⑧ ここでひと息(結叶サイド)
……なーんで俺はこうなってるんかね。
「ひゃはははははははは!!」
先導されるがままに神原についていったのはいいものの、俺は結構マジで限界を迎えていた。
原因は現在乗っているアトラクション、ティーカップだ。
これは全くもって狂気に満ちているアトラクションではないが、神原のせいで地獄へ変換されてしまった。
なぜなら、神原が中央についているハンドルをひっきりなしにぐるんぐるん回しているのだ。
これが何を意味するかは、一度ティーカップに乗ったことのある者はわかるだろう。
……とにかく遠心力やばい。
そして、回っているので目が回る。俺の三半規管が悲鳴をあげているのがわかる。
極めつけはついさっき昼を食べたばっかりということ。今にも胃がひっくり返ってリバースしそうだ。
なんとかカップのふちに掴まって今のところは事なきを得ているが、この調子だと回るスピードはエスカレートするばかりだろう。
意を決して、俺はリスクを負う覚悟を決めた。
思い切ってふちから手を離し、その手をそのままカップの中心部へ。
正確には、神原が今も回しているハンドルへ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!」
ぐるぐると回っているハンドルを力ずくで押さえつける。そして片手を使って神原の手をハンドルから引き剥がした。
……まもなく、ゆっくりと、回るスピードは正常に戻っていった。
「ふざけんなよ、おぇ」
わーお、止まったら止まったで気持ち悪さがぶり返してきた。おい、っていうつもりがおぇ、になっちゃったよ。
座ってるのもキツくなった俺はそのまま横に倒れ込んだ。寝た方が幾分かは楽になるだろ。
と、倒れ込んだ俺の頭が硬い座面ではなく、何かモチモチしたクッションのようなものを捉えた。
なんか知らんけどラッキー。少し休ませてもらうことにしよう。
「え、結叶くん、いきなり大胆です……実は甘えんぼうさんだったんですか?」
そんな恥じらう声が真上から聞こえた。ん、真上?
疑問に思った俺は寝返りを打って天井の見える仰向けになった。
……あ。
間近になだらかでいて大きい双丘があった。
そしてそこから日の出の朝日のように神原の目から上がこちらを窺っていた。
つまり。
俺の脳はこんな時にも混乱せず、淡々と事実を把握する。
……俺は、神原の膝枕に自分から行ってしまったというわけだ。
……まあ、そんな事実程度、どうでもいいことなのだが。残念ながら俺はここで顔を赤らめて『あ、ご、ご、ごめん』なんて恥ずかしさから口ごもってしまうタチではないのだ。
ま、気持ちのいい枕だし、俺の気持ち悪さが改善されるまでは使わせてもらおう。
俺はまた寝返って神原の膝を向くように横向きになった。
だが、このままこの状態に甘んじるのにはもう少し代償が足りなかったらしい。
「……ふふ」
そんな笑い声とともに突如俺の髪の毛に何かが当たった感覚がした。髪の毛に当たったそれは、そのまま頭の部位を側頭部から反対の側頭部へと往復を始めた。
この屈辱的な気分。もうそれだけで俺が何をされてるのかわかった。
撫でられているのだ。神原に。
頭を触られること自体に嫌悪を覚える俺はその手を掴んで撫でるのをやめさせた。
すると、神原がムッとしたのが雰囲気だけでも察せられた。
「なんでですか。私が膝を提供してるんですから、頭撫でるくらいいいじゃないですか」
「なんだその完全ギブアンドテイクは。こちとらお前がこれをぶん回したせいで絶賛体調不良中だ」
「だって回した方が楽しいじゃないですか」
「それはお前の話だろ。同乗者がいる中でそれはやめろ」
「まあいいです。結叶くんの頭を撫でることができましたから」
そこでティーカップはその回転をストップした。
そのままふらふらとそこから出て、近くのベンチに座る。今回はベンチ様々だな。
俺はかなり疲れてるんだけども。どうやら神原は、全然そんなことはないようだ。
「早く次行きましょ?」
なんて言って腕まで引っ張ってくる。これが女子力ってやつか。いや違うか。
とにかく神原のステータスが全体的に高すぎる。俺は逆に全体的に低すぎるが。
俺のヒットポイントは赤ゲージまで減っているのに対し、神原はたぶんまだ緑ゲージなのだろう。
「あ、じゃあ休める場所に行きましょうか」
俺が困った顔をしていると、神原が思いついたみたいに手を叩いた。
「いや、ここでいいって」
「大丈夫です。たぶん向こうの方がスッキリ休めますよ」
神原が俺の手をがっちり掴んで引っ張っていく。さっきのスパイラル攻撃(ティーカップ)で弱っている俺はなすがままになるしかなかった。
*
「ふぃー……」
そのすぐあと。俺は神原の言っていたことが事実だと実感していた。
手すりに体重を預けて窓の外を見ると地面が小さくなっていくことからどんどん上昇していることがわかった。
晴れ渡った青い空と豆粒のような景色に俺はリラックスする。
そう――ここは観覧車のハコの中だ。
たしかにそよそよと風も入ってくるし、目にも優しいし、これ以上の休める場所はないように思える。
おかげで俺の体力は黄色ゲージほどには回復していた。あくまで実感だが。
「ナイスだ神原……。いくらか楽になった」
深呼吸で高度のある場所の空気をめいっぱい吸い込む。うん、やっぱり人混みのあの空気よりかは数十倍もいい。
ぐでー、と伸びていると不意に後ろに座られた気配がした。窓から外を見ている後ろだから席は実質的に隣ということになるか。
……まあこんな密閉されたハコの中で俺の後ろに座れるのなんてそう何人もいない。というか一人以外おかしい。もしいるとしたら、それは妖怪やらお化けやらの人ならざるものだ。
「なんだよその獲物を狙うような動きは」
「やっぱりバレちゃいますか。いや、本当に結叶くんはガードが固いですねえ」
「最低限の常識、いや、処世術だよ」
って、なんで俺はバトルマンガ的セリフを吐いているのだろうか。ああ、神原がガードとかなんとなくバトルっぽいこと言うからか。
「いやあ、たまにはこういうシーンないと、退屈してしまうんですよ。色んな人が」
「なんでこの密閉された二人きりの空間で不特定多数が退屈する道理があるんだよ」
いや、ほんと、そのセリフ、誰に言ってるんだよ。
「密閉された二人きりの空間、なんて、結叶くんなんかいやらしい言い方しますね」
「これはそんなやらしいことなんかじゃなくて、ただ客観的かつ理性に富んだ事実を述べているだけなんだが」
まあ、もうこいつのハニートラップにはかからない。つか、かかったことあったか。なかったな。
それに、もし俺が神原に欲情したとしても、今の弱った体じゃそんな気力は湧かない。
俺たちの乗った観覧車のハコはあと少しで天頂に来ようかとしているところだった。ここでやっとこさ半分である。このゆったり感は嫌いではない。
だけど、今日は二倍速で動いてもらった方がよかったのかもしれない。
なぜなら。
ピトッと。もはや誘惑する気しかないように、神原が俺の背中に色々と柔らかいものを押しつけてきたからだ。
それは低反発まくらのような感触だった。だけどそれでいて弾力がある。
まあ、言うなれば……そう、バランスボールの中にもふもふのクッションを詰め込んだ感じか。ちなみにこのたとえが合っているかは実際にバランスボールにクッションを詰めるという謎の所業なんてやったことなんてないのでわからない。
今日は俺にとって厄日なのだろうか。はて、俺は叶人と篠崎をくっつけるために来たはずでは? いや、そもそも俺はこの場に来る気すらなかったのだ。
だけど、この後ろにぴったりとくっついている神原が強引に連れてきやがった。……別に叶人と篠崎の顛末にはなんとなく興味はあったので、やぶさかではなかったのだが、だからといって、こんな展開になることは予想すらしていない。
こいつは、いつ、今日を俺と神原が遊ぶ日にすり替えたのだろうか。
ああ、そういえば叶人には観覧車のことも言ったんだっけ、と思い出しながら、俺は神原を振り返り、言う。
「残念ながら、効果はないぞ。お前がいくらその恵まれた体を見せつけようとも、俺の理性は爆発しない。そもそも……」
若干悪役の心持ちで、俺は言いながら振り返ったのだが。
少し言葉に詰まってしまった。
なぜなら、神原が、平気で押し倒したり押しつけてきたり挙句の果てにキスまでしてきた神原が、顔を真っ赤に染めていたのだから。
いや、顔を真っ赤に染めることは今までも多々あった。
だけど、今までのそれとは何かが違う気がした。
なんというのだろう、それこそ、こっそり想いを寄せていたのがバレてしまった時のような。どうしようもない羞恥で、それでいて少し嬉しいような、そんな感じだ。自分でも言っててよくわかんなくなってきたが。
だけれど、その今まで見たことのない神原の顔を見て、思ったことといえば、
「ど、どうしたんだよ、神原?」
「い、いや、これは、その……」
「……マジで大丈夫かお前」
「あの、私、よくよく考えてみたら、とっても恥ずかしいことしてるなって」
と、神原は顔にまた赤を重ねて紅と言うべき色にまで進化した。
俺にとっては今さら感が半端なかった。
「いや、それ言うならな。前に胸を頭に乗っけたりとてつもなくベタベタしたり、ああ、お前んち行った時は押し倒されたりもしたんだっけ。そのあとそれとなくデートっぽいことをした後にキスしたりとか、そっちの方が恥ずかしいとは思うが」
「あ、あうぅ……」
「ま、いいんじゃねえの、それはそれで」
「……え?」
「なんというか、さ。それが神原らしいというか、俺たちの関係らしいというか。別に全肯定するわけでもないけどいきなり全否定しなきゃいけないようなことでもないだろ」
「……結叶くんは、優しいですね」
「俺がそんなやつではないことは確定してるけど、お前がそう思ったならそれはたぶん、恩返し、なのかもな」
「恩返し?」
「そう。俺をクソつまんねえ灰色から引きずり上げてくれたことのな。まあ、俺自身結構感謝してるんだよ」
照れくさい言葉だったが、俺は言うのにあまり苦労は感じなかった。
それはたぶん、また神原の本音が垣間見えた気がしたからなのだと思う。あの時の屋上のように。
まあ、そういう時にしかしっかりと話をしない俺は俺で卑屈で卑怯なのだが。そんなことはわかりきっていることだ。それこそ今さらだろう。
「……それは私もですよ。結叶くんだって、私の世界を広げてくれました。華やかにしてくれました。楽しくしてくれました。お礼を言いたかったのはこっちも一緒です」
「……やっぱお互い様って感じだな」
「そうですね。しっかりと重要なところでは考えが合います」
俺たちは顔を見合わせて笑った。噴き出してしまった、の方が適切かもしれない。
もう、不思議なことに、全くの正反対といってもいいのに、だからこそ似ているというか。たぶんそれも、俺が神原を認めた理由なのだろうけど。
いつの間にか、観覧車はもうほとんど終わりに差し掛かっていた。
長かったというか、短かったというか。気持ちの持ちようと時間の早さの関係を見せつけられた気がする。
俺はまたしても神原に対する心変わりをしていた。
「……次行きたいところあるか?」
「え?」
「体力も回復したし、今度は神原の番かなと思って」
ツンデレというか、素直になれないキャラだな、と自分を冷静に見てからツッコんでいると、神原は心底楽しそうに笑った。
「はい。ぜひ、結叶くんと行きたい場所があるんですよ!」
と言うと、神原はまるで子供が親を引っ張っていくように、俺の手を引いていった。
そんな無邪気な背中を追いかけている中、俺はさきほど神原に抱いた気持ちを思い出して、心にしまっておこうと決意した。
だって。
今まで見たことない神原の顔を見た時に、不覚にも可愛い、なんて思ってしまったのだから。
*
これで今回の脇役はハッピーエンドで終わりとなる。
終わりとなるのだが、あっさりしすぎて寂しいので少しくらいはその後のことを話しておこう。
まず、めちゃくちゃ神原に振り回され、様々なアトラクションを堪能したところで、俺の体力がついに限界に達した。赤ゲージ飛び越えた。
夜になって、夜限定イベントなるものにさんざん付き合わされたあと、体力ゲージも振り切れたことだし(?)、さて帰ろうかとなったところで俺たちは気の利いた決断をした。
そう、色々あってまたしても忘れてしまっていたが、今回の主役は彼らだ。
俺たちが邪魔するといけない。だから十分お楽しみしてから帰ってこいとメールを送ってから、俺たちは二人で帰路についたというわけだ。
……結局、神原とはなんの進展もなかったのだが、というか期待なんてしていないのだが、まあそれはおいおい順を追って進んでいくだろうから、心配はしていない。
……あ、でも、少しは、ほんの少し程度には俺の中で進展があったのかもしれない。
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