第104話 箱船


 洞窟に居た水軍兵たちとともに港へたどり着いたシャンテとブリジッタだったが、数時間前に自分たちが港を経ったときとは様子が一変していた。


 既に二艘のガレオン船は港を出てしまっていた。

 残る一艘はシャンテたちが乗ってきたあのイカダつきの船だ。その一艘が接している桟橋の上で、沢山の人々がもみ合っていた。


 この位置からもタウロス山を下ってくる赤く不気味な溶岩の流れが幾筋も見えた。人々は一刻も早く船で避難したがっているが、ガレオン船にはこれ以上乗れない。


 だったら後ろのイカダに乗せろと人々は主張しているようだったが、水軍兵たちが頑としてそれを拒んでいた。

 あのイカダはレイキを乗せるために運んできたモノ。しかし、レイキは自らの意思でこの島に残ることを選んだ。


 あんな小山ほどもある巨大な亀を、無理矢理連れてくることなど到底出来ない。

 事情は変わったのだ。あのイカダのところに人々を乗せれば島に残る全員を乗せることができるだろう。


 それを船長たち船に残った水軍の人たちに伝えに行きたいのに、群がる人々が障害となって船に近寄ることができない。押し合いへしあい、桟橋から落っこちそうになっている人もいる。


「ちょ、ちょっと、あなたたち。どきなさい! 心配しなくても、乗れますわよ! だから落ち着いて!」


 ブリジッタが声をはりあげるが、冷静さを失った人々の耳には入っていかないようだ。

 シャンテが人を掻き分けて船の方へ近寄ろうとするが、


「きゃっ」


 すぐに弾き出されてしまった。


「どうしよう……」


 早くしないといけないのに、焦りばかり募る。


「ほらっ! どけよ! この人は、王宮の人たちだ!」

「みんな落ち着け! 船には全員乗れるって言ってんだろ!」


 見かねて一緒に来た水軍兵たちも声をかけてくれたが、溶岩が迫りパニックになりつつある人たちの耳になど届かない。


 もう誰もこの場の統制などできる者はいなくなっていた。

 このままじゃ暴動にまで発展しかねない。


 こうなったら、無理矢理にでも話を聞かせるしかない。


「ブリジッタ。いいよね」


 小声で一応ブリジッタに了解をとるシャンテ。

 ブリジッタもすぐにシャンテのしようとしていることを理解する。


「あ、ええ。もう、やっちゃいなさい!」

「うん。やっちゃう!」


 シャンテは群衆から少し離れると、彼らに手を向けて、唱えた。


『大気の精霊よ。彼らに雷神の鉄槌を』


 声とともに、桟橋の上空にバリバリバリと一筋の稲光が走る。そこからズドンと群衆たちの上に幾筋もの雷が落ちた。

 直撃した人々がバタバタと膝を突き、しゃがみ込む。


 幸い、桟橋から海に落下した人はいないようだ。

 一応、桟橋の縁にいる人たちには当てないようにしたのが功を奏したらしい。もっとも、もし落ちたとしても、泳ぎの達者な水軍兵たちにすぐに助けてもらえただろうけど。


「うわぁ……結構、思い切ってやりましたわね」


 と、ブリジッタ。


「うん。だって、時間ないんだもん。早く話し聞いてもらわなくちゃ」


 シャンテは掲げていた手を下ろす。

 突然襲ってきた雷に、パニックになりつつあった桟橋の人たちは静かになっていた。というか、事態が急展開しすぎて頭がついていかず、呆然となったといった方がいいかもしれない。


 そこに、シャンテは空気をいっぱい吸い込むと手をメガホンの形にして、大きな声を出す。


「みなさーん! 聞いてください! 全員乗れるだけの余裕があります! 船長さん! 事情が変わりました! イカダの方まで人を乗せちゃって大丈夫です! それから!」


 シャンテが息継ぎのために言葉を句切ったとき、黙って呆然とした様子でシャンテの話をきいていた人々が再びザワザワと騒ぎ出した。彼らは一様に港の方へ目を向け、何かを指さしている人もいる。


「来ましたわね」


 と、ブリジッタも港を見ながらシャンテに呟く。


「うん。やっぱり、ちゃんと来るんだね」


 いつの間にか港の建物の路地に、数頭のシカの群れがいた。


「あ、あれ!」

「あそこにも!」


 人々が叫ぶ。

 シカだけではない。

 サルやイノシシ、ウサギ、クマ、などの動物たちが路地から姿を現す。

 それに、桟橋の欄干らんかんにはトカゲが何匹も登り、港の縁石にはヘビやリクガメたち。

 家々の屋根には、小鳥もいた。


 みな、一声も発さず、こちらをジッと静かに見つめてくる。


 よく見ると、クマの体毛にはうっすらと白いモノが混じっていて年老いている様子が窺えた。

 ウサギは小さな子ウサギを沢山抱えていて、小鳥はまだ羽根が生えそろったばかりの若鳥のようだった。


 どれも自力で島の反対側まで逃げることが出来ず、逃げそびれてしまった生き物たち。


「やぁ。信じられないが……動物たちも、このまま島に居たらまずいことはわかってるんだな」


 人々を掻き分けてシャンテたちの元にやってきたグラッパ船長が驚いた声をあげた。

 その船長に、シャンテはすかさず頼む。


「船長さん。あの動物たちも乗せられるだけ乗せてください」

「え……えええっ!? 今、何て」


 シャンテの言葉に、船長は目を丸くする。

 しかしシャンテはなおも言い募った。


「シカもクマも、ウサギもトカゲも、虫も鳥も。ここに逃げてきたものは、全て船にのせてください」


「元々、魔獣レイキを乗せるためのイカダ。ここにいる人全てを乗せても、まだかなりの余裕があるはずではなくって?」


 と、ブリジッタも隣で援護する。


「で、でも。人と野生動物たちを一緒に乗せろって!?」


 それでも船長はまだ迷っているようだった。その気持ちはわかる。これだけ人が混雑しているところに動物まで乗せるのは不安だろう。動物が人間を襲わないとも限らない。

 彼の心配していることがわかるからこそ、シャンテはあえてそのことを口にした。


「船長さんのご不安はわかります。でも、動物たちは、どうやってかわかりませんが、レイキの指示でここに来ているはず。たぶん、人間を襲うことはないと思います」


「たぶん、って……」


「じゃあ、嫌な人はここの島に残ればいいんではなくって? なんなら、ワラワが石にして積み込んでさしあげましょうか?」


 にっこりとブリジッタは微笑んだ。最悪、そういう方法も採らざるをえないかもしれないが、できるなら同意のもと、すべてを乗せたい。


 もう時間の猶予はなかった。


 この港からも、山を下って迫ってくる溶岩の尾が幾筋も見える。さっきから肌にちりちりと暑さを感じるのは、人が多いためだけではない。

 赤黒い溶岩流の帯が空気までも焼こうとしている。


「タケトの話だと、レイキは島の半分には噴煙も溶岩もいかないようにしているということでした。動物たちはそっち側に移すだけでいいんです」


 なおも食い下がるシャンテ。

 その真っ直ぐな瞳に見つめられて、船長はウグッと押し黙った。

 そして、迫り来る溶岩流と、集まってきた生き物たちと、それに目の前のシャンテを見比べたあと。


「……ったく。俺たちはあんたらの指示に従うように言われてるんだ。この期に及んで異を唱えるわけにはいかないだろ」


 渋々ではあったが彼の口を突いて出た言葉に、シャンテはパッと顔を輝かす。

 その笑みに釣られたように船長も口端をあげて笑った。


「いいだろう。今日だけは、この船は乗りたいヤツ全てに解放するとしよう。さあ、みんな作業に取りかかるぞ! 溶岩はすぐそこまで迫ってる! 一匹たりと、置いていくことのないようにな!」


 水軍兵たちは、おー!と揃えて声を上げる。

 前代未聞の全島避難が始まった。


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