【AC1210】ヘビー・クリーム・キス

 キッチンに入ると、フィルが祝祭用の菓子を作っているところだった。リアナはそっと近づいていって、夫の背中ごしに作業をのぞいた。

「なにができるの?」

「苺のタルトだよ」フィルはペティナイフでタルトの土台を指してみせた。「クリームのやつは日持ちしないから、明日のぶんをいま作ってるところ」

「好物だわ。その、卵のクリームも」夫の背に頬をつけたまま言う。


「味見する?」

 そう言ってふり返り、フィルは人差し指でクリームをすくった。口をあけると、温かい指の感触とともにクリームが流しこまれた。なめらかな冷たさを舌に感じる。冷たくて、甘い……リアナはうっとりとクリームを味わった。イーゼンテルレ風のこのレシピは、王宮でもめったに味わえない贅沢なものだ。

「このクリームだけ食べたいくらい、おいしいわね」

「ふふ」フィルは上機嫌に笑った。

「このクリームで、あなたを虜にしようと思ってるからね」


 背中から離れて、作業台に手を触れる。作業台の上には、網台や麺棒、ふるい器などが置かれ、果物が籠に山と盛られていた。キッチンにはアーモンドとバニラの甘い香りがただよう。

 こんな祝祭もいいものだわ、とリアナは思った。ライダーたちが集まる盛大な宴会も心浮きたつものがあるが、家庭的な行事は里での日々を思いださせる。過ぎ去った幼い日々……あのころは、こんな贅沢な菓子など想像もしていなかった。それでも、ロッタのパイとフィルのタルトにはつながりを感じる。自分にむけられた素朴な愛情を。


 ほろ苦くもの思うリアナの前に影が差した。フィルがナイフを置き、クリームの入ったボールを作業台に置いたのだ。邪魔にならないようにどこうとしたが、フィルのもう片方の手が彼女を囲うように脇につかれた。

「おれも味見をしたくなったな」

 その声にこもる、いたずらで淫靡な音色に、わざと気づかないふりをする。

「邪魔しないわよ」

 そう言ったのに、フィルはふくみ笑いのまま黙っている。ふたたびクリームをすくい、指ごとリアナの口に近づけた。「口をあけて、舌を出して」


 こういう雰囲気のフィルに抵抗しても無駄だということは身に染みている。リアナは言われるがまま、唇をひらいた。差しだした舌に、甘いクリームの感触。フィルの指がいたずらに口内をさまよう。歯の裏を軽くつつき、やわらかな頬の内側にふれ……固い指が粘膜をなぞるさまが、情事を思わせていかがわしい。フィルは唇をそっとたたいたあと、彼女の顎をささえた。

 その後に来たのは、フィルの唇。目を開けていたから、彼の目がよく見えた。ハシバミの下にある、かすかな緑色まではっきりと。

 余裕たっぷりのその色に、かすかに反感をおぼえる。熱い舌がゆっくりと口内に侵入し、リアナの舌からクリームを丁寧に舐めとった。

「……よくできてる」

「調理中だと思ってたけど?」

 せめてもの嫌味に、リアナはそう言う。「お菓子作りが好きじゃなかったの? して遊ぶなんて」

 フィルはもちろん、まったく堪えていない。「調理は好きだけど、こうするほうがもっと好きだよ」


 それから、ご褒美のつもりなのか、飾り用に切ってあった苺にクリームをのせて食べさせてくれた。好物の苺とクリーム……このふたつが載ったタルトは、リアナにとってあらがいがたい魅力を持っている。あれを食べるまでは、フィルの機嫌をそこねたくない。

 そんな妻の打算をしっかりと感じとったのだろう、フィルの笑みが深まった。

「おれの四つめのタルトは、あなたにしよう」

 色気のにじむ声で甘くささやくと、ドレスの襟ぐりを指で押し下げた。ケーキナイフ以外の刃物など触ったこともないような無害な顔をしていても、この男のなかには獰猛な獣がひそんでいる。

「フィル? なにを……」

「しーっ。おとなしくして」


 むき出しになった鎖骨に目を落とし、薄いヘラでクリームをのせていく。すぐにひやりとして、ヘラの固い感触がそれに続いた。ぞくっとするのは、寒気だけではなさそうだ。その様子をつぶさに観察されていることに気づき、さらに羞恥で赤くなる。

「食べ終えるまで、動いちゃだめだよ」

 フィルは喉の奥を鳴らして笑った。


【続く?】

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