第44話 一難去ってまた一難
「……」
その後のことまで頭を過ぎり、鼓動が少し早くなって、頬が熱くなる。
よりにもよって、幸とキスをしちまうなんて……兄貴としては失格だ。「兄貴」という看板を取っ払ってしまえば……いやいや、それでもよくないだろ。そもそも、このキスには幸自身の意思は全く関与していない。ミユキがコントロールした身体の幸だ。
……それでも、恐らくは幸のファースト・キスを奪っちまったに違いない。
何ともやり切れない。だが、何も知らんとは言え、幸の方がもっとショックだろう。
そういや、幸はあの事件の最中に「いい夢見た」とか言ってたよなぁ。……こんな不意打ちのキスなんて吹き飛ばすような夢でも見てたんなら、俺も少しは気楽になれるんだが。
首をもたげていた罪悪感と後悔に、更に自己嫌悪がのし掛かり、俺は一段と肩を落とす。
しかし、だ。
よく考えてみれば、俺たちにちょっかい掛けてくるスパイラルが悪いんじゃないのか? あいつらが手を出してこなけりゃ、俺と幸はこんな目に遭わずに済んだんだ!
……などと八つ当たり混じりの屁理屈こねたところで、キスの事実もスパイラル・エンタープライズの襲撃も消えてなくなりはしない。
「――!」
手の中のスマホが、現実を直視しろ、と言わんばかりに震え始めた。
さっきの拉致未遂の時と同じだ!
スマホの画面全体が赤く明滅し、「ALART!」の文字が躍る。続けて、「襲撃者接近中!」のテロップが流れ始める。
……早速おいでなすったか。間髪入れずに襲ってくるとはな。
俺はさっきみたいにヘッドフォンマイクを耳に突っ込んだ。
「いいぜ、ミユキ。……ったく休ませてくれねーな」
「――用意がいいのね、伊東衛太郎。今度は相手は二人。さっきと同じ人物かどうかは確認不能。玄関からではなく、ベランダ伝いに幸の部屋から侵入する模様」
ミユキからの状況説明が終わる間もなく、居間のドアが音も立てずに開いた。
口元に人差し指を当てた幸が忍び足でこっちに来ると、俺の袖口を掴んで庭へと続く居間の窓を指さした。
「――襲撃者が間もなく部屋に侵入するわ。ワタシが合図をしたら庭から裏へ出て、高階医院へ」
「あいよ」
「うん!」
俺と一緒に幸も答えたところをみると、俺と幸と同時に対応しているのか。ま、ミユキにしてみりゃ朝飯前か。
今ほど上空からの「ミユキの目」が頼もしく思ったことはない。相手の動きが丸分かりなんだからな。
「――今よ」
ミユキの声に弾かれて、俺と幸は庭へと飛び出した。ミユキは自分のサンダルがあったからいいが、俺は瑞穂おばさんのサンダルと思わしきものを突っ掛けていた。裸足よりはマシだが、足のサイズが合わなくて走りにくいことこの上ない。
頭を低くして、幸の手を引いて走る。
幸の家は背の高い塀で囲われているので、そのまま路地には出られない。俺ン家との間にある生垣の隙間を抜けて路地へと出ることになる。
家屋と塀の間を走り抜け、表通りに出ようとしたときだった。
いきなり、横っ腹に鈍い衝撃が襲う。
「……なん、だ……と?」
周りには誰も居なかったはずだ。
人の気配も感じなかったし、上空からの監視――ミユキからの警告なんかも一切なかった。
だが、俺への一撃は本物で、俺はその場に腹を抱えるように膝を付いた。
「おにーちゃん! ……わ、離してよぉっ!」
幸が黒ずくめの奴に拘束されようとしていた。
俺は手を伸ばしたが、幸には届かない。
「や……やめろ」
「そうもいかないわ。さっきも言ったでしょ? 佐寺幸は私たちが保護させてもらうってね。……それにしても、撃たれた割には元気ね」
「お前……いつの間に!」
さっき学校での拉致未遂のときに聞いた声だった。
幸を取り押さえている奴の前に立った姿は、黒いライダースーツの女だった。
「――光学迷彩ね。光の屈折を意図的に変えて、利用者を不可視化する技術よ。近距離でよく見れば不自然な屈折具合で分かるけど、静止軌道上からじゃ捉えられない」
ミユキが冷静に告げた。
……全く、トンデモ技術を使ってくれる。
「おにーちゃん! ……離してよっ! 離せっ!」
幸は羽交い締めされている。足掻くだけ足掻いてはいるが、手足がじたばたしているだけで、抜け出せそうにない。
妹を助けなければ、兄貴じゃない――
そんな思いが頭の中を埋め尽くしていく。
俺は、幸を拘束している奴に突っ込んだ。
「あら、あなたの相手は私。相手を間違えてよ?」
瞬間移動したかのように、ライダースーツがいきなり俺の前に立ちはだかった。
持てる限りの技を繰り出すも、全て受けられ躱され、相手の身体に届かない! ……チックショー、俺の手には余るってのか! だがな、そうは言っても負ける訳にゃいかねーんだよ!
そして、俺は――
「うぉぉぉぉぉ!」
「正に猪突猛進ね。あなたはもう少しクレバーな人だと思っていたけど、それじゃ策のないただの馬鹿と同じね」
渾身のタックルのつもりだった。
だが、いとも簡単に躱された上に足を蹴たぐられ、俺はその場に倒れ込んだ。
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