第4話~純情ぽんぽこ音頭~

「セルリアンだーーーーーーー!!!!!!」

 鼓膜を引き裂くような叫び声と爆音がタヌキを襲う。その直後けたたましいサイレンの音が頭上から降り注ぎ会場内はたちまちパニックに陥った。

「場内にいるお客様は係員の誘導に従って速やかに避難して下さい」

「非常口はどこ!?」

「東ゲートの方にもセルリアンが現れたぞーーー!!」

 情報が錯綜する。爆発があった正面ゲートの方からは黒煙が立ち上り避難する人々の行く手を遮っていた。

 本来であれば今頃歓声で包まれていたであろうアリーナが一瞬にして戦場に変わる。日常と非日常の境目がこんなにも脆いものなのかと痛感した瞬間だった。

 悲鳴が悲鳴を呼びまた向こうの方で爆発音がした時、そこでプツッとタヌキの意識が途切れた。


「おーいたぬきちさーん」

「……う、うぅん??」

 どれ位そうしていたのだろう。

 誰かが自分を呼ぶ声に気付き目を開けると大きな耳が二つ、ふさふさと揺れていた。

「こんな状況でたぬき寝入りとは意外とやるもんだねー」

「あ、あれ……フェネックちゃん……?どうしてここに?」

 フェネックはこんな時でも得意のシニカルな微笑を崩さずタヌキを優しく抱き寄せた。その腕にはハシビロコウ印のジャパ警の腕章が見える。

 彼女は確か急用が入ってライブには来れなくなったと言っていた。

 だがそれはあくまで“客”として来れなくなったという意味で、その急用というのが警備員のお手伝いだという事を今になってようやく理解する。

「という訳だからタヌキも早く避難しよっか」

「……ま、待って!園長さんが……いないの」

 気を失うまでは確かに隣にいた。だが今その隣にいるのはフェネックだけだ。

「園長ならもう逃げたんじゃないかな」

 一旦は彼女の言うことに納得しタヌキもそうであって欲しいと願う。

 しかしどこか腑に落ちない。まだ会場内は逃げ惑うフレンズでごった返している。そんな状況で果たして本当に彼が自分だけ先に逃げるだろうか。

 胸の奥がチリチリと焼ける嫌な感じがした。

「……園長さんを探さないと」

「――探して、どうするんだい?」

 フェネックの声は冷静だった。ともすれば突き放すような冷たささえ感じられる程に。

 しかしタヌキの考えは変わらない。いくら女王を倒したとはいえ彼は一般人だ。フレンズの力無しではセルリアンに対抗出来ない。

「―――私が、守らなきゃ」

 フェネックははぁ、とため息をつくと、まるで最初から知っていたと言わんばかりに正面ゲートの方を指差した。

 セルリアンが最初に現れた場所、園長はそこで今も避難誘導をしているという。

「待ってて!園長さん!」












「お願い……!間に合って……!」

 タヌキは走った。

 逃げ惑う人混みを掻き分け走った。

 鼓動が加速していくのが分かる。

 今にも心臓が飛び出してしまいそうになるのを必死で抑え、こんなもの昨日のドキドキに比べたらなんて事ない、そう自分に言い聞かせて走った。

 あと少し。悲鳴と黒煙がどんどん目の前に迫ってくる。正面ゲートはずっと目に見えていたのにここまで辿り着くのに随分と遠く感じた。

「え、園長さん――!!」

 彼は無事だった。

 その姿を確認してまずは安心する。

 しかし彼のその煤で真っ黒く汚れた顔を見るとすぐにその事態の深刻さを理解した。

「ご、ごめんなさい……!どうしても園長さんの事が気になって……」

 その後もう一度付け加えるように「ごめんなさい……」と謝る。

 怒られると思った。どうして先に逃げなかったんだ、どうしてこんな危ない場所に来たんだ、と。

 フレンズの安全を第一に考えこんな所で危険を顧みず避難誘導している彼ならまず最初にそう言うだろうと思った。

 でも彼は心底ホッとした様子で、ただ一言「良かった」と呟いた。その額から流れた汗が黒い雫となってポタポタと滴っている。

「と、とにかく私達も逃げよ?ここに来る時たくさんのフレンズとすれ違ったけど皆係の人の誘導に従って避難してたしもう残ってるのは私達くらいだよ……」

 確かに辺りは煙が蔓延しておりはっきりとは見渡せないが少なくとも人影やセルリアンの姿は見えなかった。

 先程までうるさい位に反響していた悲鳴や緊急放送も今は嘘のように静かだ。ただ非常ベルだけが虚しく響いている。

 しかしここも安全ではない。いつまたセルリアンが襲ってくるか分からない。

「ってその傷どうしたの!?」

 彼は怪我をしていた。今言われて初めて気付いたというように自分の右腕を確認する。

 一体いつ怪我をしたのか、煤と混じって赤黒く染まったその腕からはまだ血が滴っていた。

「は、早く治療しないと!でもどうすれば……そうだ!」

 考えている余裕は無い。タヌキは無我夢中で着けていたリストバンドを外すと彼の右腕に着け直した。紫色だったリストバンドがより色濃く変色してゆく。その上から更に首にかけていたタオルを巻き固定する。

 フォースライブからずっと共に過ごしてきたタオルだった。

 そして先程大事にすると言って彼から貰ったリストバンドは今はもうそのタオルに隠れて見ることができない。

 彼女にとってはそのどちらもが宝物のように大切だったはずだ。

 しかし今はそんなことどうでもよかった。

「うん。これで大丈夫……だよね」

 ふぅ、と息をつく。

 とりあえずは止血できたと思うがこれはあくまで応急処置に過ぎない。彼の為にも一刻も早くこの場を後にしたかった。

 辺りを見回す。充満した白い煙がライブ前に焚かれるスモークを思い出させた。しかしあの甘ったるい臭いではなく鼻をつく化学的な焦げ臭さが今が非常事態である事を告げる。

 その時ふと視界の隅で黒い何かが動いたのをタヌキは見逃さなかった。

「あ……あれは!?」

 真っ白な視界の中、突然目の前を大きな黒い球体が覆う。まるでそこだけブラックホールのように切り離された、異様な光景だった。

 黒いセルリアン。

 女王事件前後から急に姿を現すようになったという新種の彼らは、普通のセルリアンと違い連携を取り、相手の輝きはおろか武器すらも取り込んで自分のものにしてしまう恐ろしいセルリアンだった。

 光を失った碧色の瞳が一つ、タヌキ達をギョロリと睨む。丸々と肥えた体に四肢はなく、見てるだけで全てを吸い込まれそうになるその体の色はどこまでも不吉で、不気味だ。

「ど、どうしよう……」

 息をするだけで足が竦んだ。

 本当は今にも逃げ出したい。

 脚の震えは骨を伝って今や全身を蝕むように痙攣させていた。

 こんな状況でもどうにか立てているのはきっと彼が後ろにいるからだろう。

「……やるしか、ないんだね」

 そうだ。

 自分は何の為にここに来たんだ。

 彼は自分の身を投げ打ってフレンズを助ける為にここまで来て、そして怪我を負った。

 ここで戦わないということ――それはつまり園長を、そして園長が守った自分たちフレンズをも裏切るということになる。

 ならば彼の為に、彼が愛したフレンズみんなの為に今できる事はたった一つ。

「園長さんは…………私が絶対守るんだからーーーー!!!!」

 その時彼の胸元で一瞬何かがピカっと光った。

 次の瞬間、まばゆい光がまるで意志を持ったようにタヌキの元へ集まり、そして包み込んでゆく。

「これって……お守りの力……?」

 フレンズの力を引き出しその能力を最大限まで増幅させるという不思議なお守り。

 園長と呼ばれる彼だけが持つ事を許されたそれはまるでタヌキの強い意志に応えるかのように光り輝いていた。そして更に強い輝きを放ち今やタヌキを覆い尽くすまでに広がっている。

 優しくて、温かくて、それでいてとても力強い…その光はまるで園長そのものだった。

 彼の想いが伝わってくる。

 大丈夫、やれる。

「――純情、ぽんぽこ音頭ぉーーーーー!!!!」

 臆病な彼女はセルリアンと戦った事がない。

 しかしタヌキのフレンズとして刻まれた本能がまるでそう叫べと言わんばかりにその名を吼えていた。

 それは目の前のセルリアンをたちまち木っ端微塵にし、パカァンと勢いよくその破片を弾け飛ばす…はずだった。

「…………………あれ?」

 臆病な彼女はセルリアンと戦った事がない。

 それはつまり自分の技の特性も何も知らない訳で、この時になってようやく彼女は自分の技がいわゆる必殺技でないことに気付いたのだった。

「えええええぇぇぇ!?そ、そんなぁ……」

 ここまで空気を読んでいたセルリアンもいよいよ痺れを切らしたのかズンズンとその距離を詰めてくる。

 もう駄目かと思いかけたその時、今度こそ目の前のセルリアンはパカァンと小気味よい音を出してバラバラに砕け散った。

「……え?」

「うふふ……。ようやく見つけたわ……この泥棒だぬき!」

「えぇ!?」

「やーん園長さぁん!会いたかったです~!」

「ええぇ!?」

 一体何が起こったのか。

 そしてタヌキの前に現れた彼女たちは一体何者なのか。

 この時のタヌキは、世にセルリアンより恐ろしいものがいるという事をまだ知る由もなかった。

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