箱庭③
サイオンはカーミラの亡骸を腕に抱きながら、呆然としていた。
どれだけ泣いただろうか…。
どれだけの時が経ったのだろうか…。
もう…このまま死んでしまおうかと思った。
それだけ辛かった…。悲しかった…。
「…おとうたま?」
聞きなれた愛らしい小さな声が聞こえて来た。
「…あ……アイシャ?」
まだ眠いのか、ごしごしと自分の手で瞼を擦っている。
「…おとうたま。…どうしたの?ないてるの?」
心配そうな顔で駆け寄って来る愛娘。
ハッとしたサイオンは、カーミラの胸に刺さったままだった赤黒いナイフを、自身の身に着けていたマントで覆い隠した。
「…お父様は大丈夫だ。」
ぎこちなく娘に笑い掛けると、アイシャの視線がカーミラに移った。
「ねぇ、おとうたま?おかあたま…どうしたの?ねんねしてるの?」
アイシャは動かないカーミラを心配そうに見つめている。
……っ!!
サイオンは咄嗟に娘を抱き締めて、自分の顔を娘に見られない様にした。
「あ、ああ。…お母様は…ちょっと疲れてしまった…から…眠っているんだ…。」
嗚咽を堪え、ゆっくりと話す。
「そっかぁ。おかあたまいっつもがんばってるからねぇ。ゆっくりねんねしてね。」
アイシャはカーミラの頭を何度も撫でた。
……っ!!!
その光景に涙が一気に込み上げて来た。
俯いたままアイシャを抱き締めると、アイシャが頭を撫でてきた。
「おとうたまもつかれたの?いいこ、いいこしてあげるからね。いいこ、いいこ!」
カーミラとアイシャを両腕で強く抱き締めながら、魔王サイオンは金の縁を怪しく光らせ、漆黒の瞳を濁らせた。
…カーミラと、遺された子供達の為にも私は死ねない。色々考えるのは後で良い…。
――子供達を寝かしつけたサイオンは、魔王にしか解けない結界を施した。
サイオンにはやらなくてはならない事があった。
カーミラの殺害を実行した者。それを企てた者。協力した者。見て見ぬふりをした者。
…全ての存在が許せない。
だが、一番許せないのは自分自身だ。
ギリッと唇を噛み締めると、口の中に錆びた味が広がった。垂れる血を乱暴に拭い、天を仰ぐ。
傍らにある祭壇にはカーミラの亡骸がある。
「神よ!!カーミラの兄神であるアーロンよ!!」
サイオンが呼び掛けると、一瞬にして空気が変わったのが分かった。
夜だというのに、日の光の様な輝きを放つ髪と、どこまでも蒼く澄み渡った瞳。
この男がカーミラの兄か…。良く似ている。
アイシャの前では姿を見せても、アーロンがサイオンの前に姿を見せた事は一度もなかった。
初めての出会いが、こんな形で実現するなんて考えた事もなかった。
目の前に居る兄神は無表情だった。
…恐らく怒っているのだろう。それは当たり前だ。
彼の大事な妹を見殺しにしてしまったのだから…。
兄神に殴られたっておかしくない状況なのに、目の前に居る兄神はそれをしない。責める事もしない。
「カーミラが死んだ…。私のせいだ。」
サイオンは両の拳を強く握り締めた。
「私が頼むのは筋違いかもしれない。…だけど、カーミラをあいつらの側には…」
「分かった。妹は返してもらう。」
サイオンの願いに淡々とした返事をした兄神は、右手を真上に上げた。
すると、ふわりとカーミラの身体が浮き上がった。そして、あっという間に付き添う兄神と一緒に天へと昇って行ってしまった。
…カーミラ!
思わず延ばしかけた手を堪え、カーミラの姿が見えなくなるまで……否。見えなくなっても、サイオンは天を仰ぎ続けた。
暫くそうしていたサイオンは、不意に天を仰ぐ事を止めて、正面を向いた。
…さあ。復讐の開始だ。
彼らは、目の前にいる女神の存在に我を忘れて、とんでもない事をしてしまったのに気付いていなかった。
日頃の穏やかな気質のせいで忘れてしまいがちだが、サイオンは歴代の魔王の中でもトップクラスの魔力を持った魔王だったのだ。
サイオンが望めば、一日でこの世界を滅ぼしてしまう事なんて簡単だ。
彼らがそれに気付いた時には、既に黒い業火に身を焼かれている最中だった。
痛く、苦しく、気を失いそうになるのに、灰になるその瞬間まで意識も痛みも消えない。
自らの身体が少しずつ崩れて行く様を見せ付けられ続ける。
――決して、簡単には殺さない。
カーミラが味わった以上の苦痛を味わわせてやる。
特に、ナイフを突き立てたハンナには…。
魔王サイオンは瞳を細めて、嗤った。
********
「…お父様。ボーッとして、どうかしましたか?シャルロッテが心配なのは分かりますが…。」
自らの意思で小鳥の姿になった娘が、心配そうな顔でこちらを見上げていた。
「あ……ああ。さっきのは女神セイレーヌの仕業だ。主はセイレーヌの愛し子だから問題はない。咄嗟の事だから、少し驚いたがな。」
自らの意思で黒猫になったサイオンは苦笑いをした。
「少し……昔の事を思い出していた。」
アイシャは昔から素直で愛らしい子だった。
「あの方が女神セイレーヌなのですね。」
「知っているのか?」
「はい。お母様のお義姉様でしよう?そして、この世界の管理者の神は、お母様のお兄様でもある。」
サイオンはポカンとした顔で愛娘を見下ろした。
「お父様。お忘れかもしれませんが、私は『叡智の悪魔』ですのよ?」
ふふふっ。と微笑むその顔には、カーミラの面影がしっかりと残っている。
「では…お前達の母親の…事も?」
「勿論ですわ。」
金糸雀は悲しそうに瞳を伏せた後、ギラリとした苛立ちを瞳に宿した。
「遠い記憶……。そこには優しいお母様と幸せだった思い出が残っています。それを壊した奴らの事を私は一生許せませんわ。」
「それならば…」
『私がきちんと片付けた。』
そう言おうとしたサイオンを金糸雀はジロリと睨み付け、その視線だけで黙らせた。
力こそ封印されているがサイオンは最強の今代の魔王だ。そんな存在であるはずなのに、無言の娘に圧倒された。
空気を読んだサイオンは、金糸雀には逆らう事はせずに黙って頷く。有無を言わせないところも母親似である。
「お父様は甘いですわ!あの後、媚を売るようにして城に戻って来た別のお義母様達。…あの人達を見逃しましたわね?」
「まさか…!」
「ええ、そのまさかです。あの人達も共犯でしたわ。」
「…っ!クソッ!!!」
愛らしいはずの黒猫の瞳にそぐわない、ギラリとした殺意が浮かぶ。
今直ぐに殺してやりたいが…この姿では無理だ。
架空を睨み付けるサイオンに、金糸雀は小鳥らしからぬ妖艶な微笑みを浮かべてみせた。
「心配せずとも大丈夫です。私とクラウンで皆殺しにしましたから。」
「…は?」
「お義母様達や私達の他の義兄弟達は、お父様の事を疎んで出ていった訳ではないのですよ?」
「あの時はそんな事言わなかったじゃないか?」
あの時とは、シャルロッテと共に魔王城を訪れた時だろう。
義母や義兄弟達が既にこの世に居ないのを知っていたのに、あろう事か金糸雀は驚いている演技をしてみせていたのだ。
「アイシャ……。」
「駄目でしたの?ああ、でも駄目って言われてもやりましたけど。後継者であったはずの義兄弟達も一人残らずに殺してやりましたが…私もクラウンも居るので、大丈夫ですわよね」
全く悪びれた様子の無い金糸雀に、呆気に取られつつも…。
「ありがとう。アイシャ。」
頼もしい愛娘に、魔王サイオンは心から礼を告げた。
「穏やかで、心配性な可愛いお父様。久し振りに会った時には、性格が更に丸くなっていて驚きましたが…。」
「仕方無いだろう?お前達は幼い頃に飛び出して行ってしまったし…カーミラの様に私に寄り添ってくれる者など居なかったからな。思い出に浸るしかなかった。」
「でも、泣くとは思いませんでしたわ。」
金糸雀はジト目でサイオンを見る。
「うっ……。私ももう寿命だからな…って、痛いぞ!」
苦笑いを浮かべながら言ったサイオンの柔らかいお腹の部分を、金糸雀は嘴で思い切り突ついた。
「…お父様が悪いんですのよ?…また一緒に居られる様になったのですから…そんな悲しい事は言わないで下さい…。」
「アイシャ…すまない。まだまだ頑張るぞ。」
しょんぼりする金糸雀の頭を前足で撫でながら、サイオンは謝った。
金糸雀は返事をせずにコクンと首を縦に振る。
――傍から見れば黒猫と小鳥のもふもふな幸せな光景だが、そこに触れるはずのシャルロッテは不在だ。
「それにしても、イシス――クラウンはどうして女神セイレーヌに着いて行ったのだろうか…」
「さあ。物にでも釣られましたかしらね?」
愛娘との団欒を楽しみつつ、主が戻って来た時には、魔族がもう三人だけしか居ない事を教えてあげようとサイオンは思った。
…主はきっと喜んでくれる筈だ。
サイオンは、ウンウンと一人頷く。
――因みに、彼方はクリスによる『彼方を太らせよう』作戦の真っ只中にいる。
この場を離れるのを拒んだ彼方には、心配する必要がない事だけでなく、『何かあったら必ず知らせる事』と『食事を終えたら皆でシャルロッテの帰還を待とう。』と、ルーカスが良い感じに言いくるめ、クリスが強引に連れて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。