迷宮へようこそ③

「この迷宮について、もっと知る必要がある」


 ミナセは、レシィに対してそう告げた。


「この迷宮は、魔術師の防衛拠点にできるはずよ。そのためには、この迷宮の規模とか、性質とか、もっと詳しく調べないといけないわ」

「えーっと」


 それに対し、レシィは困惑したような顔を浮かべながら。


「防衛拠点って?」

「そのままの意味よ。ここならひとまずは安全でしょ」

「ミナセは、ここに留まるつもりなの?」

「え?」

「また、なにかに囚われる生活でいいの?」

「ちが……」


 と、言いかけて、少しだけ言葉を直す。


「この迷宮は、あの箱庭とは違うわ。なぜなら、この迷宮は魔術のものだから」

「同じだよ」


 レシィは言い放つ。


「だって、グラスさんには会えないから」


 隔絶。ミナセは言葉を失った。

 ミナセは、てっきりレシィには同意してもらえると思っていた。「迷宮を防衛拠点として活用する」という計画は、それほど彼女のなかでは理に適っていた。しかし。


「私がアイゼルに向かってたのは、グラスさんがいるならそっちかなって。漠然としてるけど」

「グラスさんグラスさんって……そんなに会いたいの?」

「うん。というかミナセも、新生アイゼルに合流しようって話してなかった?」

「そうだけど……」

「この迷宮をいろいろ調べるってのは同意。どうにか出口は探さないといけないし」

「ここを捨てて出て行くっていうの……?」

「できるだけ早くね」

「食糧は?」

「箱をいくつか持ち出せばいいんじゃない? 話を聞くかぎりだと、外なら使えそうだし」


 迷宮を防衛拠点として利用するという発想は、ミナセにとって希望だった。だが、レシィにとっての希望は別のところにあった。

 グラス。レシィの話では、どうやら魅力的な人物のようである。厳密には「眼鏡」で、「人物」ではないらしいが。レシィがこれまで見せた勇気も、そんな彼に「会いたい」という一心、からだったのだろうか。


「……この迷宮を、出入り自由な拠点にする」

「ん?」

「それでどう?」

「えっと、なに?」

「いつでも出られて、いつでも入ってこられる。つまり、“家”にするのよ。それなら悪くないでしょ」

「できるの? そんなの」

「わからないわよ。でも……」


 ミナセは、力なく顔を伏せた。


「やめときな」


 高い位置から声がする。二人は顔を上げた。


「つまりそれはアンタら、この迷宮に挑むってことなんだろ?」


 背が高く、大柄な女性だった。オレンジ色の髪で、後ろ髪を低い位置で結んだポニーテールをしている。翠の瞳からは芯の強さが感じられた。


「カガワさんはねー、ディミニさんと、この迷宮を探索してるんだってー」


 ひょこっと、その後ろから姿を現したのはコムである。


「コム。見ないと思ったら」

「いろいろ聞いて回ってたよー。あのお爺さんたちとか、ここに来て結構長いみたい」

「あの、ところで、カガワさん……ですか? お怪我は大丈夫なんですか」

「ん? アタシは大丈夫さ。どっちかっての怪我してたのはディミニの方だからね。ああ、ディミニってのはアンタらに助けてもらった子さ。ありがとね」

「あ、どうも。ディミニさん、は無事なんですか?」

「おかげさんでね。しばらく安静にしてりゃ大丈夫だろ」

「ねえ、ところで。“やめとけ”ってのはどういう意味?」

 突っかかるのはミナセである。

「文字通りの意味さ。アタシらを見たろ? 下手に迷宮に挑めばああなるってことさ」

「それはあなたたちが弱いから……じゃないの?」

「ほう?」


 ぴりっ、と、空気がひび割れるような音がした。カガワは革手袋越しに拳を撫でる。レシィはそんな二人に挟まれ、わたわたしていた。


「まあ、そうさな。少し試そうか。言って聞かなければどっちにしろそうするつもりだったんだ」

「やるの?」


 ミナセは剣に手をかける。


「ただし、やるのはアタシじゃない」


 カガワは屈み込み、尖石で地面に術式を描き始めた。二重円、そのうちに文字を連ねる。慣れた手つきである。


「アンタ相手ならこんなもんだろう。来な、“影猫”」


 術式が光り、ぐにょりと影が這い出る。そして現れたのは。

 体高1mはある大型の黒猫である。黒い靄のようなものが纏わりつき、その輪郭は曖昧だ。そのうえ、目がない。まさに文字通りに、まるで影のような猫だった。


「へえ。魔獣」

「そうさ。アタシは魔獣使いなんだよ」


 ミナセは剣を抜いた。おおよその意図を察したからだ。


「でも、召喚まで時間かかりすぎじゃない? もたもたしてるうちに斬りかかってもよかったけど?」

「やればよかったじゃないか。ま、普段はあらかじめ準備しておくんだよ」


 憎まれ口を叩きながら、ミナセはその魔獣と対峙する。じりじりと、間合いを測りながら。


「あ、あの、ちょっと! ちょっと待ってください! なんでこんなことになってるんですか」


 狼狽えるのはレシィである。


「ああ、お友達なら心配いらないよ。あの猫は人を傷つけない。ただ、思い知らせるだけだ」

「レシィ。心配しないで。このおばさんがちょっと思い知るだけだから」


 と、バチバチ睨み合ってるが、怪我することがないなら別にいいかな、とレシィは後ろに引っ込んだ。


「うーむ。レシィちゃんはどう思う?」


 すっかり観戦モードなのがコムである。


「どうって。いや全然わかんないけど。カガワさんは会ったばかりだし……」

「魔獣の召喚術式の組み方とか早さからある程度の実力って測れるんだよ。ぼくの見立てだと、あの人はかなりの実力者だね。でも、ミナセちゃんを甘く見てる。それでギリギリかなー」

「本気を出したらカガワさんの方が強いってこと?」

「多分ね。といっても、魔獣使いは事前準備に左右されるから、なにをもって“本気”なのかってことにもよるんだけど」


 そんな話をしている間に、はじまったらしい。

 黒猫が先に仕掛けた。その見た目通りに、しなやかに素早く、勢いよく跳びかかる。

 ミナセはそれを正面から迎え撃ち、斬る。が。


「すり抜けた!?」


 ある意味で、それも見た目通りである。黒猫は影のようにミナセの身体を通り抜けていった。


「なにあれ。実体がないの……?」

「ふーん。驚いた。でもこれじゃ、攻撃もできな――」


 言いかけて、ミナセは膝を折る。倒れかけ、剣を杖代わりにしてギリギリで体重を支えた。


「なっ……?」

「話、聞いてたかい? “傷つけない”ってのはヒントを与えてたつもりだったんだけどねえ」


 実体のない影のように振る舞い、通り抜けざまにその力を奪う。すなわち、相手からの攻撃は受け付けないくせに、影猫の方は一方的に攻撃し放題だということ。


「え。ずるくない。ねえコム。あれってずるくない」

「大丈夫だよー。そんな、無敵の魔獣なんて存在しないから」


 まったくだ。と、外野の声を聞きながらミナセは頷く。

 いくら魔獣が多種多様とはいっても、そんなに強いなら知らないはずがない。

 ただ、ミナセは知らなかった。ゆえに、現状の認識では無敵の魔獣に違いない。知らぬなら、考えなければならない。ミナセは気力を振り絞り、両脚で立つ。


「はっ!」


 遠隔斬撃。通じるとは思えないが、ダメ元で放つ。

 影猫は、それを跳び上がって横に躱した。


「避けた――!?」


 つまり、攻撃は通じるということ。だから避けた。

 再び獣が地面を蹴って、跳びかかってくる。ミナセは転がりながらもこれを躱す。仕掛けてくるときは先と同じように実体のない影であろうと思ったからだ。


「いつまで逃げられるかねえ」


 カガワは腕を組みながらニヤニヤしていた。

 ミナセが察するに、“影猫”は仕掛けるときだけ実体のない影となる。普段は、つまり今は実体のある質量としてそこにあるはずだ。でなければ、地面を蹴って跳びかかってくることなどできるはずがないのだから。

 ――ならば勝機は、こちらから仕掛けないかぎり訪れない。

 ミナセは仕掛けた。獣に向かって斬りかかっていく。読み自体は当たってはいた。影猫は攻撃を躱す。そう、躱すのだ。獣の持つ柔軟性と敏捷性を、ミナセの剣は捉えられない。縦横無尽に、ミナセを弄ぶように獣は飛び跳ねる。


「く……っ!」


 考える。真っ向からでは敵わない。このまま剣を振り回し追いかけても、闇雲に体力を消耗し隙を突かれる危険性が高い。

 仕掛けるときは影となる。その際には相手からの攻撃は通じない一方で、触れれば力を奪っていく。ならば、その性質は防御にも転用できるはずだ。

 ならば、なぜそうしないのか。意識的に切り替えられるのであれば、身を躱すより遥かに安全だ。というより、常にその形態でいればよい。


「なるほどね」


 ミナセは獣を追うのをやめた。当初のように、反撃カウンターを狙う構えだ。


「学ばないねえ。“影猫”、終わらせな」


 獣は次で確実に仕留めるため、その動きに牽制フェイントを混ぜた。しかし、反撃狙いのミナセはそれには惑わされない。

 好機は、獣が跳び上がった瞬間。ミナセは待ち構えるのではなく、突っかけた。それは、獣の描く放物線が、頂点に達する前。それまでに、ミナセは獣を斬り裂いていた。


「ほう」


 獣は倒れ、黒いすすとなって崩れ落ちた。すなわち、ミナセの勝利である。


「え? え? どゆこと?」


 わかっていないのはレシィである。コムの肩を揺さぶって必死で解説を求めていた。


「“影猫”は常に実体のない影ってわけじゃないんだよー。だって、それだと地面に立てないでしょ」

「えと、うん。そうかも」

「じゃあ、いつだったら実体のない影として振る舞えるのか。それは地面にいないとき。それも、自由落下してるときだけ」

「へ?」

「跳び上がって、落ち始めたときってこと。地面に接地するタイミングで元に戻るみたいだけど」

「へえ。お友達も詳しいじゃないか」


 カガワは感心したように笑っていた。


「あなたの魔獣、別に大したことなかったわね」

「おう。アンタもなかなかやるな。アンタの言う通り、その魔獣は大して強くなくてね。なにせ、一撃じゃ仕留められない。初見でこそ絶対有利な特性を持ってるわりに、二〜三回は突っ込まないと相手を無力化できないんだよ。アンタも初見だったみたいだけど、それで対応されちまった」

「そう。じゃあ、もっと強い魔獣ってのも出してみなさいよ」

「まあまあ。アタシが謝るよ。認める。アンタは強い。迷宮攻略に挑むんなら、手を組んでもいいんじゃないかって思うくらいにはね」

「手を組む?」

「そ。目的が同じなら行動を共にした方がいいとは思わないかい?」

「そうね。ただ、聞いてなかったわ。あなたたちはなぜ、迷宮に挑むの?」


 カガワはそれを聞いて、歯を見せて大きく笑んだ。


「アタシらは冒険屋でね。冒険せずにはいられねえのさ」

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