美しきは星の光③
「で、どうだったの?」
「だめ。キズニアさんでも、ここから出る方法はわからないって」
レストランにて、レシィとミナセは昼食をとる。二週間も経てば、レシィの皿もそれなりに節度を保った盛り付けになっていた。
「そりゃそうでしょ」
「そりゃそうなのぉ?」
「知っててもあなたなんかに教えるわけないでしょ。“敵”の監視下にあるのに」
「うーん。なんというか、そういう脱獄みたいなのじゃなくて、正規の方法もあるんじゃないかなって思ったんだけど」
「へえ?」
「でも、そういう都合のいい話ってないのかな……」
と、落ち込みながらもデザートのプリンを口に運び、幸せな気分を取り戻す。ミナセはハンバーグやピラフや青椒肉絲やらと同じ皿にプリンを乗せていたレシィに対し信じられないようなものを見る目をしていた。
「ミナセはさ、ここから出たあとはどうしたい?」
「出たあと? 出られる見通しもないのに?」
「うん。なんでもいいから、出たあとの話」
「……あたしの話、聞いてた? ここだとすべての言動は筒抜けなのよ。それだって迂闊に話せない」
「そっか。“影の獣”がいるのと同じ状況なんだね」
「え、なにそれ」
「ミナセは幻影演劇も観ないんだ」
「当然でしょ。デイモンドはいわば“敵”の手先みたいなものだから。信用できない」
「ミナセは誰も信用してないね」
「……こんな場所ではね」
――じゃあ、私のことは信用できる?
それは、ミナセに向けられたレシィの霊信だった。
――彼らも霊信までは傍受できない。それどころか、これはミナセの魔力波長にだけ合わせたものだから。
続けてそう告げる。
――なんであなたが軍規格の霊信を?
――やた。やっぱり通じた。私は一ヶ月くらい勉強して……私にできるくらいだから、ミナセにもできると思った。
――たしかに、この方法なら“秘密の会話”ができるけど……。
――さっきの質問。ここから出たあと、なにか“当て”はあったりする?
――それは……。
――あとは、霊信なら脱出のための作戦会議もできるね。
――そうね。
――それとも、ミナセは私も信用できない?
――いえ、あなたのことは……
――じゃあさ、ここから出たあともいっしょに……。いや、それは、ミナセが出たあとなにがしたいか、によるんだけど……。
「ねえねえ。なんでさっきから二人とも黙ってるの?」
と、コムの声に二人はびくりと肩を震わす。
霊信による隠密のやりとりは、本来ならふつうに会話しているのを装いながら水面下で行うものだ。いわば初心者の二人にはそこまでの技術はなかった。つい霊信に集中しすぎていたのである。
「いや、別に、ちょっと会話が途切れることくらいあるでしょ」
慌ててミナセが言い訳をする。
「ふーん?」
「ごめん。あたし用事あるから」
そして、ミナセはそそくさとトレーを片付けてレストランから出て行った。
「忙しそうだねー」
「……ミナセって、普段はなにしてるの?」
「ミナセちゃん? うーん、喫茶店でぼんやりしてたり、本を読んでたり。あれ、あんまり忙しそうじゃない。なにしてるんだろ」
「そっか」
レシィは、ミナセのことをまだなにもわかっていないのだと思った。
その日は、レシィもぼんやりしていた。魔術教練も毎日あるわけではないからだ。なんでも、休息も大事だということらしい。
こうして暇になると考えごとだけが捗る。
二週間が経った。特に代わり映えのしない日々が続いている。
――グラスさんや、ラ次郎さんはどこへ行ったのだろう。
ミナセは他にもここと似たような区画があるはずだと話していた。その別の区画にいるのだろうか。それなら案外近くにいるかもしれない。
だが、ラ次郎は「同じ場所には留まれない」と言っていた。留まった場合どうなるかまでは聞いていないが、レシィと似たような状況だとしたら間違いなく「留まって」しまう。その場合、なにが起きるのか。
なにを考えてもなにか答えが出るわけでもない。レシィは広場の方に視線を移した。
合同での魔術教練はお休みだが、自主的な訓練に勤しむものもいる。
スレインだ。「休息も大事だ」といった張本人だが、彼自身は毎日のように自主訓練に励んでいる。キズニアもそれに協力している形だ。
スレインが障壁を展開する。その数秒後にキズニアが剣を伸ばし、その障壁を貫通する。剣の切っ先は心臓にキスするように、胸先を軽く引っ掻くように止まる。その繰り返しだ。
つまり、キズニアの攻撃を防げる強度の障壁を展開しようという訓練だ。
レシィがここに来てから二週間、スレインはずっと同じ訓練を続けている。未だにキズニアの剣は容易く障壁を貫通する。ただ、稀に、剣が一旦弾かれて威力がかなり落ちて見えるときがある。その頻度は二週間で増しているように思う。
「うーん、スレインくん、頑張ってるなあ」
隣で同じ方向を見ながらそんな感想を漏らすのは、コムである。
「とはいえ、このあたりが頭打ちなのかなあ。なんだか最近、訓練時間に対する強度の向上は下降傾向にあるみたいから」
「そうなんだ?」
「うん。ぼくはそのへんよく見てるからね〜」
コムは魔術能力でいえば最低クラスだ。ただ、研究熱心というか勉強熱心なところがある。そして、へこたれない。その点で、彼女もまた強い。
「たしかに、スレインさんもいってたよね。ある程度以上は“壁”があるって……」
「それを自ら証明してくれるってことなんだねえ」
「……コムって、ホント歯に衣着せないよね」
ここから出ることはできない。ただ、ここの居心地は悪いものではない。
機兵に殺される心配はしなくていいし、料理も美味しい。友達だっている。
――でも、グラスさんがいない。
なぜグラスはこの場にいないのだろう。いったいどこへ行ったのだろう。
レシィはつい先ほどと同じ問いを繰り返している。
グラスは「人間」に強い興味を抱いていた。ここにはまだ彼の知らない人間がたくさんいる。
ならば、あえて脱出を試みなくても彼の方からやって来るのではないか。
だけど、その場合は。
――彼にとって興味深い人間は、私以外にもいくらでもいるに違いない。
でも。それでも。たとえどんな形でも、もう一度会わなければならない。
なぜいなくなってしまったのかを、問わずにはいらなれない。
ここから脱出したとして会えるとはかぎらない。そもそも、どこにいるのかもわからない。待っていてもそのうち会えるかもしれない。だけど、ここにいるうちはその判断もできない。
だから、この箱庭からはなんとしても脱出しなければならない。
そのためになにをすべきか。二週間かけて勇気を出して、レシィはキズニアに質問することができた。結果は予想通り。彼でも「わからない」という答えだ。
しかし、この箱庭において最も頼りになる人物はキズニアだ。彼を頼るという選択肢は間違っていないはずだ。問題は、彼自身に脱出の意志はあるのかという点。実際に脱出計画があったとして、それをこんな少女に、しかも監視下で話すわけがないという点。
「おや。ミナセさまはご一緒ではないのデスカ?」
ぼんやり考え事をしているレシィに話しかけてきたのは、いかにも胡散臭い男。黒スーツにシルクハットにちょび髭と、いかにもだ。ただ、彼の素晴らしい幻影演劇を観たあとではその印象も違ってくる。尊敬や憧れまであるほどだ。特徴的な姿も愛嬌に思えた。
「デイモンドさん。いえ、ミナセは用事があるとかで……」
「そうデスか。彼女と話したいことがあったのデスが……。そうデスね、ついでのようで失礼デスが、レシィさまにもお伺いしたいことがございマシタ」
「え、私にですか?」
「はい。先日の幻影演劇はご覧になっていただけマシタよね?」
「は、はい! とても素晴らしい内容でした!」
「それはよかった。コムさまは如何デシタか?」
「ぼく? んー、ぼくもあんなふうになりたいなあって思ったけど、真似しても無理そうだし、参考にならないなって」
「ほうほう。それもまた一つのありうべき反応でございマスな。たしかに、ワタクシとしましてもあの物語はその点で共感性の低いものであるという問題があると考えてイマス。“力を合わせて巨悪に立ち向かう”という華々しい物語ではなく、彼はただ孤独のまま一人で勝ってしまう。暗く、重い物語デス。これは史実を元にした物語の弱点でもありマス」
「で、でも、だから絶望的な状況が強調されて、最後、こう、すごかったんだと思います!」
「ありがとうございマス。もちろん、その点は意識して演出致しマシタ。興行師として冥利に尽きるありがたいお言葉デス。ただ、そうデスねえ。次回作は、“力を合わせる”ということを主題としたお話をご用意できたらと思いマス。ご期待クダサイ」
そうして、デイモンドは挨拶をして去っていった。観客の意識調査といったところだろうか。
――絶望的な状況。今、自身が置かれているのはあの話の状況と似ているだろうか?
あの話では、“影の獣”のために村人たちは協議することすらできなくなっていた。その点は似ているのかもしれない。
だが、それでも、なにか抜け道はあったのではないだろうか。ただ一人の少年が力を尽くすのではなく、村人たちが“力を合わせて”立ち向かうことは本当にできなかったのだろうか。
思い至る。できることがある。まだ試していないことがある。
霊信だ。
――今度は、キズニアさんに霊信で話しかける。
レシィの心は決まった。
と、同時に、奇妙な違和感が頭の中で靄として立ち込める。
ミナセだ。彼女はなぜ、話してくれなかったのだろう。霊信を通じてなら他には聞こえないはず。なぜ逃げるようにあの場を去ったのか。信用してくれるといっていたはずなのに……?
「ミナセ。どこに行ったのかと思ってたら、部屋に戻ってたんだ」
203号室。レシィは、ミナセの部屋の前にいる。
「話があるんだけど、いいかな」
返事はない。扉は固く閉ざされている。
レシィは意を決し、大きく息を吸う。
「……出たくないんでしょ」
少女に似つかわしくない、低く、突き刺さる声だった。
「ミナセは、この箱庭から出たくないんでしょ」
それは、部屋から引きづり出すための言葉。
「ミナセは、出たい出たいって、ふりをしてるだけ! 本当は、ただ怖くて、ここから出るつもりなんてないんでしょ!」
そして、扉が開かれる。
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