第157話 掴めなかった手

 大地を揺るがす激しい震動に、タケトは立っていることもできず膝をついた。その際、下に視線を落とすものの、すぐに顔を上げる。しかしそのときにはもう、ヴィンセントは姿をその場から消えていた。グラシャ=ラボラスもいない。ただ、ロッコがぽかんと呆けた顔をして座り込んでいるのが見えるだけだ。


「あいつ、どこ行った!?」


 揺れに舌を噛んでしまいそうだ。タケトの言葉に答えたのはカロンだった。


「消えました。まるで、空気に溶けるように、一瞬にして」


 揺れはますます激しさを増し、床には大きなひび割れができていた。

 ひび割れはどんどん大きくなり、地下空間の中心あたりからついに床が抜けはじめる。このままだとタケトたちも巻き込まれてしまいかねない。タケトはシャンテの手をとると、極力壁際まで避難した。

 さっき降りてきた扉は穴の反対側なのでそちらに逃げることはできないが、こちらの壁際に置かれた檻の間に身を寄せる。


 カロンはシャンテの雷にやられて動けなくなっていた従業員たちを抱え上げると、荷物のようにぽんぽんと壁際へ放っていった。そして最後に、目まぐるしく変わる事態についていけず呆然としているロッコを抱え上げて避難する。


 そうこうしている間にも、中心部に出来た穴はどんどん大きくなっていた。穴の下には光源がないため真っ暗だが、天井からのおぼろげな光に照らされ何かが蠢いているのはわかった。ときおり太い尻尾のようなものが見えた。何か巨大な生物が穴の底にいるようだ。


 野太い咆哮が不気味に響いてくる。

 この震動もあの穴の中で蠢いているやつのせいだろう。


「まずい。このままだと」


 タケトは振り返った。このまま穴が大きくなれば床全体が崩壊してしまう。そうなると、檻の中にいる魔獣たちも危ない。

 そのとき、肩に乗っていたトン吉が叫ぶ。


「風の精霊で、檻を壊すです!」


「魔獣に当たらないように?」


「やるしかないです!」


「よ、よし」


 タケトはポケットから魔石を取り出すと、精霊銃に風の魔石を装填した。


「鋭く細く、あの檻を壊すことをイメージして放つです!」


 タケトは檻の間から出ると、穴に落ちないギリギリのところまで行って檻の方へ銃口を向けた。しかし、揺れが酷くて、膝立ちになっても照準が安定しない。


「ああ、くそ……」


 そこにシャンテの声が飛んでくる。


「タケトとトンちゃん、いいって言うまで目を閉じてて」


 シャンテが何をしようとしているのか、すぐに理解してタケトは目を閉じた。

 そのすぐあと、シャンテの凜とした声が耳に響いた。


『大気の精霊よ。彼らに雷神の大槌を!』


 目を瞑っていても感じるほどの、かつて見たことないほどの出力。天井付近に渦巻いた雷は、太い光の柱となって穴の中心へ落ちた。

 轟音とともに、辺りが強く白い光に満たされる。

 その光が消えるとともに、激しかった揺れがおさまった。揺れを起こしていた穴の中の巨大生物が、今の雷の攻撃で一瞬動きを止めたようだ。


「いいよ!」


 シャンテの声とともに、タケトとトン吉は目を開ける。

 揺れはほとんどなくなっていた。これなら魔獣たちを傷つけないように、しっかり照準が狙える。タケトは、檻だけを切り裂くイメージを頭に浮べると引き金を引いた。銃口から発された風の精霊はすぐにトン吉の力で増幅され、並んでいる檻の間を一気に吹き抜ける。


(上手くいった、のか……?)


 シンと静まりかえった地下空間。魔獣たちもピクリとも動かない。そこに、


「上手く行ったです! みんな! もう出られるですよ!」


 トン吉の声が響き渡った。


 魔獣たちは何が起こったのかわからずに警戒して動きを止めていたが、トン吉の声で動き出す。一頭、また一頭と檻の内側から檻を壊し始めた。

 体当たりする魔獣もいれば、両手で押して檻をはずそうとする魔獣もいる。風の精霊の力で切り裂かれていた檻は、魔獣たちの力で簡単に壊れた。次々に檻から魔獣達が出てくる。


 あの一番大きな檻の中からも、捕らえられていたフェンリルが出てきた。立ちあがった姿はウルよりもずっと大きい。黒々としたツヤのある毛並みをした大きなフェンリルだった。


「ガルン!」


 シャンテがそう呼ぶと、フェンリルはこちらに目を向けて近寄ってきた。ポサポサっと大きな尻尾を振る。親愛の情を示す仕草。

 シャンテは頭を下げたフェンリルの鼻先に駆け寄ると、両手を大きく広げて抱きついた。


「ガルン! 会いたかった」


 ガルンと呼ばれたフェンリルも、穏やかな瞳でシャンテを見下ろす。


「知ってるの?」


 傍に駆け寄りながらタケトが聞くと、ガルンに顔を埋めていたシャンテは顔を上げて大きく頷いた。その目の端には涙が浮かんでいた。


「うん。ウルのお母さんなの」


 すぐに声が曇る。


「……故郷の村に、パパと一緒に残っていたはずなんだけど」


 以前シャンテから聞いていた、彼女の身のうえ話を思い出した。故郷の村が襲われ、シャンテはウルとともに逃げ出してきたという。そのとき、父親を村に残してきたのだ、とも。

 シャンテは暗い気持ちをふっきるようにガルンを見上げて、優しく撫でた。


「でも、ガルンだけでも無事で良かった。ウルもいるんだよ。もうすぐ、ここに来ると思う」


 ちょうどそこに、魔獣搬出用のエレベーターがある方の扉をぶち破るようにして大きな獣が飛び込んで来た。

 ウルだ。その背中にはブリジッタの姿も見えた。


「ブリジッタ!」


 タケトが声をあげると、彼女もすぐにタケトたちに気付いようだ。こちらに向かって駆けてくる。

 シャンテは少し声を弾ませて、ウルの方を指さした。


「ほら。ガルン! ウルだよ! 少し大きくなったでしょ?」


 ところが、ガルンが歯茎をあげて、グルルルルルルと低く唸りだした。口から白く大きな牙が覗く。


「ガルン?」


 ガルンの反応を不思議に思い、シャンテが首を傾げたときだった。


「お嬢さん。そのフェンリルと親しいとはな。ということは、あの一族の出身ですかな?」


「!?」


 シャンテのすぐ背後から男の声がした。

 いつの間に現れたのか。シャンテのすぐ真後ろに、ヴィンセントが立っていた。ずっと傍でシャンテとガルンのやりとりを見ていたタケトにも、いつどうやってヴィンセントが近づいてきたのか全くわからなかった。


 それはまるで、空間転移でもして現れたかのような唐突さ。さらに、ヴィンセントの背中には天使のように白く大きな翼が生えていた。


「シャンテ!!」


 タケトはすぐにシャンテを引き寄せようと彼女へ手を伸ばした。彼女の腕を掴もうとした。

 ガルンも歯をむいて、ヴィンセントに噛みつこうと口を開く。

 シャンテもタケトの方へ手を伸ばしていた。


 しかし、二人の手が触れあう寸前、ヴィンセントの背中の翼が大きく羽ばたいたように見えた。


 瞬きするほどの僅かな瞬間。小さな風が起こったかと思うと、その場からシャンテもヴィンセントも忽然と姿が掻き消えてしまった。

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