第29話 ディソリエント・ガーデン <後>


 椛音がミルルの後を追ってから程無く、椛音達を覆い隠すように遍在していた霧の迷宮は晴れ、その先には苛烈な雷光が空間全体を満たすかの如く閃いていた。


えろ鳴神なるかみ雷鼓轟爆衝らいこごうばくしょう!」


 それから間もなく雷声が発せられた中心点に椛音が到達すると、その先では無数の雷鞭らいべんが絡み合いながら鈍色にびいろの空を引き裂き、先にユベールの化身から放たれ、椛音達を狙っていた飛翔体の悉くを跡形も無く灰燼かいじんと帰していた。


「あ、ミルルちゃん! あの私達の周りを飛び回ってたやつは、もう全部やっつけちゃったの?」


「もちろんよ。あんなおもちゃみたいなものに、私がやられるもんですか」


 すると間もなく椛音に追いついてきたエリスがシルファをすぐ後ろに伴って、先行していた二人の下に移動し、その口を開いた。


「二人とも、おじ……いえ、ユベール、は?」


「それが、私がこっちに出てきた時からずっと、姿が見えないの」


 椛音もその双眸を凝らし、無辺の雲海まで見渡しては見たものの、その虹彩に捉えられるものは大小様々な建造物の残骸と遠雷の閃きばかりであり、件の異様な物体はその何処にも認められなかった。


「みんな警戒を怠らないで下さい。あの物体は、バイオロイドである私のマルチセンサーを以ってしても、捕捉できません。たとえ私達の、はい――」


 シルファの言葉がそこで急に途絶えると同時に、彼女の身体はその背後から突然何らかの衝撃を受けたかのように弾き飛ばされ、椛音達の居る近辺に遊弋ゆうよくしていた比較的大きな壁面状の物体へと直撃した。


「なっ……シルファ! さざめけ、蒼き霰弾ブラウ・シュロット!」


 エリスは即座に、シルファが先程まで居た位置に向けてその両手から無数の微細な光の散弾を超高速で乱射し始めたが、それらは悉く空を切り、何かを仕留めたような手ごたえは椛音の眼を通して見る限り絶無であるように思えた。


「エリスちゃん、今のは一体、どこ――」

「待って……見えた! 穿て、蒼の閃きブラウ・シュトラール!」


 椛音の言葉を途中で遮ったエリスは、その手に顕した戦槍から強烈な閃光を生み出すと、それを何もないであろう空間に向け躊躇の見えない様子で射出した。


 そしてエリスから放たれた閃光が、道を阻むものが認められない宙空を駆け抜け始めたその時、流水が岩に当たった際に飛沫しぶきを散らす水花火のように、何かに命中した様子でそのまま千々ちぢに弾け飛んでいった。


「んん……あれは……?」


 椛音がその双眸を凝らすと、その先には僅かながら仄かに青い煙霧のようなものが、何もないはずの空間から不自然に湧出しているさまが見て取れた。


「あれは、さっきの攻撃で、上手く目印が付いた証……あまり長くは続かないけれど、瞑力を感じられる私達なら、あれを視て、感じて、追うことが出来る」


 エリスがそう言うと、ミルルが頷いて返しながら、

「なるほどね……ユベール自身は気づいて居ないかもしれないけれど、私達からすれば、相手に火が付いて、そこから煙が出ているようなものだよね」

 と語り、再びその首根に大槌を引っ掛けて見せた。


 事実ミルルが言う通り、ユベールは確かにその姿こそ空間に溶け込んでいる様子だったが、椛音は薄らと棚引く青い煙霧と何よりもそこから発せられる熱のようなものを感じ取れたため、その大体の位置を掴むことが出来た。


「さぁ、今度はこっちから仕掛けるよ!」

「ええ……行くわ」


 するとほぼ同時に飛び出したミルルとエリスは、そのユベールが居ると思われる位置へと凄まじい速度で接近し、それぞれが持つ武器を奮い始めた。


(ほんの少し前まで、お互いに戦ってたんだよね私達……何だか信じられない)


(短い間に、あまりにも色々なことが起こり過ぎたわね。でもカノン、今はまだ、感傷に浸るには早いわよ)


 ふと心中で零した呟きに対して共感を見せながらも、最後は少したしなめるようなデーヴァの言葉が返ってきたことに、椛音はデーヴァとやり取りをし始めた頃に感じたような、安心感と何かが入り混じった不思議な気持ちになった。


(分かってるよ……でもデーヴァも本当、やっと話しかけて来たかと思えば、そんなのばっかりなんだから。それじゃあ……私も行くよ!)


 先行してユベールが居ると思われる位置に到達していたミルルとエリスは、既に各々が猛烈な攻撃を敢行していたが、椛音が自身の中で捕捉しているユベールと思しき熱源は一寸たりとも動いていないのにもかかわらず、彼女達の攻撃をまるで受け付けていない様子だった。


「何かおかしいわ、手ごたえが、無い……!」


「不可視の障壁……? いや、これは――」


 そして椛音が二人の直近にまで迫った時、ミルルが先に撃ち放っていた雷撃が、突如としてエリスの背後から現れ、彼女の身体を直撃した。


「ううっ……!」

「え、エリス……? な、どうして!」


 狼狽うろたえる様子のミルルを余所に、今度はエリスがユベールに対して照射したはずの瞑力の閃光がミルルをその背後から襲い、蒼白い光の粉を激しく撒き散らしながら爆ぜた。


「ぐあっ! 今、度は……何で、エリスの攻撃、が!」


 すると間もなく、椛音の後ろに音も無く現れたシルファが、遅れてやって来た制動音の轟きを背に険しい表情を浮かべながらその口を開いた。


「きっとあれは、空間転移障壁ディフェーザー……」


「シルファさん! その、でぃ、ふぇーざーって?」


「解り易く言えば、こちらから放った攻撃の矛先が、その放った本人へと向かうように転移……つまり周辺の空間をそのまま移し替えた、といった具合です。そしてそれは、防御や反撃だけでなく、純粋な攻撃にも転用され得ます」


「純粋な、攻撃……?」


 椛音がその眉を顰めるよりも先に、不可思議な反撃によって崩された姿勢を漸く取り戻した様子のエリスの身体が、何物も存在しない横方向からいきなり峻烈な衝撃を受けたかの如く、何らかの力によって大きく弾き飛ばされた。


「まさか、今のが……!」


「エリス! いけない!」


 次の瞬間、シルファは電光石火の如き速度で其処から飛び立ち、際涯さいがいの無い空虚な世界へと落ちていくエリスの身体を、宙空の中で受け止めて見せた。


(カノン、恐らくあなたの考えている通りよ。きっとユベールは、化身となっているあの身体の一部を転移させて、それをそのままエリスに叩き付けたんだわ)


(……って、今は考えてる場合じゃない! 私も早く、行動しないと!)


(落ち着きなさい! 良いこと? こちらからの攻撃は空間の操作によって反撃の糧にされる。でも、相手が攻撃を行う時は、どうなっているのかしら?)


 ユベールの化身が、その身体の一部を転移させて来たものが、エリスの受けた攻撃の正体だとすれば、彼女はユベールから、直接的に殴打されたことになる。


(つまりその、相手の手か足が、エリスちゃんの身体に触れた……ってこと?)

(ええ、そして触れられる相手ならば、こちらの攻撃だって届くはず、でしょう?)


 デーヴァの言葉を鑑みれば、相手が攻撃を繰り出すその瞬間の中にこそ、こちら側の反撃が奏功する余地があることを示唆している。しかし突然転移してくる攻撃に対して反応することは、椛音にとっても極めて困難であるように感じられた。


(ただ、ユベールは、この私を直接的には殺せない理由がある。なら、それを利用しない手はないよね……危険な橋を渡ることになるしれないけど、やってみる!)


 そして椛音は反撃の機会を直に見出すため、ユベールから発せられる熱のような波動を頼りにその発信源へと急行し、先んじて接敵していたミルルの姿を間もなくその眼前に捉えた。


「ぐっ、あいつに攻撃が届かないばかりか、妙なところから反撃が……!」


「ミルルちゃん! ユベールは多分、身体の一部をワープさせてる」


「なん、ですって……? あいつ、もはや何でもありじゃない……!」


「ただ、私に対してはユベールも致命的な攻撃が出来ないと思うの。だからミルルちゃん、次に私が攻撃されたら、構わず私の方に雷撃を放って」


 椛音が語ったその突飛な提案を耳にしたミルルは、唖然とした表情を浮かべるや否や、その口を大きく開き、椛音に対して言葉を返した。


「カノン! 何馬鹿なことを! そんなこと、出来るわけがないじゃない!」


「私なら、デーヴァの力があるから、きっと大丈夫……それに、ミルルちゃんの雷撃がまともに当たりさえすれば、相手の能力にも影響が出るかもしれない!」


 そして椛音は、ミルルが二の句を継ぐよりも前に、再びその口を開き、

「だから、そこを狙って、大きなのを思いっきり、お願い!」

 とだけ遺して、ユベールの反応が色濃く感じられる地点への接近を試みた。


「カ、カノンったら勝手なことを……!」


 追いすがるようにして届いたミルルの声を背にした椛音は、敢えて自身の中にある瞑力を急激に高め、ユベールの注意を引こうとした。そしてその一方で、自身の身体が、いかなる攻撃を受けても動じない鉄壁の防御を誇っているようなイメージを、椛音は心の中で強く描いた。


(さぁ、来て!)


 するとそんな椛音の想いが通じたのか、椛音の周辺に広がる空間の一部が微かに波打ち、そしてその間隙に在る大気を押し退けるような衝撃の到来を椛音はその身を以って感じ取り、間髪を入れずミルルに向けて強い視線を送った。


「今だよ!」


「くっ! はしれ、拆雷さくいかづち!」


 既に瞑導陣クオルトの上で爆発的な瞑力を蓄えていた様子のミルルが、そう叫んで大槌の先を椛音へと向けた次の瞬間、苛烈な閃光と共におおいなる迅雷が空を引き裂き、弾指の間に椛音が居る空間の一帯を、白く染め上げた。


 そして、眩い光と耳をつんざくような轟きの後、其処には全身にすすを纏いながらも空の上に屹然として立っている椛音の姿と、醜く溶断された金属の残滓が宙の中で美しく煌めきながら舞い踊る奇景とが、同時に広がっていた。

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