獣巷説キョウ州奇譚

Froger

とある獣の日記

七田右衛門狸

 薄い雲のベールがさえぎる今日、ゆえあって、ロッジの掃除を手伝っていると、テーブルの下にほこりを被った見るに久しき友がいた。

 鉛筆と日記である。

 知らぬふりでつとめて無造作にページを開くと、白紙の項がまだ多少だが残っていた。

 今日はロッジに泊まるということで、文をしたためるには都合のいい環境であったので、旅の我が友(こちらは生きている方)がベッドに寝静まった1時間ののちに、寝具からこっそりと抜け出し、ランプは付けずにこれをしるす。

 絵を描くことも考えたが、薄い罫線けいせんの引かれた紙面には、文を書くのが相応ふさわしく思われた。そも、私はタイリクオオカミほど絵を描けないのである。

 五分程の逡巡しゅんじゅんのち、私は過去の話をしるすことに決めた。


 私が初めて紙を見た時の話だ。舞台は、図書館である。

 島のおさ達の図書館よりはこぢんまりとしたその面積に、あぐらをかいて私を迎えたのは、1匹のタヌキのフレンズであった。

 芝居好きの好々爺こうこうやといった性格でって、私に文字の読み方を教えてくれた。

 その図書館にはもっぱら「にほん」のヒトがしるした本が多く置かれていて、私はタヌキと2人で本を読んだものだ。

 勧善懲悪かんぜんちょうあくの正義漢が、島に攻めてきた悪党共を成敗する話しに、ヒトとネコとの絆を描いた絵本(どこかで聞いたような話だ!)、2人の少女が旅をする小説は特に私のお気に入りで、2人の会話が微笑ほほえましいのが好きだった。

 その内、私たちは自らの手でちょっとした本を作っては、読ませあって遊び始めた。

 滑稽こっけいといえば滑稽こっけいである。やっているのはヒトではなくケモノなのだ。私の作家名は「七田右衛門狸なのだえもんだぬき」であった。

 タヌキの強い希望で芝居もやった。2人でそろうと、まるで姉妹で芝居をしているように見えておもしろかった。


 楽しい時間であったことは間違いない事実である。

 しかし私は図書館を去ることを決意した。

 理由は、色々あった。

 本を読むにつれて、私とパークとの距離というか、繋がりみたいなものが、だんだんと切れていくような、漠然ばくぜんとした不安を感じたのだ。

 思うに、この世界を生きるのに字を読む力はあまり必要ない。少し莫迦ばかなくらいが丁度いいのだ。

 字を知るごとに他の、野を駆けるフレンズや、大空を舞うフレンズ、地中を突き進むフレンズや、水底を泳ぐフレンズとは、違う場所に置いていかれていくような、そんな気がしたのである。

 タヌキには、冒険物の本を読んで冒険をしたくなったとかたった。

 タヌキは快く見送ってくれたが、私のような字を知る友を持ってとても嬉しそうにしていたので、図書館を去るのは心苦しかった。

 それから私が元の莫迦ばかに、即ち野にしたと実感できるようになったのは、図書館を去ってしばらくして、今の友と出会ってからである。


 さて、日記の残りの項も少なくなってきた。

 私は、この日記において、正体を言うつもりはない。

 先に言ったとおり、この世界を生きるのに、字を読む力はあまり必要ない。

 私が字を知ることが知られれば、私はまた皆と遠い何処かに置いていかれる。それは、もちろん位置とか場所の問題ではない。心の問題である。

 私はこの日記を、かつての友との思い出がつづられたこの書を、今の友が知らぬ所に捨て置くつもりだ。

 この日記を、今日の私のように偶然見つける者もいるかもしれない。

 しかし、私はこの日記を見つけたあなたに、この日記をどうしろと言うつもりはないし、読めるとも思っていない。

 何故なら、この日記はあなたの為に書いたのではなく、私の為に書いたのだ。

 この日記は、私がかつての思い出を懐かしみ、再認識し、そして打ち捨て野にす決意を再び固める為の物なのだ。

 或いは、そのあなたはかつての我が友なのかもしれない。そうだとしたら伝えておきたい事がある。

 私が、図書館を去る時にとうとう言うことができなかった言葉だ。



 ありがとう


 そしてごめんなさい。

 私はあなたと共には生きられない。





 七田右衛門狸なのだえもんだぬき

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