>>3 新しい日々のスタート

 最近往々に起こる出来事を目の当たりにして、事実は小説よりも奇なりという言葉は本当なんだなあ、と俺は重ね重ね思わずにはいられなかった。

 というのも、今日の朝登校した俺はいつも通り時間つぶしをしようとスマホのホームボタンを押して起動させた時のことだ。


「ねえ」


 そんな声が前から投げかけられたのだ。もちろん声の主は俺の前の席の髪を染めている女子だ。

 だがその一言ではいくら前からかけられた声とはいえ、俺を指しているとは限らないからチラッと後ろを見てからスルーして視線をスマホに戻した。


「あなたよ、倉永くん」


「……俺?」


 名指しされたら逃げようがない。俺はしぶしぶ応答した。ちなみに俺の後ろには誰もいなかった。


「ねえ、なんであなたはそんな飄々としていられるのかしら」


「……は?」


 なんだそれは。ついに俺のような社会的弱者は真顔も許されない時代になってきているのか?

 俺が大層わけのわからないという顔をしていたのだろう、前の席の女子は呆れたようにため息をついた。


「あなた、本当に何もわかってないの? 心当たりくらいはあるはずでしょ?」


 といわれても、本当に何が何やら把握できてないのだが。ハッ、まさか昨日女子を観察してたのがバレて――! 別にそういう意図はなかったのだが、あれは傍から見ると変質者に見られかねない。できるだけさりげなさを装ったのだが無理があったか。

 俺の学校生活、終わったな。

 ……と、俺が勝手に決めつけているとその女子からは予想外の言葉が帰ってきた。


「なるほど……やっぱり直視してなかったんだ」


「ほへ?」


 てっきり断罪パニッシュメーント! ってされるかと思ってたぞ。


「あなた、今私の顔見えてないよね?」


 その言葉に俺はドキリとする。たしかに俺は今話している目の前の女子の顔は見ないで、前の壁にかかっている時計を見ていた。

 まあそりゃ目線を合わせることはないので気づかれるのは普通だ。でも、その前の発言といい、この女子は何か含むことがあるような……。


「それならそうと話は早いわね。理由も予想通り。本人もまだ諦めてないみたいだし。時に倉永くん、今日放課後って空いてるかな?」


 早口でまくしたてられて俺は困惑する。辛うじて最後の言葉は理解できたので一応反応をしておく。


「ああ、空いてる」


「そういえばまともに話したことなかったね。その顔から察するにどうせ名前覚えられてないと思うから自己紹介するね。私は篠崎愛華。よろしく」


「あ、うん」


 唐突に話題が変わって唖然となりながらも俺は相槌を打った。なんというか、俺的に苦手なタイプだ。こう、グイグイーって感じが。叶人と似ているけど少し違う。


「まあそっちは私覚えてるから大丈夫だよ。倉永結叶くんだよね。というわけで突然で悪いんだけど今日の放課後使わせてもらっていいかな?」


「い、いいけど……?」


 俺はこの髪を染めたギャル系統の苦手なタイプの篠崎に何をされるのだろうか。まさか、そういうことを……?

 って、馬鹿か俺は。

 そんな時、見計らったようにチャイムがなった。


「よし。じゃー詳しいことはまた放課後にね」


 篠崎は手を小さく振って自分の席に着いてしまった。

 おおう、何かと恐ろしいが何を隠してるかわからない。よって従うしかあるまい。

 だがなすがままにされるのも俺のプライドに反する。ここは信用できるやつからアドバイスを仰ごう。


 そんなわけで昼休み。

 やはり信用できるのは叶人しかいない。

 昼ごはんを食べているあいだ、今日のことを話した。


「ん、篠崎って言ったか?」


 一回目の反応がこれだった。反応からして篠崎とはどうやら面識があるらしい。


「何か関係してるのか?」


「関係というか、篠崎愛華は俺の部活のマネージャーだ」


「そうだったのか」


 あの染めた髪でボトルとかを運んでいる様を思い浮かべると、いやに様になっている気がした。完全インドア系男子の俺に見る機会などゼロなので関係のない話だが。


「それにしてもその篠崎がいきなり放課後付き合えと」


「俺は何をされるのだろう」


 俺は顔を青くしておののいた。最近の女子はおっかないのだ。今の時代、男子より女子の方が地位が高い。


「大丈夫だよ。お仕置きとかするタイプじゃないからあいつ」


 そりゃあお前視点ならな。マネージャーがお仕置きするタイプだったら引くわ。……そしてマネージャーと聞くとなんだかエロいことを想像してしまうのは俺だけだろうか。


「俺はむしろ、なんで結叶を呼んだのかが気になる。今まで接点も何もなかったんだろ?」


「そうだな、というか他人との接点なんてここ数年の俺には存在しなかったくらいだからな」


 自然と自虐が入ってしまっているのは俺の高二病のやつにはよくあることだ。

 何年も付き合っている叶人はそんな俺の扱い方もわきまえているようで、はは、と苦笑いしながら話を逸らす。


「それ、俺も同行しようか?」


 それはとてもありがたく、嬉しく、願ってもないことだった。

 だが、駄目だ。


「叶人には部活があるだろ。そっちを優先しろよ。自分のことは自分でなんとかするから」


 他人の生活に影響を及ぼすのは俺の倫理に反する。


「そっか。じゃあ頑張ってこい!」


 叶人はそういって拳をこちらに向ける。


「おう!」


 それに応じて俺は拳を重ね合わせた。これこそ男の友情だ。美しい。

 ……と、カッコつけてしまったはいいものの果たして俺は今日無事に帰れるのだろうか……。

 そんな疑念を頭の片隅に浮かべて俺は午後の時間を過ごした。


 *


「じゃあごゆっくりー♪」


 そんな声とともにウィーンと自動ドアの開閉音が客の帰りを知らせた。

 あ、ちょ……と手を伸ばしたのも虚しく、篠崎は行ってしまった。

 突如、猛烈な喉の乾きを感じてテーブルの上にある飲み物を呷る。


「ふぅ……」


 いったん心を落ち着けて今の状況を整理してみる。

 ここは早い安い美味いの三拍子揃ったハンバーガーチェーン店のテーブル席。隅の方にあるこの席は向かい合った椅子が一つずつのこぢんまりとしたところだ。

 そして俺の向かい。篠崎が帰った今だが、向かいの席には今なお

 その女子は昨日の昼休み、篠崎としゃべっていた黒髪ショートボブのあの時の人物と髪の長さ以外一致している女子だった。


 ……どうしてこうなった。


 たしか、放課後になった時に、篠崎がすぐさまこちらを振り向いてきたんだったか。


「よし、じゃあ何をするかを話すね。まず今から約二十分後、駅前のハンバーガーショップに集合で。私は後で行くから先に行ってて。大事な話があるからさ。じゃあまた後で」


「あ、ちょ」


 全く、人に合わせることができないのか。

 ものすごく唐突なことだったが実のところ結局放課後は暇なので俺は正直に指定された店に訪れた。

 適当な飲み物だけを買って俺は隅のテーブル席についた。

 そうしている間にも、話ってなんだと考えたがこれが全く思いつかない。個別で呼び出すんだからまたしても告白? ないない、さすがにあのタイプが俺に告白するわけがないし、そもそも苦手なタイプだから了承することもない。その時の返事は一択だ。『ごめんなさい』。うん、これに尽きる。

 せっかく告白されてるのに傲慢だ、という意見は認めない。俺だって選り好みくらいしたい。合わないやつと一緒にいたってつまらないだけだろうし。

 結果からいうと、そんな展開など存在すらしなかったわけなのだが。

 そんな豊かな想像力を働かせていると自動ドアの開閉音がした。そちらに目をやると、篠崎と――昨日篠崎と一緒にいた女子がいた。

 げ、さらに一人増えるなんて聞いてないぞ。

 そんな俺の思いとは裏腹に、篠崎は小さくなった俺の姿を見つけて二人でこちらへ向かってくる。


「よかった、しっかり来てくれてて。実のところすっぽかされるんじゃないかってヒヤヒヤしてたのよね」


「で、俺は一回も三人とは聞いてないんだが」


「あれ、そうだったっけ? ってなに、私と二人きり期待してたの?」


「なわけ。見ろよ、二人しか座れるスペースないぞ」


 俺が言いたいのは、篠崎だけが来ると思って二人席を取ったのに三人になってしまったことで一人座れなくなっている、ということだ。事前から言われていればしっかり四人席を取っていたさ。そして篠崎、お前と二人きりなんて俺にとっては地獄でしかないからな!


「ああ、それなら大丈夫だよ。私マネージャーの仕事あるしすぐにおいとまするから」


 篠崎はそういって一緒にいた女子を俺の向かいの席に座らせた。


「は?」


「じゃ、二人ともグッドラックだよ。じゃあごゆっくりー♪」



「…………」思い出した。本当にわけがわからないまま現在に至るのだった。

 俺はもう一度その女子を一瞥した。

 距離が近いので直視こそできないものの、ちらりと見たあたり、顔を赤くして引きつった笑みを浮かべてるのがわかった。

 どうしよう、なんとなく気まずい。何か声をかけた方がいいのだろうか。


「……あの」


 そう思っていると都合のいいことに彼女の方から話しかけてきた。


「な、なに?」


「私の名前は神原夢望かんばらのぞみです。のぞみは夢に望むって書きます」


「は、はあ」


 藪から棒になんだろう。なんで俺は初対面の女子に自己紹介されてるんだ?

 いや、待てよ、この声どこかで――。


「はい、名前は言いましたよ」


 そのセリフで俺は全てが繋がった気がした。

 直感した。この神原夢望は、おとといの告白してきた人物だ――!

 そういえば昨日も、髪を切ったとか言っていた気がする。あの後に切ったとすれば長い黒髪という特徴の辻褄はあう。くそ、思わぬところに伏線が!


「どうしたんですか?」


 横を向いてブツブツ言っていると、神原夢望が覗き込むようにして俺の視界に入ってくる。


「うわっ!」


 慌てて俺は顔を逸らす。が、見てしまった。

 それはそれは綺麗な顔だった。まるで天使のような。

 顔を直視してしまったことと、いきなりの急接近とに俺は顔が赤くなっていることを実感する。


「なんで顔逸らすんですか」


 じれったくなったのか、神原は俺の肩をガッと掴んで体の向きを正してくる。


「な……」


 俺はもはや硬直していた。そりゃ、リア充に属したことないし女子としゃべることなんてほとんどないから当然だろ。今までまともにしゃべれてたことの方がおかしいんだ。そしてそれは目を逸らしているから為せることであって。

 なんかこのままキスでもするんじゃなかろうかというくらい神原の顔が間近にある。これではそっぽを見れるスペースもない。

 ついに俺の脳がオーバーヒートした。


「!?!?!?」


 そこからは自分でも何やってんだか理解できなかった。

 俺はそのまま神原に接近していきついに唇と唇が重なり合って――


「キャッ!?」


 その寸前で、神原が身を引いた。


「な、ななななな、いきなり何を……?」


 煙が出そうなくらい顔を真っ赤にして目をグルグル回している神原を見て、俺も正気を取り戻した。

 って、俺今、キスしようとしてたのか?

 それを認識してしまうと恥ずかしさが湧いて出てきた。

 そんな恥ずかしさを誤魔化すように俺は買ってきていた飲み物をズズズっと啜った。


「い、いや、別にそういう意味じゃ……」


「そ、そうなんですか、私の早とちりでした……」


 とっても、気まずい雰囲気が流れる。

 何か話さないと。でもネタも何もないし……。


「……あ」


 またしても俺が固まっていると神原の方が何か思い出したように五十音の先頭の文字をもらした。


「あ、あの、それで結局返事は……?」


「……?」


 意味を理解するまでに数秒のラグが必要だった。

 返事。それって前の告白の続きってことか?

『あんた、誰だっけ?』のあとに名乗りましたよ、で、どうなの? って言いたいのか?


「は、はい……?」


 まだ確信の持てていない俺は疑問形ながらも了承の返事をしてしまう。こういう流されやすさも俺らしい気がする。

 そんな俺の困惑なんてつゆ知らず、神原の表情はパアッと明るくなった。そして胸をなで下ろす。


「よかったー……」


 その仕草に俺はドキリとしてしまう。その胸に手を当てるのは反則だって。煩悩を爆発させにきてる。


「じゃ、じゃあもう帰るわ」


 とにかくここにいたら気が狂いそうな気がした。そうそうに撤退することを決め、俺は空になった飲み物を持って返却口に捨てに行こうとした。


「ちょっと待って」


 が、歩き始めようとしたところで腕を掴まれた。なんだか感触が柔らかくてああ、女子ってこういうものなのか、としみじみ感じてしまう。


「念の為ですけど……あれはオーケーってことですよね?」


「ああ、うん」


 一刻も早くこの場を立ち去りたい俺は適当に頷く。


「そうですか……」


 手を離して顎に手を当て恍惚の表情を浮かべる神原。また気が狂いそうだ。


「じゃあ俺はもうこれで」


 俺は早足で出口に向かい、振り返りもせずに帰った。


 この時、俺はまだ知らない。

 クズの俺と、天使のような神原がどんな関係性になっていくかなんて――。

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