第80話 食堂の食事


 トン吉を湯の張られたタライで洗ったら、あっという間にタライの水が茶色くなった。タケトもあてがわれたテントの中で湯を使って頭と手足を洗い、濡らしたタオルで身体を拭く。乾いた衣服に着替えると、こざっぱりした。


 食堂に戻ってみれば、作業から帰ってきた沢山の作業員たちで賑わっている。ちょうど、夕飯の時間のようだ。


 こういう人の多い場所では、トン吉がちょこまか歩くと周りの迷惑になりそう……というかトン吉を誰かに踏まれないかと不安になってしまう。そのため、トン吉は頭に乗せておいた。


「シャンテたち、どこかな」


 キョロキョロと探すタケトの頭にしがみついて、トン吉はクンクンと空気の匂いを嗅ぐ。


「美味しそうな匂いがするであります!」


「あんまり身を乗り出すなよ? 落ちるぞ。あ、シャンテたち、あそこだ」


 厨房近くの席にシャンテたちの姿をみつけた。そちらに手を振ると、シャンテもこちらに気付いて明るく手を振り返してくれる。行き交う作業員たちの間を縫って、なんとかそのテーブルの傍へと行った。


 テーブルには既に、様々な大皿料理が並べられている。


「先に食べてても良かったのに」


 席に着くと、トン吉をテーブルの上に下ろす。マナーや衛生的にテーブルの上に魔獣を乗せるのはどうかとも気にはなったが、特に誰からも注意されることはなかった。この世界では、あまりそういうことに煩くないようだ。


「ちょうど運ばれてきたとこですのよ。それじゃ、タケトも来たことですし。乾杯ー!」


 ブリジッタの声に合わせて、みんなで「乾杯!」と手元の木カップを合わせる。

 ガラスのコップのように良い音はでないが、それでもコツコツと音が鳴る。


 わざと音を立てるのは、こうやって悪い気を追い払うマジナイ的な意味があるらしい。


 中に入っているものは、一口飲んでみるとわずかな甘みと酸味がある薄いアルコールだった。木のカップなので色はよくわからないけれど、味からするとワインかな。

 カロンはすぐに一杯飲み終えてしまい、早速ワインボトルから二杯目を注いでいる。


 大皿にはマッシュポテトみたいなのと、茹でた根菜類。それに黒パンが盛られている。それぞれが自分の皿へ取り分けるスタイルだ。


 周りの人の食べ方をみると、どうやら根菜にマッシュポテトをディップして食べるらしい。タケトも真似して食べてみる。


「あ、これ美味うまい。かなり好きかも」


 マッシュポテトみたいなやつには、溶けたチーズが練り込まれていてコクがある。ちょっとの量でもお腹いっぱいになりそうだ。


「トンちゃんも、これ好き?」


「あい! 大好きであります!」


 トン吉はペタンとお尻で座ると、器用に蹄の両前脚で茹でたカブを抱えてハグハグ食らいついている。


「その、黄色いのもっと欲しいです」


 マッシュポテトの大皿を見ながら貧相な尻尾をフリフリした。


「あいよ」


 タケトは自分のスプーンで取り分けて、マッシュポテトをトン吉のカブの上にのせてやる。


「ありがとであります!」


 嬉しそうに無心に食べているが、顔がすぐにマッシュポテトだらけになっていた。


「こんど、お前用の皿、買ってこないとな」


「お食事用のエプロンもあった方がいいかもね。トンちゃんの大きさに合わせて、作ってあげようか。はい、これもどうぞ」


 カブを食べ終わったトン吉に、シャンテはニンジンを渡す。


「ああ、たしかに。エプロンないと、食事の度に洗わなきゃいけなくなりそう」


「それに、そうでもしないとうっかり料理と間違えてしまいそうですもんね」


 と、これは三杯目のワインカップを傾けるカロン。相変わらずよく飲むヤツ。すました表情でそういうこと言うと、冗談なのか本気なのかよくわからない。


「ところで。確認しておきますけど。ソチたちの試みは、どれも上手くいかなかったんですのね?」


 ブリジッタが口元をハンカチで拭きながら、雑談から仕事の話へと方向を変える。ブリジッタは身体が小さいためかとても小食なので、もう食事は終わりのようだ。

 タケトは囓ったパンをモグモグさせながら頷いた。


「網もダメ、麻酔も全然効かないし」


「どれも効果ないってことがわかったくらいしか収穫ありませんでしたね」


 と、カロン。雨が降り出すまで色々と考えられる手段は試してみたのだ。けれど、うまくいったものは何ひとつない。


 ホッジに頼んで、もう一度命令権を付与しなおす手続きもやってみてもらったけれど、やはりホッジの命令に従う素振りも一切なかった。


「ホッジという現場監督は三ヶ月前に就任したばかりなのでしょう? そして、あのゴーレムが動かなくなったのもそれから少ししてから。再び動き出したのが二週間前。ということはほんのわずかな間しか、あのゴーレムがホッジの命令を聞いていた期間はないってことですわよね」


「ん? うん。そう、なるかな……」


「前任者のチェペットという人の命令なら、聞くのかもしれないですわね。といっても、故人を呼び出すわけにもいかないですけれど」


 両手でカップを包み込むようにして持ちながら、はぁっとブリジッタは嘆息を漏らした。


「え? 故人、って?」


「ああ、タケトにはまだ話していませんでしたわね。先にここで休んでいたときに、食堂の方から聞いたのだけれど」


 ブリジッタは食堂の女将さんから聞いたチェペットのことをタケトにも話してきかせた。


「へぇ……そんなことがあったんだな。元はそのチェペットって人の元で働いてたのか、あのゴーレム」


 と根菜をモソモソ食べていたら、タケトたちのテーブルに声をかけるものがあった。


「ああ、嬢ちゃん。こんなとこにいたのか。さっきはすまなかったな」


 声をかけてきたのは日に焼けた顔をした作業員の男だった。彼の視線は静かにワインを飲んでいたブリジッタに向けられている。


「さっきちょっと、お嬢ちゃんにぶつかっちまってな」


 作業員の男は、タケトたちの「どちらさま?」という視線に、照れくさそうに頭を掻いた。


「いえ。お気になさらないでくださいな」


 当のブリジッタは気にした様子もなくフフと笑みを返していたが、目の前にいきなりドンと小皿が置かれたので目を丸くした。


「これ、オイラんとこの地元でよく採れるやつなんだ。この前地元に帰ったときにもらってきた。お詫びに食べてくれ」


 小皿の上には、ドライフルーツらしきものが盛られている。試しに横からタケトが一つ手に取って囓ってみると、濃厚な甘さが口の中に広がった。ナツメヤシや干し柿に近い味だ。


「美味いよこれ。すごい甘い」


「な? 気に入ってくれたら嬉しいよ。じゃ」


「ああっ、ちょっと待って」


 去っていこうとする作業員の男の腕を、タケトは掴んで引き留める。男は、怪訝そうに足を止めた。


 タケトはまだ、男の腕を掴んだまま口の中に含んだドライフルーツをモグモグさせる。急いで飲み込もうとしたので、喉に詰まってむせそうになった。すぐにシャンテがワインのカップを渡してくれたので、それで無理矢理流し込む。


「あー。死ぬかと思った」


「……騒がしいやつだな、兄ちゃん。で、まだ何か用か?」


「うん。あのさ」


 男の腕を掴んだままだったことに今さら気付いて、「ああ、ごめん」と手を離す。きっかけは何にしろ、せっかく話す機会ができたのだ。ついでに情報収集もさせてほしい。


「あの問題になってるゴーレムのことで、知ってることがあったら何でもいいから教えてほしいんだ。あ、チェペットさんっていう人のことでもいい」


「うーん」


 男は腕を組んで唸る。


「知ってることねぇ。俺もチェペットじいさんとは何度か言葉交わしたことがあるくらいで、さほど知ってるわけじゃねぇが。噂のことなら知ってるぜ」


「噂?」


 男は「ああ」と頷くと、ちょっと神妙な表情になった。


「あのゴーレム。あれにゃ、チェペットじいさんの霊が宿ってるんじゃないか、っていう話よ」


「霊とは、またオカルトじみてきましたね」


 とカロンがいうので、男は、


「あ、信じてねぇだろ。でも、あのゴーレムは元々チェペットじいさんと共にこの運河現場にやってきた個体の一つで、長年使い続けてきたやつなんだってよ?」


 それはタケトたちも初耳だ。しかし、驚くのはこれで終わりではなかった。男は、ぐっと声のトーンを落として話を続ける。


「んでもって、あのゴーレムはチェペットじいさんが死んだとき唯一そばにいたんだよ。じいさんは、何が原因か知らんが、死ぬ直前まで工事責任者のベネシスと揉めてた。じいさんが何か言いながらベネシスに詰め寄るのをオイラも見たことがあるしよ? だから、その時の恨みで、じいさんは死んだ後もあのゴーレムに乗り移って工事の邪魔してるんじゃないか、って話さ」


 なんだか話は意外な方向に進み出していた。

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