崩壊の狂想曲②

 迷宮内にて生存していた人間は九十八名。

 寝食のために用意されていた広場は七ヶ所存在していた。

 四百年以上かけて迷宮は少しずつ拡大成長を続け、地上の人間を迷い込ませてはさらに糧としてきた。これまでに、(たった一人を除けば)誰も逃したことはない。ゆえに、その存在は発覚すらしていなかった。これは、ヨギアとゾルティアの国境という地上稀見る政情不安に立地していたことも大きい。

 迷宮にとって人間は資源である。

 魔力の供給源であると同時に、迷宮を攻略する可能性である。解かれうるものでなければ迷宮は迷宮たり得ない。ゆえに、迷宮は人間を手厚く看護するように扱った。

 ただ、自死まで止められるわけではない。人間同士の争いもまた同様だ。

 いつかは大量の難民が雪崩れ込み、処理能力を超えたために間引かざるを得なくなったときもあった。命知らずの冒険屋によって本当に攻略されかけ、殺さざるを得ないときもあった。

 そんな小さな騒動トラブルはこれまでに何度も乗り越えてきた。

 この日でそれも終わる。


 大型貫通爆弾によって迷宮に穿たれた穴の直径は9m。

 迷宮攻略のために待機していた機兵は約二万体。この機を逃すまいと、彼らは次々に、毛細血管に浸透するように侵攻する。複雑に分岐する迷宮を彼らは躊躇いもなく進む。度重なる偵察で地図はすでに完成し、機兵のすべてがそれを共有していたからだ。

 迷宮のそれ以上の破壊は望めなかった。迷宮はその時点で再び攻略可能なものとなっていたからだ。そして、実際に攻略されてしまうのも、もはや時間の問題だった。


「なんだ、さっきの爆発……いつもと音が違わなかったか?」

「いつもと同じだよ。またいつもの騒音。どこに抗議すりゃいいんだ?」

「ん? 誰かいるぞ。見慣れない……女か?」


 各地の広場で、生存者たちは機兵の姿を目にする。生まれて初めて、あるいは、せっかく逃れてきたはずなのに。


「機兵だ! あれは機兵だ! 逃げるんだよ!」

「ああ、そんなこといってたなお前。くだらねえ……あれがなんだってんだよ。人形みたいに綺麗な女じゃねえか」


 各地の生存者たちは、迷宮によって巧みに分離されていた。

 マジカル・ロジャーとアルフを除き、広場間を行き来していた探索者はいなかった。それどころか、広場から足を踏み出し、あえて迷宮を探索しようというものも稀だった。各地で転がっていた機兵の残骸すらも、目にしたことのあるものはほとんどいなかった。

 迷宮の各地で無数に銃声が鳴り響き、生存者が失われていく。機兵群は七つ点在する封印基点である宝玉を破壊し、迷宮を正規に攻略していく。迷宮の防衛機構である徘徊者はこれを全力で迎撃する。

 そのありさまは、病の進行に似ていた。


 ***


「は、はじまったの……?!」


 すなわち、迷宮と機兵群の全面戦争。

 いつもと異なる爆撃音のあとに、そこらじゅうで鳴り響く戦闘音。

 瞬く間に迷宮は死と混乱によって満たされていた。


「みたいだねえ。急ごうかい、迷宮の中心にさ」


 先導するカガワは笑みを絶やさない。冷や汗を浮かべながらも。それは強がりでもあり、心底ワクワクしているのも確かだった。


「中心って、中心に行ったからって……」

「そだねえ。スヴェリアがいるのもそことはかぎらねえが、まあそこだろ。行ってどうなるかもわからねえが、まあ行くしかねえさ」

「そ、それに中心って……そこまで行ったこともないんでしょ?!」

「だから冒険さ。やっと地図が広げられる。徘徊者どもは機兵にかかりっきり。ま、起きちまった状況は利用しないとね――っと」


 カガワは右拳の甲で、革手袋に仕込んだ術式を壁に打つ。

 召喚されたのは魔獣“白兎”。ふさふさした白い毛並み、愛らしいうさぎの顔立ちをした、筋骨隆々の肉体を持つ人型の魔獣である。


「はっ、え、なに、きもっ!」


 だが、能力は確かだ。

 白兎は壁となって、背後から迫る機兵の銃撃をその身で防いだ。そして、そのまま迎撃に向かう。屈強な筋肉で拳を振り上げ、機兵の顔面を思いっきり殴りつけている。


「ふひょー、硬いねえ」


 ただ、それで倒せるわけではなかった。機兵の頑強な頭部はそう易々とは潰せはしない。


「み、見てる場合じゃないでしょ!」

「うんうん。行こうかい。そこらじゅうでどんちゃん騒ぎだ。ふひっ、ふへへ、はははっ! いいねえ。四方八方どこからでも死がお邪魔してくるこの感じ。なんだか少し楽しくなってきたよ」

「……楽しく、って。あなた、傭兵のが向いてたんじゃないの? 戦場とかお似合いでしょ」

「馬鹿言わないで欲しいねえ。アタシなんかは逃げ出すので精一杯さ」


 いまだに、どこか現実感がない。

 夢でも見ているのかと疑うほどに、唐突に「安住の地」は消し飛んだ。

 ミナセにとってもそれは三度目の出来事であるはずなのに、いまだに。


「ひっ」


 そこかしこで機兵と徘徊者が衝突し、流れ弾が飛んでくる。その合間を掻い潜り、入り組んだ迷宮だからこそなんとか生きながらえてる。常に喉元に冷たいナイフが突きつけられているような緊張感で、死に物狂いに駆け続ける。

 その先に、希望があるともかぎらないのに。


「ディミニ!」

「わかっている」


 二人は駆けながらも阿吽の呼吸を見せた。

 いつか徘徊者相手に見せた連携技コンボだ。

 ディミニが毒を生成し、そこに鳥の魔獣を突っ込ませる。その慣性のままに浸蝕毒を敵に浴びせる。狙いは、徘徊者と交戦中だった複数の機兵だ。

 三体ほどの機兵はあっという間に溶けて失せて、劣勢だった徘徊者は別の機兵を排除するために動き出す。何十発撃たれたのか、脚は二本ほど動かずに引きずり、眼もいくつか潰れていた。だが、魔獣には痛みも死への恐怖もない。形を保つかぎり目的のために動き続ける。

 その先でもまた戦闘がはじまったらしい。壁の向こうで、あるいはさらにその向こうで、命なきもの同士での全存在を賭けた争いが続いていた。


「やっぱり、なんだかんだと頼りにはなるわねあの二人……」


 ただ、綱渡りだ。細い糸でかろうじて命が繋がっている状況が続いているだけだと、ミナセは思った。カガワのように未知にすべての賭けることはできない。まだ信じられる確かなものがミナセにはあった。


「レシィ。いざとなったら――」


 ミナセは少し下がって振り向いて、レシィに小声で話しかけた。


「カガワさん、たちは?」

「……五人もいける? というより、大丈夫でしょ。ほっといても、あの二人は」


 カガワらにレシィの〈隠匿〉について教えなかったのも、つまりはこのときのためだ。明確にこの状況を想定していたわけではない。自覚していたわけでもない。ただ、生き残る確率を上げるためにはレシィの力をできるだけ独占しておく必要がある。

 どこかで、きっとそう考えていたのだ。

 だが、今はそんな浅ましさを恥じる余裕もない。


「ただ、問題は――」


 機会がない。

 死角が多すぎるのも逆に困りものだ。相手からも見えないだろうが、こちらからも見えない。どこから見ているかわからない。仮にうまく隠れられたとしても流れ弾もありうる。〈隠匿〉を使うにしても、場所もタイミングも定まらなかった。

「でも、逃げられる。壁で射線が通らないから、走り続けていれば」

 それは誤解だった。

 誤った認識であり、楽観であった。

 とはいえ、彼女たちの対応は最善だった。壁で射線を遮るようにして逃げ続けること。それ以上の生存策はその状況においては存在しない。

 判断が正しかったからといって、生き残れるわけではない。


「え……?」


 機兵は反響定位ソナーを装備している。死角であろうと音速で物体の形状や位置を知ることができる。迷宮の構造も正確に把握している。そして、壁は銃弾を弾く。あとは、物理演算に基づくシミュレートを、現実に反映させるだけだ。


「ミナセ……?」


 どこからか撃たれた銃弾。それは計算された跳弾である。

 壁を二度跳ね、威力を減衰させながらも、それは。


「ミナセ!」


 レシィは叫び、立ち止まり、異変に気づいたカガワも振り返る。


「レシィ! どうしたい。ん、ミナセは……?」


 直後。

 激しい揺れが迷宮を襲った。


「なっ……!」


 迷宮が崩れようとしている。すなわち、機兵群はすべての宝玉を破壊し、迷宮を解いたのだ。さらに続けて各地に設置した爆薬を起爆し、機兵群は迷宮を完全に破壊しようとしていた。


「レシィ! 早くこないか!」


 声も虚しく。

 天井が崩れ落ち、瓦礫によって彼女たちは分断される。

 ミナセとレシィ。それ以外。

 あるいは、死にゆくものとそれ以外、なのかもしれない。

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