第132話 大きな仕事

『王の間』を後にして、魔獣密猟取締官事務所へ戻ろうと階段を降りていたタケトは、その途中でトン吉を抱いたシャンテと出くわした。


「あ、ご主人いたであります!」


 シャンテの腕の中からトン吉がピョンと飛び出すと、短い脚でタタタッと階段を上ってタケトに飛びついてくる。


 タケトはジェンに貰ったワインのボトルを小脇に抱えて、走ってきたトン吉を抱き止めた。


「やっと起きたんだな。腹減ったのか?」


「減ったです。でも、なんか、みなさん食事どころじゃなさそうでありますよ?」


 トン吉はそういいながら、右前脚でシャンテを指さした。


 あれ? さっき自分が王のところに出向く前は、特に急ぎの仕事もなくてみんなノンビリしてたよね? と不思議に思ってシャンテを見ると、彼女は困ったように小さく笑みを返してきた。


「うん。さっきね、調査に行ってたカロンが戻ってきたの。そのことで、タケトを呼びに行くところだったんだ」


 シャンテと並んで階段を降りながら、タケトは尋ねる。


「カロンって確か、なんかデカイ密猟組織の調査に行ってたんだっけ?」


「うん、そうなの。そのことで、官長さんがタケトに頼みたいことがある、って」


 二人で事務所に戻ると、奥の官長のデスクの前にカロンとブリジッタの姿もあった。


「戻りました」


 そう言って官長の前に立つと、彼女は値踏みするように赤い瞳をすっと細めた。


「うん。やっぱりお前が適任だろうな。タケト。ちょっと遠出をしてもらいたいんだが、いいか」


「遠出、ですか?」


 いいもなにも、いままでだって仕事で遠出したことは何度もある。何をいまさら改まってそんなことを言われるのだろうとタケトは怪訝に思っていた。


 その空気が伝わったのだろう、官長は苦笑を浮べる。


「今回やってほしいことは、潜入調査だ。グリナーデという南東部にある商業都市に行って欲しい。目立つと困るから、ウルは置いていってもらう。後方支援もない。トン吉も目立つからできれば置いていってほしいのだが」


 その官長の言葉に、胸に抱いていたトン吉がびくっと身体を震わせた。心配そうな声でタケトを見上げる。


「吾輩、行っちゃダメでありますか?」


 タケトはまだ事情がよくつかめなったのでトン吉の言葉には応えず、官長に言い返す。


「でも。そうしたら、精霊銃を置いていかなきゃならなくなります」


 トン吉……というか精霊銃を置いていくのは、タケトとしてもかなり心細い。


「今回の調査は特に危険はないはずだ。正体がバレなければ、だがな。グリナーデで来月の新月の夜、大規模な魔獣の違法オークションが行われるらしい。そのオークションに参加者として入り込み、主催している組織を調べてほしいんだ」


 続いて、官長の言葉をカロンが引き継ぐ。


「オークションを率いている人物は、オルロフ・ロッコといいます。彼は、かつてこの国で魔獣や獣人の違法売買、非合法の狩猟施設の運営などをしていました。今から十五年ほど前に起こったジズ事件で組織は壊滅しましたが、その残党が集まり数年前から再び活動をはじめるやいなや裏社会で急速に組織を拡大しています」


 常に沈着冷静なカロンが、いつも以上に淡々と感情の薄い声でそう説明してくれた。まるで感情を押し殺そうとしているかのようなその様子に、タケトは違和感を覚えるものの、彼の説明はまだ続いていたため話に集中する。


「急速な組織の拡大の背景には、彼をバックアップする何らかの支援者がいることも考えられます。……貴族か、どこかの領主か、それとも大商人か。そこまでは僕の調査では調べきれませんでした。これ以上の調査は組織の内部に入り込まない限り難しいでしょう。でも獣人の僕は客として紛れ込むこともできない。だから、タケト。あなたに頼みたいんです」


 彼の金色の瞳が、まっすぐにタケトを見下ろしてくる。そして、カロンは手に持っていた紙の束を渡してきた。


 それは古い紙の束だった。どの紙にも、つたない文字がいっぱいに書き込まれている。


「これは、かつてその組織に捕らわれていた少年が、救出されたあとにそこで見聞きした悪事を覚えている限り書き綴ったものです。その少年はこのために、苦労して字を覚えました」


 タケトは手に持っていたワインボトルとトン吉をデスクに置くと、紙の束を受け取ってパラパラとページを捲った。しかし、最後のページに記されていたサインを目にして、手が止まる。


 つたない文字で書かれたそのサインは、『クリンストン・スクアート』


「……クリンストン。え……、それって」


 タケトの驚きの声に、カロンは頷いた。


「ええ。魔生物保護園のあのクリンストンです。あと、こちらは僕がやはり同時期に書いたものです」


 ついで渡された数枚の紙。そちらには几帳面そうな文字でぎっしりと書き込まれており、最後のところに『カロン・スクアート』とサインがあった。


「スクアートは、ヴァルヴァラ官長の家名です。僕たちは、あの施設から保護されたあと、官長の家の養子になりました」


「え……、ちょ、ごめん。頭がついていかない……」


 カロンの本名については、彼の『王の身代』に彫り込まれているのを見たことがあるので知ってはいた。


 でも、ヴァルヴァラ官長とクリンストンが同じ家名で、彼らが養子と養親の関係にあることはまったく知らなかった。


 そして、二人にそんな過去があったことも、この組織とオルロフ・ロッコについても、全て初耳だ。


 衝撃的な事実をいっきに告げられて混乱するタケトに、カロンは申し訳なさそうに言う。


「僕たちがいままで調べてきた、この組織とオルロフ・ロッコ。それに、ジズ事件については、僕がまとめた報告書がありますのであとですべてお見せします。ですから、どうか協力してほしいんです」


 そう言って、カロンはタケトに頭を下げた。そのことにも、タケトはさらに戸惑う。


「いや、だって。こいつは魔獣を密猟して売買してるやつなんだろ?」


「はい」


 顔を上げて頷くカロン。だったら、やることは決まっている。


「協力も何も。そういう奴らを捕まえて二度と犯罪行為ができないようにするのが、俺たちの仕事だろ?」


 そう当然のように言うタケトに、カロンは固くなっていた表情をわずかに緩めた。


「そうですね」


「だったら、行くよ。潜入調査でもなんでもやる。今度こそ、そいつらを取っ捕まえて牢屋にぶち込んでやろうぜ」


 タケトは手の中にある、少年だったころのクリンストンとカロンが書いた報告の数々に目を落とした。つたないが一生懸命書かれた文字。そこから感じられる強い想い。彼らから託されたその想いを、無駄にしたくない。


 タケトの言葉に、カロンが小さく笑う。


「ええ。今度こそ」


 静かだが確固たる強い意志がにじむ声だった。


 そのとき、デスクの上のトン吉がタケトに両前脚をついて身を乗り出してくる。


「吾輩も行くであります」


「え、でも。お前は目立つからって……」


「なら、吾輩、ずっと精霊銃の中に入ってるであります。そしたら、ご主人もその銃をずっと手元に持っていられるでありますよね?」


「……精霊銃の中に戻るのは、嫌だったんじゃないのか?」


 トン吉は精霊銃の中は暗くて孤独で怖いからといって、いままで戻ることを極端に嫌がっていた。時折、精霊の力を大量に使ったり複雑な操作をするときは戻ることもあったが、用が済めばすぐに外へと出て来てしまう。


 精霊銃の外にいると銃から精霊の力を吸収しづらいため疲れやすく寝てばかりになるが、それでも頑なに中に戻ることは拒否していたのに。


「吾輩、ご主人と離れて留守番している方がもっと嫌であります」


 置いて行かれそうになっている子どものように、トン吉は必死な様子で食い下がってくる。なんだかその姿がいじらしくて。タケトは、トン吉の小さな頭を手の平で包むようにして優しく撫でた。


「わかったよ。お前が精霊銃の中に入ってるっていうんなら、銃ごとお前もつれていくよ」


「ほんとでありますか!?」


 嬉しそうに短い尻尾をしきりに振るトン吉。


「良かったね、トンちゃん」


 シャンテにそう言われて、トン吉は弾んだ声で「あいっ」と答えた。


「さて、話は決まったところで。問題はどうやってそのオークションに潜入するか、なんだが」


 官長の話によると、肝心の潜入方法がまだ決まっていなかったので、そこも含めてタケトと相談したいとのことだった。


 オークションまで、残り一ヶ月。移動時間も入れると、あまり時間的余裕は無い。さらに次のオークションはいつになるかわからないので、出来れば直近のものに潜入したい。


「だったら俺も、ちょっと心当たりをあたってみます」


 タケトはデスクに置いたワインのボトルを手に取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る