夢①

15歳の年の九月。


ルーカスは王立ラヴィッツ学院に入学した。


学院は全寮制だから家族とは離れて暮らす事になる。

兄と離れたくないシャルロッテは寂しくて暫く泣き続けた。

そんなシャルロッテをルーカスは優しく宥め

『休みにはこまめに帰って来るから』

と約束をしてくれたのだ。

渋々ながらも納得したシャルロッテは、両親に無理を言って参加させてもらったルーカスの入学式で、新入生代表の挨拶をする更に格好良く成長した従兄弟のクリストファーに、一目惚れをした。


王位継承権を放棄し、王族としての立場を棄てた父は、娘が王太子妃として王族になる事を渋った。

王族としての責任を充分に理解している父は、シャルロッテにはもっと普通の幸せを願って欲しかったのだ。

繰り返されるシャルロッテの懇願と熱意に負けた父は、クリストファーとの婚約を成立させた。


公爵令嬢としての立場上、王妃教育は施されて来たシャルロッテは婚約成立後、更に積極的に王妃教育に取り組んだ。





それから半年後の四月。


大好きなルーカスは側には居ない。

けれど、惜しみ無い愛情を注いでくれる大好きな両親に、優しい使用人達。王妃教育。


シャルロッテは毎日が幸せで、満ち足りていた。


その日、シャルロッテは自室の机に向かい、兄へと近況報告の手紙を書いていた。

すると、誰かがバタバタと走っている音が聞こえた。


…どうかしたの?


首を傾げるシャルロッテの部屋のドアが、ノックも無く乱暴に開けられる。


「お嬢様!!逃げて下さい!!」


飛び込んで来たのは、いつも笑顔を絶やさないの老齢の執事のマイケルだった。

マイケルは汗だくで、珍しく険しい顔をしている。


「逃げるって…マイケル、大丈夫!?」


ハンカチを手に取り、慌ててマイケルに駆け寄る。


「スタンピードです!屋敷の裏手の方から魔物の大群が押し寄せて来てます!…早く!旦那様の書斎へ!!」


驚きに目を見張り、震え出すシャルロッテの手を引き、マイケルは走り出した。


もつれそうになる足を必死に動かして、マイケルと共に父の書斎を目指して走る。



ようやくたどり着いた父の書斎のドアを開けると、ボロボロと涙を流す母を抱き締めている父の姿が見えた。


「シャルロッテ…。」


父が片腕を広げてシャルロッテを呼ぶ。もう片腕には母がいる。

父の片腕に飛び込んだシャルロッテは、母に抱き締められながら、父からも力強く抱き締められた。


「騎士団も、魔導師達も間に合わない。」


頭の上に響く、聞き慣れた父の声は落ち着いていた。


「私はここで少しでも時間を稼ぐから、シャルロッテは逃げるんだ。」


「嫌!お父様も…一緒に逃げましょう?」


ギュッと父の服にしがみつきながら、シャルロッテは首を大きく横に振る。


「マイケル、後は頼んだ。」

「旦那様…。」

悲痛な面持ちのマイケルは小さく震えながら頷く。


「シャルロッテ。お母様はずっと貴方達の事を愛しているわ。ルーカスにも伝えて頂戴ね。きっとよ…?」


シャルロッテの額にキスをし、涙を流しながら微笑む母は、最期の別れの言葉を口にする。


「どうか、幸せになって。お嫁に行く所を見守ってあげられなくてごめんなさい。」


ギュッと抱き締め、最後に頬にキスを落とした。


「嫌ー!お父様!お母様ー!!」


老齢でも力強いマイケルの両手が、離れたくないと両親にしがみ付くシャルロッテを引き剥がす。


「旦那様、御武運を…」


震える声で、涙を流さぬ様に堪えるマイケルが父達に向かって頭を下げてから、本棚の影にある隠し通路へとシャルロッテを押しやった。


扉が締まる瞬間に見えた両親は二人共笑顔だった。



「嫌っ!!マイケル、放して!!お父様とお

母様の所に戻る!!」


「お嬢様いけません!旦那様達の気持ちを踏みにじりたいのですか!」


涙声のマイケルにそのまま引き摺られる様にして歩きながら、狭い通路を進み続ける。


その途中では、恐ろしい魔物の雄叫びや、逃げ惑う使用人達の悲痛な叫び声が聞こえる。


「…っ!!みんな!!」


その中には、私の優しい専属侍女の悲鳴も混じっていた。


「マリアンナを…皆を助けないと…!」

「…っ。駄目です!」


どうして…

どうして…こんな…

何もしてないのに…

みんな優しい人達なのに…


どうして、私は皆を助けられない?

どうして!私達がこんな目に合わなきゃいけないの!?


無力なシャルロッテは、止まらない涙を片手で拭いながら、マイケルに着いて行く事しか出来なかった。


何も出来ない自分を悔やみ続けた。


そうして、どの位歩いただろうか。


目の前に、光が差し込むドアが見えた。

そのドアの前でマイケルは足を止める。


「お嬢様。良く聞いて下さい。私はここから外に出て、助けを呼んできます。決してここから一人で出てはいけませんからね。」


「ぇっ…嫌ぁ!マイケルまで行かないで!一人にしないでよ…」


シャルロッテは必死でマイケルの腕にすがり

付いた。

「この事を外に知らせないといけないのです。」

「そんなのマイケルじゃなくても…!」

「いいえ。それが私が旦那様とした約束なのです。」

「マイケル…」

「大丈夫。私は死にません。お嬢様を一人にしたりしません。だから泣かないで下さい。」


皺のあるマイケルの大きな手が、シャルロッテの大きな瞳から涙を拭う。


「必ず助けを呼んで戻ります。だから、ご無事で。」


マイケルは笑顔を残し、魔物の雄叫びの聞こえる扉の向こう側へ行ってしまった。



「マイケル!!」


シャルロッテは閉まる扉に向かって手を伸ばし続けた。


シャルロッテは呆然とその場に座り込み、扉だけを見つめ続けていた。



お父様とお母様が…マイケルが迎えに来てくれると、そう信じて。








…どの位経っただろう。


扉の外の光が暗くなって、また明るくなった様な気がするけど、良く分からない。

お腹も空かないし、眠くもない。


自分が生きているのかも、死んでいるのかも分からない…。



死んだとしても良い…。優しい皆の所に行けるから。


そう微笑んだシャルロッテの目の前のドアが、ギィーッと大きな音を立てて開いた。



眩しい光が差し込み、目を開けていていられない。


瞳を細めながら、扉の方を見続けていたシャルロッテは


「シャルロッテ!!」


聞き覚えのある声が聞こえたと同時に、全身を締め付けられる温もりを感じた。


「…無事で良かった!」


涙混じりの声。シャルロッテを強く抱き締めているその背中に、そろそろと両手を伸ばすと、更に強く抱き返してくれた。


「…おに…いさ…ま?」

「そうだよ!一人にしてごめん…。もう…大丈夫だから…。」

「お、お兄様…!!」

兄にしがみ付きながら、シャルロッテは泣いた。大きな瞳が溶けてしまいそうな程にボロボロと涙を流し続けた。



そうして暫く泣き続けたシャルロッテは


「シャル…?」


大好きな兄の温もりに包まれながら意識を失った。

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