ごめんね
撃たれた。ミナセが。
地鳴りのように続く騒然と崩れゆく天井に掻き消されながらも、やはりそうだと判断するほかない。それは銃声のあとに起こったのだから。
機兵の姿は見えない。曲がり角だらけの迷宮では射線も通らない。にもかかわらず、ミナセは血を流している。反響定位をもとに跳弾によって撃ってきたなど、速やかに理解できることではない。
ただ、危機は理解できる。
「ミナセ!」
「レシィ……」
崩落した瓦礫の直撃は避けられた。揺れに姿勢を崩し、肩から倒れ頭を打ち、礫が背に落ちてきて、土砂で顔がすす汚れた。それだけだ。
レシィはそれだけである。だから、倒れたミナセに駆け寄り、抱きかかえることができた。
ミナセは脚を撃たれていた。太腿だ。
血が止まらない。動脈を損傷したのだろう。止血が必要だ。
しかし、それより。
倒れたミナセを抱えながら、レシィは〈隠匿〉を発動させた。
撃たれたということは、撃ったものがいるということ。それも、近くに。さらにいえば、ここにいることがわかったうえで撃ってきている。彼らは無駄なことはしない。偶然などということはあり得ない。
レシィの鼓動が乱れる。つまりそれは、「すでに発見されている」ということではないのか。
レシィの固有魔術〈隠匿〉は、“すでに発見されていないかぎり”、そして“その場から身動きしないかぎり”、決して見つかることのないという絶対法則の魔術だ。
ミナセとはこの魔術について多くの実験をした。発動中に触れたらどうなるかとか、物理的におかしな挙動を目にしたらどう認識するのかとか、あるいは“身動き”の範囲の検証だ。
しかし、“発見”の定義までは調べていなかった。そこまでの時間と余裕がなかったためだ。
「レシィ、逃げ……」
「え?」
「すでに、見つかってる、可能性が……」
考えることはミナセも同じらしい。つまり、すでに遅いと。
「……大丈夫。たぶん。だから」
正確に検証したわけではなくとも、レシィにとっては長年、それこそ生まれたときから付き合ってきた魔術である。機兵からも何度も逃れている。ゆえに、経験的な判断はつく。
きっと、大丈夫だと。
それでも不安は拭えない。隠れるという行為はいつだってそうだ。いつ見つかるかわからないという恐怖に怯え続けるということ。追跡者の姿が見えないならば、なおさらだ。
やがて迷宮の奥から足音が響く。ミナセを撃ち、追ってきた機兵だ。
二体。彼らは、明らかに。
明らかに、ミナセを発見できていない。目に前にいるはずの標的を見失っていた。
「ね?」
「ん。ああ、機兵が、目の前にいるのね」
「いるのねって……見えてないの?」
「顔を起こすのも、ちょっときつくて……」
後ろから抱きかかえる形になっているレシィには、ミナセの顔はよく見えない。もちろん、その態勢からでも身動きすれば顔くらい覗ける。それができない態勢で〈隠匿〉を発動してしまっていた。
「レシィ。やっぱり、あなたはすごいわ……」
「わ、私は、魔術がすごいだけで……」
「そう。あなたの、魔術はすごい。だから」
「だから?」
ミナセの言葉はそれ以上続かなかった。声を出すも弱々しい。レシィはあえてそれ以上は促さなかった。ただ、目だけを動かし、耳を傾けて機兵の動きを観察する。
機兵は捜索を続けている。銃を構え、つい先ほどまであったはずの反応を追っている。
天井が崩落し、道の一方が塞がれている。残る道は一つ。
考えうる可能性は、崩落に巻き込まれて生き埋めか、あるいはその先へ逃れたか、もう一方の道か。いずれにせよ、この場にまだ残っているなどあるはずがない。隠れる場所などどこにもないのだ。
レシィはそう考える。機兵の立場だったらそう判断するしかないと考える。
でないと。
「機兵、なかなか諦めないね。ここにはいないってわからないのかな」
「レシィ、あなたには、話すことが……」
「え、なに? えっと、それよりこのあとのこと考えなきゃ。ここにいつまでもいると天井崩れそうだから抜け出さないとね。多分、あの機兵は崩れてない方の道へ進むと思うから、私たちはいったん引き返して別の道に」
「レシィ」
声に力はない。ただ、名を呼ぶだけの小さな一言に、レシィは早口を噤んだ。
現実を直視しなければならない。もっと身近な現実を。
機兵は原住民の殺害に際し頭部を第一目標とするが、命中が確実でないと判断される場合は胴体を第二目標とする。反響定位に基づく跳弾による狙撃は後者のケースだ。狙いはやはり正確ではなく、それは胴体ではなく脚に命中した。
だが、それでも致命傷になりうる装備を彼らは選んでいる。
太腿の傷は、外見上では小さな穴に見える。だが、その内部はホローポイント弾によってズタズタに引き裂かれている。体内で炸裂するように醜く変形した銃弾が、肉と血管を惨たらしく傷つけていたのだ。
ゆえに、血が止まらない。
止血処置をしなければ、ミナセの未熟な自己回復魔術では塞ぐことはできない傷だ。しかし。
「話すことって……そんなこといったら、私も――」
そこまでいって、喉が詰まった。
これではまるで、別れの挨拶みたいだ。
「私も、ミナセには何度も助けられたから……! あの、砲撃のときも、私、なにが起こったのかわからなかったのに、ミナセは」
「そのあと、レシィの〈隠匿〉がなかったら助からなかったでしょ……」
「今度は、私が……!」
「だから、もう助けられてるって」
機兵はまだ去らない。床の血痕を調べて不審がっている。あるいは、二人の目の前まで迫る。
客観的には数分にも満たなかったかもしれない。ただ、レシィにとっては側頭部を万力でキリキリと締め付けられるような、耐えがたい時間が続いていた。
機兵の一体がなにもないところで躓く。転ぶまでには至らなかったものの、その要因はどこにも見当たらなかった。段差もなければ瓦礫もない。不可解な現象だった。
機兵はこれを姿勢制御機能の不具合だと解釈した。物理的要因が存在しないのであればそう解釈するほかない。キョロキョロと戸惑う動作は滑稽さを帯びていた。
「見て。ミナセ。あの機兵も、私たちに躓いたのに、そのことに気づいてないんだよ。機兵でも。機兵なのに。笑っちゃう。間抜けだよね……」
「……そう、ね」
失血が酷い。生温かい鮮血がとくとくと留めなく溢れ出ている。ミナセの意識は朦朧とし始めている。呼吸も小刻みに荒くなっている。
ミナセから溢れた血はレシィの身体もまた濡らしていた。地面に大きな血溜まりをつくって、みるみると広がっていくように見えた。
止血が必要だ。せめて、傷口を手で押さえないと。だが。
それは“身動き”である。今、レシィの腕はミナセの背を支えている。太腿の傷口までが、こんなのにも遠い。もっと早く気づいていれば、この手をミナセの命を繋ぐのに使えたのに。今動けば、もっと取り返しのつかないことになる。
それよりも、縛るものだ。止血のために太腿を縛らなければならない。確かな医療知識があるわけではないが、レシィは持ちうる知識を総動員して考えた。たしか、それでいいはずだ。ベルトがある。それでなんとかなるはず。機兵が去ったらすぐに、縛る位置はここで――なにもできないレシィは、脳内で予行練習を繰り返す。
「レシィ、あたし……」
「ミナセ」
もう話さないで――とは、いえなかった。
不安で仕方なかった。だから話し相手が欲しかった。ミナセが死にそうだという不安を、ミナセと話すことで紛らわそうなんて馬鹿げていると思ったけど、それでも。
「死に、たく……」
「死なないから!」
こんなことで死ぬはずがない。こんなところで別れが来るはずがない。
ミナセとはまだ話していないこともいっぱいあるし、まだいくらでも話せると思っていたから、あまり話してもいなかった。ミナセだって、まだ話があるって。
「話があるって、いってたじゃん。聞かせてよ」
「それは……」
「あとで! ひとまず、助かった、あとで……」
視界がぼやけている。なにも見えない。熱くて寒い。機兵はまだうろついている。崩落した天井の瓦礫を調べているらしい。なんで? いつまで?
迷宮へ侵攻した機兵は二万体にのぼる。他の捜索範囲には別の機兵部隊がいる。その二体は不可解な事象と崩落した瓦礫によって足止めされている形になるが、その正確な調査を行った方が有益であると判断されていた。
「なんで、あいつら……なんで」
声に出てしまった。焦燥と不安。ミナセを元気づけないといけないのに、出てくるのは、そんな情けない言葉だった。
なにもできない。
一切の衝動を抑え込んで、あらゆる身動きを封じ込める。
なら、絶対に見つからない。目の前まで迫っても、触れても、躓いても、絶対に気づかない。ミナセはこの魔術を「最強」だといってくれた。レシィも、いわれてみればそうかもしれない、と思っていた。
最強のはずの魔術だったのに。ミナセに、最強だっていってもらえたのに。
ミナセに認められた魔術なのに。
失血量はやがて、命を器から零れ落とす。
「レシィ」
掠れた声で。
「ごめんね」
ミナセ・イヴァナスは死んだ。
レシィが死ぬのは、これからだ。
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