トルーテンイルガーシカは軽い音で死ぬ

(°_゜)

トルーテンイルガーシカは軽い音で死ぬ


 あれ、縺ィ繧ょュじゃん! 久しぶり、帰省か? 今年は随分遅かったな。もう盆も開けちまったぞ。去年は盆前くらいで……そうそう、ちょうどその時も駅で会ったよな。

 ……にしても、少し痩せたか? ちょっとシュッとしたよな。大学行って一人暮らしすると食生活乱れがちになるっていうしな。おれも人のこた言えないが。ちゃんと食ってるか? そうか、それならいいんだ。


 ああ、これ? 何って見てのとおりだよ。炊飯器。ウチで使ってるやつ。いや捨てに行くんじゃないよ。

 これな……実は……、……もうちょっとこっちに来い。実は今からトルーテンイルガーシカを食いに行くんだ。


 何って、トルーテンイルガーシカだよ。楕円っぽい感じのアレ。いや、なまこじゃないよ。

 ちょっと前にTwitterでも話題になっててまとめサイトで取り上げられたりもしてたけど見たことない? まあお前あんまりそういうの触れなさそうだもんな。

 衣擦れとかのちょっとした音でも死ぬって言われてるめちゃくちゃ弱い深海生物でさ。世界で一番弱い生き物とか言うキャッチコピーもついてて笑えるよな。

 地球上での生存にそもそも適応できてないとか白ひげの学者先生が言ってたりしてさ。


 ただ、それがもうめちゃくちゃ美味いんだよ。

 深海生物ってそういう所あるじゃん。バラムツとかもそうだろ。知ってる? バラムツ。美味いんだけど脂が人間に消化できないって言うんで食いすぎると尻から脂が垂れてくるんだよ。バラムツは結構食ってるやつも居るしさ。グーグルで検索すればいくらでも出てくるぜ。


 トルーテンイルガーシカはさあ……なんだろう、肉体的に不調がくるとかじゃないらしいんだけど、ただ食べ過ぎると「還ってこれなくなる」んだよな。眠ったまま目覚めない、みたいな。

 ……だよな、嘘くさいよな。その反応は判るよ、おれも最初聞いたときは思ったし。

 とにかくまる一匹分食べなければ大丈夫だ。

 サイズ感もなまこみたいなもんだからそんなでかくはないんだけど、食べた量がまる一匹分に満たなければ大丈夫っぽい。

 寿司でいう一皿か二皿程度だよ。ただ、それだけでも食う価値はある味なんだよな。


 ……それで還ってこれなくなるって話だけどさ、おれの知り合いで還ってきたやつがいるんだよ。

 興味ある? 時間大丈夫だったら話聞いてくか? おれもまだ時間余っててすることないんだ。

 そう、新幹線。東京まで一旦出て品川経由して沼津に行くんだ。深海魚って言ったらやっぱり沼津だろ。あそこ深海魚定食とかもあるしな。

 そうか、じゃあ向こうのベンチにでも座ろうぜ。何か飲む? 奢ってやるよ。遠慮すんな、バイト代も入ったしな。今日のために下ろしてきたんだ。

 ああ、そうだ。生臭かったらゴメンな。おれ寿司屋でバイトしてるからさ、魚のニオイとかがどうしても染み付いちまってて大学でも生臭いってよく言われるんだよな。

 何飲む? おれいつもこの駅で飲み物買うときはドクターペッパーなんだ。他じゃ売ってないからな。近所のイオンのお客様アンケートでも月イチくらいでドクペ入れてくれって書いてるんだけど未だに駄目だ。

 ああそういえば炭酸駄目だったな。じゃあほらアイスカフェオレ。



---



 どっから話したもんかな。

 そうだな、トルーテンイルガーシカを食いすぎるとどうなるか、って事だが、その還ってきたやつの話によると食いすぎると自分も同じトルーテンイルガーシカになるらしいんだよ。


 わかるわかる、おれも最初に聞いたとき同じツラしたよ。意味わかんねえよな。

 そのそいつの−−「東野」って名前にしておこう。仮名だけどあいつそいつだらけじゃ判りにくいだろうしな。

 東野は駄目な方の大学生で、必修以外の単位はほとんど取らずに家でだらだら生活してる廃人手前のやつだった。MMOでいつもいるようなタイプのやつさ。

 おれと東野は趣味は全く合わないのに飯の好みが一緒だから変にウマがあってさ、そこから話すようになっていったんだ。行く飯屋行く飯屋で顔合わせるんだよ。学生御用達の飯屋なんて大体限られてくるんだけどな。


 それとあいつ、母ちゃんが占術的なやつをかじってるせいか割とオカルト方面の話が好きでさ。居酒屋とかで三杯くらい呑むとスイッチが入って星の話とかをしだすんだよ。

 まあ――ただ、今にして思えば、東野も自分自身はおれと同じでそういうオカルト的なものはあんまり信じちゃいなかったんだと思うよ。そういう話をすると女ウケが良いとか言ってたし、合コンとかでの鉄板ネタだったみたいだ。

 おれはあいつと一緒に合コン行ったことがないから聞いたことないけど、多分おれに話すような話をしてたんだろう。

 話し方は結構うまくてさ、その場で誕生日とか色々スルッと聞いていまの星の位置だとこういうことが起きやすいですよ、みたいな。先月はこうだったみたいですがそういう傾向なかったですか? って。そしてその先月はこうだったがまあ割と抽象的なんだけど結構良いところをつくんだよ。おれも一ヶ月ぶりくらいに顔合わせたのに確かに……って思わされることもあったしな。

 こいつは面白いやつだってなるだろ?


 話題もそういうオカルト方面の引き出しが多くてさ。占い的なエピソードから怖い話とか。そして都市伝説みたいなやつまで。

 それでその都市伝説みたいな話の中にトルーテンイルガーシカがあったんだよ。

 深海生物だぜ? カテゴリーエラーもいいところだよな。

 調べていくうちに、トルーテンイルガーシカは実際に居て、どうやら食べることもできるらしいという話までたどり着いた。

 生物自体に関する情報だけならそれなりにあるんだよ。さっきも言ったろ、まとめサイトとかで特集されてたりするくらいだから。wikipediaにはなかったけどな。

 じゃあそれなら話のネタになるし食べに行こうぜって話になってさ。

 二人で講義サボって、わざわざトルーテンイルガーシカを何切れか食うためだけに沼津まで行ったんだよ。東野は炊飯器まで持ってな。


 何で炊飯器かって? もしトルーテンイルガーシカを持ち帰ることになった時に必要なんだ。

 おれも理由はよく判んないけど、釜じゃないといけなかったりするんじゃないか。少なくとも炊飯器じゃなきゃ分けてもらうことはできないって話だからまあそれなら持ってくか程度の話だよ。

 信じられるか? 炊飯釜にそのまま刺し身貼り付けるだけなんだぜ。シュールだよな。でもなぜだかタッパーとかで持ち帰ると食えたもんじゃないらしい。


 それでさ、トルーテンイルガーシカってほとんど調理とかできなくて、生じゃないと食えないんだよ。普通なら一番危なそうなのにな。火を通すとあっという間に炭化するし、煮るとめちゃくちゃ縮んで味もくそも判んないらしいからな。他の調理法でも大体食えないか味がわからないか不味くなるらしい。

 刺し身にして醤油で食うのが一番いいんだそうだ。


 だからおれも東野ももちろん生で食べたんだよ。刺し身で三切れくらいかな。

 薄切りなのに全然透明感がない白でなんだこれって感じの見た目だったよ。子供が粘土で作った刺し身って言われたら信じたかもしれない。

 だが味はヤバい。

 一切れ食っただけで、美味すぎて体がおかしくなったんじゃないかってくらい涙がぼろぼろ出てきた。

 身の中にヒトが食しちゃいけない成分みたいなのが入ってるに違いないと思ったね。

 人生で一番泣いたって言っても過言ではないくらい涙が出てきたし、そういう体の状態を無視しても味は本当にうまかった。

 何だろうな、伝えたいんだけど唯一無二の味過ぎて例えようがないんだよな。食感とかはやっぱり刺し身だから普通の刺し身とかと変わんないよ。ああでも気持ちもちゃっとしてたかな。でも味だよ味。幸せっていう言葉を固形化して口にしたらあんな感じなんだろうなって思ったよ。


 女将さんもさ、別に慣れたもんなのか「ティッシュ必要でしたら隣のテーブルの使ってくださいね−」くらいでさ。

 おれも東野も三切れ食うのに一時間かかった。一人暮らしのながら見早食いが魂まで染み付いてるような男二人が三切れづつに一時間だぜ。


 翌日おれたちはすぐに帰路についた。正直絶対落とせない講義もあったし、懐も別に裕福なわけじゃなかったからな。

 だが追加分を貰った東野を見て、おれは炊飯器持ってこなかったことを心底後悔したし、なんなら現地で炊飯器買おうかとも思った。

 そうしなかったのはやっぱり金がなかったからと、また行けばいいかと思い直したからだ。

 東野、女将さんに絶対二十四時間以内に追加分は食べないでくださいって言われてさ、炊飯器に時間だけ書いた紙が貼り付けてあったんだ。七時三十二分。それが東野がおかわりを食べていい時間。

 でも東野はそれより前に食べた。

 おれと別れて、最寄り駅へ向かう途中で電車が止まったんだ。後二駅だったんだけどな。

 三十分くらい動かなくて、しかもその車両には東野以外居なかった。

 そして決め手になっちまったのが東野のジャケットだ。ポケットからミニパック醤油が出てきたんだ。

 あいつ、オリジン弁当とかよく使うし、そこでもらったのをたまたま入れててそのまま忘れてたんだろうな。

 女将さんも話してたんだ。二十四時間より前に食べると意識が戻らなくなる可能性もあるって。

 でも東野の気持ちも判るよ。

 実はな、東野少し前に高校の時から付き合ってた彼女にフラレてて、何か現実逃避できるものを探してたんだよ。

 だから多分、価値観揺さぶられるくらいうまいもの食ってもうこのまま目覚めなくなるならそれでもいいって思ったのかもしれない。

 それで食べて美味すぎてまた泣いて、家に帰って風呂入って翌日の講義の準備をして寝た。

 それからずっと眠り続けてた。



 おい待て、そんな顔をするなよ。別におれは死にに行くわけじゃないぞ。それに言ったろ、過剰に食べず、ちゃんと時間を守って食べれば大丈夫なんだって。

 この話には続きがあるんだ。



 おれは何回か東野の見舞いに行ったんだよ。おんなじ物くってんのに目覚めないとか怖すぎるだろ? どうにか目覚めてほしいって思ってた。

 でもまあその後東野の家に行ったら炊飯器の中に乾いた醤油がこびりついてたし、何があったかはなんとなく察してた。


 最後に見舞いに行った日は病室には誰も居なかった。

 特に飾りっ気もなくてさ。東野の姿さえなければ単なる空の病室って感じだった。それになんか来るたびに東野の顔も土気色になっていっててさ、ああもう長くないんだろうなって思った。

 おれも長居するつもりで来たんじゃなかったし、ちょっと顔を覗き込んだんだよ。


 そしたらばっちり目があった。


 いやーたまげたたまげた。こっちからすれば死人と目があったような気分だったよ。

 でも本当に怖かったのはそれからだった。


 ――あれ、俺……。


 東野はおれの顔を視界に入れたことで何かのスイッチが入ったのか、口を開いた。


 何だ、やっと目が覚めたのか。心配したぜ。大丈夫か?

 おれは全身の毛がビビって逆立つような気持ちを抑えて、そんな感じで話しかけた。


 ――ここ、どこ?


 どこって病院だよ。覚えてないのか? お前、一緒にトルーテンイルガーシカ食いに行って帰ってきた翌日に、


 おれが言えたのはそこまでだった。


 トルーテンイルガーシカって単語を出した瞬間、東野はバネ仕掛けのように上半身を起こして、筋肉が落ちてめちゃくちゃ細くなった手でおれに掴みかかってきた。


 ――助けてくれ! 俺はもう死にたくない! トルーテンイルガーシカにはなりたくない! もうどこにも連れて行かれたくない!


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして東野はおれにそう言ってきた。

 おれは東野が落ち着くまでずっと大丈夫と落ち着けを繰り返し言い続けて東野が落ち着くのを待った。


 顔はほんとに土気色だったが、幸いにも十分位で東野は落ち着いてきた。ずっと病室を見たり自分の手を見たり、拍手してその音を聞いて自分の心臓に触れたりしていた。

 そして東野は眠っている間に見ていたことについて語ってくれた。



 東野曰く、

 トルーテンイルガーシカは名前に縛られた意識と体の集合体らしい。

 例えばおれと東野は別の人間だろ? でもそれがトルーテンイルガーシカだと、おれがどうしてもある荷物をAからBに運ばなきゃいけないけど、ものすごく憂鬱でそういう行動が取れそうにないとなったら東野の意識がおれの体に入って変わりに荷物をAからBに運ぶ。あるいはおれが風邪を引いて体のほうがだめになってたらおれの意識を東野の体に入れて変わりに移動させる。そういう風に他人と自分の境界がなく、手軽に行き来するらしい。


 そしてトルーテンイルガーシカは軽い音で死ぬ。

 深海にいる間は悠々と過ごしているが、陸に引き揚げられてからは地獄の始まりだ。

 音で溢れている地上では一分に何度死ぬか判らない。

 肉体が完全に死ぬまでは意識が入るらしいんだ。だけど地上にいる限りはすぐ死ぬ。

 マンボウの都市伝説知ってるか? 近くの仲間が死んだショックで連鎖で死ぬとか水中の泡が目に入ったストレスで死ぬとか。マンボウの話は嘘らしいけど、トルーテンイルガーシカはそんなんが目じゃないくらいひ弱だ。

 ほぼあらゆる日常音が殺傷要因になる。着替える時の衣擦れ、ペットボトルの蓋をあける音、エアコンの駆動音、スマホのバイブ、電気のスイッチを入れる、パソコンから聞こえるエコーの掛かったVtuberの動画。何でも死ぬ。


 死ぬたびに別の意識にリセットがかかる。どれくらいの頻度や周期で東野の意識がセットされたのかはわからないが、東野の憔悴っぷりを見るに一や十じゃ済まないだろう。陸に揚げられたトルーテンイルガーシカの数だって一や十じゃすまないだろうしな。

 他にも、実験か何かなのか無響室に置かれているときもあったらしい。

 ほら、音がほぼ全てなくなる空間で、自分の体内の音がうるさいくらいに聞こえる部屋。

 そこに置かれているときは――増えるんだ。


 音が死に絶えた空間っていうのがもしかしたらトルーテンイルガーシカの住処に一番近いのかもしれない。無音空間で音もなく増殖するから怖いらしいぞ。

 そりゃそうだよな。人間で言えばぼーっとしててふと横を見たら全く同じ自分が居るようなもんだ。トルーテンイルガーシカの中にいた東野がトルーテンイルガーシカを自分ではなくトルーテンイルガーシカと認識していたならともかく、自分の体と認識していたらそりゃまあ恐怖だろうよ。


 そんな感じで東野は自分がトルーテンイルガーシカになってたと言う話を面会時間ぎりぎりまでおれに話してた。

 最後の方は話し方もぽつぽつって感じになってきて、おれが帰るときには抜け殻みたいな顔をしてたよ。

 悪夢から抜け出してきたって顔だった。

 だから最後の一言がおれは一番怖かったよ。


 ――また食べたいなあ。


 何が、ともおれは聞き返さなかったし、特に何の反応も返さなかった。

 だよな、信じられないよな。

 あまりにでかすぎる代償を払う羽目になったのにまだ食いたがってるんだぜ。

 兎にも角にもおれが東野に会ったのはそれが最後だった。

 何日か後にその後の調子はどうだ? とLINEをしたんだが、「おとがうるさい」とだけ返ってきてその後はいくら連絡しても既読もつかないし電話も出ない。

 東野の家に行ってもずっと留守だ。

 心配して東野の実家に連絡をとったら、行方不明扱いで捜索願を出されていたらしい。

 多分、頭がもうイカれちまってたんだな。



 判るよ、怖いよな。おれだって怖かった。その時は心底ブルっちまって数ヶ月くらいその時の東野のことを思い出して夜中に飛び起きることもあった。

 それくらいその時の東野の顔は鬼気迫ってたからな。

 だが徐々に落ち着いてくるにつれておれも思い直すようになってきたんだ。

 涙でぐしゃぐしゃにして死にたくない連れて行かれたくないとか言ってるようなやつがだぜ? それでもまだトルーテンイルガーシカは食べたいとか抜かしやがるんだ。

 確かに美味かった。味は本当に。

 だから……何ていうかな、今回行くのは供養のつもりでもある。

 そんな顔すんなって。お前も食ってみれば多分印象は変わるよ。

 おれ? 大丈夫だって、別におれも東野の後を追いたいわけじゃないんだから。



 おっと、そろそろ時間だ。

 縺ィ繧ょュ、話聞いてくれて助かったよ。何か自分で抱え込み続けるのもな。誰かには知っておいてほしかったし。

 じゃあな、体には気をつけろよ。

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トルーテンイルガーシカは軽い音で死ぬ (°_゜) @Munkichi

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