冒険屋のお仕事③
「あ、カガワさん」
「レシィかい。アタシらは近くに飛ばされたようだね」
迷宮の一角にて、レシィはカガワと再会した。
レシィにはなにが起こったのか理解できなかったが、カガワによれば迷宮にはたまにある罠なのだという。すなわち、空間転移の罠だ。
空間転移とは、二つの場所でそれぞれ術式を合わせ、同時に起動させることで発動できる。互いの空間を交換するという魔術だ。
一般に、これは運搬・交通手段として便利に利用されるものだ。一方、罠として利用するには向いていない。あらかじめ仕掛けられたものなら見えている術式に近づかなければよいのだし、術者であれば発動に際し魔術的に抵抗することもできる。なにより、術式の境を跨いで頑強な固形物があるだけでも起動に不良を来すこともあるくらいだ(空間転移を「材料の切断」に利用できないかという試みはこのために頓挫している)。
「つまり、罠としてはかかってしまうと厄介だが、まずかかることはねえ代物ってとこさね」
「それなら、今回はなんで……?」
「機兵の爆撃さ。あれに気を取られてる隙を突かれた。迷宮知性の評価を改めないといけないかもねえ。アタシらが利用できないかと考えていた混乱を、奴さんのが利用しやがった」
迷宮が一つの知性であるならば。その壁や床に対して術式の展開も発動も自由自在だ。天井から響く爆撃の揺れに気を取られて見上げて、足元で静かに術式が描かれていたのに気づかなかった。それがこの結果なのだろう。
「でも、ここってどのあたりなんでしょう」
「さてねえ。さっきから偵察魔獣をそこらじゅうに飛ばして地図とにらめっこしてるが、多分アタシらにとっちゃ未探索領域だ。やっぱりこの迷宮、思った以上に広い」
「近くに“徘徊者”――の気配はなさそう、ですか?」
「防衛領域に侵入してきたから排除したんだ。わざわざ“核心”の近くに飛ばしゃしねえよ」
「まずは……みんなと合流しないと、ですよね」
「そうさね。ディミニはアタシがいないとなんもできないし……。レシィ、アンタも出せんだろ。魔獣。ひとまずそこらじゅうに放って地形を把握するよ」
「えっと、でも」
「別に低性能でもいいんだよ。無能ではないならね」
カガワは床に術式を描く。並んで、レシィも拙いながらに術式を描く。
召喚。カガワが呼び出したのは三十二匹ほどの多目鼠。一方、レシィは白雪徒の一匹である。
「これ、役に立つんですか?」
「……ま、適当に放ちな」
カガワの多目鼠は一斉に散り散りになり、曲がり角の奥へ、T字路の先へと駆けていく。一方、レシィの白雪徒は悠長にぴょんぴょんと跳ねている。
「役に立つんですか?」
「……ま、あって困ることもないさ」
三度跳ねた白雪徒はこの世からその存在を消す。七度跳ねるまでは、白雪徒はどこへだって行ける。壁に向かって消えていったそれは、きっと今ごろ壁の向こうにいるのだろう。
「そういえば。あれって、再び姿を現わすときが壁の中だったりしたらどうなるんです?」
「うん? まあ、そのまま消えるね。正確には、たぶん姿を現わすことができねえのさ。壁を押し退けて顕現するほどの力もないからね」
「なるほど。気をつけないといけないんですね。とはいっても、操作もできないし感覚も繋げないんですけど」
「消えたときくらいはわかるかい?」
「たぶん……。あ、いま消えました……」
沈黙。いたたまれない空気だった。
「……ま、一度に召喚できるのが一匹だけでも、何度でもやりゃいいだけさ」
嘘はつかない範囲での、ギリギリの「褒めて伸ばす」方針である。
「っと、アタシのネズミどもがなにか見つけたようだね。機兵の残骸かい。……って、なんだいこりゃ」
「なにかあったんですか?」
「……うーむ。いや、直接見に行くのが確実だね。レシィ、来てくれ」
***
「で、あいつらは俺のことをなんて?」
「んー、なんだったかな。“なにか面白いことになるはずだ”とか、“ボヤボヤしてたら先に迷宮を攻略されちまう”とか、そんなとこだ」
「そりゃまあ、期待が重いこった」
一人の男が薄暗がりで佇んでいる。壁を背に腰を下ろして、ただぼんやりとしていた。
「あいつらの他にはどうだ? いけそうなのはいるか?」
「ダメだな。全然ダメ。防衛線境界の徘徊者にすら敵わねえでやんの。すでに諦めムードになってるとこもちらほらだ」
「マジか。となるとあいつらだけか? それもさすがに困るな……。もっかい発破でも掛けにいくか?」
「意味ねえと思うけどな。見た感じ使えねえ腑抜けどもだぜ?」
「やるだけやるさ。それでもダメなら……あー、機兵どもを招くか?」
「あの人形どもかよ! いや、俺は別に構わねえけどよ。どうせなにされても死にゃしねえんだし」
「わかんねえぞ。いくらてめえだって無事に済むとはかぎらねえよ。なんたって機兵どもは、俺たち全員を皆殺しにするつもりだからな」
「なんでそこで俺に脅しをかけるんだよ」
彼は一人で話していた。どこからか彼以外の声が聞こえ、彼はその声と話していたが、その場にいた人間は彼一人だけだった。
迷宮の封印魔術は、迷宮内に点在する七つの宝玉を“核”としている。
それらはすべて狂暴な魔獣によって守られてはいるが、触れるだけで脆く崩れ去ることはすでに確認済みである。いわば、解法の難度を外部に委託した形での封印である(解法を単純化することで破壊に対し強い耐性を得ることができる)。
ただし、問題は。一つ封印を解いたとしても、一週間ほどで再度復活することである。
ゆえに、迷宮を攻略するためには一週間以内にすべての封印を解く必要があるのだ。
彼は探索と調査を進め、自身の力のみではこれは不可能であると断じた。たった一人では、仮に迷宮の全容を完全に把握していたとしても、一週間以内にすべての宝玉を巡るだけでも困難極まる。
迷宮はそれほどに広大で複雑である。それだけでなく“徘徊者”の妨害まであるのだ。
「はあ。悲しいぜ。俺だって昔は冒険屋の仲間がいたんだぜ? それがよ、機兵だとかいうわけわかんねえ連中のせいで、それはもう酷い目に遭ったぜ」
「じゃあ俺の苦労話も聞けよ。てめえなんてせいぜい二年とちょっとじゃねえか。俺はなー」
「何度目だよその話」
「てめえこそ何度目だよ」
彼は一人だ。かつては信頼できる仲間たち共に世界中を冒険してきた。それが、今は一人だ。こうして話し相手はいるが、それを「人」とは数えないだろう。彼は壁に向かって話している。
壁に浮かび上がる、顔に向かって。
「聞け! 俺はこうして四百年以上だ! っても、時間感覚なんて長年なかったが、ついこないだ、いや、これも十年くらいは前だが、親切な学者さんにいろいろ教えてもらったんだよ」
「で?」
「イカレ野郎どもの実験でこのありさまだ! 壁に魂が憑依しちまったんだよ! そんで四百年以上も一人で孤独だったの!」
「そりゃお気の毒だ。ホントに」
「そうだ、もっと憐れめ!」
「出身はどちらさまでしたっけ?」
「王国だよ! ブリュメ王国! って、もうとっくに滅んでんだって? ま、なんでか知らねーがなんかこのクソでかい迷宮が俺んとこまで来たらしくてな! おかげで活動範囲がグッと広がっちまったよ」
「よかったじゃないですか」
「憐れめっつってんだろ! 適当な受け答えしやがって!」
「あんたはともかく、俺は助かってるよ。迷宮内を自由に動き回ってそこらじゅう偵察できるなんて便利そのものだからな」
「だろ? わかったらもっと敬え! 金も食い物も女も俺にとっちゃ無意味だからな! ただ言葉で褒めりゃいいんだよ!」
「それだけじゃない。心強い仲間だ。俺も、一人で寂しかったからな。その意味でも助かってるよ、アルフ」
「お、おう……そうか……」
四百年前。すなわち凪ノ時代。
キールニールという厄災に対抗するため、人類はあらゆる手段を模索した。倫理も人道もなにもかも踏み躙って、彼らはただ勝つために戦った。
そうして残された当時の遺産は、多くが現代の魔術では再現も理解もできない未知であり畏怖である。
RF-7。彼もまたその一つ。
キールニールに対抗するために行われた不死の研究。その失敗作。
肉体が滅びようとも魂が近くの物質に憑依する。そのことで不死を実現したが、壁に憑依したのでは文字通り手も足も出ない。戦力としては一切の期待もない。ゆえに失敗作である。
元は凶悪な囚人ではあったが、すでに四百年もの刑期を履行していることになる。
「で、どうすんだよ。いつまでもここで待ってるってわけにゃいかねえだろ」
「かといって、闇雲に動いてもなあ。そうだったな、とりあえずは腑抜け共に発破を掛けに行って……」
「それよか、有能なやつを手助けした方がよくないか?」
「あいつらか? たしか冒険屋がいて俺を知ってるんだろ? 恥ずかしいぜ」
「言ってる場合か」
「それになんだ、“この迷宮を防衛拠点に”だったか。微妙に利害も噛み合わないしな……」
「ガキの言ってることだ。気にすんな」
「子供ってのも、どうもな。冒険屋はともかく子供をけしかけるのはさすがにな」
「なんだそりゃ。そういうこと気にすんの? お前」
「というかお前はいいのかよ。いつになくやる気じゃねえか。迷宮がぶっ壊れたらお前の活動範囲も減るってことじゃないのか?」
「別にどうだっていいんだよそんなことは。それよか、あの女も気になるしな」
「なんだ。その身体じゃ女は抱けねえから興味ないんじゃなかったのか」
「興味がねえとは言ってねえよ」
「それともあれか、似た境遇で同情してんのか?」
「うるせえな。そもそもてめえが受けた仕事じゃねえのかよ、マジカル・ロジャー!」
「言われなくてもやるさ。受けた仕事は必ず完遂させる。俺は、冒険屋だからな」
ロジャーは身を起こし、立ち上がってニヤリと笑む。
「そのうえ、今回の依頼主は――まさかの皇王様だ」
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