第3話 Falko F Jaeger
あれから数日が経ち、ファルコの教会に住むことになった。異世界へと転移し拠り所のない自分にとって「ここで、一緒に暮らそう」というファルコからの提案は魅力的であり、何より10歳の身体能力ではあの人攫いのような人間から己の身を守ることはできない。
ファルコからはたくさんのことを学んだ。
まず、この街はライトナムといいライトナム王国の首都であるらしい。ファルコは10数年前にこのライトナムへと移住してきた神父であり、それ以前は別の街で布教活動を行なっていたということ。そして、このライトナム王国は世界有数の魔石発掘都市であり……その魔石を得るにはダンジョンと呼ばれる縦穴へと潜り、魔物の体内から取り出される魔石が主要貿易品であるとのことだった。体内に魔石を有するモンスターはダンジョンから自然発生することが確認されており、これらを採取する『冒険者』がこの街の主役であるとのことだった。
「どんなところに魔石は使われているの?」
「たとえば、この“魔石ランプ”なんかも、そうじゃ」
魔石はこちらの世界では主要なエネルギー源であり、様々な加工を施され人々の生活を支えているものであるようだ。そしてこのライトナムは一攫千金を夢見る冒険者が種族を超えて集まり、一大国家を形成しているようだ。
「種族?」
「この世界にはたくさんの人種がおる」
僕やファルコは人間(ヒューマン)に分類されるようだが、その他にも獣人、エルフ、ドワーフ、アマゾネスなど様々な亜人が冒険者となり住んでいるようだ。そして、冒険者となるのも刀鍛冶となるにも「学校」に通い専門技術を身につける必要があるとのことだった。ファルコも12歳から成人である15歳になるまでの3年間を神学校で過ごし、神父となったと話していた。ライトナム王国では冒険者の育成は至上命題であり、学校は国の負担で通うことができるので学費は全額免除されるという。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
教会の朝は早い。
教会はその地域の中核であるとともに、朝と晩の2回……教会の鐘を鳴らすことで、時計のないこの世界に時を告げる役割を果たしている。また、この世界には病院は存在しておらずファルコのような聖職者が施す治癒魔法がライトナムの住民を病気や怪我から救っていた。他の教会は治癒魔法を施すことでお金を取っていたが、ファルコはこれをしなかった。「治癒魔法は誰が施しても同じなんじゃが……」と言っていたが、ライトナムの住人は冒険者や刀鍛冶などダンジョンで生計を立てて居るものが多く「お金を払った方が効きがいい」との迷信が広がり、いつのまにかファルコが居るこの教会からは人々の足が遠退いたようだ。また、ダンジョンのモンスターは人型をしたモンスターも多く、これらを討伐する際には「人の祟りがある」とされ、そのような人型のモンスターを討伐した後は「祟りを避ける」という意味で免罪符が飛ぶように売れているようだった。これは教会の仕掛けたデマであったが、冒険者はこぞって免罪符を買い求め、教会は大繁盛していた。もちろんファルコは免罪符も発行していない。
結果としてこの教会には、朝にファルコの治癒魔法を必要とする老人が2〜3人訪れた後は誰も寄り付かず、ひっそりとしているのが常だった。その治癒魔法でさえも「肩こり」や「腰痛」を訴える老人に対し、微弱な治癒魔法を施すのみだったので……ファルコの評判は落ちるところまで落ちていた。
このような状態であるから、この教会には寄付金が集まらない。そのためファルコは朝の老人への治癒を終えると、教会の裏にある畑を耕し自分の生活の糧としていた。農作業を終えると市場へと出向き、あの固いパンを購入しているようだった。僕を助けたのも、朝の農作業を終え買い出しの途中の出来事だったらしい。
僕は農作業や教会の手伝いを申し出た。
ファルコの生活が逼迫したものであることは話からも十分伝わってきたし、何より「働かざるもの食うべからず」は子供であっても同じであると考えたからだ。もっとも元の世界では高校生であり、普通の高校生ならばアルバイトをしてお金を稼いでいても不思議ではないからだ。ファルコは「学校に行くまでは働かなくても良い」と言ってくれていたが、この教会の“傾き加減”からすると、子供の労働力でも必要であると思わざるを得ない。
平日の朝は教会へ行き、時を告げる鐘を鳴らす。礼拝堂やその隣にある治癒室を掃除し、治癒魔法を受けにきた街の老人と話をする。それが終われば農作業を手伝い、ファルコと一緒に市場へ買い出しへ行くのが日課となった。
日曜日の朝は大きな礼拝が行われ、そこにはファルコの教会の信者が多数訪れる。もっとも評判のよくないこの教会に礼拝に来る人は少ない。礼拝堂はいつもガラガラであり、10人に満たない信者に対して『説法』を施すファルコの後姿は、なんだか寂しそうな感じがした。何より信者の眠りを誘うファルコの『説法』は、これもまた新しい治癒魔法かと思えるぐらいに退屈なものであった。地域の人からは「ヤブ神父」と揶揄されていたが、ファルコも僕も気にしないことにしていた。
「金額の大小で、神の恩恵が変わるわけではない」
これがファルコの持論だった。
もちろん僕もこれを受け入れ、教会にあるまじき清貧生活を送る羽目になったのだが……ファルコの生き様そのものに感心した。
今日もまた、日曜日の大きな礼拝が行われる。
いつものように礼拝堂の掃除を行い、信者が到着するのを待っていた。礼拝堂の隅には大きなピアノが1台置かれており、僕はその存在が気になっていた。あれだけ嫌々やっていたピアノではあったが、元の世界でも子供の頃から毎日のようにレッスンしていたので、なくなってしまうのは淋しい気がしていたからなのかも知れない。ファルコにピアノについて尋ねると、ファルコがこの教会に来る前の神父が音楽好きであり、その神父が賛美歌に合わせてピアノを演奏していたという。ファルコ自身にはピアノを演奏する技術もなく、その言葉の通り礼拝の最後に行われる賛美歌の合唱は「歌のみ」でするものだった。教会ならばパイプオルガンの1台ぐらいあっても良いものであるが、この貧乏教会にそれを望むのは酷であるとも思った。
「……それでは、最後に合唱を──── 」
ファルコの声とともに、信者が全員立ち上がり合唱の準備を始めた。
僕は慌ててピアノの椅子に座り、ピアノの鍵盤の蓋を開ける。合唱が始まると、ピアノで伴奏をつけた。石造りの教会に響く歌声とピアノ。静謐な空間を音が満たしていく。丸い音の粒が、粒子のように礼拝堂を埋めていった。合唱をする曲はいつも同じであり、僕はいつの間にかその曲を覚えていたので伴奏をするのは簡単だった。
「カールステン、ピアノが弾けたのかい?」
よくしてくれるファルコに嘘を吐くのは心苦しいが、異世界から来たなどという途方も無い話の方が余計に嘘に聞こえるような気がして……僕は名前と年齢以外は「忘れてしまった」という記憶喪失を演じていた。ファルコ自身はそれに対して問題を持っているようなそぶりは見せたこともないので、僕は自分のことをファルコに話すことはなかった。ただ、この教会の賛美歌は「あまりにも、淋しい」のでピアノの音でも付けようかと思い、実行してみた。
僕がこの世界に来て、初めて思ったことがある。それが『元に居た世界はうるさい』というものだった。お店に出かけても、食事をしに行っても……その場所全てで音楽が無駄に消費されていた。普通の人にとって店で流れる音楽はBGMなのかも知れないが、僕自身にとってその音楽とは「必要のないもの」だった。違いのわからない、歌の下手なアイドルが歌う曲はBGMどころか騒音であるとさえ思う。それがこの世界では音楽が高級品であるのか、それとも楽器が珍しいからか……音楽は無駄に消費されることのない芸術の1つとして捉えられているようだった。
「他に、どんな曲が弾けるんだい?」
そうファルコに促され、信者の帰った礼拝堂で覚えて居たバッハの曲を2〜3曲披露した。バッハの曲を選んだのは、この場所が礼拝堂であるということと……なんとなく宗教のような厳密な感じがしたからだ。他に意味は考えていない。
「珍しい曲じゃが、この教会の雰囲気には合っておる。これから日曜日には来てくださる信者に向けて演奏してくれんかね?」
僕はファルコの申し出を快諾することにした。何より、この教会でファルコの役に立てるのならば「何でもしよう」と心に決めていたので、抵抗は少なかった。
こちらの世界に来る前に女神から渡されたカバンが1つある。その中には夥しい数の楽譜が収められていた。それらを繰り返し演奏していれば、ストックが尽きることは少ないと思い、農作業と教会の整備以外の仕事はピアノ演奏という生活を送ることになった。
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