>>4 今までとは違うスクールライフ
……何かがおかしい。
そう、これは何かがおかしい。
「昨日の夜の四チャン面白くなかった?」
「ね! 私もう大笑いしちゃったよ」
……ぎゅむ。
「ははは! 私も。ところでさ……」
なんていうよくある女子の会話が、ではない。
女子の会話なんて話題が数秒で変わるものだから、いちいち気にしていたらキリがない。
「これ、可愛くない?」
ほれみろ。さっきまでテレビの話をしてたと思ったらこれだ。
「どれどれ……」
……ぎゅむ。
「うっ……」
ついに俺は思わず呻きをあげてしまっていた。
お、重い……。
わかりきっていることだからここが学校の教室内というのは言うまでもないだろう。
では、なぜ俺が女子の会話の中で変な呻きの反応をしてしまったのか。答えはさっきからの……ぎゅむ。にある。
俺の席は篠崎愛華のひとつ後ろにあって、いつもは前で神原夢望との女子団欒の会話が繰り広げられるのだが、今日だけは、いや、今日からは違った。
今の会話、俺の耳は、前から篠崎の声が、後ろから神原の声が聞こえていた。
そう、後ろから。
つまり俺は会話している二人に挟まれる格好となっているということだ。
……まあ、昨日勢いでオーケーしちゃったからな。そりゃあ俺も神原たちの仲間に入れられるのは当然のことなのだろうけど。
ちなみに、今の会話には俺は参加するどころか、する素振りさえ見せていない。情けない話、俺は一対一ならば一通りの会話はできるが、一対多になってくるとものすごい静かになってしまう。そんな俺を慮ってか、いや、コミュ障乙、とでも思っているのだろうか、二人は二人でさっきから話している。
……話が逸れてしまった。元に戻そう。
……ぎゅむ。の正体。これは後ろにいる神原が深ーく深ーく関係している。
俺の後ろにいる神原だが、会話をするには少しでも篠崎との距離は縮めるだろう。
そこで、だ。
神原のやつ、俺の机にちょこんと座ればいいのにも関わらず、あいつは立ったまま俺とみっちり密着しやがったのだ!
どうせ叶人に話したら『何それウラヤマ』とか言うんだろうが、実際のところ俺はあんま嬉しくなかった。
それは俺が高二病というひねくれにひねくれている性格のせいなのかもしれないし、ぴっちり密着して暑苦しいというのもあるかもしれない。
でも、一番の理由は俺に負担がかかることだ。
密着するといっても色々とあると思うが俺たちはまさかありえないくっつき方をしていた。
まず、座っている俺の頭の上にはズシリと重みのあるマシュマロ二つが乗っかっている。そして後頭部から背もたれにもたれかかっている背中にかけて引き締まったその腹がぴっちりと。
柔らかい、なんて感想はこの状況を体験している俺の口からはいくらでも出てくるがそれどころじゃなかった。
重いんです。本当に。
その、大きすぎないと思っていたマシュマロは俺の頭にのしかかって首と肩に恐るべき重圧をかけてくる。大きいほど肩こりが酷いといううわさはきっと本当だったんだと俺は実感している。女子は常時こんなものを抱えて生きているのかと思うと拍手のひとつやふたつほどは送りたくなる。
ともかく、今篠崎の見せたスマホの画面を覗くために身を乗り出したのは決定的だった。マシュマロにプラス体重がされて一瞬、首がもげそうに思えて思わず呻いてしまった、というわけだ。
「大丈夫ですか、結叶くん?」
その呻きが思いのほか生々しかったのか神原が心配してきた。原因はお前だ! そしていつの間にか名前呼びになっているのはどういうことだろう。
「いや、ちょっと目眩が……」
さすがにあなたのお胸が重たいんですよなんて言う度胸なんてあるわけがないから適当な理由をでっち上げる他ない。
そうですか、と神原は俺の気持ちになんて気付かずむしろスイカを抱えるように俺の顎に手を伸ばしてきた。おい、ちょっとアヤシイ感じだぞ。
きっと、はたから見ると『え、何が起こってんの?』って感じなんだろうなあ。現にクラスのほとんどから来る視線がとても痛い。
人間関係に興味のない、というか築けない俺は昨日のこともあり珍しく、例外的に、叶人に神原のことを聞いてみたところ、
『結叶がそんなこと聞くなんて珍しい。あ、神原というと名前につく神の字に名劣りしない、劣るどころか遥かに上回る最高の人間で、学年内ではマジ天使って有名だけど。え、こんなこと聞くってことは、結叶、まさか』
という枕詞に始まる叶人の情報はこうだ。
神原夢望。性別、女。そりゃそうだ。もし男だったら俺は失神する自信があるし、たとえそうだったとして、億が一にも俺がホモに目覚めることはない。年齢は十五。これも当然だな。高一は浪人とかしてない限り十五か十六歳が相場だ。
これは基本中の基本。というか当たり前な情報。
次はひととなりだ。
学年のアイドル。だがしかし、本人はそれに驕ることなくむしろ謙遜して決して前には出ていかないらしい。そこらのぶりっ子とはわけが違うんだと。
性格、天使のように優しい。だろうな。俺は神原の顔をあまり見ることはできてないが、それでも清楚系なのだとわかる。髪を染めたギャルのような篠崎とは正反対に思える。……なぜこの二人は親しいんだ?
そして美人だと言うことも心得ている。これは叶人の意見と一致していたから間違いない。
勉強も素晴らしくできるらしい。
そして変に真面目というわけでもないから冗談なども言える、まさに理想的な女子というわけだ。
『……とまあ、神原夢望という人間はそんな感じかな。それにしても同じクラスだったのによく知らずにいれたなあ』
この最後の余計な一言に俺はほっとけ、と電話を切って、昨日の会話は終了となる。叶人はもう少し俺の性格を理解しておいてほしい。そういうの、結構チクリとくるんだからな。
まあ、話を聞いた限りの感想と言えば、
どういう完璧人間だよ。
という一言に尽きた。
だから朝登校していきなりこんなシチュエーションになっても完璧人間の取る付き合い方とはこういうことなのだなと納得して、特に驚くことはなかった。いや、むしろ意味がわからなさすぎて思考を放棄してしまったと言った方が正しいか。
だが、ひとつ気になるのは、先ほどからのクラスメイトの刺すような視線とはまた違う、俺の前にいる篠崎から来る威圧だ。
俺は顔を直視できない代わりに、いつの間にか他人の感情を雰囲気から推測できるようになっていた。
クラスメイトから感じるのは驚きと疑問ばかりであったが、俺が篠崎から感じるのは、軽い軽蔑の視線と『夢望にそんなことされていい気になるなよ』みたいな猛獣のような威圧なのだ。
いや、でもな。そんなの態度に出されても俺には何もできないんだが。
言っておくが、俺はこんなことされて喜ぶタチじゃないからな?
なんて思いを込めて俺は精一杯困った顔をした。
「……夢望、倉永くんが苦しそうよ。乗っかられて重いんじゃない?」
そんな思いが通じたのか、ただ俺と神原を離したかったのかはわからないが篠崎はともかく俺の首がもげそうな状況を打破してくれた。感謝感謝。
「ええ、重いって、愛華は口が悪いなあ」
なんて言いながらも、神原はけらけら笑って俺の上からどいてくれる。重さから解放された俺の体はいくらか軽くなった気がした。今なら空だって飛べそうな気がする。
「結叶くん、まさか本当に重かったですか?」
重力から解放されて歓喜に包まれているとギクリとなる質問が飛んできた。
「い、いや、今日寝不足でさ。この朝の時間で寝たかったんだ」
もちろん嘘である。そしてこんな言い訳がすぐに出てきた俺を表彰したい。
「あ、そうだったんですか。ごめんなさい付き合わせてしまって」
「大丈夫。我慢できる程度だから」
なんて言いつつ、俺は机に突っ伏す。俺なりの緊急回避の方法だ。
俺が寝た(フリ)後は神原と篠崎が二人で談笑をしてからまもなくチャイムが鳴って朝のホームルームが始まる。この時にはちゃっかり起きて先生の話を聞いたが、その間、俺はやはりこんな感情を抱いていた。
……やっぱ、色々と違う気がすんだよなあ。
そんななんか違う日常は朝だけに留まらない。
「なあ、叶人」
「ん、どうした」
「おかずのトレードしようぜ」
「それじゃあ私のをあげます!」
「あ、ああ……」
いつもの昼休みの屋上。昼食をとっているのはいつも通り叶人となのは当然だが、一緒にいる人数が倍に増えていた。
「なんか今日は賑やかだなあ結叶」
「……そうだな」
冷やかす笑顔で言ってくる叶人には素っ気なく返してやる。
言うまでもないことだが、増えたのは神原と篠崎である。篠崎は叶人の部活のマネージャーなだけあって、しきりに親しそうに話している。
チッ、リア充爆発しやがれ!
おっと、反射的に思ってしまったが、俺も俺で一応そっち側に片足突っ込んでるんだった。
リア充の素質は一ミリも持ち合わせていないが付き合うという後天的な事実が否が応でもつきまとってくるのだ。
「どうしたんですか、遠い目して。あ、喉乾いてるんですね、飲みます?」
高二病の俺がまさかいつも忌み嫌っているリア充の端くれになるなんてな、なんて途方に暮れていると神原がさっきまで飲んでいたペットボトルを差し出してくる。リピートしておこう。さっきまで飲んでいたペットボトルだ。つまり飲みかけ。
そういうことは、つまり、
「サンキュ、助かる」
間接キスだということは、本当に喉が乾いていて思わず喉を鳴らして飲んでしまった後に気づいた。
「あ……」
「ん、どうしたんです……ハッ」
それは向こうも気づいたようで、俺たちに気まずい空気が流れた。ちなみに他の二人はほのぼのと楽しく談話中である。仲良すぎかよ。こいつら、まさか付き合ってるとかじゃ?
「ご、ごめんなさい、私……」
「いや、別に考えてなかった俺が悪いし」
「…………」
「…………」
「……ふふっ」
またしても変な空気になっていると、唐突に神原がはにかんだ。
「なんだよ」
「恥ずかしがってる結叶くん可愛いなんて思っちゃいました」
「別に、恥ずかしがってなんか」
「そうなんですかー?」
顔が直視できない関係で、明後日の、叶人や篠崎の方を向いている俺の視界に神原がズカズカと入ってくる。
「だから、俺は顔見れないんだって」
「知ってますよ?」
「じゃあ――」
「だから、克服しましょう。最低でも私の顔が見れればいいので。付き合ってる彼女の顔が見れないのはもどかしいでしょう? 私も結叶くんとは目と目を合わせてお話したいです」
……たしかに、叶人が言った通りに神原は天使みたいだ、なんて思ってしまった。
いかんいかん。さっきからコロッと落ちそうになってるけどそれじゃあ駄目だ。高二病というひねくれた俺がいざ自分に幸運が降り掛かったらすぐに鞍替えしてしまう、なんてことはなんとしても避けねば。それは絶対に嫌だ。プライド的にも。
というか、こんな甘々なシチュエーションにこんな感情を抱いてしまうこと自体俺が救えない存在というのを浮き彫りにしている気がする。
ま、それが俺の人生なんだからいいんだ。
そんな俺にぴったりな座右の銘をしっかり確認しておこう。
アンチ現実。サンキュー二次元。
よし、これで俺はやっていける。
*
「……ふう、やっと帰れる」
午後の授業を終えて大きく伸びをした。
俺的にはすっかりくたびれて早く帰りたいという心持ちなのだが、教室ではリア充どもが「今日どこいくー?」なんてことを話している。お前らは体力が無尽蔵にあるチーターなのか?
そしてリア充ばかりでなく部活勢も各々散っていく。それはマネージャーである篠崎然りだ。
俺は篠崎に聞こうと思っていたことがあるのだが、まあ行ってしまったのならしょうがない。それはまたの機会にしよう。
そして、残ったのはリア充でも部活勢でもない帰宅アンド駄目人間の俺。
なんて孤高のように呟いているが、案外帰宅する人は多いものだ。とはいえ、それぞれが二人以上のグループを形作っているのだが。一人は俺だけ。
……と、そんな悲観になっている俺に今日は救世主が現れた。
「結叶くん一緒に帰りましょう!」
「え、あれ、神原は部活入ってないのか?」
叶人に聞いた通りの完璧人間なら部活のひとつやふたつ入っていそうなものである。というか入ってなきゃおかしい。
「はい、実はそうなんです。いつもはお勉強のために図書室へ行ったり時間をつぶしてから合流して帰るんですが……今日は結叶くんもいることだし一緒に帰ろうと」
「俺もいつもはそんな感じだよ。そうだな、今日は帰るか」
荷物を持って席を立ち、教室のドアをくぐり下駄箱まで歩いていく。神原も横に付いてきた。
靴を履き替えて外に出ると、二人で散った桜の絨毯の上を歩く。四月も終わりが近づいてきたが、まだ道路にはちらほらと白い桜が落ちている。
「今日ってたしか、金曜日でしたよね?」
「あ、そういえば。案外一週間ってあっという間に終わるんだよな。ってことは明日明後日は休みか」
「と、いうことでですね」
パチ、と音を立てて神原が何か提案するように手を叩く。
「明日、遊びませんか?」
「いいけど、どこで?」
「それは秘密です」
ニコッと神原は人差し指を唇に当てる。
「なんだそりゃ」
「ということで連絡先を交換しましょう。詳しいことは後で話します」
半ば押し切られる感じで俺は神原と連絡先を交換した。
「あ、そうだ顔写真なら見れるかも」
ふと思いついた。
「たしかに。じゃあどうぞ写してください」
本人の許可をもらって肖像権をしっかり守ったあとに写真を撮らせてもらう。
「よし、これで完了っと」
「えへへー」
俺がスマホをしまうといきなり神原が腕を絡めてきた。こいつ、ベタベタしすぎじゃないか?
なんてことを思いつつも俺はその柔らかい感触にうつつを抜かしていたのだった。
*
その夜。
撮った写真を確認してみたのだが。
「こいつ……本当に天使か?」
思っていたより綺麗な顔が写っていてびっくりしてしまった。俺、こんなやつと付き合ってるのか……。
やっぱり、考えれば考えるほど不釣り合いだ。
なんで、俺なんかと――。
その時、ピコン、と通知音が鳴る。
見ると、神原からだったのですぐに開く。内容は、
『明日は九時に駅前に集合です!(≧ω≦)』
という内容だった。
まあ、細かいことはいいか。現に向こうは楽しそうなんだし。
俺はネチネチ考えるのはやめて、ドサッとベッドに寝転がって眠りに落ちた。
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