第22話 冷い骸のぬくもりは

 俺はむっくんに誘導され、廊下の一番奥の部屋に案内された。コルトの部屋は俺の向かい側のようで早々にコルトは自分の部屋に戻ってしまった。


「ここがあなたの部屋よ。他の宿より寂しいけれどそこは目を瞑って頂戴ね」


 むっくんは部屋の鍵を開け、扉を開けて中を見せてくれた。ベッドに机と椅子、一人分のクローゼット。最低限住む場所としては機能しているようだが窓がない。ランタンで部屋中が明るく保たれてはいるが窓がないのは不便だな。


「ごめんなさいね。驚かせてしまって。悪気があった訳じゃないのよ?」


 むっくんは開いた扉に背を向けてもたれながら腕を組んでいた。表情は分からなかったが声のトーンから申し訳なさそうにしているのが分かる。

 

「いえいえ。自分もちょっと失礼があったと思います。叫び声を上げてしまって済みませんでした」


 俺はむっくんに向かって頭を下げて謝罪する。


「……ふふふ。やっぱり、コルトちゃんが連れてきただけあるわね。顔を上げて頂戴、気にしていないわよ。そういう反応が普通だもの」


 しばらく俺を見つめて黙り込んでいたむっくんはクスリと笑うと俺の頭を優しく撫でてくれた。完全に白骨化した手で、ゴツゴツとしていたけれど何故か手の熱が伝わってくる。


 ……温かい。凄く優しくて、包み込んでくれるような温かさだ。


「えっと、むっくんさんは魔物……なんですよね?」

「むっくんでいいわよ。そうね、コルトちゃんの言った通りアタシは魔物。アンデットキングって呼ばれている上位のアンデット種よ。まあ、キングっていうほど大層なものじゃないのだけどね。魔物の種類としてはそういうことになっているわ」


 むっくんはそう言って俺に鍵を渡した。もたれ掛かっていた体を起こし、カウンターの方へと向かう。


「立ち話もなんだから、まだ聞きたい事があるなら向こうで話しましょう?」

「そうですね。分かりました」


 俺は小さく頷いて自分の部屋の扉を閉め、むっくんの後を追った。今更ながら気付いたが、むっくん以外にこの宿の従業員が見当たらない。いいや、従業員どころか他の宿泊客もいないようだ。憶測でしかないけれど、人の気配を感じない……というか。むっくんの存在感が大き過ぎるだけかもしれないけれど。

 カウンターの傍にあるソファーに腰掛けるむっくん。俺も少しだけ距離を置いてむっくんの隣に座った。

 しばらく沈黙が続く。それもそうだ。俺はむっくんの姿を見た時から薄々気付いていた事が一つだけあった。その姿形、肉体はなく骨だけだったが、どう見てもそれは人の形をしているとしか思えない。衣服を身に付け、言葉を話し理解し、感情さえも持っている。

 むっくんは自分を魔物と言っているがそれは現在進行形で、元々は別の何かだった……そう予想するには十分だった。アンデットなんていうくらいだからその可能性は高い。


「今、アナタが考えている事を当てて上げましょうか?」

「え?」


 一時の沈黙を経て、むっくんは人差し指を立ててそう切り出す。どこか楽しそうなのは……この際無視しておこう。


「アタシが普通の魔物には見えない。もしかしたら、元々は人間だったんじゃないかーって、考えているでしょう?」

「うっ!? ご、ご名答です」

「何年アンデットをやっていると思っているのよ。アナタの目を見れば分かるわ」


 目を見れば分かる。そう語るむっくんはどこか悲しげだった。

 多分、むっくんは相手の目を見ただけで相手の考えている事が分かる訳じゃない。俺と同じような目をしている者が、考えを持っている者が、アンデットとしてこの世に繋ぎ止められ、その後に生きていく中で出会った者達が口を揃えて放った言葉が、態度が何よりも示していたんだろう。


 俺は軽率にも、そんな態度をとってしまっていたんだ。


「済みません! 悪気はないつもりですが、軽率な……」

「そう謝らないで。アナタは何も悪くないわ。当然の反応だって言ったでしょう?」

「でも……」

「ふふふ。随分と変な子をコルトちゃんは連れてきてしまったようね。優しすぎて涙が出そうだわ。ま、まあ……もう随分前に枯れちゃったんだけどね」


 むっくんは涙を手で拭うフリをしてクスリと笑いながらそんな冗談を言う。


「そうね。アナタが思っている通り、アタシはもともと人間だった。死んだ人間の一部はアンデットとして魂はこの世に固定される。けれど、人生を全うした魂のほとんどは神様の下に帰り、輪廻のサイクルに取り込まれて再び生を受けるための準備をするものよ」

「魂が固定される理由って……何かあるんですか? この世に未練があったとか?」


 俺の問いかけにむっくんは腕を組んでしばらく考え込むと、天井を見上げて溜息を吐いた。


「未練があるのか……と言われても、どうなんでしょうね。実際、生前の記憶がないからこの世界に固定される理由が何なのかアタシにも分からないのよ。ただ……」


 むっくんはそう言って俺の顔を真っ直ぐと見据えた。

 そこには『目』はなかったけれど、やっぱりむっくんはどこか寂し気で、本当は何かを分かっているようだった。


「いいえ、何でもないわ。この話は止めておきましょう? あまり愉快な話ではないから」


 むっくんは言葉の途中で首を横に振り、俺からも目を逸らしてしまう。


「……済みません」

「もう、謝り過ぎよ。そういう心がけは凄く嬉しいけれど、そうやって何度も謝られるとちょっと寂しいわ」

「済みま……」 


 むっくんは少し困ったような様子で自分の頬に触れながら首を傾げた。

 俺はまた咄嗟に謝ろうとしてすぐに口を閉ざす。


「……なんだかむっくんって魔物って感じがしないですよね。友好的というか凄く優しいというか……」

「あら。嬉しいわね、そう言ってもらえて。アナタがもう少し年を取っていれば惚れていたところよ」

「あはは、それはそれは……何と言うか」

「あー、今、微妙って思ったでしょう。酷いわ、これでも結構モテていたはずよ? ほら、この頬骨のラインとか見れば分るでしょう?」

「そ、そうですね。あはは」


 むっくんは誇らしげに自分の頭蓋骨を指差して詰め寄ってきた。俺は適当に反応しながら苦笑いを浮かべる。

 本当、凄くいい人ではあるんだけどたまに自虐なのか本気なのか分からない事を切り出してくるから反応に困るな。


「それにしても、あのコルトちゃんがお友達を連れてくるなんてねぇ。アタシ、心配していたのよ? もしかしてコルトちゃんって……その、独りぼっちなのかなって思っていたから。杞憂だったようで安心したわ」

「まあ、そうは言っても今日知り合ったばかりなんですよ。朝ごはんを食べようってしている時にいきなり腹減ったから奢れなんて言われて、その流れでパーティーに加わってやっても良いぞなんて言われてですね」

「あー、それは何とも……コルトちゃんらしい話ね」

「その後なんて、クエストがあるからって一緒に付いていったら、オルクスをおびき寄せる囮にされたんですよ? 出会ってすぐの仲間を魔物の囮に使うなんて酷いと思いませんか?」 

「…………ぷっ。あはははは」


 俺が呆れてそう言うと、むっくんは呆気にとられたように俺の顔をじっと見つめて固まっていた。そして急に噴き出して口元に手を添えながら上品に笑い声をあげる。


「その割にはまんざらでもないって感じだけど?」

「勘弁してくださいよ。本当に怖かったんですから」

「そうねぇ。じゃあ、コルトちゃんとパーティーを組むのは止める?」

「……え?」


 急にむっくんに真剣な声色で問い掛けられ、俺は困惑してしまう。

 コルトとの関係をここで終わらせることが出来るのか? 確かに、これからは俺が囮として扱いを受ける事はないなんて確証はないだろう。コルトと関われば俺の能力に似合った魔物の討伐は難しくなるだろうし、その分危険は増える。でも……。


「それは……あり得ないですね」

「それはどうしてなの?」


 俺はちょっと気恥しくなって頬を指でポリポリと掻きながら答える。むっくんは俺の答えを聞いて、一回だけゆっくりと小さく頷くと優しい声で問い掛けた。


「どうしてでしょう。俺にも今ははっきりとは分かりませんけど……何となく、コルトと離れる気にはなれないです。あんな目に遭わされても憎めないっていうか……済みません、はっきりしなくって」

「……やっぱり」


 むっくんは何かを納得したように小さく頷いた。

 かなり曖昧な答えだったはずなのに、むっくんはこれで納得してくれたのか? 


「でも、コルトはどう思っているんでしょうね?」

「あら? 気になっちゃう? そうよねぇ、なんだかんだ言っても男女だものねぇ」

「そ、そんな! まだ出会って数時間しか経っていないんですよ!? そんなすぐに男女の関係なんて」

「……ぷっ! 本当、アナタってからかい甲斐のある子ね。冗談よ」


 むっくんは俺の反応を見て面白がっているようで、また噴き出して笑っていた。

 完全にむっくんの手の上で踊らされている気分だ。別に不愉快ではないけれど、なんだか納得がいかない。


「少なくともアナタの事は信頼しているはずだわ。コルトちゃんとは長い付き合いだから間違いはない。アタシが保証してあげる」

「信頼……ですか? でも、俺は最弱職ですよ? こんなに弱いのに信頼だなんて」


 むっくんはそう言ってくれているけれど、俺からしたらコルトが俺に寄せている気持ちは信頼ではないと思う。かと言って何かあるのかと言われてもそれがどういうものかは分からない。コルトはそういうの語らないし表に出すような奴じゃないから。

 俺はそう考えてしまって視線を落としてしまう。それもそのはずだ。コルトに疑いを持っている時点で信頼関係なんて築けているはずがない。自分の情けなさに苛立ちさえ覚えた。


「もう、本当に可愛いんだから」


 そう言って少々興奮気味にむっくんは俺を抱きしめた。服の下に感じる骨のゴツゴツとした感触。少し痛みを感じたけれど、それよりも強く感じたのはそこにないはずのむっくんのぬくもりだった。

 頭を撫でられた時から感じていた、不思議なぬくもり。慈愛にみちているようで、心なしか安心させられる。


「コルトちゃんは何も、アナタの能力に興味があったとかそういう訳じゃなかったはずよ? コルトちゃんは、強者だから弱者だからってそんな事で人を判断するような子じゃ絶対にないわ。コルトちゃんがアナタを選んだって事はアナタにはそれだけの魅力があったって事だと思う。実際、アナタと話してみてアタシも感じたもの。だからアナタもコルトちゃんを信じてあげて? きっとあの子は、それを望んでいるわ」


 温かい……体からも声からもむっくんの温かさを感じる。

 こんなに人に慰められたのはいつ以来だろう……いいや、もしかしたらこんな経験は一度だって無かったかもしれない。これほどまでの優しさをぬくもりを出会ったばかりの俺に与える事が出来るなんて……。


「分かりました。俺はコルトを信じます」

「よろしい! そう言ってくれて私も嬉しいわ」

「えっと、何だか済みません」


 むっくんは抱きしめていた腕を離すと両手で俺の肩をポンポンと優しく叩いた。

 俺はむっくんの顔を見ていられなくなって気恥ずかしさから目を逸らしてしまう。


「もう、そういう時はありがとうっていうものよ? 別に求めているわけじゃないけれど、どうせ言ってくれるなら、ありがとうの方が心が安らぐわ」

「ああっ、済みま……いいえ、ありがとうございます。自分も結構、気が楽になりました」

「いえいえ、どういたしまして」


 むっくんは安堵したようにため息を吐いてそう言った。


「そういえば、アナタの名前は? 先に聞いておくべきだったけれど」

「セイジですよ。城木セイジです」


 むっくんは俺の名前を聞くと何か考え込むように顎に手を当てる。しばらくして何かを思いついたのか人差し指を立てた。


「じゃあ、これからはシロちゃんって呼ぶわね。親しみを込めて」


 そう言ってむっくんは手を差し伸べてくる。握手を求めているのだろう。

 あんまりそのあだ名は恥ずかしいから呼んで欲しくはないけれど、ここまで良くしてもらったし、あだ名くらい安いものだろうな。


「はい。分かりました」


 俺はむっくんの手を取り握手を交わす。異世界に来なければこんな経験は出来なかっただろう。こればかりは感謝するべきなんだろうな。


「えっと、最後に一つ……かなり失礼な質問なんですが」

「ん? 良いわよ? 遠慮なく聞いて」


 俺は躊躇いながらも切り出した。むっくんは快くオッケーしてくれる。

 あんまりこういう事を当の本人に言うものじゃない。けれど、気になってしまったら聞かずにはいられないし、むっくんはきっと困りながらも答えてくれるだろう。

 俺は覚悟を決めてむっくんに問い掛けた。


「むっくんってその……男、ですよね?」


 質問し終えてすぐに俺は目をギュッと閉じてしまう。しばらくむっくんから声がする事はなく、俺は酷い質問をしてしまったと後悔した。

 やっぱり、触れるべきではなかったか。


「あちゃー、バレた?」

「ふぇっ?」


 思いがけない反応に俺は変な声が出てしまう。むっくんは照れ臭そうに頭を掻いていた。


「ええ。そうよ。アタシは性別上は男。けれど、心は女のつもりよ」

「やっぱりでしたか。その……声がそんな感じだなって思えて」

「あら? そんなに分かりやすかった?」

「ええ。一応は」


 そんなに『男』って感じの明らかな声ではなかったけれど、不自然さは隠しきれていなかった。声変わりになりたての男子が無理して高い声を出しているようなそんな不自然さを感じた。


「まあ、良いわ。今までこうして過ごしてきたんだし。声はどうにもならないしね。質問はそれだけかしら?」

「あっ、はい。ありがとうございました、話を聞いてもらって」

「いいのよ。困ったらいつでもアタシを頼って頂戴、シロちゃん」


 むっくんはそう言って両手を腰に当てて胸を張る。そのままカウンターへ向かうと、むっくんはカウンター奥の扉を開いてその奥に入っていった。その後、カチャリと乾いた音が聞こえる。

 俺はその後ろ姿を見送った後、自分の部屋へ戻った。

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