迷宮へようこそ②

 まず目を引いたのは巨大な戦列艦だった。

 木造の船体に三本のマストが立ち、帆はボロボロに朽ちている。時代は少なくとも百年以上は昔のものか。三層砲列で多数の砲が搭載されているのも見て取れた。甲板長53m、全幅15m、喫水5m。全容を目にするためには見上げなければならない。

 ただし、ここは海でもなければ港でもないし、船渠ドックでもない。座礁したかの様相だったが、ここは内陸どころか迷宮のなかである。船体は微妙に傾いているが、マストの先が天井に引っかかることで支えているように見える。いかにも不自然であり、異様そのものであった。

 ただ、注目すべきは戦列艦だけではない。

 広場の中央には小さな人工池もあった。「小さな」といっても戦列艦と比べればの話である。少女たちの腰の高さまで嵩があり、水は綺麗に澄んでいる。水は水路を通って、壁の向こうから流れて来ているように見えた。少なくとも飲み水には困らなそうである。


「おんや? 誰だ?」

「子供? 女の子か?」

「迷い込んできたのかな」


 戦列艦の甲板から三人の男たちが顔を覗かせ、物珍しそうに見下ろしている。老人たちのようだった。髭も伸び放題で、汚らしく見窄らしくもあった。


「よお。迷子かい」


 いつの間に、もう一人同じ高さの地面に立つ男がいた。

 黒髪のオールバックに、赤いレンズの丸眼鏡をした男。甲板上の男たちと比べれば若い。三十代か四十代といったところだ。ロングコートのポケットに手を突っ込み、口元にはにんまりと笑みを浮かべていた。


「ここは……?」

「迷宮さ。迷宮へようこそ」

「それは、わかってるけど」

「“徘徊者”には会ったかい?」

「“徘徊者”?」

「あー、いろいろいるんだが、たとえば蜘蛛の化け物とかな」

「会ったわ」

「それで生き残ってるならわかってるとは思うが、挑むなよ。下手に動き回らなければ安全だ。特にこの広場はな」

「見た感じ、そうは見えるけど……」

「この迷宮は俺たち人間を飼っているのさ。あるいは寄生と宿主の関係か。寄生者は俺たちで、宿主が迷宮だ」

「どういうこと?」

「すぐわかる」


 人工池には一本の水路から常に新鮮な水が供給され続けている。

 その水路の先は壁で、拳が横に三つほど入るかというくらいの狭い隙間から水が流れてきている。

 そこから、水に乗ってなにかが流れてくる。


「飯だ!」


 戦列艦の甲板から、爺たちが歓喜の声を上げて飛び降りてきた。

 流れてきたのは、長方形の箱である。少女たちはその箱の形、大きさ、材質に見覚えがあった。


「まさか……」


 そして、先の爺たちの言葉。彼らが池に浮かぶ箱を手にし、それを開いたとき、疑問は確信へと至った。


「“食糧供給箱”……!?」


 それはレシィが所持していた遺物である。元を正せばグラスにもらったものだという。さらに元を正せば、グラスの最初の着用者が万識眼鏡と共に持ち出したもの、とされている。

 レシィも詳しく聞いたわけでもなく、正確に覚えていたわけでもなかったが、要するにそれは「遺物」だ。この迷宮が遺跡であるなら、同様の遺物が存在してもおかしくはない。


「君たちのぶんもある。手に取るといい」


 流れてきた箱は九つ。男たちは全員で四人。ミナセらが三人。つまり二つ余る。


「他にも誰かいるの?」

「ん? ああ。取っておいてくれ」


 箱を開く。やはり、“食糧供給箱”と同じものだ。容積の三分の一ほどがコメに占められ、あとは肉や野菜、卵や魚、豆や芋、それぞれの箱で組み合わせは異なるが、栄養バランスもよさそうな料理が敷き詰められている。


「毒でも入ってないかと不安かい? ああやってガツガツ食べてる連中を見ても?」


 三人の爺たちはミナセらに目もくれずに食事ありついている。もっとも、ミナセが気にしていたのは毒などではない。


「この箱はどこから?」

「水路の奥から」

「それは見ればわかるわよ」

「なら、それが答えだ。迷宮がよこしてくれたんだよ」

「迷宮が?」

「そう。迷宮は俺たちに食事と寝床を提供し、俺たちは迷宮に少しずつ魔力を吸われている。前向きな言い方をすれば、共生関係ともいえる」

「なるほど……」


 納得したのは、蜘蛛の魔獣の挙動である。殺さずに追い返したのは、できれば殺したくなかったからだ。だが一方で、場合によっては殺してでも追い返さなければならないものが、あの先にはあるのだろう。


「この迷宮は一種の封印魔術なのさ」


 直後、迷宮が揺れた。

 遠くで、なにかとてつもない爆発音が鳴り響くのが聞こえた。何度も、何度も、鼓膜を破るほどではないが、身体の芯まで揺さぶるような音である。


「ミ、ミナセ……?」

「あ、ごめん!」


 ミナセは思わずレシィに抱きついていた。あのときの恐怖トラウマが引き起こされたからである。爆発が鳴り止み、パラパラと埃が舞う。爺たちは特に気にすることもなく食事を続けていた。


「今度は、なに……?」

「攻撃だ。たぶん、機兵の」

「まさか、この迷宮に?」

「そんなところだろうな。やつらとしては、この迷宮そのものを破壊したいんだろう」


 それを聞いて、ミナセは緊張して身構える。一方で、日常茶飯事と言わんばかりの落ち着き払った男たちの様子を見て、その必要はないのだと察した。


「でも、できない?」

「この迷宮は封印魔術だ。すなわち、正規の解法でなければ決して破壊できない。やつらがどれだけ爆撃を仕掛けてこようが無駄なのさ」

「そういうことね……」


 わかってきた。“徘徊者”と呼ばれた蜘蛛の魔獣が守っているのはその「正規の解法」だ。そして、迷宮が人を招き入れていたのは魔力の供給源としてでもあり、「封印を解くもの」が必要だったからだ。

 逆説的だが、封印は解かれうるものでなければ成立し得ない。完全に入り口を閉ざしてしまってはむしろ封印は弱まってしまう。常に「解かれうる」可能性が存在するからこそ、それ以外の外法を拒絶することができるのだ。


「あ、そういえば。あなたは?」

「ようやく聞いてくれたか。ま、名前より気になることがあるのはしゃーないわな。俺はロジャー。マジカル・ロジャーだ」

「あたしはミナセ・イヴァナス。それから」

「レシィです」

「コムだよ」

「よろしく嬢ちゃんたち。まずはゆっくりしていくといい。気になっていただろうが、あの戦列艦。あれが寝床になっている。船体そのものは石質化しているが、ハンモックを吊るせば快適に寝られる」

「あれもよくわかんないんだけど、なに?」

「さあな。あれについては俺もわからん。艦名は“完璧な涙”。二百年ほど昔のアイゼル海軍の艦だな」

「アイゼルの? ここはどのへんなの?」

「どのへんって。ゾルティアのどこかだろ。竜口湾はアイゼル海軍第一艦隊の管轄だし、アイゼルの艦があるのはさほどおかしくはない。艦があるのはおかしいんだけどな」


 その背後で、爺たちは食事を終えたらしい。いそいそと立ち上がり、箱を水路側へと返していた。なにやら回収機構があるらしい。


「あれ? 箱は戻すの?」

「でないともう飯が来ないだろ」

「この箱、“食糧供給箱”じゃないかって思ったんだけど」

「なんだそりゃ」

「そういう遺物よ。周囲の人の魔力を吸って、食糧を生み出すっていう」

「その魔力を迷宮に吸われている」

「で、その魔力であたしたちに食糧を提供してくれるの?」

「より正確には、迷宮が俺らに求めてるのは“迷宮を攻略できずにいるもの”としての役割なのさ。封印を解く手段は確実にあり、それは可能でるはずなのに、できずにいる。だからこそ封印はより強固なものになる」

「魔力を吸われてるってのも、いまいち実感ないけど」

「そうだな。別に魔術能力に大した変化があるわけじゃない。俺も詳しい理屈は知らんが、要は迷宮にとっては俺らがここにいるってのが重要らしい」

「ふうん」


 ひとまずは食事だ。ミナセたちは腰を下ろした。池の縁を背にするとちょうどよかった。


「ミナセ。なんかすごいね、ここ。機兵が侵入してきてもあの蜘蛛が退治しちゃうし、無理矢理入ってくることもできないんでしょ」

「そうみたいね。入り口のあの感じだと、同時に入ってこられてせいぜい十数人。迷宮の規模がどれくらいかわからないけど、それくらいなら対抗できるのかも」

「ぼくもういらなーい。レシィちゃん食べてー」

「え、結構残ってるけど」

「コムはあいかわらず少食よね……」



 ミナセには、この迷宮に入ってから感じていたことがあった。

 ――ここは、機兵に対しての防衛拠点になるかもしれない。

 本来なら、人を迷い込ませ閉じ込めてしまうという、ある意味で災害のような遺跡だ。しかし、今はそれが利用できる。閉じ込めはするが、殺すことが目的ではない。さらにいえば、内部にいる人間を殺そうとする機兵は迷宮にとっても“敵”なのだろう。

 ならば、迷宮とは共生関係ならぬ、共闘関係が築けるのではないか。


「――! ミナセ」


 レシィが立ち上がる。その視線の先を見て、ミナセもまた立ち上がる。

 広場の入り口に、血まみれになった二人の女性が立っていた。特に一人はほとんど意識がないらしく、もう一人が肩を貸すことでギリギリ立っている。どうやら命からがらこの広場に辿り着いたという様子だ。


「だ、大丈夫ですか」


 レシィが駆け寄る。ミナセもまたそれについていく。


「……アタシは大丈夫。ただ、この子を頼む」


 肩を貸していた方の女性――肩幅の広い大柄の女性は、傷だらけになったもう一人をレシィらに預けた。大丈夫、とはいっていたがあくまで相対的に、という意味らしい。彼女自身も肩を壁に預けてフラフラしていた。


「あの、どうすれば」

「ん? ああ、艦の医務室に運んでくれ。アンタら見ない顔だね」

「あなたもここの住人なの?」

「ミナセ。そういうのはあとで。運ぼう」


 傷だらけの女性はすでに意識を失っていた。鮮血が服を、顔を、髪を染めている。見れば、斬り傷だらけだ。それも、かなり乱雑なものである。

 指示通りに二人がかりで運びながら、ミナセはそれが“徘徊者”のものであることを察した。あの二人の女性は、おそらくそれに挑んだのだ。

 なぜ? それはあとで聞けばわかるだろう。ただ、今の時点でわかるのは。

 挑めばこうなる。しかし、いずれは挑まねばならない。

 ただ囚われの生活に、甘んじることなどできないから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る