの唸り。目覚めの象徴のように可視光カメラの視線指示灯が光り、火器管制のセーフティ解除とともに再び暗くなる。しかし武装はない。
リリウムは崩れた山から這い出してライトを消し、倉庫のコンクリートタイルの上にまっすぐ立つ。フェンシングの直立に似た姿勢だ。こちらではマーリファインが私の前に立つ。
リリウムとマーリファインが対峙する。
動かない。
相手の目は私に何かを問いかけている。お前は何かを忘れている。それはとても大切なものだ。
そしてリリウムは背後の山からできるだけ長く鋭利な屑鉄を選び取ってこちらに突きつける。それはたぶん山の下敷きになる機体を守るために入れ込んだ支柱の一部だ。リリウムは腰を捻って外側に腕を振り出し、逆の足を大きく踏み出してサイドスロー。マーリファインを右手に回避させる。屑鉄はブーメランのように回転しながら風圧を残して私の頭上を越え、やや回転面を傾けながら倉庫正面の壁に突き刺さる。外壁が引き裂かれて捲れ、その隙間から雪が吹き込んでくる。
リリウムは屑鉄をもう一本拾って回避の隙に間合いを詰めている。マーリファインに得物はない。初撃の突進をかわす。
しかしリリウムは振り抜いた柄の先端をその勢いのまま逆側に繰り出す。それがマーリファインの右肩に直撃。肩関節が脱落して右腕が飛ぶ。破片が散って飛んでくる。
リリウムはそのまま懐に入り込んで投影器のケーブルを引っこ抜く。そして生身の私を見下ろす。根本的にリリウムとマーリファインでは性能が違う。マーリファインは格闘戦を想定しない。コンセプトとしては砲兵に随伴する対空砲に過ぎない。リリウムだって格闘戦を想定しないのは同じだが、それは兵器ではないという意味であって、体を動かすという意味では非常に機敏だ。何しろ軽い。機体規模は同じくらいだが自重で比べてもマーリファインの半分以下だったはずだ。そこが違う。
リリウムが迫る。私は逃げられない。いまさら分配器は動かせないし制御端子側のケーブルは二メートルしかない。分配器の陰に隠れればいいのかもしれない。戦争ならそうするだろう。でもこれは私の個人的な闘争なのだ。生きていれば勝ちというものではない。対峙することに意味がある。それにこちらには八枚のカードがあった。リリウムはまだその中の一枚を破っただけだ。分配器のケーブルはそれぞれ一機の肢機に繋がっている。もしどれか一機で挑むつもりだったなら私はこんなところで生身を晒していない。きちんと機体の操縦室に収まっていたはずだ。
二機目のマーリファインを動かす。リリウムの右手に掴みかかり、躱されそうになりながら左手に組み付く。胴体を押さえ、左腕の関節に負荷をかける。モーターの歯車が割れ腕が固まる。しかしマーリファインも胴体を真上から叩かれて動かなくなる。またケーブルがやられた。
リリウムはマーリファインの残骸を横へ押しのけて私の前へ進んでくる。再び直立の姿勢。屑鉄の切っ先を下げ、私に向ける。屑鉄の中心線の延長が私の目を正確に射抜いている。先端に上手く焦点が合わない。
私を殺そうとしているのだろうか。私はリリウムの中にある意識に思いを馳せた。だいたいそれは意識と呼べるなのだろうか。肉体を持たない、自我を与えられたわけでもない、認識と判断の集合体。それはある意味では人間という生き物の在り方では測れない超越的な存在なのかもしれない。でも結局私は生き物の生存競争の次元でしかそれと渡り合うことができない。加えて、私に認識できる限りでは相手もそれを望んでいるように見えた。結局人間は対象を自分と同じ次元に変換した状態でしか物事を認識することができないのだ。
私は右手を手刀にしてリリウムの屑鉄の先端に合わせた。
リリウムは屑鉄を突き出す。私は生身の上体を左に倒す。屑鉄が分配器の角に掠って火花が飛ぶ。リリウムはそのまま右に振り抜く。が、私の生身には当たらない。リリウムの背中を三機目のマーリファインが掴んで引き倒す。最近倉庫に入れた機体よりいくらか古い型だ。肩の砲尾拘束具がなく、その分腕っ節が強い。屑鉄の先端はフェードボールのように空を切る。四機目のマーリファインがその手元を掴んで肘に挟み込み、リリウムの手から無理やりひっこ抜く。
さらに四機が立ち上がってリリウムを囲んだ。うち三機はやはり様々な年式のマーリファイン、もう一機は四脚型のセフダール。倉庫の中は大気の震動のようなディーゼルエンジンの重奏で満たされていい加減排気臭くなってくる。
同時に複数の肢闘を操るのは初めてだった。結構難しいものだ。普通の人間にパイプオルガンが弾けないのと同じだ。六機の感覚が私の中に流れ込む。機体が体の一部になる。両手で別々の作業をするのに似ている。でもそれは手ではない。肉体よりずっと大きな複雑な機械の集合体だ。それだけ情報量が多い。私でも精密な操作を全ての機体に行き渡らせるのは困難だ。
リリウムは突きや蹴りで四方を牽制する。囲む六機は徐々に包囲の輪を狭める。こちらの機体が動くたびに投影器のケーブルが大蛇のようにのたうちまわる。
二機のマーリファインが前後から掴みかかる。リリウムはのけぞって背後の一機の背中に手を突き、空中で後転して着地。まるで鞍馬だ。マーリファインは前に押し出される。
それより早く別の一機がリリウムの横っ腹に突っ込む。リリウムは右へ機体を倒しながらその腕を掴んでハンマー投げのように地面すれすれで機体を振り、二機の位置がほぼ入れ替わったところで相手の胸部に蹴りを入れて腕を引きちぎる。
向かいにいたマーリファインが蹴られた機体を避けながらちぎれた腕を掴んでリリウムを引き寄せ、そうはさせるかと腕を離して後ろへ飛んだリリウムを横合いからセフダールが突き飛ばす。
落下点に向かって二機のマーリファインが飛び込む。リリウムは機体をよじって二機の間をすり抜け、地面を蹴って勢いそのままにもう一度跳躍、起動していない機体を足場にして着地、再び飛び込んできたマーリファインの股の間をかろうじてすり抜けるが、やや横に降りたもう一機がリリウムの足首を捕まえた。勢いのせいでその手はすっぽ抜けるが、リリウムは地面に叩きつけられる。すぐさま起き上がろうとしたところをセフダールが四つ足で押さえつけた。
他の機体も次々にリリウムの手足を踏みつけ押え込む。野生の獣のように首と指先だけがじたばたと抵抗を続ける。
そのまま五機でリリウムをうつ伏せに押さえ、残りの一機で最初のマーリファインから抜けた制御ケーブルを手繰り寄せてリリウムのコクピットの端子に接続、投影器のモードを出入力から出力に切り替える。私は押え込んでいる五機の感覚をよく意識したままリリウムに潜った。
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