ショートストーリー 1

小話 ①【第一部読了後にどうぞ】

【小話1】プレシーズン・マッチ



 春の訪れも近いその日、王太子デイミオンは王城近くの柱型競技場で、スポーツ観戦中だった。

 

 竜球ヴァーディゴという、飛竜にのって行うチーム制のボールゲームである。飛竜のほか古竜一柱ひとはしらの参加が認められ、制限内で竜術を使うこともできる。もともとは竜騎手たちの戦闘訓練が由来となっているが、現在は戦力面で勝るライダーと連携に優れるコーラー、あるいは念話による妨害工作が通用しない〈ハートレス〉などチーム編成にも戦術の妙がある。そのため、出身地や階級を問わずオンブリアで人気のあるスポーツだ。

 その日のプレシーズン・マッチ(オープン戦)は王城の真下で行われていたので、城で仕事をしながら眺めおろすこともできたが、やはり競技場で観ることにしてよかったと一人満足しているところだった。飛竜たちの動きを下から眺め、ひいきのチームの戦術をああでもないこうでもないと分析するのが、観戦の醍醐味だ。


 貴族用の座席シートに行くと、あれこれと社交の話になるのがわずらわしいので、今いるのは一般兵や城下街の住民たちが買うような安席だった。近くの出店から、焼きソーセージの匂いが漂ってきた。


「ディフェンス! 間抜かれるぞ!」

「退いてるんじゃねえぞ! レッティ! リバウンド!」


 隣の中年男性のグループがヤジを飛ばしている。オレンジの香料でごまかした安い蒸留酒を手に楽しげだ。


 視界の端でなにかが動き、ぽんと投げつけられた紙袋をとっさに左手でつかんだ。

「フィル」

 投げたのは、フィルバート・スターバウ。その動きのついでに隣に座った。デイミオンも長衣ルクヴァ抜きの軽装だが、フィルのほうがより周囲に溶けこんでいる。自分の分らしい紙袋を手にしていた。


「バラの串焼きとイモのフリット、平焼きパンだけど。いいかな?」

「腹が減っていたんだ、助かる。飲むか?」

「……やった、冷えてる。さすがは国一番の竜騎手ライダーさま」

「俺をワインクーラー呼ばわりするのは、おまえくらいだよ」


 フィルバートは軽く笑い、白ワインをゴブレットに注いだ。

「どっちが勝ってる?」


「〈東のアマツバメイースタン・スウィフト〉が優勢だな。ディフェンスにいいコーラーが入って、今季は期待できる」

「ふーん、どうかな。〈南のセキレイサザン・ワグテールズ〉も、ゴール前でいい形が作れてると思うけど」

 男二人はパンをほおばっては冷たいワインで流しこみ、いかにも専門家ぶってあれこれと選手や戦術について語り、今季の優勝チームを予想し、行儀を気にせずヤジを飛ばした。

 要するに、楽しんでいた。

 

 不思議なもので、この〈ハートレス〉の弟とこれほど話す機会ができたのは、リアナが見つかってから――正しくは、彼女のいた〈隠れ里〉が襲撃された日に、ともにその場所に降りたってから、ここ最近のことだった。

 戦争のときには、戦場ごとに違う二つ名をもって戻った男だ。〈恐れ知らずのフィアレスフィル〉だとか、〈ウルムノキアの救世主セイヴィア〉だとか、〈ヴァデックの悪魔〉だとか。それでいて、戦後はそれまでの栄誉をさっぱりと捨てきって、大陸各地を気ままに放浪していたという。背負う家は違えど同じ父母を持つ弟として気にかけてはいたが、立つ位置が違いすぎて、こんなふうにごく普通の会話をするような機会はこれまでなかった。

 デイミオンは兄であり、またライダーでもあったので、なにかあれば不遇の弟を助けてやりたいと言うくらいの気持ちは持っていたが、そういう機会すらまったくなかった。プライドに凝り固まったタイプというわけではないが、とにかくこの弟がということ自体、想像がつかない。そんな男が唯一、デイミオンを頼ったのが、現王リアナのことだった。

 『彼女が王位に就くまで、協力して彼女を守ってほしい』――と言ったっけ。なにやら理由わけありらしいとは想像がつくが、案の定かたくなに理由は言わなかった。


「そういえば」

 王位つながりで、ふと思いだす。

「アーシャ姫が、おまえにだまされたと貴人牢で訴えているそうだぞ」

「ん?」 

「甘い言葉をささやかれただの、花にワインに口づけだの、通俗小説のようなことをわめき散らすので、兵士たちが困惑していると」

「ええ? 俺が?」

 フィルはいかにも驚いたという顔をした。「心外だなぁ」

 かつての婚約者は、現王への反逆のかどで現在、王城の幽閉塔に入っている。弑逆しいぎゃくということになれば、たとえ高貴の身といえど生涯幽閉以外の道はない。アーシャを政治の駒に使う気でいたデイミオンにとっては頭の痛い話ではあったが、フィルバートがあの女をどうやってあそこまで追い詰めたのかという点には、個人的に興味はある。


「あのわがまま姫に、ずいぶん懐かれていたみたいじゃないか。何をやったんだ?」

 男同士の気やすさで聞いてみる。


「たいして何も。……彼女、本当に世間知らずのお姫さまなんだな」

「当たり前だろう、五公十家の箱入り姫君だぞ。すこしは気がとがめるか? 『宵の明星』なんて悪趣味なコードネームをつけていただろうが」

「ああ……あれか」

 フィルは杯をあおった。「宵の明星は、目印だからな。明るくまばゆく輝いて、羽虫どもを引き寄せる――おかげで、あの学者先生が動いてくれたんだから、アーシャ姫には感謝しないと」

 なかなかひどい言いようではあったが、デイミオンもうなずいた。

「おそらく、サラートにとっても苦肉の策だっただろう。アーシャの計画ははっきり言ってザルだった。……要は、きゃんきゃん吠えて自分の手の内をさらし、やつらの本来の計画を危険にさらす必要があった、というわけだ」

 フィルバートは薄く笑んだまま、黙って聞いている。言われるまでもないことなのだろう。


 ワアッという歓声が、二人の男の注目を引いた。〈南のセキレイサザン・ワグテールズ〉側がゴールを決めたらしい。


「ところで、なんの用だ」

「うん?」

「とぼけるな、おまえは竜球ヴァーディゴにも俺の休日にも興味などないだろうが。なぜわざわざここを探しあててきた?」


 今日はもともとの会合予定が流れたことによる不意の休日だったし、競技場の、しかも安席にいるなどとはもちろん誰にも告げていない。さも待ち合わせでもしているかのようにやってきたフィルだが、これがもし政敵なら、『おまえなどいつでも暗殺できる』と言われているに等しい。

「ははは」

 アーシャ姫をたぶらかしたその笑顔、さわやかと言うべきか、うさんくさいと言うべきか。

 

「実は、半月くらい王都タマリスを留守にするつもりなんだ。リアナの護衛のこともあるし、代わりのヤツを紹介しようと思って。……そろそろ来るよ」

「留守にする?」デイミオンは腰を浮かしかけた。「どこでなにをするつもりなんだ?」

「それはまた事後に」

「おい、おまえだっていつまでもフラフラしていられる立場じゃないんだぞ――」

 弟が笑顔のまま手を軽く上げると、混雑した競技場のどこからともなく屈強な男があらわれた。


「じゃ、俺はこれで。頼むぞテオ」


 文句も説教もする間を与えず去っていく後ろ姿に、デイミオンは浮かした腰を落として息をつく。

「……なんだったんだ、あきれたやつだな」

 秘密主義は昔からだが、妙に頑固というか、他人に有無を言わさないところがある。それにくわえてこの唐突さ、いったいなんだというのだ。


「ハーイ、代打の俺です」

 見たことのある金髪が、断るでもなく勝手にフィルのあとに座った。フィルと同じ〈ハートレス〉の兵士で、たしか……リアナから名前を聞いた覚えがある。


「殿下におみやげもってきましたよ。ハダルク卿からは竜騎手団の再編成についての計画書。目ぇ通してサインくださいだそーです。こっちは東のご領地からの定期報告書、おっ、いまキノンがいいキャッチしましたよ。見ました?」


 この男のことをリアナはなんと言っていたんだったか?

 そう……『口は悪いけど優しかった、けっきょく頼み事も聞いてくれたし。幼なじみのケヴァンに似てる』……だったか?


 デイミオンの不機嫌はいざ知らず、テオバールはぺらぺらと陽気にしゃべりながら書類を渡してきた。貴重な休日に仕事を思い出させられて、さらにげんなりした。これから繁殖期シーズンに入れば、いま以上に忙しくなるというのに。


 そういえば、リアナはエサル公にも懐いている。この〈ハートレス〉とは、金髪で、快活で、よくしゃべるという共通項がある。そういう男が好きなのか?


「……あいつがリアナの護衛役を譲るとは思わなかったな」

 なんとなく面白くない思いで、そうつぶやく。

 大陸中を放浪していたのが王城に常駐するようになったのも、悲願だった連隊の再建をためらっているのも、王になったばかりの少女の護衛役を他人に譲りわたしたくないがためなのかと思っていた。


「譲る? はっはぁ」テオは笑った。


「あれで譲るって言うんですかねぇ。『任務以外でリアナに触れたらおまえを128のパーツに切り分ける。解説つきで』とか『彼女をじろじろ見るな。首より下を一切見ないという条件なら、ちらっと見るくらいは許す』とか、むちゃくちゃなことを真顔で言ってましたけどね」

 フィルの残していったフリッターなどを食い散らかしながら、「どうしちゃったんですかねあの人、なにか悪いモンでも食ったかな、まぁ春ですしね」と続けた。


 テオが意地きたなく咀嚼そしゃくしている横で、デイミオンは端正な顔でうなずき、なにごとかを考えている風情だった。


「殿下?」


「いい考えだ。上司として俺が認める。そのルールでやれ」


「あんたもかよ! マジ意味わからんところで兄弟だな、あんたら!」


 競技場にふたたび歓声が響きわたり、それから間もなくしてゲームは終了を告げた。


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