第34話 気づいて!


(砂クジラが口を開けたら、ウルに攻撃されてしまう。どうしよう。ってか……いま、シャンテたちはどこにいるんだろう)


 砂クジラの上から見下ろしてみても、雨脚が強すぎて地表が煙り、ウルの姿を見つけ出すことができない。ここからの景色はまるで、霧の海を巨大な船で航海しているかのようだ。


 と、そのとき。ふいに、雨が弱まった。今までの叩きつけるような密度の濃い雨が急に薄れ、嘘のようにさっと止んでしまった。


「え?」


 偶然雨が止んだことで、視界がいっきに晴れる。砂クジラの上から周囲の景色が全方向に見渡せるようになった。そして、彼らの少し前方の地面。砂クジラの口の真横で併走している黒い点を見つけた。ウルだ。


「ウル!!!」


 タケトは思わずケルピーから身を乗り出して手を振るが、ウルが気づいた様子はなかった。そうこうしている間に、どんどん砂クジラの口は開いていく。一方、ウルの口元に紅い炎の揺らめきが見えた気がした。


(やばい、業火で砂クジラを焼こうとしてる!)


 ウルの背中の上にはシャンテらしき姿も見えるが、声を張り上げて呼んでみても届いている気配はなかった。さらに。


『人間よ。もうすぐ着くぞ』


 鋭いケルピーの声にタケトはウルから視線を引き剥がし、砂クジラの背中に戻した。もうあの赤い装置はすぐ目の前に迫っていた。ソレはテラテラと怪しく紅く光っている。


 突如、その装置の周りに、いや、砂クジラの背中のいたるところに、カゲロウのようなモノがゆらりといくつも浮かびあがった。カゲロウはすぐに水のような実態を持ち始める。それらは、ゆらゆらと人の背丈の倍ほどに伸び上がったかと思うと、そのうちの一つがまるで水鉄砲のように細く鋭いジェット水流となってタケトたちに襲いかかった。ケルピーは華麗に跳躍して避けるが、着地したところにさらなる水流が襲いかかる。それもなんとか避けながら、ケルピーは再び砂クジラの背骨を離れて側面へと避難した。


 再び不安定になった体勢でタケトはケルピーの首にしがみついていた。そして、さっきの雨は偶然止んだわけではないことに気づく。おそらく、攻撃方法を変えたのだ。天候を操って激しい雨で広範囲に邪魔者を排除する方法から、個別に撃破する方法に。砂クジラは暴走しながらも、その一方で本能なのか、身体にまとわりつく邪魔者を排除しようとしているようだった。


 ケルピーは砂クジラの側面を駆けて、あのカゲロウたちに追い立てられるようにして砂クジラの開きかけている口の上を半分ほど駆け上った。目がくらむほどの高さだ。

 もしここでウルが攻撃をしかけて砂クジラがもだえでもすれば、あっという間に投げ出されてしまうだろう。


 そして、その場所に来て初めて気づく。

 この砂クジラの進行方向に、小さくだが緑の一帯が見えた。おそらくあれがオアシスだろう。もう、あまり距離がない。


 砂クジラの上のカゲロウたちも次々に襲ってくる。下方ではウルが攻撃のタイミングを狙っている。


(どうする。どうすれば)


 考えてたって、仕方がない。もう一刻の猶予も無かった。一つでも判断を間違えば最悪の事態を迎えそうだ。でも、何も選択せずに終わってしまうのは何より嫌だった。それならば、やれそうなことは何でも試してみるしかない。


 タケトはそう心に決めると、精霊銃の回転式弾倉を開いて回転させた。そして水の精霊の入った魔石弾をガチャッと装填する。

 タケトはケルピーの首に掴まったまま、下方のウルに向けて精霊銃の引き金を引いた。






 一方、シャンテたち。

 ウルはそれまでにも何度も、砂クジラと併走しながら、その腹部にむかって業火を浴びせていた。しかし皮膚の色はが若干変化するだけで、ダメージを与えている様子は無い。砂クジラはあまりに巨大すぎたのだ。

 こうなったらカロンに言われたように、砂クジラの口内に業火を放つしかない。


「ウル……ごめんね。ごめんね……でも、お願い。止めなきゃ。沢山、人が死んじゃうの。頑張って、ウル」


 ここで彼らが砂クジラを食い止めることができなければ、甚大な被害がでることは確実だった。


 そのとき、砂クジラの前方部分に大きな切れ目が入って、その上部が次第に持ち上がりはじめる。雨で煙ってはっきりとは見えなかったが、かすんだ向こうに見える大きな影が口を開けようとしているように見えた。


 シャンテはウルにしがみついてそれを眺めながら、心を決めた。


「ウル。あの口がもっと大きく開いたら、あの中に入ろう。そして、放てるだけの業火を放って。お願い」


 シャンテは優しくウルの首の毛を撫でる。

 口内に入ればシャンテとウルにも危険が及ぶに違いないが、今この砂クジラを止められるのはもう自分たちしかいない。

 シャンテの指示に従って、ウルが唸りはじめる。


 グルルルルルルルルルルルルルルル


 低く唸るとともにウルの口内に業火の球が生まれ、それはどんどん大きくなっていく。


 そのとき不意に雨が止んだ。それにより視界が開け、おぼろげなシルエットしかみえなかった砂クジラの巨体がシャンテの目にも入る。

 シャンテは振り落とされないよう、ウルの毛を掴む手にぎゅっと力を込めた。


「行こう、ウル」


 開いた口の中にウルが飛び込もうと僅かに前掲姿勢を取ったとき、その頭上からバラバラと水が降ってきた。雨とは違う、パサッとかかるシャワーのような水。

 シャンテは反射的に上を向いた。

 砂クジラの頭部が目に入る。その高く掲げられた口の上に何か揺らめくモノが見えた。


 目を凝らしてみる。それは人のような……。


「タケト……!?」


 遠すぎてはっきりとはわからないのに、なぜかその人影をタケトだとシャンテは確信した。ずっと後方でウルから落ちたはずのタケトが、なぜそこにいるのかについては皆目見当がつかなかったけれど。


 でも、彼が何かしようとしていることだけは理解できた。

 シャンテは頷く。彼を信じてみたいと思った。


(お願い、タケト。この子砂クジラを止めて……!)






 タケトは、ウルとシャンテに向かって放った精霊銃を降ろす。落とした水に気付いて、シャンテがこちらを見上げたようだった。どうやら、ぎりぎり気づいてもらえたらしい。


「シャンテ! あと、三十秒だけ! 三十秒だけチャンスをくれ!!!」


 タケトは手を振りながらそう叫んだ。しかし、この距離だ。声はおそらく届きはしないだろう。それでもいい。彼女がこちらに気づいてくれさえすれば。きっとウルでの攻撃を少し待ってほしいという意図は伝わったと信じている。


 タケトはシャンテたちから視線を外すと、ケルピーの首の向こうを見下ろして睨んだ。テラテラと怪しく明滅するガラス玉みたいな装置。その周りに、ゆらゆらと人の背丈ほどのカゲロウが無数に湧いていた。


「なあ。お前、名前あるんだろ? なんていうの?」


 タケトは回転式弾倉を横に引っ張り出して回すと、火の精霊が入ってる魔石弾を確認した。ジャキンと銃を横に振って弾倉を元に戻す。残りはあと、火の精霊が三発。


『人間などに名乗る名などない』


 ケルピーからはすげない返事が返ってくる。


「えー。ケチ」


『人間などに我らの名は発音できまい。しかし……そうだな。呼び名がほしいなら、バイロンと呼べ。名の一部だ。それなら人間にも発音できるだろう』


 バイロン、とタケトは口の中で呟いた。そして、あの装置を睨み付けたままニッと笑う。


「行こうぜ、バイロン。決着をつけよう」


 その言葉を合図に、バイロンケルピーは砂クジラのせり上がった口の上から勢いよく走り出した。


『落ちるなよ、人間』


 彼らの目の前に無数のカゲロウが立ち塞がる。バイロンはまっすぐそれらに向かって駆け下りた。

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