第4話 残念ながら戻れません
「はぁ? 今、何て?」
きょとんとしてブリジッタの言葉を繰り返すタケト。どういう理屈なのかは分からないが言葉が通じるなら幸いだ。聞きたいことなら沢山ある。そりゃもう、山ほど。そんな焦りが口調を剣呑にしたのだろうか。
怒っていると思われたのか、あのねあのね、と銀髪の少女が慌てながらブリジッタとの会話に割って入ってきた。
「私たちは、魔獣密猟取締官事務所っていうところで働いているの。それで、アナタは密猟者を捕まえるときに一緒に押収してきちゃって。あ、でもまだ、アナタが密猟者の一味ではないっていう確認はとれてないんだけどね」
「密猟って……」
草原でのことを思い出す。そういえば、馬に乗った人間たちが鷲の頭をした馬みたいな動物を追いかけていたっけ。あれは密猟の現場だったのか。どうやらそこに自分はたまたま居合わせて、巻き込まれてしまったらしい。一緒くたに捕まえられて、こ
こに連れてこられたようだ。
「そういえば、あの鷲みたいな頭したやつ……」
あの動物は一体どうなったんだろう、と思い出す。あの動物も一緒に押収されたのだろうか。それともその場で逃がされたのか。気になっていたら銀髪の少女がすぐに答えてくれた。
「あ、あのヒポグリフ? あの子なら、うちの魔生物保護園で治療したあと保護してるよ。ちょっと身体に打撲のあとはあったけど、しばらく安静にしてればすぐ良くなりそうって、クリンストンが言ってた」
「そっか……」
良かった……と自然に顔がほころぶ。自分を踏まないように避けてくれたせいで、あの鷲馬は密猟者たちに捕まってしまったようだったから。無事だったと知って、ほっと心が緩んだ。
飛行機から落ちてからこのかた、色々な事がありすぎて頭の中はテンパりっぱなし。ギチギチ悲鳴をあげそうになっていたけれど、そこにふっと陽が差したように嬉しさが広がる。
再び銀髪の少女に視線を戻したら、彼女がじっとこちらを見つめていた。その青い瞳と目が合う。
「あなた……魔獣のことが気になるの?」
不思議なものを見るように、彼女はパチパチと目を
「え……そりゃ……なんか、俺のせいでアイツらに捕まったみたいに見えたから」
タケトは床に転がされた毛皮の人間たちをちらと横目で見ながら言う。
「俺もさ。密猟者とか密輸とかを取り締まる仕事してるんだ。だから、なんか他人事じゃない気がして。それに、あのヒポグリフっていったけ? あいつが、俺のこと踏まないで上手く避けてくれたおかげで、俺、今も生きてるんだろうし」
ある意味、あのヒポグリフは命の恩人ともいえた。
「ふぅん……」
タケトの言葉に、彼女は何かを考えるようにして押し黙る。それにしても、遠目で見たときも息を飲むほどの美しさだと思ったけれど、間近で見ると彼女の美しさは一際目を引いた。というか、目が離せなくなるくらいだ。
細く華奢な身体は抱きしめればすぐに壊れてしまいそうなほどだが、その端正な目元は繊細ながらも意志の強さが感じられる。思わず彼女に見取れていると、パンパンと手を叩く音がしてビクッとした。手を叩いたのはブリジッタだった。
「とにかく、こんな辛気くさい場所、ワラワは一刻も早くおさらばしたいことですのよ。ソチのことは、官長に連れてくるように言われてますの。来てくださるかしら?」
ブリジッタが腰に手をあててこちらを見上げていた。彼女の片目は眼帯で覆われている。眼帯をしていない方の目は普通に黒い瞳をしているが、あの眼帯の下には、タケトが気を失う直前に見た、黒に赤目の異様な瞳があるのだろうか。
「行きましょう。官長は気が短いですからね。待たせると、またとばっちりで僕たちまで怒られてしまいます」
黒豹男がそう言って鉄格子についていた小さな扉を開けて先に出る。タケトとブリジッタ、銀髪の少女も後に続いて牢の外に出た。扉に鍵をかけながら黒豹男は、そうそうと思い出したように付け加える。
「僕はカロン。そっちの小さいのが、ブリジッタで。彼女は、シャンテスティンです」
「長いから、シャンテって呼んで」
銀髪の彼女はタケトの横を軽やかな足取りで通り過ぎながら、そう笑顔を向けてくれた。また見取れそうになっていたら、左脛に激痛が走る。
「いった……」
見ると、ブリジッタが憮然とした顔をしていた。どうやら、彼女に左脛を蹴られたらしい。
「ほら。ぼさっとしないでくださらないかしら。ったく、なんで男ってこうだらしなく鼻の下をのばすのかしら」
ぷりぷりと怒ってスタスタと歩いて行くブリジッタ。どうやら、シャンテに見取れていたことを見透かされていたらしい。当のシャンテは、くすくすと笑っていた。
カロンに先導されて、タケトは言われるままについていく。石を組んで作られたらせん状の階段をしばらくのぼると、壁にある開けっ放しの窓から柔らかな赤い陽射しが差し込んできた。どうやらいまは夕方で、今までタケトがいたのは地下にある牢屋のようだった。さらに階段を上へとのぼって二階まで行くと、廊下に出る。
そこは頑丈そうな石造りの、大きな建物の中だった。
床も石で出来ているので、歩くたびにカツンカツンと靴が鳴る。
通りすがりに見た窓からの景色は、緑一色。遠くまで森の木々が広がっていた。本当に、ここはどこなんだろう。どうやら、東南アジアでも台湾でもないらしい。すれ違う人々はどちらかというと白人系の顔立ちの人が多いし、カロンのような獣っぽい格好をした人もいる。そのうえ建物の内装も全体的に中世のヨーロッパのような雰囲気だ。
そもそも、自分は仕事柄多少は動植物に詳しいつもりでいたけれど、ヒポグリフなんていう生き物は聞いたことがなかった。
きょろきょろ辺りを見回しながらついていくと、彼らはある木製の扉の前で足を止めた。カロンが軽くノックをしてから、扉を押して開ける。
「ヴァルヴァラ官長。連れてきました」
カロンとシャンテ、それにブリジッタ。最後にタケトが彼らに続いて室内に入る。
そこは二十畳ほどの広い部屋で、手前にはソファセットがあった。そして部屋の奥にこちらを向いて大きなデスクが置かれており、そこに一人の女性が座っていた。おそらく、この人が官長なんだろう。
彼女は椅子を斜めにずらして組んだ足の上に紙の束を置き、黙々と読みふけっていた。カロンがデスクに近づくと彼女はようやく顔をあげる。ベリーショートの赤毛は燃えさかる炎のようで、その瞳も同じく赤い。その髪と瞳の赤が、彼女の肩にかけられた金糸の刺繍が施された青いジャケットによく映えていた。
「ご苦労」
そう言ってちらとカロンに目を向ける官長の顔をみて、タケトは思わず息を飲んだ。彼女の歳のころは三十半ばから四十手前といったところ、タケトより少し上といったくらいだったが、その顔には大きな特徴があった。斜めに大きな鉤爪で引っかかれたような醜い傷跡が目につく。その顔でニッコリと微笑まれると、綺麗と言うより
「ああ、この傷が気になるか?」
彼女は自分の顔の傷をすっと指でなぞる。
「魔獣に喰われかけたときの傷だよ。部下達を喰われた、その失態の無様な勲章だ」
そう何でも無いことのように彼女は言うと、さて、と前置きして事務的に言葉を続けた。
「そろそろ夕げの時間だ。私も帰りたいので、要件をすぐに済ませよう。あそこは一般人の立ち入りが制限されている保護区のはずだが。なぜあそこにお前がいたのか、教えてもらいたい」
どうやら、あの草原は許可無く立ち入ると罰せられる一帯だったらしい。罰をくらってはたまらないと思い、タケトは自分の知っていることを全て官長に話して聞かせた。
それを、彼女はデスクの上で手を組んだまま、じっとタケトから視線を離さず黙って聞いている。目力が強くて、見つめられると結構怖い。
ひとしきり彼女はタケトの話をきいたあと、ああ、と納得したように呟いた。
「お前は、あれか。ごくたまにいるという、異世界から迷い込んだ人間か」
だから、あんな所にいたんだなと合点がいった様子の彼女だったが、タケトには何のことだかわからない。
「……え? 異世界って……?」
「だから。ここの世界とは違う、別の次元の世界ということだ。理屈はわからんが、たまにあちらから人が来ることがあるし、こちらで消えた人間はあっちに行っているという説もある。ちなみに、ここはジーニア王国というこの大陸一番の大国だが、聞いたことはあるか?」
タケトはブンブンと首を横に振る。まったくもって聞いたこともない。
「だろうな。まぁ、さっきカロンが飲ませた魔石のおかげで会話に不自由はしないだろうから、あとは何なりと好きなところにいって、好きに暮らすといい。どうせ、もう戻れはしないんだからな」
「え……」
なんだか今、衝撃的なことを聞いた気がするぞ。と、タケトは心の中で官長の言葉を
(俺は異世界からここに迷い込んできて、というかここが異世界で。そんでもう、もう二度と戻れはしない……ってこと? もう二度と、チョコミントアイス食べれないって?)
いやいや、アイスのことはどうでもいいじゃん。と思いつつも、頭が上手く巡らない。
あまりのショックに一言も発せないでいると、タケトの横でダンっとデスクを叩く音がした。音の方に目をやると、すぐ隣でシャンテがデスクに両手をつき、官長の前に身を乗り出していた。
「官長さん! お願いがあるんです!」
「何かな? シャンテスティン」
眉を寄せた真面目な顔のシャンテを、官長は何か面白いものでも見るような目で眺める。シャンテは有無を言わさない勢いでタケトの腕を掴むと、官長に訴えた。急に腕を引っ張られたタケトは、驚いて目を白黒させるだけだった。
「彼を、休職してるゴーウェンのかわりに、ウチに置いてください! だってこの人、ぜっっったい、魔獣のこと大好きだと思うの!」
(はいっ!!??? 何言ってんですか!? あんた!!!)
突然のシャンテの申し出に、びっくりしたのはタケトの方だった。
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