第72話 トン吉

 母屋に行くとシャンテが朝ご飯の準備をしてくれているところだった。


「あ、今、起こしに行こうと思ってたとこ……きゃっーーーーー!!!!!」


 黄色い歓声があがった。タケトを見たからではない。タケトの頭の上にしがみついている子豚みたいなモノを見たからだ。

 姿形はカワイイといえなくもないので、シャンテには受けたみたいだ。


 朝ご飯を食べながらタケトは彼女にこの豚みたいな魔獣について知っていることを説明した。当の子豚は、床に置かれた深皿にシャンテが入れてくれた昨晩の残りもののシチューを、ガツガツと夢中で食べている。そういう仕草はどこからどう見ても、豚そのものだ。


「そんなことがあったんだね」


 シャンテはシチューにちぎったパンを浸して食べながら、面白そうに子豚を眺める。


「でも、その銃の中に住んでいるんなら、追い出すわけにもいかないんじゃない?」


「そうなんだよな……それが本当だとすると、いままで姿を現さなかっただけでずっとここにいたわけだしさ。分離する方法もさっぱりわかんないし」


 そもそも『封印』されたものを解放してしまったら何か悪いことが起きそうで、迂闊にそんなこともできない。なにより、この豚が何もので、なぜ封印されていたのかすらわからない。精霊を供給し続けたら、やがて力を取り戻して封印が解けてしまうんじゃないかとか、心配なことをあげたらキリはない。もう、この銃は使わない方がいいのかもしれない……そんな考えすら浮かんでくる。


「どうすりゃいいんだろうなぁ。こういうことって、誰に相談すればいいのかよくわかんねぇし」


 近所の牧場で買ってきたミルクの注がれたカップを片手に、タケトは唸る。しかし、唸っても結論は出てこない。


「どうするか決まるまでは、その銃は持っておくんでしょ? じゃあ、子豚くんもしばらく一緒だね。だったら名前つけてあげたらいいんじゃないかな!」


 シャンテは、素晴らしい思いつきだというように胸の前で手を合わせて楽しそうだ。当の子豚は、シチューだらけにした顔をあげて、ビックリしたような目でシャンテを見つめた。


「……豚でいいんじゃないのか」


「えー。どうせならもうちょっと、可愛いのつけてあげようよ。何がいいかなぁ……そうだ! ちょっと毛色が赤茶色っぽいから、ルビーちゃんとかどう?」


 そんなキラキラした名前で呼ぶの恥ずかしいから嫌だなぁ、ということでアレコレ意見を出し合った挙句、子豚の名前は『トン吉』に決まった。


「じゃあ、君はトン吉くんね」


 そう言ってシャンテがトン吉を抱き上げたときも、子豚はつぶらな黒目をまん丸く開いて、シャンテとタケトのことを交互に見比べていた。






 トン吉はなぜかタケトの頭の上が気に入ったようなので、頭にしがみつかせたまま魔獣密猟取締官事務所に出勤したら、珍しく登城していたクリンストンに出くわした。案の定クリンストンはトン吉に興味津々で、


「え! なんすか、これ! ちょっと見せてもらっていいっすか!?」


 と早速トン吉を抱き上げると、ひっくり返したり口の中を開けさせて中を覗いたりしだす。


「ご、ご主人~! たふけへ~」


 トン吉は情けない声を出していたが、無視してそのままクリンストンに調べてもらうことにした。しかし、トン吉はクリンストンの手からすり抜けると、タタタッと駆けてタケトの背中をかけのぼり、結局タケトの肩の上に戻ってきてしまった。

 プルプル小刻みに震えている。ちょっと、可哀想なことをしたかな。


「あいつは怖いヤツじゃないって。同僚だし」


「それは……知ってるであります。精霊銃の中から時々見てた景色の中で、見かけたことあるですから……でも、身体触られるのは嫌なのであります」


 というわけで、残念ながらクリンストンに預けて調べてもらうのは断念した。

 ただ、魔獣について博識なクリンストンですら、この魔獣が何なのか思い当たるものはないそうで彼はしきりに首を傾げていた。


「なんなんすかね、この魔獣。いままで実物でも文献でも、こんな魔獣見たことないっす。魔獣をモノの中に封印する技術自体は古い文献で見たことがあるっすが……でも……」


「でも……?」


 タケトが聞き返すと、クリンストンはブンブンと首を横にふる。


「いや……なんでも、ないっす。意思の疎通も取れているようだし、今のところ差し迫った危険があるようには見えないっす。……ただ、魔獣を封印する技術は現代ではもう失われた技術なんっす。だから、もし本当に封印されていたとしたら、ものすごく昔っすよ。もしかしたら千年くらい経ってるのかも」


 と何やら気になることを言われたが、この段階ではそれ以上のことはわからなかった。


「クリンストンがわからないんだったら、この国にこいつの正体がわかるやつはいなさそうだよな」


「俺の方でも、調べておくっす。もしかしたら、古い文献のどこかに出ているかもしれないっすから」


「うん。頼んだ」


 そんなやりとりを交わしたあと、官長には「なんだ、また魔獣が増えたのか?」と言われ、ブリジッタには「なんですの、この性格悪そうな目つきをした子豚」とつつかれてトン吉は怯えてプルプルしてるし、カロンに至っては「今晩の食材ですか? それ」と普通に勘違いされた。


 しかし、誰に聞いても、この精霊銃にそんなものが封じられていた話は聞いた覚えがないとのことだった。


(そうだよな。武器庫の隅っこでホコリかぶってたもんな、これ。そんな伝承とか言い伝えとかが現在にまで伝わってたら、そんな扱いされてるはずないもんな)


 どうしたもんかな、この子豚風の何か……とタケトは未だにその扱いに迷ってどうすべきなのか決めかねていたのだが、当のトン吉はブリジッタにこつき回されたあと、避難したシャンテの膝の上で丸くなって寝てしまった。そうやって寝ている姿は、ちょっと変わった姿をした子豚にしか見えない。

 ソファに座って寝ているトン吉の背を撫でていたら、


「さて。全員揃ったところで、ちょっと相談したいことがあるんだが」


 と、官長が言うので皆、官長のデスクの周りに集まった。シャンテもトン吉を起こさないようにソファの上にそっと寝かせると一緒に顔を出す。

 官長のデスクに置かれた紙の束を、カロンが手に取ってペラペラと捲った。


「これは……? 何かの記録簿のようですが」


「日誌だよ。ミームという地方で国家事業として運河の開発が進められているのは耳にしたことがあるだろう」


「運河?」


 他の皆は常識として知っているようだったが、まだこの国の地理知識が浅いタケトは初めて耳にする話だった。


「運河の開発自体はあちこちで進んでいますわ。小さいものから長期計画で行う大規模のものまで。その中でも、このミーム地方の運河事業は、おそらく最大規模のものではないかしら。二つの大河を繋ぐ一大事業なんですのよ」


 と、ブリジッタが説明してくれた。そのあとを官長が繋ぐ。


「そう。そのミーム運河事業なんだがな。ここには、王国が所有しているゴーレムが何体も投入されているんだ。しかし二週間前。そのうちの一体が、突然暴れだしたそうだ。いま、その付近は誰も近づけない状態らしい。このままじゃ工事が進められないから、どうにかしてほしいっていう開発大臣直々の相談なんだ」




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