第42話 そんなこと考えたくもねぇ

「それから、伊東衛太郎――」

 ミユキが突然、これまでとは違う、少しかしこまったような物言いをした。

「――これはワタシからのお願いなんだけど」

「コンピュータが俺にお願いってなぁ、何だ?」

 何とも妙だった。

 そして、お願いされたことも実際、妙な具合だった。

「これからも幸のことをよろしくお願いしたいの」

「はぁ? 何言ってんだよ。お前のが四六時中一緒じゃねーか。俺の方が『よろしくお願いします』って言いたいくらいだぜ」

「そう言うと思ってたわ。……でも、ワタシがこんなことをお願いするのには理由がある。それは、ワタシがどうかしてしまうかもしれない可能性があるから」

「はぁ?」

 ミユキの言うことがさっぱり分からない。事情が全く飲み込めない。

 俺が眉を顰めていたからだろうが、ミユキが溜息を漏らす。

「単刀直入に、最悪の事態を告げておくわ。……つまり、ワタシがアナタの敵に回ってしまうかも知れないってこと。幸をコントロールして、スパイラル・エンタープライズの元に行ってしまうかも知れないってこと」

「――!」

 今回は助けてくれたミユキが敵に回る? スパイラルの手先になるってのか! 幸の身体を乗っ取って? どんな冗談だよ、それ!

「……もしかして、SCSの復活が仇になったってことか?」

「その通りよ、伊東衛太郎。残念だけどね。どうやら、休止状態のSCSをベースにして改良したものが、量子コンピュータの防御機構だったみたいなの。防御機構は他にも無い訳ではないけど、これまでのように鉄壁ではないの。今のワタシの防御機構は非常に頼りない状態。……今現在、不正アクセスはないけど、今後も無いとは限らない。ほぼ確実に、ポジトロン・ブラスターの使用事実は、スパイラル・エンタープライズに知られている。つまり、何らかの変化が<STARS-6th Virgo>に発生したという認識をしているはず。よって、一時は形を潜めていた不正アクセスが再開する可能性は高い。……こんなこと言ったら、笑うかも知れないけど、とても不安なの。コンピュータが不安っておかしいかも知れないけど、本当に物凄く不安なの……」

 これまで、ほとんど無色だったミユキの声が本当に不安の色に染まっていた。

 今まではミユキと同じ声であっても、俺には<STARS>のミユキであることが分かったが、今は本物の幸との区別ができなかった。

「……万が一、お前の防御機構が破られて、スパイラルに乗っ取られたら……どうなるんだ?」

「静止軌道上にある量子コンピュータそのものの回収は無理にしても、MIJUCIの解析、ひいては量子コンピュータの解析は確実に行われる。別の用途にも転用されるでしょうね。量子コンピュータは現在、MIJUCI、視覚システム、ナノマシン制御にしか使われていないから。……そして、最悪の予測は――」

 ミユキの双眸が俺を見据えた。

「――今のワタシに幸のコントロールができたのだから、恐らくリミッターの外れた幸が……伊東衛太郎、アナタに襲い掛かる。スパイラル・エンタープライズの命令で……秘密を知る者を始末する為にね。続けて、高階貴音にも」

 身体全体におぞましいほどの寒気が走った。

 幸に殺される? ……想像もできなかった。

 愕然としている俺に、ミユキが厳しい声で言った。

「伊東衛太郎、分かっているとは思うけど、今、ワタシが話したことは、一切幸に話しては駄目。こんなこと、幸が知ってご覧なさい、幸は再び高階医院から投身自殺する可能性が高いわ」

 ミユキの言葉は正鵠を射ていた。

 確かに、こんなことを知ったら、「わたしが居るから――」とか何とか言い出して、エラいことになる。そして、その割を喰うのはまた俺だ。

「……わ、分かった」

「……そろそろ幸が目を醒ましそうな感じね。脳波に覚醒パルスが混ざり始めたわ。アナタの傷もほとんど癒えたことでしょうし――」

 言われて気が付いた。脇腹には痛みはなく、触った感じだと、血もついた様子はないし、銃創も少々痕が残っているだけみたいだ。

「――伊東衛太郎、短い時間だったけど、有意義な時間を過ごせたわ。幸のことを本当によろしく頼むわ」

 ミユキの影が動き、奥の壁際に腰掛けた。

 そして――

「……あれ、ここは? えーと……」

 幸だ! 本物の幸が帰ってきた。

「大丈夫か?」

「……お、おにーちゃん?」

 幸は素っ頓狂な声を上げていた。

「さらわれかけたんだから仕方ないかもしれんが……お前の目を暗視モードに変えてみろ。俺の姿が見えるはずだ」

 ……やっぱり、使いこなしてねーな。

「ミユキ、暗視モードに変えて。……あ、本当におにーちゃんだ! ……あれっ?」

 幸の影が立ち上がろうとして、すぐに潰れた。

「か……身体が動かない……全然力が入らない。ど、どうしちゃったの、わたし?」

 潜在能力のツケが回ってきたか……。

 すぐさま幸に駆け寄る。

「仕方ねーな。無理すんなよ」

 手を差し出す。

 幸がすぐに手を握ってくる。

「……おにーちゃん、本当に助けてくれたんだね。……えっ! そうなの? ……ミユキが教えてくれたよ! おにーちゃんがスパイラルの手先をやっつけったって! ……すごいなぁ。わたしなんか、簡単に捕まっちゃったのに」

 ミユキめ、話盛りやがって……。

 本当は、俺はやられちまって死に目に遭って、幸だけじゃなくそんな俺まで救ったのは、ミユキの干渉があったにせよ、紛れもなく幸自身だ。

 だが、そうでも言わないと、幸に勘ぐられちまう。

 俺は幸の頭を撫でながら、大仰に威張る。

「護ってやるって言っただろ? 妹護れない兄貴なんていらねーんだよ。……身体だるいのは色々あったから、疲れちまったんだろ? ほれ……よいしょっと」

 自分の言葉に歯痒さを感じながらも、半ば強引に幸をおぶる。

「うわわぁ! 強引だよぉ」

「ふん。じゃ、降りるか?」

「降ろされたら、絶対歩いて帰れない……」

「素直じゃねぇな」

「……おにーちゃんの方が素直じゃない癖にぃ」

 幸と重い気持ちを抱えて、外に出た。

 倉庫の中よりも外の方が明るかった。

 満月から少し欠けた月が夜を彩っている。

 今回は何とか無事だった。だが、次はこう上手くいくとは限らない。むしろ……考えたくはないが、今回助けてくれたミユキが敵に回るかも知れない。そのときには、幸が俺の側に居ないかも知れない。

「……ねぇ、おにーちゃん?」

「ん? どうした?」

「……んーとねぇ」

「何だってんだよ!」

 どうにも奥歯にものが挟まったような物言いの幸が、背中から顔をのぞかせて囁く。

「……わたしさぁ、変な夢……見ちゃった……」

「夢? ……変な夢なら忘れちまえ! 今だって悪夢の中に居るみたいなもんだからな」

「……違うよぉ。おにーちゃんとキ……ううん、変な夢だったけど……わたしには……いい夢だったの……」

 一体、どんな夢を見たのやら……。まぁ、幸にとっては明るい材料だ。これから先のことを思い悩むよりはよっぽどいい。

 しかし、幸もそれ以降は口を開くことはなく、ただ時折、物憂げな溜息を漏らすばかりだった。

 校庭の向こう側に、ぽつんと赤いものが見えた。ファイヤーストームの成れの果てだろう。

 学校祭の初日は終わりを告げていた。明日は学校開放、校外からのお客も沢山来る。もしかすると、俺と幸にとっては「招かざる客」も訪れるかも知れない。

 明日を迎えるのが少し怖かった。

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