第2話 最強の男の弟子
『レディィィィィス、アンド、ジェントルメェェェェェンッ!! 今宵は待ちに待った、最強を決める《アイデンティティ》決勝戦!!』
司会者が叫ぶと、観客は両手を挙げて歓声を上げる。
随分と熱気が溢れた会場じゃの。
儂はこうも観客がいた状況で戦った経験はない。もし儂がリングに上がったら、緊張して本来の実力が出せぬかもしれんな。
『さぁ、早速選手を紹介しよう! 赤コーナー、身長百七十四センチ、体重七十七キロ! 浅黄流薙刀術の使い手、《浜田 勝》ぅぅぅぅぅっ!!』
観客の歓声を浴びて入場してきたのは、持ち手より約二倍程の長さがある木で出来た薙刀を持った男性。
ふむ、大層な得物を使っている割には小柄で細いように思える。
剣道のような胴着と袴によって隠されている肉体は、もしかしたら筋肉の密度が高い引き締まった体をしているやもしれぬ。
しかし、この大会は本当に何でもありなんじゃな。
あれほど長い得物は、腕を伸ばして振れば隅から隅まで届くじゃろうて。
彼が決勝まで勝ち残れたのは、相手が異様に長い薙刀に対応出来なかったか、あるいは相当の使い手か。
儂の分析では――
「前者じゃな。堂々としているが、カメラがアップになった時視線が泳いでおった」
不安を上手く隠しているつもりじゃろうが、視線が素直だった。
武の道に身を置いている者が戦う覚悟を決めた際、自分の武を信じて視線は相手か戦場のみを見据える。
だが彼は泳いでいる。つまり、自身の腕前に自信が持てていない証拠じゃ。
しかも動きもやけに固い。緊張とかそういうレベルを越えている程の挙動不審。
恐らく、薙刀術をかじっているのは間違いないじゃろうが、一般人に毛が生えた程度の腕前。異様に長い武器に未熟な薙刀術がちょうど上手くマッチングして、相手の困惑しているところを叩いたのじゃろうな。
「ふむ、うちの弟子の勝利は間違いないようじゃな」
こんな相手の試合を見る価値はあるのか?
儂はさっさとテレビを切って、もう寝たい気分になっていた。
最近、この時間でも眠くなって仕方無い。
『青コーナー、《アイデンティティ》の絶対王者、今回優勝したらついに殿堂入りだぁ!! 未だに本気を見せぬエンターテイナー、アーーーーーーーーツーーーーーーシィィィィィィィィィッ!!』
ついに篤史の名前が呼ばれた。
その瞬間、会場の空気が震えんばかりの歓声が巻き起こる。
テレビ越しでも五月蝿いのが伝わる程の歓声の中を、右手を上げながらリングへ向かっていく篤史。
奴の姿を見た瞬間、篤史コールを始める観客。
対戦相手の彼よりも大歓声を得ている篤史を見て、儂は少し誇らしい気持ちになった。
「……篤史、しっかりとやれてるんじゃな」
儂自身が送り出して何を言っているかと思われるかもしれんが、篤史は前々から格闘技イベントに参加して、我が流派を知らしめたいと思っていたらしい。
我が流派は、《裏武闘》で磨き上げた殺人術。道場を持ってからは死なない程度の技を門下生に教えていたが、篤史には全てを叩き込んだ。
勿論奴も未熟故、出来ぬ技はまだまだある。
それでも篤史は、我が流派をスポーツでも通じる流派として広めたいのだそうだ。それが儂と妻に対する恩返しだと。
目頭に涙が貯まっているのがわかった。
歳を取ると些細な事で涙ぐんでしまう程涙腺が弱くなる。全く、老人とは難儀な体よの。
篤史がリングに上がり、構えを取る。
グローブは無しの素手だ。
パンチンググローブは二つの役割がある。『相手の身を守る事』と『打ち手の拳を守る事』だ。
実は素手は、しっかりと鍛えないと非常に危険なのじゃ。
素人が全力で殴ると、それだけで拳の骨にヒビが入ったり、手首を痛めたりする。
人を殴る衝撃に対応出来る拳を作り上げないと、このような怪我をしてしまう。勿論殴られた方も拳の骨が直撃する訳だから、当たり処が悪いと骨にヒビが入る。意外と人間の骨はそこまで丈夫ではない。
しかし、篤史には拳作りを徹底させていた為、相当無理な力で攻撃をしない限りは拳は壊れない。
さて、この大会ではリング中央からスタートではなく、お互いのコーナーから試合が開始される。
様々な武器を使った選手が参加する大会故、見合っての開始では武器を持っている選手の方が初手から有利になってしまうかららしい。
『両者、準備は出来てるな! それでは、死力を尽くして戦え! レディィィィィッ、ファイトぉぉぉっ!!』
ゴングが会場に鳴り響いた。
その瞬間、対戦相手は右腕を伸ばし、薙刀による突きを放った。
柄の部分の端を握り、最長射程距離で先手を仕掛けてきたのだ。コーナーからコーナーまで届いてしまう、超ロングレンジじゃ。
篤史はこれを半身になって回避する。
うむ、よく対応した。
『おおっと、強烈な先制攻撃だぁぁ! しかし、《ATSUSHI》は辛うじて避けたぁ!!』
『素晴らしいですね。決勝までの選手は皆、この先制攻撃で手傷を負ってしまい、戦闘に響いて負けてしまっていますから』
ふむ、あの程度の突きで対応できなかったのか。
現代の格闘家のレベルは、随分と落ちているようじゃの。
いや、儂のような《裏武闘》出身者基準で比べる事自体が酷なのかもしれんな。
儂がそのような考えに耽っていた間、次の動きがあったようだ。
『次の攻撃も浜田が仕掛けた!! これも避けるが、あまりの射程の長さに《ATSUSHI》、自分の射程距離まで詰められないぃ!!』
『それでも《ATSUSHI》選手は見事に反応して回避しています。すごいですねぇ、あの得物に対して動揺していませんよ』
『流石、当イベントの絶対王者ですね!』
『そうですね』
成程、端から見たら篤史の回避は辛うじてと見えてしまうか。
残念ながら大ハズレ。あれは完全にわざとじゃな。
恐らくあいつは、相手が大した使い手ではないと見切っておる。やろうと思えばもう決着は付いているはず。
しかしあいつは手を出していない。
となると、考えられるのは、篤史の悪い癖が出てしまっているようじゃの。
篤史は昔から、明らかに格下の場合は自身の行動に縛りを付ける。
例えば右手は一切使わないとか、足元に書いた線から出ずに相手を倒す等。
今回は、間違いなく回避距離。
一切のマージンを取らず、恐らくだが一センチメートルの紙一重で回避するという制約だろう。
「その回避技術で、現在の自身の強さを儂に見せたい、という訳じゃな?」
確証はないが、儂にはわかった。
篤史の目標は、本気の儂を倒す事。
その為に制約を付けて、試合にも関わらず実戦によるトレーニングをしておったようじゃ。
『浜田の猛攻は止まらない! しかし流石はチャンピオン、全ての攻撃を紙一重で避けている!!』
『ここまで《ATSUSHI》選手が手を出さないのは珍しいですね』
『あのリーチですからね、手を出せないのでしょう。しかし、このままでは勝負が決まらないぞ、どうするチャンピオン!?』
相手も篤史が手を出せないと思い、調子に乗って手数を増やしてきておる。
この調子だとスタミナが切れるのではないかの?
《アイデンティティ》はラウンドすらないという。つまり休憩がないという事じゃ。
篤史は最低限の動きで全ての攻撃をわざとギリギリで回避しておる。スタミナ面でも全く消費していない。
多分対戦相手のスタミナは、持って七分かの?
『……妙ですね』
『えっ、妙とは?』
『《ATSUSHI》選手、あまりにも手を出さない。しかも表情に余裕がある……。まさか、わざと相手に手を出させている?』
『どういう事ですか!?』
『あくまで予想ですが、浜田選手のスタミナ切れを待っているのではないでしょうか。ご覧ください、浜田選手の表情が辛そうです』
『確かにそうですね!』
『しかも驚異的ですよ、あれだけ連続で攻撃されているのに、全て回避出来ている。通常は有り得ないです』
『貴方でも難しいですか?』
『難しいというより、無理です。武器の攻撃を回避するという事は、相手の動作全てを見切らなくてはいけない。そうなると集中力や精神力も使う。普通なら集中をずっと切らさないなんて出来る筈がないのです。ですが、彼はそれが出来ている……。天才というより、化け物ですね』
篤史よ、解説に化け物扱いされておるぞ。
この解説者は確か、別の格闘技大会で五度も優勝した実力者だという。そして彼が言った通り、回避というのは思った以上に神経をすり減らす。
だが篤史は見事に集中力を切らさずに行っている。
ふむ、大分強くなったな、篤史。
だがそろそろ決めてくれんかな。流石に暇すぎて眠くなってきた。
儂の願いが叶ったのか、篤史が動いた。
相手の突きに合わせて体を半身にして回避。同時に相手の武器を掴んで引っ張った。
対戦相手は突きを繰り出したせいで腕が伸びきっている。反射的に腕を引っ込めるのは不可能で、篤史に武器を奪われてしまった。
武器を奪った篤史は、そのまま右足を軸にして体を一回転。回転力を利用して奪った長い薙刀で凄まじい速度の横薙ぎを放った。
浜田とかいう相手は反応出来ず、右脇腹に直撃してしまう。
衝撃は恐らく肝臓にダメージを与えただろう、そのまま立てずにうずくまった。
『は、入ったぁぁぁぁぁぁっ!! 強烈な一撃だぁぁ!!』
『これはレバーに入りましたね。あの威力だと浜田選手が立つのは難しいでしょう』
『だがギブアップ宣言もないぞ、まだ試合は続いているぅ!!』
解説者の言う通り、試合はまだ終わっていない。
篤史は武器を捨て、拳を鳴らす動作をしながら相手に近付いていく。獰猛な笑みを浮かべている。
そのままタコ殴りにするつもりかもな。
しかし、対戦相手はうずくまりながら両手を挙げた。
ギブアップという証拠だ。
観客が全員立ち上がって歓声を送る。
スタンディングオベーションと似ているの。かなり騒がしいが。
『一撃だ、一撃で浜田を沈めたぁ! 無敗神話を築き上げた《ATSUSHI》! 五度目の優勝で、殿堂入りだぁぁぁぁぁっ!』
『本当に、素晴らしい選手ですね。絶対に戦いたくない相手ですね』
『おっと、《ATSUSHI》が観客の声援に対して手を振って応えている! 疲労を感じさせませんね!』
『そうですね。やはり天才という言葉で片付けてはいけない程の才能の持ち主ですね』
『そんな彼をも倒せる斎藤 龍玄という老人は、どんな人物なのでしょうか』
『わかりませんねぇ……。もしかしたらとある漫画みたいにパワーアップ出来るかもしれませんね』
『髪が逆立って金色に、ですか?』
『それ、言って大丈夫ですか?』
解説者共め、好き勝手言ってくれる。
儂はただの老人じゃて、化け物じゃない。
しかし篤史は強くなった。我が流派の技を一度も使っておらぬが、相当研鑽を積んでいるのが身のこなしでわかった。
トロフィーと賞金額が書かれたパネルを授与されて、誇らしそうな笑みを浮かべる篤史を見て、儂もテレビの前で拍手を送った。
(儂には出来ぬ、華がある戦いじゃった。実にお前らしい戦いであったぞ)
儂は誇りに思う。
ここまで観客を沸かせられる事は、なかなか出来ない。儂には到底無理じゃ。
理由は、儂の流派は殺人術。ただ相手を壊す事のみを追求した拳。骨の髄まで染み渡っている儂には、魅せる戦いは不可能に近い。
正直、篤史が人を殺めない道に進んでくれて、心から安心している。
生死を賭ける武の道は修羅の道。そんな世界に、息子が踏み込んで欲しくなかった。
だから、本当に安心している。
(これからも、お前はその道を進むのじゃぞ、篤史よ)
儂は携帯を手に取り、篤史にメールで『試合を見たぞ。かなり強くなっていた。おめでとう』と送った。
試合時間は二分二十秒か、この短さはテレビ局も困惑しておるのではないかな?
さて、儂はそろそろ寝るかな。
儂は電気を切って、寝室に向かった。
この夜、奇々怪々な出来事が起こる。
そして儂は、心の隅で眠っていた修羅が、飢えが戻る事となる。
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