第54話 タケトに彼氏?(呆れブリジッタ談)


「タケト……に、彼氏……?」


 何度も無限ループのように繰り返されるその呟き。


「あ、いや。あの、シャンテ? まだそうと、決まったわけじゃ」


 ふらっと倒れそうになったシャンテを小さな身体で支えながら、ブリジッタは官長にタケトのことを教えてくれた礼を述べる。官長は怪訝そうな顔をしながらも、用事があるからと去って行った。


「タケトに……彼氏……彼女じゃなくて、彼氏……」


 シャンテはまだ、ブツブツ言っている。いや、うん。ショックなのはわかるけれど、そのあたりはもう憶測でどうこう考えるよりも、直接本人に聞いた方がいいんじゃないかしら、とブリジッタは思う。しかし、いくら同僚とはいえカミングアウトを迫るわけにもいかない。どうしたものかなと考えていたら、シャンテがむくっと顔を上げて。


「ブリジッタ。私、タケトに聞いてみる」


 両手を胸の前でぎゅっと握ると決意に満ちた目で言ったので、ブリジッタはもう頷くしかなかった。


「わ、わかったわ。相手が騎士団にいるとしたら、カロンが何か知っているかもしれないから。ちょうどいいから聞いてみましょう」


 カロンも騎士団に所属しているので、男性寮で暮らしている。男性寮も同じ敷地内にあるので、とりあえずそちらへと行ってみることにした。


 カロンの部屋の位置は、以前、彼が仕事で負傷し寝込んでいたときに日用品などを届けに行ったことがあるので知っている。

 カロンの部屋の前でブリジッタがノックしようと手をあげたとき、中から何か笑い合う声が聞こえてきた。カロンの声と、もう一人。タケトの声だ。


「え……タケト?」


 思わず声をあげてしまったシャンテに、ブリジッタはシッと口元に指を立てて静かにするように伝える。シャンテも両手を口に当ててコクンと頷くと、二人でドアに耳をつけて室内の音に聞き耳をたてた。


『お前、ほんと欲しそうな顔してんな。いたっ……そんながっつくなよ。慌てなくても、欲しいだけあげるから』


 そんなタケトの声が聞こえてきた。

 それを聞いて口を押えたままのシャンテの顔が、赤くなっている。


 ちょっと待って。ちょっと待って。どういうこと? あの二人って、そういう関係だったの!? でも、二人でこそこそと会ってるなんて、そうとしか考えられないし。……まさか、カロンとタケトがそんな関係だったなんて想定外でしたわ。だけど、ショック以上に、刺激的よね……なんて考えていたら急に身体がグラッと揺れた。


 聞き耳をたてるために凭れていたドアが、急に内側に開いたからだ。

 シャンテとブリジッタは勢い余ってカロンの部屋に倒れ込んだ。


「……さっきから、そんなところで何をしているんですか?」


 いつもの軍服とは違う。ラフな綿シャツを着たカロンが、二人を呆れた顔で見下ろしていた。


「え、えっと……その、ちょっとタケトを探してましたのよ」


 耳の良いカロンには、二人がドアの外で聞き耳を立てていたことがお見通しだったようだ。ブリジッタは気まずさを誤魔化すためにドレスの埃を叩きながら、さもここにいるのが当然とでもいうように毅然とした態度で立ちあがる。


 そう広くないワンルームなので、すぐに部屋中が一瞥できた。この寮標準のベッドと机が置かれた角部屋。壁際に置かれた丸椅子に腰を下ろしたタケトが、きょとんとした顔をしてこちらを見ていた。タケトも、想像とは違って服はしっかり着ている。


「え……俺を?」


 タケトの手には、ナイフと一部が切り取られたリンゴが握られていた。彼の横には壁に掛けられたハンガー。そこにカロンのコウモリたちが仲良く五匹、逆さまにぶら下がっていた。


「なんか、急ぎの用事?」


 のほほんとそんなことを言いながら、タケトはリンゴをナイフで小さく切り取ると壁際にぶら下がっているコウモリの一匹に渡す。コウモリは小さな手で器用にリンゴの欠片を受け取ると、両手で掴んでシャクシャクと小気味良い音を立てながら食べ始めた。そのリンゴを隣にぶら下がっていたコウモリが奪おうとして手を伸ばしたため、リンゴを持っていた方がギャッと威嚇の声をあげて二匹でケンカになりそうになる。


「こらこら。ケンカすんなって。ちゃんと全員にあげるから」


 そう言ってもう一匹にリンゴを切って渡すタケトの目尻は、これ以上下がりようがないだろというほど下がっている。


「かわいいよな~。カロンとこのコウモリたち」


 とろんと溶けそうな瞳でコウモリたちを眺めるタケトに、シャンテは怖々といった様子で尋ねた。


「もしかして……最近、タケト、私に言わずにこっそりいなくなってたの……この子たちのところに行ってたの?」


 その問いにタケトは「ん?」と首を傾げたあと、何かに合点がいったように「ああ。うん。そうそう」と頷いた。


「報告書書くのに飽きちゃって。気分転換がてら、今日はカロンのコウモリたちに会いに来たんだ。ほかにも最近は、王宮の裏の衛兵の厩舎に馬を見に行ったり、伝書鳩眺めてたり、牧場のヒツジ触らせてもらいに行ったりとか。……ごめん。短い時間だから、わざわざシャンテに言うほどでもないかなって、思って……。もしかして、心配かけちゃった……?」


 なんて悪びれもせず言うので、ブリジッタとシャンテは安堵とも落胆ともとれない大きなため息をついたのだった。


「ああ、まったく。心配して損しましたわ! そもそもこの鹿に、人間の ができるなんて考えたワラワが愚かだったんですわ!」


 なんて憤るブリジッタだったが、シャンテはどこか晴れ晴れとした顔でクスクスと笑うと、タケトのそばに行って二人でお喋りをはじめた。

 タケトとシャンテが楽しそうにコウモリたちに餌をあげるのを眺めていると、ブリジッタの顔にもいつの間にか小さな笑みが浮かぶ。

 彼らの様子は、どこをどう見ても仲睦まじそうで微笑ましい。


「あの二人は、あれでどうしてくっつかないのかしらね」


 一つ屋根の下に暮らしているうえにあんなに仲よさそうなのだから、とっくに男女の仲になっていてよさそうなものなのに。不思議なことに、いつまでたっても同僚以上恋人未満な関係のまま、あの二人は止まっているらしいのだ。


「あれは、両片思いってやつなんじゃないですかね」


 なんて隣で二人を眺めているカロンが言うので、ブリジッタは意外なものを見る目でカロンを見上げる。


「両片思い?」


「お互い相手のことが好きなのに、相手の気持ちに気付いていなくて、両思いだってことをわかっていない状態のことです。でも、いまの良い関係を崩したくなくて告白できないから、いつまでも平行線のままっていう」


「なによ。随分、男女のことに詳しそうですわね?」


「さあ。どうですかね?」


 なんて、しれっとカロンは返してきた。この男も、長い付き合いの割には私生活が謎なのよね……とブリジッタは思うが、いまは突っ込まないでおくことにした。とにかく。シャンテの心配が杞憂に終わったことに、ブリジッタもほっと胸をなで下ろす。


「ったく。早くくっついちゃいなさいよ」


 ハタから見ているとじれったくてならないが、当のタケトたちは仲よさそうにコウモリと触れあっているのだった。

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