美しきは星の光④
「あたしと模造剣でやるって? 舐めてんの……」
レシィはミナセを広場にまで連れ出していた。いくらかの口論の末、模擬試合で決着をつけようという流れになったのだ。
「なめてない。ミナセも模造剣だから、“対等”だよ」
「それが舐めてるっていうのよ……!」
ミナセはかつてないほど荒んで見えた。これほど感情を露わにしたのはレシィの知るかぎりでは初めてのことだった。
「あなたは斧を使いなさい。いつも使ってるあれよ。それでようやく対等――にもならないだろうけど」
「私が斧を使うなら、ミナセもミナセの剣を抜いて。それで“対等”」
「……死にたいの?」
これは喧嘩だ。ゆえに
「お困りのようデスね。ワタクシから提案よろしいデショウか?」
外野からの仲裁。しかし、喧嘩そのものを止めようという意志はない。
「お二方の愛用武器に非致死性魔術を施しマショウ。ご存知かとは思いマスが、これは相手に痛みは与えつつも死に至らしめることのないようにという“願い”を込める魔術でございマス。お誂え向きの
子供の喧嘩をただ止めるのではなく、双方で合意しやすく、かつ安全性の高い
「……そ。いいんじゃない? あたしも殺したいわけじゃないし。レシィの斧にはいらないと思うけど」
「お願いします。デイモンドさん」
二人は一応は同意し、デイモンドに武器を渡す。
非致死性魔術は、デイモンドによって術式の組まれた短い縄を武器に結びつけることで発動する。逆にいえば縄さえ外せばすぐに解除できるものだ。
レシィの武器は片手用の戦斧である。ただし、大人にとっての片手用であり、レシィはこれを両手で保持する。
ミナセの武器は全長80cm護拳付きのブロードソードである。施された装飾からも上等なものだとわかる。ただ握っているだけでよく使い慣れていることが窺い知れた。
「万が一にも、うっかり外れないようにしてクダサイね」
そして、試合の準備が整った。
「別に固有魔術を使えとまでは言わないよ。ミナセは力を隠さないといけないんだもんね」
「……力を見せるまでもなく勝てるから、乗ってやってんのよ」
二人は距離をとり、そして対峙する。
「え、なんで二人が喧嘩してんの?」
理解できていないのは離れて見ていたコムである。とはいえ、コムが鈍感なわけではない。他の誰も喧嘩の原因を理解できてはいないのだから。
「ん。ミナセが試合とは珍しい」
あとからその様子に気づいたスレインなどは、そもそも喧嘩であるということも理解できていない。
「だよねー。レシィちゃんがミナセちゃんに勝てるわけないのに。十回やって十回とも同じ結果だよ」
コムの予想通りに、実力差は歴然としている。そんなことはレシィにもわかっていた。
ただ、“どれくらい離れているのか”を知りたかったのだ。
「
流れで、デイモンドが審判を務めることになった。両者の様子を確認し、合図をする。
「はじめ」
強襲。最短距離を最高速度で一気に詰めて、ミナセはレシィを斬り裂く。
本来であれば致命傷へと至る一撃。非致死性魔術によって、レシィはその痛みだけを身に受け、膝をつく。
「あ。何本勝負だっけ?」
レシィの背後に立ち、ミナセは軽く振り向きながら。
実際には無傷とはいえ、致死の痛みを与えてなおミナセの目は鋭く、冷たい。
「別に? ただの練習試合だし、何本でも……」
「勝てると思ってたわけじゃないんだ。そりゃそうか」
ミナセは苛立っていた。とにかく苛立っていた。
レシィを痛めつけたところでそれは晴れそうもなかった。それどころか、ますます苛立ちは増していく。それは得体の知れない焦燥感でもあった。
「ていうかなに、その、斧。なんで斧? 別に使いこなせてるわけでもないし」
「なんでもいいでしょ。これは、私の武器だから」
レシィは立ち上がり、もう一度、互いに距離をとって位置につく。
「次は、あなたから来なさい」
ミナセは、構えもせずに剣をだらりと下げた。挑発するように、余裕綽々で。
かといって、レシィも迂闊には近づけなかった。格の違いは明白だった。先の一戦から、そしてその佇まいから、攻撃が命中するビジョンはまるで見えなかった。
「うわあああ!」
それでも、仕掛ける。これはレシィの売った喧嘩だ。
確かめなければならなかった。こうしてでも、確かめなければ。
レシィの攻撃は虚しく宙を切る。何度やっても同じだ。どれだけ振り回しても掠りもしない。ミナセはあいかわらず剣を構えもせずに、ひらりひらりと涼しい顔で避けている。
いや、その顔は。
レシィの形相に釣られるように、やはり苛立ちを隠せない。
――なぜ。
そこから先の言葉が出ない。
苛立ちの根幹を探るための思考はすぐに途切れてしまう。
――なぜ。
その答えを、目の前の少女によって糾弾されたから。
「ちっ」
しばらくただ斧を振らせたあとで、ミナセはレシィの後頭部を剣の柄で殴った。そのままレシィは崩れ落ちる。
あまりにも隙だらけだった。ここに来て二週間ほど教練には参加していたようだが、まるでなっていない。途方もなく弱い。
なのに。
「いてて……。じゃ、次だね」
ミナセが見下ろし、レシィが見上げる。なのに。
「何度やっても無駄よ。あなたは、あたしには勝てない」
「勝つなんて言ったっけ? それはミナセもわかってるでしょ」
「じゃあ、なんで“対等”の条件で挑んできたのよ」
「“対等”で、いたいから!」
レシィは立ち上がる。その目はまだ戦意を失っていない。
「ほら。ミナセも早く準備して?」
「馬鹿馬鹿しい……もうやめにしましょ」
「それって、負けを認めるってこと?」
「はあ!?」
「なら。続き」
と、手を振るジェスチャーでレシィは促す。
――こいつ。勝つ気もないけど負ける気もないって?
ミナセは強く剣を握りしめる。だったら、どうすればレシィに負けを認めさせられるのか。
「来なさい。力の差を思い知らせてあげる」
その後も何度も、同じような試合が続いた。レシィがただ必死に斧を振り回し、ミナセはそれを避ける。適当に機会を伺って、一撃を与えて試合を終わらせる。何度やっても同じだ。そんな展開が、七度続いた。
「はぁ、はっ……つ、次……」
レシィは息も絶え絶えで、汗だくになっている。
さすがにそろそろ体力が尽きてきたらしい。このあたりが潮時だろうとミナセは思った。
――いったい、こうまでしてなにがしたいのか。
格下の攻撃を避け続けるのはミナセにとって退屈ですらあった。退屈だから思考が巡る。思考が巡れば、終着点に黒い靄が立ち込める。ミナセはそれを振り払うように、反撃して試合を終わらせる。
そして試合が終わり、次の試合が始まるまでに、また靄が立ち込めてくる。何度やっても振り払えはしない。何度倒しても立ち上がってくるレシィのように。
「い、いい加減に……!」
「ミナセが強いのはわかってた……。コムが捕まったとき、私も助けたかったけど、動けなかったから」
「…………」
「ミナセは強いよ。なのに、だから……」
「なんなのよ!」
レシィはわかっている。ミナセはわかっていない。
否。正確には、わかりたくない。わかってしまうのが怖い。
苛立ちの原因は、怒りではなく、怖いからだ。
「もういいわ。次で終わらせる。今度は一撃じゃなく、倒れたあとでも、何度でも。泣いても叫んでも、めちゃくちゃに斬り刻んであげるわ。大丈夫。痛いだけだから。死ぬほど痛いけど」
「決着後の攻撃は
「……っ! 一戦くらい反則勝ちをくれてやろうってのよ!」
「そっか。ミナセは優しいね」
「レシィ、あなた……意外と挑発がうまいわよね」
「そう?」
第九試合がはじまる。
やはり同じだ。ミナセは待つ。この試合で決着後の追撃をすれば、反則負けで八勝一敗。数字のうえとはいえ、こんな格下相手に「一敗」というのも苛立たしい。
かといって、あれだけ脅しておいてふつうに勝つだけでは、それもレシィに乗せられている気がした。どちらにしてもスッキリしない。なら。
そんなことを考えながら、また初撃を躱す。なんら工夫もなく、速度も精度もない凡庸な一撃を、軽く、後ろに下がるだけで――。
違和感。
斧の切っ先が、胸先に届いていた。
――なんで。
答えは、レシィの、憎たらしいほどの得意げな笑みで察せた。
変形魔術によって斧の柄を伸ばしたのだ。第九試合の、開始直前に。
これまでの試合はすべて、間合いに慣れさせるための布石。そうとでも言いたげな顔。
しかし。その攻撃はあくまで胸先を軽く掠めるだけ。仮に非致死性魔術がなかったとしても、薄皮を剥ぐ程度の当たりに過ぎない。
ただ、それだけだというのに。レシィの顔は、一矢報いたというように満足気で、ミナセにはそれが、憎らしくて仕方なかった。
「このっ」
が、反撃を下す前に。
レシィは力尽きて、前のめりに倒れていった。
「馬鹿なの。あなた」
仰向けに寝かせ直されていたレシィは、その一言と共に目覚めた。
「えっと、あれ?」
「馬鹿でしょ。あなた」
寝ているのは広場のど真ん中だ。身体の節々が痛む。実際の怪我こそなくとも、痛みと試合の緊張感でどっと疲れ果てている。とても起き上がる気にはなれなかった。隣にはミナセがそっぽを向いて座っていた。
「うーん、あ。そっか。最後に一試合だけ私が勝って……」
「勝ってないでしょ!? 馬鹿なのあなた?!」
ミナセの声は、寝起きの頭によく響く。
「そっか。勝てなかったんだ。一回も」
「勝てるわけないでしょ。あなたが、あたしに」
「だよね。知ってた。ミナセは強いし、私は弱い」
そこまでいうと、レシィは涙ぐみ、顔を押さえた。
「強いじゃん……ミナセ、やっぱり強いじゃん……!」
涙が、溢れる。
「なのに、なんで……!」
「なんでって、いわれても、そんな……」
ミナセも、気づいてしまった。
箱庭からの脱出を、すっかり諦めてしまっていたことに。
だが、それを認めてしまうことは彼女のプライドが許さなかった。だから、諦めていないふりをして、大会には出ない、教練には参加しないと、なにもしなかった。
監視されているから。それは、体のよい「なにもしない」言い訳だった。
自分自身すら偽って、騙して、誤魔化してきたのだ。
――やっぱり、キズニアさんの協力は必須だと思う。
レシィは、涙を拭いて霊信でミナセに呼びかけた。
――キズニアさんにも霊信でコンタクトをとれば、本音で話してくれるかもしれない。でも。
――たとえ霊信でも、あたしたちが信頼できないなら話してはくれない。そうでしょ?
――うん。だから、まずは信頼を得る必要があると思う。
――どうやって?
――月例大会で優勝する。
「はあ?」
と、思わず声に出てしまう。こういうところだ。
――霊信でのやりとりにも慣れないとダメだね。
――優勝って。無理でしょ。
――うん。私じゃね。でも、ミナセなら?
「…………」
なにか、爽やかな敗北感が胸をスッと通り抜けた気がした。この箱庭に、風なんて吹かないのに。
ミナセは深くため息をついて、観念する。
――いいわ。肝心なところ他人頼みなのムカつくけど。
「はは……」
レシィも笑い声が漏れている。まったく、先が思いやられる。
「――!」
そのとき、邪な気配を背に受け、ミナセは思わず立ち上がった。
ホテルの自動扉から、その影は姿を現した。
異様だった。この二週間、彼は姿を見せていなかった。だからといって、これほど変わるものなのか。
立ち上るかの邪悪な魔力は、ただそこにいるだけで圧迫感を帯びる。ただそこにいるだけで、心臓を掴まれるかの悪寒に身が震えてしまう。冷や汗が頬を伝い、本能がそれを脅威だと警告する。
トッドだ。キズニアに打ちのめされ、二週間ただ部屋に引きこもっていただけのはずの男。
その彼が、得体の知れない邪気を帯びて、そこに立っていた。
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