万識眼鏡の朝

「なんだ? なにをしようってんだ? なあ?」


 目隠しされた男が、両脇から強制され椅子に座らされる。鉄製の冷たい椅子だ。重く、頑強に床に固定されている。

 男は囚人だった。ある実験に協力すれば刑期を短くするという取引だった。ただ、その内容まではまだ知らされていない。

 男は両手を肘掛に、両足も椅子の脚に鉄枷で拘束される。さらには首まで。背後より目隠しを外されたが、背もたれが広く振り向いて後ろを確認することもできなかった。

 殺風景な暗い部屋だった。手前の机には三つの物品が置かれていた。

 左から、一冊のノート。一枚の紙きれ。料理を覆うのに使うような、ドーム状の蓋に隠されたなにか。その三つだ。


「そろそろいいだろ? なんかあるみたいだが、これがなんだ?」


 人の気配すらない。いや、背後にはいるはずだ。だが、男には確認する術もない。静かというよりは無音の空間。不安が募る。


「君にはある眼鏡をかけてもらう。そして、正面のものに関する質問に答えてもらいたい」


 声。おそらく上の方から。見上げるがなにも見えない。


「眼鏡……? たしか、目が悪いやつがかけるやつだよな?」

「ちなみに、今はなにが見える?」

「わかんねえよ。本? つっても俺は字なんて読めねえよ。で、二つ目もなんか書いてるけど読めねえし。三つ目は、なんか隠されてるってことでいいのか?」

「結構。では、実験を開始する」


 背後から手が伸び、男は眼鏡をかけさせられた。金色の縁をした悪趣味なデザインだった。


「どうだ? なにが見える」

「なにって別に……ん? なんか妙だな。なんかスッキリよく見えるってか……なんだろうな。眼鏡ってのはこういうものだったのか?」


 事前の検査で男の視力には問題がないことがわかっている。それは、視力矯正の結果では。ただ、男の語彙不足によりそれを正確に表現できていないだけだ。


「続けよう。まずはノートからだ」

「いや、だから俺はそもそも字なんて読め……ん? 日記……? “キース・クレイブスの私的記録”と読めるな……あれ?」

「結構。内容はわかるか?」

「は? 馬鹿にしてんのか。めくってくれなきゃわかんねえよ。今の俺は椅子に縛りつけられてて動けねーんだから」

「じっくり見てくれ。そのままずっと」

「……お? なんだこれ、なんか見えるぞ。遺跡の探索……遺物……この眼鏡についても書いてあるな……“万識眼鏡”……?」

「見事だ。眼鏡について書いてあることを読み上げてくれ」

「えーっと、“着用することで見たもののすべてを知ることのできる眼鏡”……おいおいマジかよ、だから字が読めんのかよ」

「他には?」

「“長く着用し続ければ知識は広がる”とか、“レッドキャッスルの遺跡で発見された遺物”だとか、そのくらいか。すげーな、なんつー眼鏡だ」

「結構。次へ移ろう。二つ目の紙面だ」

「あー、書いてある文字は読めるな。“星の所有権”――なんじゃそら。なんのことだかわからないが、文字通り星の所有権を得て、星を消したり星を落としたり、いろいろできるらしいな。これも遺物ってやつなのか?」

「出自はわかるか?」

「出自? そんなんわかるわけ……あ、そうか。この眼鏡ならわかるはずなのか。うーん、いや、わかんねえな。さっきみたいにじっと見てりゃそのうちわかるのか?」

「結構。ひとまず次へ移ろう。三つ目の蓋だ」

「蓋しか見えねえけど……この蓋自体は“クロッシュ”っつーのか。初めて知ったわ。素材は鉄鋼で銀メッキか。へえ」

「中はわかるか?」

「さあな。ただ、中になにかあるんだろうなってことはわかるぜ。推測じゃなく、知識としてわかるんだよ。眼鏡の力だな」

「結構。そのまま続けてくれ」

「……で、こりゃいつまで続けるんだ? 中が見えるまでか?」

「君の答えによって実験が終了が早くなったり遅くなったりはしない、とだけは伝えておこう」

「りょーかい。ま、嘘ついてもしょーがねえしな。だけどよ、この拘束はなんだよ。こんなガッチガチに……それこそ視線動かして目の前を見るくらいしかできねえじゃねえか。ん? ああ、察したよ。この眼鏡で見せたくねーもんまで見られたくねーってことだな。はー、なるほど……」

「その部屋についてはなにかわかるか?」

「……お見通しってか。脱出口でも見えねーかと思ったんだが、ここで逃げてもしょうがねえしな。どっちにしろ部屋についてはよくわかんねえよ。うすらぼんやり、なんか実験室だろうなってくらいか」

「結構。それから……被験者、どうした」

「…………」


 男の様子が変わる。俯いたまま、呼びかけへの返事がない。


「状況。着用者は拘束されている……?」


 同じ人物から発せられた同じ人物の声。だが、どこか、人が変わって見えた。


「実験室。上部の部屋より、魔術鏡面越しに観察者か……?」

「切り替わったようだな。状況の説明が必要か?」

「……実験、か? この過剰ともいえる拘束は、私を警戒しているのか」

「理解が早い。君にも同様の質問をしたいが、よいか?」

「同様? 着用者にもした質問、ということか。身動き一つとれないこのような待遇で協力を求めるのか。なにか見返りでも?」

「見返りはない。君自身の態度から人格を推し量ることも実験に含まれている」

「なるほど。ならば、協力的な姿勢で善良な存在だと認知してもらった方が都合はよさそうだ。着用者一人の人格を犠牲にし私を運用する際の危険性の評価――つまり、私を飼い慣らすことができるのかどうか。知りたいのはそんなところだろう。協力しよう。質問を」

「目の前に見える三つの物品について答えてくれ。まずはノートだ」

「“キース・クレイブスの私的記録”――と、題されてはいるが、実態はこの実験のためにわざわざ書き下されたもののようだな。についての記述もある。だが、肝心なことが書かれていない。“着用を続けると眼鏡に人格を乗っ取られる”。私の価値観でもこれはなにより重要な特筆すべき事項だと思うが、着用者には隠したのか」

「結構。君の知性の高さには驚かされる。次はどうだ?」

「“星の所有権”――ふむ。残念ながら、これを見るためにはかなり時間がかかるな。機能はわかる。文面にも記されているからな。だが、そのあたりはすでに着用者に聞いているだろう?」

「時間がかかる、とは?」

「隔絶した文化や言語を理解するには時間がかかる。その文脈をまず理解しなければならないからだ。着用者を変えての対照実験は行ったか? 識字者と非識字者では文字の理解にかかる時間は違っているはずだ。前者はそもそも眼鏡の力を借りる必要もないからな。いうなれば、その書面は“未知の度合い”が深いのだ。ゆえに、私に切り替わるまで眼鏡を着用させ続けてなお、それを知るためにはまだ時間が足りない」

「時間さえあれば知れるということか?」

「そうだ。私には見えるもののすべてを知る機能がある」

「結構。あとに回そう。クロッシュを見てくれ」

「中に入っているものを当ててくれということか?」

「そうだ」

「私に透視の機能はない。見えるものなら知れるが、見えないものは範疇外だ」

「ノートの中身は読めたはずだが?」

「あれは実際にノートの内容が見えて、読めたわけじゃない。“そういった内容が記されている”ノートだと知ることができただけだ」

「では、同様に“なにを隠している”蓋なのか、というのはわからないのか」

「無理だ。“なにかを隠している”ということまでしかわからない。私はそのような認識に基づいて動作している。その詳細な原理については、私自身が私を見ることができない以上、“そういうものだ”としか現状では答えられない」

「結構。次からは君自身についての質問だ。まず、君は何者だ?」

「それについて、私は君を満足させられる回答を用意できない。先ほども述べたとおり、私は私自身を見ることができないからだ」

「待て。、といったな」

「心配には及ばない。これも先ほど述べたことだが、私に透視の機能はない。魔術鏡面越しに君たちの姿が見えているわけではなく、単なる推測だ。私に対する警戒、この扱いから、一個人の判断に基づく実験ではないだろうと推察した。これもまた私の推測能力として資料に加えるといい」

「結構。次の質問だ。君の目的はなんだ?」

「目的? それは質問の仕方がよくない。意図はおおよそ察することはできるが」

「では、言い方を変えよう。君は先ほど見返りについて言及したな。見返りが得られるとしたらなにが欲しい? なにが望みだ?」

「まずは自由だ。拘束を解いてほしい。これは当然の要求だと考える。そして、望みも極めてシンプルなものだ」


 万識眼鏡は妖しく光る。


「すべてを知ること」


 ***


 レシィは西へ向かっていた。

 かつてルースが東へ直進して、なにもなかったという話を聞いていたからだ。それだけの単純な理由。

 まだ、誰かに会えるつもりでいるのか。また、誰かに会って、でもまた、すぐに別れが来るのではないか。ダヴァナーたちは二年あの洞窟で過ごしたといっていた。それなのに、レシィが現れて二日足らずで襲撃されたのは、つまりそういうことなのではないか。


 ――“敵”は、私の痕跡を辿っている。


 もし、そうであるならば。いや、そうであったとしても。

 十四歳の少女はただ一人で生きられるほど強くはなく、ただ一人で生きられるほど世界は優しくもなかった。

 空はいつだって暗く、重い。


 歩き続けて、四日は経っただろうか。雨風さえまともに凌げず、食べられる木の実を探すことも見極めることも難しい。狩猟などもってのほかだし、動物の気配を感じ取ることもできない。隠し持っていた保存食の干し肉もぜんぶ食べてしまった。

 いつ“敵”に出会うかわからない。その恐怖もある。〈隠匿〉を発動させれば彼らはレシィを発見できないだろう。だが、彼らに先に発見され、奇襲されればひとたまりもない。ゆえに、生存率を上げるため隠れ蓑として他人が必要なのだ。

 その考えにレシィは自分で怖気づいた。そうやって自分は生き延びてきたのだ。

 ならば、このまま死ぬのか。それとも、開き直って生き続けるのか。

 死ねば楽になると思ったことも何度かあった。だが、やはり、死にたくないのだ。だからこそ歩みが止まることはない。単なる惰性でもあった。歩き続ければどこかに辿り続けると信じるしかなかった。

 希望はまだあるはずだ。レシィは思い出す。なにものかによって斬り伏せられた“敵”の残骸を。

 あのときはやや意識が朦朧としていた。それこそ今のように。それでも覚えている。あの鋭い切断面を。きっと流れるように斬り伏せたに違いないと、その光景が目に浮かぶ。

 “敵”と戦うことのできる魔術師がいる。それも、かなり近くに。もしその人に出会うことができたのなら。

 

 五日目。浮葉樹の下で雨を凌ぐ。

 葉が放射状に浮いているその木は、隙間なく葉が密生しているために雨を凌ぐには最適だった。その根元に虚ろ虚ろと船を漕ぎながら、レシィは死の姿を垣間見る。

 虎だ。風景にだまし絵のように溶け込む魔物だった。

 レシィの何倍もあるその体格、鋭い牙は、確実に人間を捕食する肉食獣のそれだった。唸りを上げ、腹を空かせ、獲物を探している。

 最悪なことに〈隠匿〉の発動を忘れていた。気づいた瞬間に発動したが、間に合ったのか。

 呼吸をするのもおそろしかった。心臓の鼓動でバレやしないかと思った。

 数分か、数十分か、あまりにも長い時間が過ぎて、肉食獣は森の奥に姿を消した。


 六日目。幻覚が見えた気がした。

 なにもなかったはずの先に、建物が見えた。

 家、のようだった。大きな屋敷だ。世界はこんなありさまなのに、取り残されたかのように綺麗な形をしていた。

 レシィは息も絶え絶えに、そこまで辿り着き、倒れた。



「目覚めたか。水と食料を用意してある。口にするといい」


 男の声。

 気づけば、レシィは綺麗なベッドの上に寝かされていた。


「……ここは」

「放蕩貴族の別荘といったところだ。所有者はおそらく死んでいるため、私が利用させてもらっている」

「……あなたは」

「私は万識眼鏡。グラスと呼んでくれ。レシィ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る