『was wised』

木村浪漫

第1話

『was wised』                          木村 浪漫


 ──絶望がいったい《ファック・アップ/》

   なんぼのもんじゃい──!《/ブレイヴ・ハート!》


 手術室に響き渡るカミナリ音。エリザ・メロウウィンドの“ブレイヴハート”。数年前からの私──チャールズ・厚顔無恥フェイスマン・ルートヴィヒのフェイバレット・ナンバー。

 目の前で横たわる患者の名は、ディムズデイル・ボイルド。この痩せこけた肉体と手術室で向かい合うのはこれで三度目となる。私はボイルドに語りかける。全身麻酔で眠っている患者に、聞こえているかどうかはさておいて。

 「こんなに短期間で、三度もここで顔を合わせるとはね、ボイルド。少々焦りすぎではないのかな。健全な肉体に健全な魂あれ。そうあれかし。ベンチを尻で温め続けなくてはならない苦痛は理解するが、今、おまえに本当に必要なものは、充分な休養と回復の時間なのでは?」

 私の問いかけに対して、ボイルドの肉体は、内側から躍動する生命の鼓動で応えている。戦争で疲弊し、使い尽くされたはずの肉体は、ある意思を持ってここに存在している。

 「──よろしい。準備はできている、といった仕上がりだ。始めるとしよう」

 私は漆黒の球体をボイルドの胸に向けて放りなげる、私の右手がまっすぐに胸骨から鳩尾のあたりまでを切り裂く。袖口から精密義肢が伸びる。切り裂いた胸骨と臓器の叢を分け入り、脊椎から神経を剥き出しにしていく。

 私の仕事着スーツはその気になれば宇宙空間でもオペをやってのける特別製だ。いつまでもこいつがオンリー・ワンの一品であることこそが、私の不満の種ではあるのだがね。

 ──ボイルドの治療戦略。

 擬似重力フロートを発生させる技術の埋め込み。その技術のからくりは、露になった心臓の横に既に埋め込まれた正六面体の筐体(私の認識能力では残念ながら三面しか知覚できない。残る三面は現実と裏返しの空間──密かに私は“虚空ニヒトー”と呼んでいる──に格納されている)と、私の体感時間では空中で静止している漆黒の球体にある。

 虚空に格納された筐体は、理論上無限に広がりを持つ。そこに超質量の球体を落下させることによって発生するエネルギーを、現実の空間に裏返すことでマイナスの方向性を持った力場──擬似的な重力を生み出すわけだ。

 その結果生み出された重力がどの程度のものかと言えば、ま、宇宙空間での移動補助、といったところだろうさ。それでも壁や天井を歩き回るには充分過ぎるくらいだが。

 筐体と脊髄から引き摺り出した神経を接合させていく。私の患者に求められるのはこれだ。自らの肉体を修理される部品のようにつくりかえることだ。要するに配管工が水道管を繋ぎやすいように自らをある種の回路に造り換えろ、ということだ。

 ボイルドは肉体をよく仕上げた、と言っていいだろう。肉を削いだ状態を維持し、血圧を低すぎるまま保ち、あらゆる感情を無感動のまま封印しながら、自らをここに運びこまれた極限状態で持ちこたえた。

 良く耐えた、ボイルド。私は速度で応えよう。

 ──筐体に球体が、吸い込まれるように落ちた。

 ガリガリの傷病兵が飛び起きる。虚無の叫び声をげる。

 「おお炸裂よ炸裂よおおおおおおおおおおお──」

 「黙れ」

 そんなに慌てて飛び起きては、中身が零れるだろう。大学時代にフットボールで鍛え上げた両腕で傷病兵を押さえ込む。そんな両腕が必要ない程に痩せこけた体躯。押し戻される。球体が消失する──擬似重力が発生する。ボイルドの虚無に技術が応える。虚無が球体を加速させる。

 これ以上沈静剤は使えない。

 楽園に運び込まれていた時点で、末期の麻薬中毒者の元空挺兵。重度の中毒症状の幻覚の中で味方を誤爆。経歴に致命的な失点。失点を取り返そうと、自身に新技術を埋め込むことを選択。おぉ・お・お・おぉ・おぉ。虚無の声は続いている。重力に抗う。耳元で囁く。

 「──失点を取り返せ、ボイルド」

 おまえの人生はまだ前半戦だ。チームメイトを丸ごと焼き払った過去なんて、いくらだって取り返せるさ。絶望がいったいなんだというのだね。そいつはおまえが一番つらい時に、一番近いところで、おまえの側にいてくれたやつの名前だろう。 ──まだ言葉が足りないかね。

 落下していくおまえ自身を取り戻せ、と言っているんだ。

 「おぉ・お・お・お・お──!」

 ゆっくりと、力強くボイルドが右手を突き上げる。虚空に向かって拳を握り締める。重力を収束させていく。そうだボイルド。雄叫びをあげろ。おまえは今、ようやく人生から奪われた一点を取り返したのだから。

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